別に東京にいてもらわなくて結構です

以前「感謝の力」という題名でいくつか記事を書きました。

そして、政府や行政についても感謝することについての記事を書いています。

神によって立てられた権威

そして原発事後について感謝の足りない日本の病巣みたいなものを書きました。

「想定外」は私たち皆

それで今日、この私の意見と同じくするようなブログ記事を読みましたので、ご紹介します。

別に東京にいてもらわなくて結構です

東京都江東区にお住まいのかたがたの中に、

「原発事故前の状態に戻してこそ安心する」

と「訴え」るひとがいるということに、驚愕しました。

・・・

銀座や日本橋に近い、利便性の高い江東区を含め、狭い狭い、東京とよばれる小さな平野に、集まりひしめく3000万人の人々。彼らが出すごみ、汚水を、想像を絶する量とスピードで処理するお役所・・・ゴミ処理場に、下水処理場。下水を、信じられないほどきれいな水にして、汚泥を分離して、それも埋立るだけではなくリサイクルする。

我々3000万人の、首都圏住民たちが垂れ流す汚物を、来る日も来る日も。

そんな社会の公共施設を、運営していく、そのことが、どういうことか、一片も考えず、たぶん生まれてから一度も感謝などしたこともなく、安全と安心はタダだと思って生きてこられたのでありましょうね。

いえまさか、「広い東京の、全体の下水処理を、最後に処理しているのは海沿いにある江東区。我々だけに危険がおしつけられている」とでも、おっしゃるのでしょうか?

その言葉、福島第一原発を受け入れてくれていた、福島県の人々に、同じことを言ってみてほしいです。これまで住んでいた家に住めない、避難区域に指定された人々に向かって、都内の、下水汚泥処理建物の中に限られた、そして建物を一歩出れば毎時0・04マイクロシーベルトとなる放射線について、もう一度同じことを言ってごらんなさいと思います。

・・・別に、ムリして、東京に住んでいただかなくてもけっこうです。そうでなくても、東京一極集中で、狭くて混雑しててかなわんのです。

どうぞ、日本の、いえ、世界の、どこへでも、好きなところへお移りください。

月曜日、日帰りで東松島に行ってきました。牛網の避難所は仮設住宅に移った人が多いためがらんとしており、とても寂しい気分になりました。けれども残った数少ない人たちが、「けれども、こうやって一緒に食事作ったりして(共同生活が)楽しいよね。」と笑いながら仰っています。以前はある男性の方が、「これまで日本が嫌いだったが、今回の被害で本当に日本が良い所だと知るようになった。」と言うのです。

このような感謝の心を持つことのできた人々が、これらの良き物が神から来たことを悟る日が来ることを願ってやみません。

ですから、マスコミや外野が、被災者の人たちを可哀そうだと言って政府やその他の関係の人たちを非難していますが、よっぽど現場の人たちは明るく、腐っているのはそうした安全圏にいる私たちの精神なのです。

もちろん被災地の人たちは聖人ではありません。けれどもそれは、多くの人たちが想像するような鬱や自殺ではなく、田舎ならではの縄張り争いだったり、または人間の共同生活につきものの意思伝達における誤解であったりして、必ずしも地震や津波によって引き起こされたものではありません。

最後に、この記事を探したのは、被災している福島県民の方のブログです。当事者として放射能の危険性について決して甘く見ていないけれども、煽りの多い情報を整理して、冷静な見方を提供してくださっています。
http://blogs.yahoo.co.jp/iizakaumare