指導者への執り成し - 安倍首相のために祈る

昨日の礼拝の後に、東アジアキリスト青年大会に、私たちの教会から参加した人々に恵みの分ち合いをしていただきました。

クリスチャン新聞の記者の方が参加されたので、ウェブ上では現地からの速報もあり、そして3月2日号の新聞にも早速、報告が書かれています。その一部を紹介します。

*******
直接中国からの牧師の参加はなかったが、日本人、韓国人の牧師が講演、メッセージし、実際的な国際関係の問題をふまえ、聖書的な生き方を勧めた。参加者は文化や政治体制、言語を越えて、学びや交わり、互いの理解を深めた。
2日目の夜には、各国で祈祷課題を挙げ、それぞれの国のために祈った。祈祷課題は以下の通り。[中国]①中国のキリスト教のリバイバルのために、クリスチャンが霊的な目が開かれて、成長できるように②神様が中国を用いられ、中国が神様のみこころに従えるように③国の指導者のため、国が神さまの公正と公義で支配されるように[日本]①日本人の救いのために②安倍晋三首相のため、指導者のために③教会が中国、韓国のことを知って、立ち上がってまず祈りから始められるように。[韓国]①南北統一のために。北朝鮮の指導者が、神さまのみこころを知ることができるように、南も北を理解できるように②脱北者のためにクリスチャンがどのように接するべきか模索し、やるべきことを見つけられるように③韓国のクリスチャンの間で、信仰と生活がかけ離れ、本質を失った状態があるので、回復できるように。宣教の情熱をもった若者が立ち上がるように。
*******

国際/互いを知り祈る 東アジアキリスト青年大会3

記者の方と同じで、私もこの三国間の祈りが最も霊的に高揚した時でした。昨日の分かち合いの時に、参加者は「何をしたか?」と尋ねられると、「礼拝した」「祈った」「交わった」としか答えられないけれども、けれども神の国を目の当たりにした、ということで共通していました。私もそうでした。

中国や韓国のキリスト者が、安倍晋三首相を愛し、執り成し祈ることがどれだけの奇跡であるかしれません。私たち日本人でさえ、批判はしても、どれだけ感謝して祈っているでしょうか?この祈りの時の前に、ある方の礼拝メッセージで、北朝鮮を含む各国の指導者のために祈ることを言及されていたので、聖霊の導きで起こったことでした。

平和を造る者は幸いです」というイエス様の御言葉の意味が、少し分かったような気がします。私たちは三国であっても、キリスト者にあって同じ神の民である。自分は日本人である前に御国の市民である。ゆえに他国のキリスト者と完全に平和を持つことができます。それと同時に、私たちはそれぞれの国で生まれ、その国の指導者を敬い、感謝し、従います。それゆえ、この平和の一致はそれぞれの国に影響をもたらし、キリストの再臨の時には、事実、私たちが祭司となり王となり、それぞれの国をキリストにあって治めるようにまでなります(黙示1:5-6)。

このように、私たちは能動的な、いや攻撃的な平和の造り手です。

「人間の制度に従いなさい」とは?

私は、ずっと二つのことで悩んでいました。それは、国の指導者に従うことと、キリスト者が神に従うこととの兼ね合いです。日本のキリスト教会は、戦時中、神が国の権威を立てたのだからそれに従わなければいけない(ローマ13:1)、として神社参拝をしました。国策をキリストの名によって支援しました。そのことの反省から、戦後の教会は天皇制に関わるあらゆるものに、反対表明を出してきました。そして天皇制そのものが宗教であり、そこにある思想や体制はキリスト教に真っ向から対立するものである、ということです。そして日本宣教が進まないのは天皇制を否定してこなかったことにある、というのが福音派の指導者たちの多くの意見です。(参照記事:2001年04月08日号: 公開討論会:「日本宣教と天皇(制)」めぐり激論)しかし一般の大勢のキリスト者は、ノンポリという中間層が大半という中で信仰を持ちましたから、自分の信仰生活が至極私的なもの、個人的なものに留まっているのが現状で、その大きな狭間の中で、私はどうすればよいのか分からず悩んでいました。

しかし、私たちは神の御言葉にある命令に従わなければいけない、それを理解するのではなく、従わなければいけないと、今回の大会を通して強く感じたのです。次の御言葉を見てください。

そこで、まず初めに、このことを勧めます。すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。それは、私たちが敬虔に、また、威厳をもって、平安で静かな一生を過ごすためです。そうすることは、私たちの救い主である神の御前において良いことであり、喜ばれることなのです。神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。
テモテへの手紙第一2:1-4

こんなに、はっきり書かれている御心はありません。全ての人のために祈るのです。私はできていませんでした。そして王と高い地位にいる人たちのために祈りを捧げて、執り成して、その執り成しは感謝に変化するまで祈る、ということです。ここまでしているでしょうか?正直、していません。そのことをしていれば、敬虔に、威厳をもって、平和で静かな一生を過ごすことができます。そして、このような生活を通して、すべての人々を救いたいと願われる神の御心がかなえられるのです。王のために感謝し、平和に過ごし、そこで全ての人への救いの御業が進んでいきます。

私たちキリスト教会は、「天皇制には反キリスト性がある」→「したがって、この体制に反対すべきである」→「反対の声明を出し、反対集会を開くことが御心である」という発想をしていたのではないでしょうか?私もかつてそうでした。しかし、これが聖書的であるとしていたこの前提に、非聖書的要素が入っていることが分かってきました。

神格化された皇帝を敬うとは?

