【補足】複合的視点の例

下の記事、「二項対立という罠」の補足として、原発問題や軍縮問題についての冷静な議論の例を引用します。

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http://diamond.jp/articles/-/13160?page=3

反原発vs.原発維持
単線的な2項対立を乗り越え、
社会の「総リスク」を減らす視点で議論をしよう
――ジャーナリスト(恵泉女学園大学教授) 武田徹

 例えば、原発事故が起きたときの避難地域の設定です。最初に行われた同心円的設定は、ずいぶん批判されました。確かにそれはその通りで、同心円的に距離に反比例して危険性が小さくなっていくことはない。風向きなどが関係しますから。SPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)のデータも、もっと早く公表すべきだった。その点では危険性を指摘する人たちの言い分にも一理ある。

 その一方で、たとえ現実の放射性物質の飛散状況に合わせて、危険性の分布を表す地図が描けたとしても、その先には避難することのリスクと避難しないことのリスクを比較するような視点があってしかるべきで、さらに年齢的なリスクも考えた上で、適切な避難のあり方を、もう少し議論してもよかったと思います。

 あるいは子どもたちに関しても、田舎の小学校というのは同調圧力が強い。例えば、原子力関係で働いている人の奥さんがPTAの有力な人であれば、彼女に逆らって避難しにくいという状況が生まれがちになる。

 そういった社会的な背景があって、事はそう簡単でないにもかかわらず、都市部の反原発の運動家は「なぜ避難させないのか」と、すごく簡単に議論しています。そうすると避難=反原発運動というようなイメージができて、電力関係者はかえって頑なになるかもしれないので、むしろ反対に、避難するという道をふさいでしまいかねない。だから、何が問題なのかを丁寧に見ていって、解決できるところは解決する。避難するか、しないかという乱暴な議論では、問題は解決できないと思います。

 私は最近、高坂正堯さんの言説をよく引きます。彼は絶対平和論者、絶対中立論者を批判しているのですが、その主旨は次のようなものです。目的としては尊いが議論がない。絶対中立のために、アメリカ軍は日本から撤退すべきであるというけれども、そのとき過渡的には東アジアの軍事的緊張は高まらざるを得ない。そういう議論がないのは問題で、手段の話をしたうえで、時間をかけて目的を達成していくか、目的自体を修正していくのか、そういうことをすべきで、目的と手段の「対話」が必要だと言っている。
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