「感謝」の力 - ②私が保守的な訳

そして政治的な見方についてですが、私は日本キリスト教会では少数派の保守的な考えを持っています。米国でその多くを学びましたが、キリスト教的価値観に基づく保守主義です。

それは、本質は「政府」という機関にあるのではない、という考えです。何か社会的な問題が起こると、必ず「政府がいけない」「このような教育を行なっているからだ」という話になっていきます。そして政府や公的機関にさらに積極的な関与を求める考えを多くの人が持ちます。おそらく日本のキリスト教の関係者も大半がそうでしょう。

けれども、私は本質は「神と個人の関係にある」と信じています。政府は神ではありません。政府が何かしてくれるのではありません。神が政府を置いてくださり、その政府が果たすべき役割はありますが、政府にできることはごく限られたものだと考えています。

政府に対して過度に非を訴えることは、言い換えると政府にそれだけ大きな役割を期待しているということです。政府が人を治めるという考えです。けれども、神ではなく「人」が他の人を治める時に、そこには神が生来与えておられる自由と人権を蹂躙するようになる、と感じています。

ですから私は、まず第一に、今の政府、また行政に感謝する立場を取りたいと思います。以前、民主党政権について一連の批判記事を書きましたが、それでも、彼らがマスコミには出てこない地道な努力をされているのだろう、という思いを決して忘れることなく、感謝の気持ちを表したいと思います。

それでもって、政治家に訴え、意見を投稿し、選挙時には深く考えて投票するという姿勢が正しいのだと思います。

そして第二に、問題を専ら政府のせいにしないことです。「自分たちが変わらないで、どうしてその自分を代表する国が変わりえるのか?」という考えです。この個人的責務において自由が与えられたら、それこそ真の民主主義であり、またその国の一市民となることができる、という考えです。

この考えを大きく拡げますと、世界情勢にも同じことが言えます。9・11の米同時多発テロ以降、世界に軍事的・経済的関与を行なっているアメリカに対する世界中からも猛烈な反発が起こりました。イラク戦争においては、堰を切ったように米国を憎む空気が流れました。これは日本のキリスト教会においても同じでした。

けれども、ここにも大きな矛盾があります。それは、世界で起こっている多くの事象をすべてアメリカに結びつけるということは、逆に言うと、世界の中心はアメリカであることを認めていることになります。そして、世界を動かしているのは神ではなく、アメリカなのだと暗に宣言しているに過ぎません。

違います、世界の中心は神ご自身であられ、その神に私たちが礼拝を捧げているのです。アメリカは所詮、世界の一国にしか過ぎず、その果たせる役割はごく一部に限られているのです。そして世界で起こっている問題は、本質的に、それを起こしている当事者の責任であり、彼らがその問題を克服することこそが、真の解決につながります。

今回のエジプトの問題に当てはめるなら、エジプトの次期政権を誰に委ねるかをエジプト人国民が決めることによって、民主化になるかイスラム化されるかが決まるのです。

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