「東ローマ帝国~繁栄と滅亡・皇帝たちの軌跡」を観て

 今、2019年4月のトルコ研修旅行記を書いている最中ですが、初めの三日間は、イスタンブールの歴史的名所の訪問でした。聖書には直接関係がないけれども、ここは、東ローマ帝国の都「コンスタンティノープル」であったということで、キリスト教の世界を観ることができるだろうと思っていましたが、正直、あまり期待値は高くありませんでした。

 けれども、だんだんいつの間にか、惹かれるようになっていきました。何か自分の知らない歴史、今まで全く学校で教えられてこなかった世界史の全貌が見えてきました。そしてたまたま、以下のBS-TBSによるドキュメンタリー・シリーズを見つけ、観ていくと、強い衝撃が走りました。自分が人生の中で知っていた世界で、ものすごい大事なパズルの部分が、全く欠けていたことに気づいたのです。

 そして、それは、聖書の預言そのものでもありました。

東ローマ帝国~繁栄と滅亡・皇帝たちの軌跡

壮大な、長編ドキュメンタリー

 このドキュメンタリー・シリーズの質の高さに圧倒されました。イスタンブールで訪問した所はほとんど網羅されており、歴史の中で文脈をようやくつかみ取ることが出来ました。美しい芸術作品や遺構や自然を、高画質の映像で、ゆっくりと映し出します。このコロナ禍、まさにバーチャルで訪問しているような気分になります。そして、ハギア・ソフィアのバーチャル背景の中で、司会と専門家が解説をします。そこに、当時の資料文献を、夏樹マリさんが演出をもって朗読して、当時の様子を活写します。

 私は、ネット配信Paraviを二週間お試しの無料視聴で視ましたが、有料で購入し保存版にしてもいいぐらい、貴重な作品だと思います。(GyaoAmazon)五回シリーズですが、以下のようになっています。 続きを読む 「東ローマ帝国~繁栄と滅亡・皇帝たちの軌跡」を観て

「海難1870」から知る、日本とのつながり

ブログ「「史跡・都市を巡る トルコの歴史」」の続きです。
先日、この映画を妻と共に見ました。

海難1890

トルコが親日である理由

なぜ、トルコが親日なのか?その理由は、「エルトゥールル号遭難事件」にあると言われます。

日本とトルコの関係(ウィキペディア)

続きを読む 「海難1870」から知る、日本とのつながり

パウロ ~愛と赦しの物語~

先週木曜日に、渋谷の映画館で「パウロ ~愛と赦しの物語~」を見ました。

パウロと言えば、異邦人に福音をもたらすのに用いられた使徒であり、使徒行伝にあるような大きな働きが、その生涯の特徴と言えますが、この映画はそうではなく、最後まで信仰を守り続け、迫害下のキリスト者を励ます姿に焦点を合わせています。

時は、ローマによる初めのキリスト者に対する迫害で、皇帝ネロが起こした時の事です。

ネロ 1世紀中ごろのローマ帝国の皇帝。ローマの大火でキリスト教徒の迫害を行った。典型的な暴君として知られる。」(世界史の窓)

ローマの大火(ウィキペディア)について、64年、ネロはこれをキリスト教徒によるものであると断定し、簡単な裁判で死刑に定め、猛獣の餌食にし、十字架につけ、松明の代わりに燃やしたりしました。映画では、松明にされているキリスト者の姿が出てきます。 続きを読む パウロ ~愛と赦しの物語~

映画「ハクソー・リッジ」

今日、楽しみにしていた映画「ハクソー・リッジ」を妻といっしょに観ることができました。戦闘中に手足がもげたりと、残虐な場面が多出する中で、涙が溢れ出てどうしようもありませんでした。キリスト者が戦争という現場で、その泥沼を飲みながらもなおのこと、証しを立てて行った、ということで、本当に凄い内容だと思います。

沖縄戦で武器を持たずに75人を救ったクリスチャン兵の実話 映画「ハクソー・リッジ」

3月に行われた「カルバリー20’sキャンプ」で、「社会に仕える」というテーマで、この映画のことを言及しました。ロイド・ジョンズ著の「働くことの意味」において、奴隷制度という不条理な制度の中で、なおのこと主にあって主人に仕えなさいと使徒たちは命じましたが、泥沼の中でその泥水を飲みながらも、祈り、証しを続けて行く時に、信頼関係が醸成されて、時が来て、御心がなっていく、という原則を見ることが出来ます。戦争に従事するという、究極の不条理の中で、なおのこと神に与えられた良心に裏切ることなく、証しを立てたのだろうと、主人公デズモンド・ドスの生涯を見て思いました。 続きを読む 映画「ハクソー・リッジ」

