第四回目 奥松島・東松島救援旅行 5月16日

私たちは菅生PAにて、二つのグループに分かれて出発しました。一つは、「木村宅所持品取り出し部隊」で、もう一つは「牛網避難所炊き出し準備部隊」です。牛網での食事は17日に予定していますが、東京で買いきれなかったものを矢本にあるマックス・バリューで買い、そして東京で買った肉類を冷蔵庫に牛網で保存してもらうことが目的です。

奥松島の宮戸島の付け根には、野蒜という、運河の走っている地域があります。そこがニュースにもしばしば出てくる壊滅的被害を受けた所ですが、そこにようやく自衛隊や米軍が撤去作業を本格化させたようです。自動車や家の屋根などめちゃくちゃに落ちていた運河が少しだけきれいになっていました。

そして木村宅での作業が始まります。前回は日本刀の取出しが主でしたが、今回はお母さんの着物の取り出しを行ないました。二階の渡り廊下にあった家具など、邪魔になっていたものを取り除き、道を開きました。一部津波の水が被っているものもありましたが、かなり多くのものが被っていません。

そして一部をダンボールに詰め湯の原温泉の宿に持っていき、一回ピストン輸送をしました。

そして私たちは湯の原温泉に向かいました。妻と瀬谷さんと植田さんが、夕食の準備をしています。おかずはビーフンです。まず私たちは風呂に入って、皆でいっしょに食べておいしかったです。

その後に団欒の時間になりましたが、木村さんと植田さんから信仰に関わる話が出てきて、とても有意義な話の時となりました。木村さんとお母さんは基本的に、「このように皆さんと出会うことができたのは、絶対に神またイエス様以外に考えられない。」ということを仰っていました。そして植田は、「十字架につけられて死ぬということは、到底、人間にはできない犠牲の業だ。」という感想でした。

ですから、「救援活動」という目的で行なっているものを、主は、「伝道修養会」にしてくださいました。イエス様が弟子たちと寝食を共にされながらご自分を教えられたように、未信者の人々がクリスチャンと時間を過ごすことによって、良い行ないに裏付けされたキリストの教えを学ぶことができています。これが、前回と今回の旅行で最も大きな収穫でした。