「礼儀と敬意」伝道者ビリー・グラハム氏

以下のインタビュー映像は、ABCの記者が伝道者ビリー・グラハム氏の息子フランクリン氏に対して行なったものです。

主題は「神と政府」というもので、イースター(復活祭)の時にフランクリン氏の信仰を尋ね、また今の米国の政治的状況や、次期大統領選の候補者、オバマ現大統領に対する意見などが盛り込まれています。フランクリンさんは、父ビリーと同じく、単純明快で、大胆な福音伝道の熱意がこのインタビューでも感じ取れました。私も未信者の人たちには、こんな感じで接することができれば、と願いました。

話が、「お父様は、今のアメリカをどのように見ておられますか?」と政治面において尋ねられた時、最近の会話で出てきた言葉を紹介しました。

私が生まれた世界は、今や認知することができない。」つまり、「当時は、一般の人々は互いに礼儀があった。政治家は、たとえ同意できないとしても、互いに敬意を払い、共に働いた。今日の国では、これらが全て変わってしまった。」とのこと。

私も、これを感じています。アメリカもさることながら、日本でも相手に対する敬意と礼儀が失われているように感じます。確かに私たちは、民主主義国家に生きている中で権威のある人々に対して監視を行なわなければいけません。それ相当の批判を加えねばなりません。けれども、もはや二項対立(英語ではpolarization)になるざるを得ないほど、相手をけなし、こき下ろすという雰囲気が満ちています。

私は今回の地震・津波はある意味、幸いに感じます。これまでの豊かな日本、けれども何かを失い、向かうべき方向を失って閉塞的になっていた時に、突然、生活基盤が崩れたことにより、これまで埋もれていた協働の精神や助け合いの精神が生まれてきたからです。物がなくなったからこそ発揮できるようになったのです。このことによって、これまでは自分自身に壁を作り、相手と距離を置いていた人々、重箱の隅をつつくようにして相手の短所をあげつらう態度が、少なくなってきました。

申し訳ありませんが、私は民主党の中に相変わらずその悪い部分がたくさんあるのを見ます。私は政権としての民主党、この有事に際して果敢に取り組んでいる政府には応援したいと思いますが、党内で起こっている引きずり降ろそうとしている姿を見るに付け、「この災難をもってしてもまだ気づかないのか。」とあきれてしまいます。以前「民意の恐ろしさ」についての一連のブログ記事を書きましたが、今の民主党がまさに、最近の日本全体の悪しき部分の縮図であったのではないかと感じています。

私は、「感謝の力」という話題でも一連のブログ記事を書きました。普段なら、在日米軍と自衛隊のことを批判的に見ていた人も、また警察の不祥事などよく思っていなかった人々も、彼らの犠牲的な救援活動に敬意を払わない人がどれだけいるでしょうか?「平和」や「正義」という名を借りた権威や権力に対する謗りを私は以前から感じていましたが、それが少なくなってきました。

行政に対しても、私も昨日足立区役所に赴きましたが、今の危機に際して、最大限、柔軟な対応をしてくださいました。道路会社や鉄道会社の活躍ぶりも世界では賞賛の的になっています。「税金の無駄遣い」とマスコミで非難されていた人々による、その復旧工事のすばやさには誰もが驚いています。

そして今、ものすごく袋叩きにされている東電ですが、私は必要以上に批判したくありません。この災難で彼らは十分に懲らしめられています。まず、千年に一度の未曾有の地震に対して、福島第一以外の太平洋側の原発がきちんと冷却等の機能が働いたことに対して、神に感謝しています。そして「第一」においてでさえ、チェルノブイリのような全面拡散に陥ることなく、東北自動車道を通行止めにする必要の無いほど放射線量が抑えられていることを、神に感謝したいと思います。

そして現に、このようにインターネットを使って意思疎通ができるような電力を今も供給し続けてくれている、大勢の東電職員と下請けの会社の人々に感謝しています。もちろん彼らは営利活動で行なっているわけですが、その労働に対する感謝をなくして、ただ文句ばかり言っているのでは、「モンスター・カスタマー」の何者でもありません。

その上で、これからの原発政策をどのようにすべきか、エネルギー政策はどうすべきか、具体的な、展望的な構想の議論をすべきでしょう。建設的な批判はどんどんすべきでしょう。

この前、近所の武道館の福島原発の被災者への働きかけをしていたボランティアの方々と食事を共にすることができました。いろいろな“変な”人がいたようです。ある市民団体は、被災者の人たちの事はそっちのけで、武道館の前で政府批判を繰り返していたそうです。またあるマスコミの人たちは、ボランティアの人に「被災者の人たちで、何か行政に対する非難、苦情はないですか?」とインタビューします。初めから「行政批判」の記事を書くための裏取りをしているだけです(誠実なマスコミの人もおられたそうです)。

私たちは、二項対立になりそうになったとき、へりくだって、歩み寄りをする努力が必要だと思います。ピリピ人への手紙を思い出すのですが、一致すること、相手を自分より尊いと思う態度、これらが自分自身ではなくキリストを求めることに等しいことを使徒パウロは教えました。

「私の喜びが満たされるように、あなたがたは一致を保ち、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、志を一つにしてください。何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。(ピリピ2:2-3)」