今の政治(そして福音宣教に)必要なのは?

先日の都議会議員選挙は、自民党大敗という結果が出ましたが、私が今感じている日本の政治の動きについてお話したいと思います。

結論から申し上げますと、次のパウロの言葉です。
「そこで、まず初めに、このことを勧めます。すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。(1テモテ2:1 )」

今の政治、国民世論には「感謝」が足りないのではないか、と感じています。

今の日本がどこに行けば良いのか分からないままに、国民に税金の無駄を強いてきたのを止めさせるというのが、民主党が掲げる政権奪取の理由です。それも一国の整理としては大切なことだと思いますが、やはり国全体の舵取りを担う政権にするには、あまりにも将来的理念がなさすぎます。

保守(右派)も革新(左派)も、「これまでの米国追従のあり方を変えるべきである。」というものがあり、前者は戦後レジームからの脱却、後者は米国との対等な関係を訴えます。

けれども、そんなに簡単に日本が戦後歩んできた道を捨てて良いものなのでしょうか?戦後民主政治に取って代わる、強固な理念があるのでしょうか?どちらも理想的であり聞くに良い言葉なのですが、日本人の間だけで通用する考えにしか過ぎません。他の国々の間を渡り歩くための説得力のある価値観には到底至りついておらず、必ず孤立化を招きます。

右派の考えで顕著に現れた例では従軍慰安婦問題でしょう。その是非はともあれ、米国の新聞紙に国会議員らが広告を出すに至っては、当時の副大統領で保守派のチェーニー氏でさえ嫌悪感を抱かせました。

左派の、自国の責任を明示しない「米国との対等」論は、日米同盟の根幹さえ揺るがしかねない危険を孕んでいます。リベラル・マスコミが褒め称えているオバマ政権が、自分たち(日本)を極めて冷たくあしらっていることに気づいているのでしょうか?

日本人が、日本人に与えられている自然の才能、特質をわきまえ知るべき時に来ています。

それは、今の日本がどれだけ豊かであり、平和と社会的秩序を保った国であり、今でもアジア諸国を始めとして、世界の国々から模範として見上げられていることに気づくべきです。

右派は「伝統的価値観の回復」を公約に掲げていますが、なぜか不思議なことに、その自信を戦前・戦時中に求めます。なぜ戦後にも求めないのでしょう?

明治維新の時もそうだし、敗戦後もそうですが、「屈辱を味わっても、すぐに外国の制度を取り入れ、それを自分なりに創意工夫し、自らの繁栄に役立てた」歴史を辿りました。戦後で言うならば、戦後初代首相の吉田茂がおり、保守本流と呼ばれる戦後政治の流れの大枠を作った人々がいます。そして日本人の大方は、特定の政治理念を持っていない人であれば、彼らが作った日本を静かに支持しています。

かつてNHKでプロジェクトXという番組が放映されていました。戦後の日本で、苦労して技術開発などを行なってきた人々を辿る番組ですが、今の発展した日本を支えていた背景を見ることができます。けれどもそういう産業界や経済界の人々だけでなく、政治の中にも戦後日本の中にいます。

まず、そうした功績を認め、感謝する時に来ているのではないでしょうか?

日本には黙々と働く人々が大勢おり、誰の目から認められなくてもとにかく最後まで貫徹しようと努力する態度があります。あまり言葉を使わないので、外の人に対しては説得力を持ちません。けれども実績を持っているので、他国の人々は静かにその力を認めざるを得ないのです。

この日本の国力をただ認める時を少し持つべきではないか?と考えるのです。コップに半分水が入っている状態を「半分しか入っていない」ではなく「半分も入っている」と考える時に来ているのではないかと思うのです。

私は変革をするな、ということを言っているのではなく、「今あるものに感謝しない変革は、今あるものをも失ってしまう」という教訓を話しています。これは隣国の韓国で起こった「失われた10年」(金大中・盧武鉉の革新政権がもたらした10年間)にもいえますし、今、オバマ大統領がアメリカ国内外で行なっていることにもいえます。

政治だけではなく、日本の福音宣教も同じです。今のクリスチャン人口の少なさを憂えて、あれこれ考えて、大きなことをしようとしている姿を見ます。その人たちの努力はすばらしいですが、残念ながらどこかでおかしくなってしまう話が、あちらこちらから聞こえます。そして、こうした日本キリスト教の動きを、必要以上にこき下ろしている姿も見ます。

しかし、そんな議論を交わしている間に、こつこつと一人ひとりに伝道をして、一人の魂をキリストに導こうとしている牧会者、伝道者、そして一般の信徒がいます。その人たちは目立ちません。「塵も積もれば山となる」の塵にしか見えないでしょう。けれども実際に、着実に魂の収穫をもたらしているのです!私はこの人たちに軍配を上げたいと思います。この働きを感謝し、喜びたいのです!

小さな教会だけれども、地道に働き、尽力されている牧師先生を私は本当に尊敬しています。わざわざ日本に来て、物価の高さで支援金も足りない状態で、また文化・習慣の違いで不便を強いられながらも福音を伝えようとしている宣教師の方々も尊敬しています。自分の伴侶、親、子息のために、十何年も祈り続けてまだ実を見ていない人たちを、本当に尊敬します。

政治から福音宣教へ話が移ってしまいましたが、「感謝」が今の日本に必要なテーマかな?と思ったので書きました。

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