日本に埋もれる霊的問題

恵比寿バイブルスタディから戻ってきました。バプテスマを受けられたご夫婦と、その前に新しい信者の学びをしましたが、先週の午後礼拝の後の交わりの分かち合いがとても良かったと仰っていました。私も、本当に取り組みべき課題に触れることができ、とても良かったと満足しています。前ブログ記事、「横の関係は、結局、縦の関係」に関連することです。日本にある霊的問題を列挙してみたいと思います。

「良きものが偶像になる」

午後礼拝の後に分かち合ったことは、「日本には、良きものという偶像がたくさんある。一つ一つは良いことなのだが、それが神との関係の前に持ってこられることにより、神に拠り頼まなくてよい原因となる。」ということでした。例えば、医療制度は神の賜物です。けれども、あまりにもしっかりしているために、神に呼び求めなくてもそれに頼ることができる制度があります。いや、頼ることは本当はできないのに、できると思わせる何かを持っています。

また、先祖供養についてもそうでしょう。仏壇そのものを離れることができないのではなく、家の制度の中にあり、「親戚の目が気になる」ことでクリスチャンの証しを立てることができません。人を恐れているのですが、それはその人を神にしているためです。家族は大切なのですが、イエス様の命令よりも、家族の言っていることを優先している時に、その家族が偶像になっているのです。

その他、牧師に依存して牧師が偶像になっている、他の兄弟姉妹に頼って、彼らが偶像になっているなど、その人が、主に対して心を尽くした信頼を置いていないので、その頼っているものが心の中で偶像となってしまっているのです。

★「罪というのは、単に悪いことをすることではない。より正確には、『良いもの』を『至高のもの』にすることが罪である。罪とは、自分の人生を神以外のものの上に建て、そこに意味を見出そうとすることである。たとえそれがどんなに良いものであっても、それを神以上に大切にするなら、その行為が罪である。つまり、罪とは根源的には偶像礼拝のことなのだ。」(ティム・ケラー)

◉「子どもたちよ。偶像を警戒しなさい。」(1ヨハネ5:21)
(Facebook投稿から)

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