「平和度」と「幸福度」の開き

この前の日曜日、私たちの教会では詩篇の「都上りの歌」の全てを読み終えました(120‐134篇)。以前もここを教えたことがありますが、いつも恵まれるのは新しい発見があること。今回は、「エルサレム」「シオン」と「平和」との関係を知ったのです。

エルサレムの平和のために祈れ」(122:6)という有名な聖書箇所があります。この平和の状態の意味するところを推し量ると、前後関係を見るに「各地に散っていた部族がエルサレムに来て、主を礼拝するために結ばれているところにある幸福感」というのが一つ。もう一つは、「部族間の垣根が壊れているところにある、「繁栄(7,9節)」がもう一つです。(お聞きになりたい方はこちらへ→「教会礼拝の説教 ヨブ記・詩篇」4月19日、26日の分です。)

平和の結びつきと繁栄

私がイスラエル旅行を2010年に行った時に、テロ事件がかなり少なくなっていたころですが、自分でパレスチナ自治区へ旅行に行きました。一つはヘブロン、それからナブルス(シェケム)です。ナブルスに行く時、自治区の首都ラマラでバスの乗り換えがありましたが、ラマラが静かで、けれども結構、栄えていた町であることを思い出します。

そして、私はパレスチナの人々の印象がぐっとあがりました。エジプトのような原理主義的なイスラムの空気はない、結構満員になったバスで、隣のおばさんが私の横で肌も触れてしまうぐらいで座っておられる、そして私に目を合わせる若者はとてもさわやかな、なんかポスターにでもしたいぐらいの笑顔で話しかけてくれる、タクシーのおじさんは英語の練習になるといって、僕にいろいろ自分の生活について話してくれる、おまけに帰りのバスでは、私に日本語で話しかけてくれた学生までいました。

その背後に、「検問所が緩かった」というのがあります。イスラエルはテロが少なければすぐにでも検問所を緩くしたり、取り外したりします。(参考記事:門戸をあける!?イスラエル)だから当然、物流や人的交流も増える。そうすればパレスチナも栄えるし、イスラエルもパレスチナ人のおかげで栄えます。

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