私が予てから注目していた、朴裕河(パク・ユハ)教授による「帝国の慰安婦」の日本語版が最近出版されたようです。私はこの本をまだ読んでいないどころか、女史の他の著書もまだ読んでいないのですが、インターネット上に出てくる記事を読む中で、日韓の和解について、最も心に沁みて、癒される思いのする言葉を持っておられる方として注目しています。
まずはぜひ、書評をお読みください。
(書評)『帝国の慰安婦 植民地支配と記憶の闘い』 朴裕河〈著〉
(論壇時評)孤独な本 記憶の主人になるために 作家・高橋源一郎
(参考:彼女の主張について、良く分かる記事が次にあります。「それでも慰安婦問題を解決しなければいけない理由」)
私は女史の論じる二つの点について、私なりの感想を述べさせていただきます。
①「当事者である女性」の視点
②「帝国主義」という責任
「弱者」をありのままに受け入れる
まず、①「当事者である女性」の視点についてお話ししたいと思います。この論争において、一番置き去りにされているのは被害を受けた慰安婦たちの声、ということです。彼女たちの声を、必ずしも韓国政府や運動体が代弁していないこと、むしろ彼女たちの声を阻害さえしている面がある、ということです。
書評によると、慰安婦は、淡々といろいろなことを証言しています。それの大半は悲惨な状況でありましたが、しかし、人生の中でそれも自分の一部になっているという事実もあります。慰安婦に限らず、何らかの被害を受けた人々にとって、最も必要なのは、そういった、痛みを持っているけれども、それを寄り添って聞き、静かに受けとめてくれる人々、またその環境です。 続きを読む 「帝国の慰安婦」の書評から考える