福音宣教者としての「沈黙」

次の記事の続きです。「映画「沈黙」- 観るべきか、観ざるべきか?」「キリシタン名跡サイト「天上の青」」「『恐れ』を恐れよ

今週水曜日、映画館で「沈黙 -サイレンスー」を鑑賞しました。フェイスブックにて、長いレビューを二日に渡って書きましたので、こちらにまとめて掲載します。

~~~
私は、海外宣教もしていたことのある、日本人の牧者であると同時に、宣教者としての思い入れの強い、端くれです。ロドリゴの心の動き、そしてキリシタンの村の人々の心の行き交いは、非常に心を打つものでした。あまりにも生々しいので、いろんな思いが一挙に、交差しました。(※以下から話す言葉は激しいものになっていますが、決して、遠藤周作やマーティン・スコセッシ監督に向けられたものではありません。むしろ、このような作品を作ってくれたことによって、キリスト者信仰の生々しい戦いと葛藤の実存を、上手に表してくれたことに、感謝しているほどです。)

「助けてあげよう」という思いから「何もできない自分」へ

ロドリゴとガルベが、自分たちの師と仰ぎ、絶大な尊敬と信頼を持っていたフェレイラらが棄教した、という知らせを聞いた時に、日本に潜入することを申し出ます。ここの会話には、既に「私たちが行って、助け出します。」というヒロイズムが入っています。 続きを読む 福音宣教者としての「沈黙」

「恐れ」を恐れよ!

前々記事:「映画「沈黙」- 観るべきか、観ざるべきか?
前記事:「キリシタン名跡サイト「天上の青」

今晩、次の説教要約を見て、なんと言ったらいいか、言葉に言い尽くせない憤慨の思いが込み上がってきました。

ヨシュア記1-3章「恐れるな。わたしがあなたとともにあるから」

今話題の、小説・映画「沈黙」と、ヨシュアの信仰がいかに対照的であるかを述べているものです。全文をぜひ読まれることをお勧めしますが、最初の一部を下に引用させていただきます。

~~~~
日本におけるサタンの最大の働きは、人々の目を漠然とした「恐怖(terror)」に釘付けにし、主に信頼する一歩を踏み出させなくすることです。

最近、遠藤周作の「沈黙」が映画化され上映されていますが、「神は、忠実な信徒が死に直面しても、沈黙したまま」という恐怖感を広める結果にならないかと心配です。なお、主人公の神父ロドリゴは、日本人信者の命を守るために棄教せざるを得なくなりますが、それはかなり史実を反映しています。

古代教会以来、殉教者の血が流されるたびに、かえって福音が爆発的に広がったと言われますが、日本だけは例外です。1700年代初めの幕府の権力者、新井白石の記録では、20万人から30万人もが日本で殉教の死を遂げたとさえ言われています。残念ながら、それらが、「死の恐怖に勝利した」美談ではなく、日本の伝統に背いた「のろい」かのように見られるのは、世界では珍しいことかもしれません。

しかも、当時の迫害の先頭に立ったのは、大目付の井上政重を初めその多くは転びキリシタンだと言われます。彼らは信仰者の心理を熟知していました。これほど巧妙で残酷な迫害が行なわれた国はないのかもしれません。 続きを読む 「恐れ」を恐れよ!

映画「沈黙」- 観るべきか、観ざるべきか?

遠藤周作原作「沈黙」を題材にした映画「沈黙 -サイレンス-」が開始されましたね。私個人は観たいのですが、教会の人たちには言及はしたものの、かなり抑制して紹介しました。クリスチャンの間でこれほど賛否両論が出ているものは珍しいです。それだけ、信仰や福音宣教における心の琴線に触れてしまっている題材だからだと思います。自分の書いたフェイスブックの記事を紹介します。(今のところ三つまで書いています。)

1)「欧米の植民地主義的キリスト教」の弊害?

