行動しながら学ぼう! その1

カルバリーチャペルのサイトが最近、大きな更新をしています。いろいろな牧者のブログと映像につながるようになっています。

www.calvarychapel.com
昨日新たに掲載されたもので、非常にうなずき、面白いとおもった記事が次です。

“Doing Something” by David Guzik(「何かをしている」デービッド・グジック)

意訳をしてみました。
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最近、スポルジョンの有名な「牧会入門」をまた読み始めましたが、その「はじめに」のところに以前見ていなかったものに気づきました。本書は、スポルジョンの有名な牧者大学の男性たちに行なったメッセージの集成ですが、この大学は数百人の、イエス様を愛し、神の働きのために聖書を説き明かす人たちを生み出してきました。その始めの言葉に、牧者大学に受け入れられる生徒がどのような人かを、スポルジョンが自分の考えを話している言葉が次です。

「この機関は、説教者を作り上げるための人は受け入れません。少なくとも二年間、いくらか説教において成功している兄弟たちに、さらなる教育の助けになるために設立されています。」

つまり、牧者大学は、(ある程度の成功をもって)説教を少なくとも二年間行っていなければ受け入れなかったのです。「説教者に作り上げる」ことはできないことをその大学は知っていました。ただ、その働きに召され、その働きに傾いており、そして既に行なっている人しか助けられないことを知っていました。

聖書大学や牧者訓練校における、新たな方針としてこのことを推奨しているわけではないのですが、スポルジョンが何を言わんとしているのかは理解できます。多くの人が、神に仕えるという本当の意味が曖昧になったっまあで、神の働きのための何らかの勉強を追及しようとしている、ということです。

ここに私が思っている教訓があります。もし、神に用いられたいと願うのであれば、何かを行なって忙しくなりなさい、ということです。牧者あるいは教師になりたければ、定期的に教えることに忙しくなってください。子供や青年を教えてください。あなたの若さ、気まぐれや未熟さに寛容になってくれる小さな集まりを見つけてください、そして教え始めるのです。そうした集まりを見つけられないなら、作り出してみてください。作り出せないのなら、自分で聖書の学びの準備をして、家のペットや植物に教えてください。

そうすることによって、自分の心と思いに大切な概念を建て上げることができます。それは、何よりも、あなたが教えることや宣べ伝えることは、神のためであり、神が聞かれるものであることです。そして、あなたの奉仕において神を敬うためである、ということです。牧者また教師であればどのような人も、教え伝えることはそれを受け取る聴衆がいるから重要だ、と思いがちです。聞いている人が多ければ、また影響のある人々であれば、それだけ良い、準備されたメッセージが必要であると思ってしまいます。けれども、私たちが行うことは、神が常に聴く者であることを忘れてはいけません。パウロがコロサイ3章23節で言ったことを思い出してください。「何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心からしなさい。(コロサイ3:23)」これは生活全般(「何をするにも」とあるように)に当てはまることですが、特に、神が下さった機会であればどんな教えることも、宣べ伝えることにも当てはまります。

私はヨーロッパで、六ヶ月近く、毎週日曜日、空の部屋で説教をした牧師を知っています。彼は忠実に準備し、教えました。神がこのような不自然なことを行うように呼ばれていると信じながら。この経験によって、彼はより優れた牧者、指導者、そして教師となり、毎週来る人々に仕えています。

神は教育の機会や機関をすばらしく用いられますが、既に何か行なっている人の生活においてそれが最善の形で機能するのではないかと思います。
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いかがでしょうか?家のペットにでも、植物にでも教えなさい、というのは「ええ、ちょっと!(笑)」と思いましたが、実際に、空の部屋で六ヶ月も説教を続けたというその牧師さんはすごいです。私がスクール・オブ・ミニストリーでしばしば聞いたのは、「聴衆が五人でも千人でも変わりなく、忠実に教えていきなさい。」というものでしたが、全然いないというのは正直、私も経験したことがありません。(さすがにペットや植物には説教したことはないですが、ICレコーダーだけを前にして行ったことはあります!でも、やはり人が聴くのだから、というのが前提でした。)

けれども、言わんとしていることは分かります。私も教会礼拝での説教はもちろんのこと、司式、公の祈りや、特に聖餐式の時には、そこにいる人々に対してしているというよりも、主の前で、主を代表して行なっているのだという意識になっているからです。

次に私自身のこと、それから他の皆さんに分かち合いたいことをお話したいと思います。

(「その2」に続く)

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