沈黙 -サイレンス- 映画が語らない真実

間もなく映画上映される、話題の「沈黙」についての記事です。本映画について、かなりFBのタイムラインにいろいろな人のシェアが流れてきます。好意的な人、楽しみにしている人もいれば、かなり衝撃を受けている人、否定的な人もいます。否定的な評価をしている人の中で、多くの方がシェアしていたこの記事を紹介します。

私は、同感する部分と疑問点のどちらもがありました。

①遠藤周作の小説

筆者の書いている、遠藤周作氏についての紹介はその通りです。彼は母親がカトリック信者であったけれども、その中で「自分の気持ち」を小説として描いているということです。彼は文学者としては素晴らしいと思いますが、云わば、完全に回心できなかったキリスト教の家庭の二世、ということです。したがって、そこで描かれているキリスト教は、聖書の描いているキリスト教ではなく、そういった視点から書かれている、個人の悩みを言い表しているのだ、という点を抑える必要があると思います。 続きを読む 映画「沈黙」- 観るべきか、観ざるべきか?

映画「神々と男たち」

今の日本人キリスト者に迫る約20年前の出来事

前記事の続き)

神々と男たち本日はお休みの日にしているということで、フェイスブックで、ある方の紹介で「神々と男たち」という題名の映画を観ました。次のような説明文があったからです。紹介されていた方のフェイスブックの投稿で、次のように説明しておられて、今日はこれを鑑賞しようと思いました。

「タイトルに関連した詩篇82:6,7から始まる、1996年に起こったノンフィクション映画です。最近のISISによる事件ともかぶるので観るのに気が重くもありましたが、永遠の視点について考えさせられる良い作品でした。

アルジェリアで現地のイスラム圏の人々に寄り添いながら神に仕えていたフランス人修道士8人。しかしクリスマスイブにイスラム武装派が修道院に乱入し、このことを機に軍と武装派との争いに巻き込まれることとなります。次の襲撃では殉教すると分かっている修道士たち。フランス政府からも勧告を受け、このままとどまるべきか退去すべきか意見が分かれ、悩み、祈り、もう一度人生を見つめ直します。 続きを読む 映画「神々と男たち」

映画「神は死んだのか」

今、クリスチャンたちの間で話題となっている映画「神は死んだのか(原題:God’s Not Dead)」を見にいきました。

公式サイト(godsnotdead.jp)

神は死んだのかこれから、という方は、ぜひ、この上のサイトをじっくり隅々まで読んでいかれることをお薦めします。特に識者や専門家のコメントが私には新鮮でした。映画紹介のために依頼されたから当たり前と言えば当たり前ですが、日本人の識者がアメリカや保守的キリスト教の事情を否定的ではなく、客観的、肯定的に論評し、かつ日本人に対しても「唯一神」がおられることを擁護するような文面も見受けられることです。例えば、一部を引用します。

この作品からは、キリスト教の神の強さが伝わってくる。日本で一般的な神道や仏教の神々や仏とは違う。大事な仕事や試験の前の願掛けや、冠婚葬祭の時だけ召喚される存在ではない。一神教の神はこの世のすべてを作りあげ、この世で起こるすべてのことをコントロールする全知全能の存在である。幸福な出来事だけを感謝すれば良い存在ではないのである。
親しい人の死、自分にふりかかる災難、すべてを神の意図したこととして受け止めなければならない。信仰をもって生きてきた人がなぜ早死にするのか、なぜ若い身空で不治の病にかかるのか。そして、なぜ他人ではなく、他ならぬ自分の家族や自分自身に、そうした悲劇が起きてしまうのか。
主人公と教授の対話、そして効果的に配置された他の登場人物たちが直面する出来事を通じて、この作品では、「なぜ神がいるのにこの世に悪があるのか」「悪があるにもかかわらず、なぜ、神を信じなければならないのか」という古典的な問いに正面から切り込んでゆく。
(東京大学 死生学・応用倫理センター 博士(文学)岡本亮輔)

続きを読む 映画「神は死んだのか」

映画「ノア約束の舟」詳細解説

以前、「映画「ノア」の紹介」という記事を書きましたが、MGFのカズさんが詳細な聖書からの解説をしておられます!

明日日本公開映画『ノア 約束の舟』を観て後悔しないために

情報満載ですが、箱舟の解説が聖書の学徒としては大変役に立ちます。舟の寸法についてですが、私も、その寸法で信仰に至ったという工学を専門にされていた日本人の話を聞いたことがあります。

そして極めつけは、次の演歌!歌詞はしっかり聖書記述に即していて、よくぞやってくれた!と言いたい、八代亜紀さんへ。