次に、迫害下にいたキリスト者に対して、使徒ペテロが指導したことを読みます。

人の立てたすべての制度に、主のゆえに従いなさい。それが主権者である王であっても、また、悪を行なう者を罰し、善を行なう者をほめるように王から遣わされた総督であっても、そうしなさい。というのは、善を行なって、愚かな人々の無知の口を封じることは、神のみこころだからです。あなたがたは自由人として行動しなさい。その自由を、悪の口実に用いないで、神の奴隷として用いなさい。すべての人を敬いなさい。兄弟たちを愛し、神を恐れ、王を尊びなさい。
ペテロの手紙第一2:13-17

ローマ13章1節でもそうですが、ここだけ読めば、天皇制の制度に従い、自民党政権によって立法化されていくことにも従い、すべて遵守しなければいけないように聞こえます。しかし注意深く見ていくと、それは間違った読み方であることに気づきます。

初めに「人の立てたすべての制度」にとあるのです。最後には、「神を恐れ、王を尊びなさい」とあります。これ自体が、当時のローマ皇帝の定義に真っ向から反対します。皇帝は神としてあがめられ、彼は主であり、救い主でした。そして皇帝と言う救世主によって平和が造り上げられていると信じられていました。しかし、ペテロは聖霊の導きでこれを「人の立てた制度」としているのです。皇帝は人間だという宣言です。まさに「天皇の人間宣言」に等しいことを話しています。

しかしペテロは、「主のゆえに従いなさい」「尊びなさい」と命じています。人間的な発想であれば、神ではないものを神とし、キリストの御国の代替物と化してしまっているローマの皇帝制度に真っ向から反対すべきでしょう。しかし、それは私たちの生きている自由・民主主義の発想であり、聖書の教えではないのです。むしろ、ローマに対するユダヤ人反乱に発展した、ユダヤ人の神の国待望に近いものであり、彼らは総督に圧力をかけ、ある時は反抗し、神格化されていた皇帝とローマ宗教を偶像礼拝として忌み嫌っていました。

ですから、使徒の命じた神の御言葉に従うならば、日本に当てはめるならば、次のようになるでしょうか。「私は、人間の制度である象徴天皇制に従う。私たちの神が立てられた、人間の王である天皇陛下を敬う。

つまり「天皇制は人間の制度だ」→「この人間の制度を神がお立てになった」→「だから、天皇を敬う」ということです。先ほどの「天皇制は反キリスト的だ」→「この体制に反対すべきである」と比べてください。確かに神道体系の中に天皇制があるから、これは反キリスト的なのです。しかし反対表明としてではなく、人間だという表明によって対抗するのです。そして敬う根拠を、これでもかとばかりに「主のゆえに」「神を敬うゆえに」行なうのです。国や皇帝に批判や反対はしないけれどもキリスト者としての断固とした態度があります。(参照ブログ記事

この立ち位置で、最も平安があります。信仰の良心に最もかなった表明です。この形でなら積極的に、能動的に、日本国の統治に対してキリスト者として関与することができます。天皇陛下は人間です。しかし創造主がお立てになりました。だからこの方を敬います。ですから、私は世のするように、天皇制への反対運動をすることを拒みます。それは、天皇を敬わないことになるからです。そして、私は世のするように、天皇制に盲従しません。なぜなら、それは天皇を人間以上の存在にするからです。

敬うことによる、キリスト者の支配

天皇陛下だけでなく、首相や他の指導者も、私は、「神のお立てになった方」として明確に、その尊敬の思いを言い表すことこそが、キリストが彼らの王であり主であることを証しする力を持っていると信じます。立てられる首相が、かつての民主党の鳩山、菅、野田氏であっても、そして今の安倍氏であっても、また別に、社民党の福島党首が仮に首相になったとしても、関係ありません。その人の考えや政策とその人自身への執り成しの祈りは無関係だからです。神が王を立て、同じ神が王を倒すのですから、神の立てられた指導者の権威の下で、主にお従いするのです。

昨日の礼拝後の今大会の分かち合いで、最後は、指導者のために祈りを捧げる時を持ちました。日本だけでなく、韓国の朴槿惠大統領のためにも、そして中国の習近平主席のためにも祈り、さらに北朝鮮の金正恩書記のためにも祈りました。この祈りの中で、彼らを敬い、彼らに主にあって感謝することができ、その中で、「神がすべての人を救うことを願っておられる」という御業が進行すると信じました。

どうか、この祈りの息吹が、日本のあらゆる教会でも起こされ、国の指導者への証しが、「愛して執り成している人々」というものになりますように。そして私たちの思いを超えた不思議な御業が起こされますように。

この世の国は私たちの主および主およびそのキリストのものとなった。主は永遠に支配される。(黙示11:15)

【参考まで - 昭恵夫人へのメッセージ】

安倍昭恵夫人が、聖心の小中高、そして専門学校をご卒業であることを知ってから、けれども首相と同じく神道信者であることも知り、祈りと共にフェイスブックを介して証しもしています。
いつも、安倍首相と昭恵夫人のために祈らせていただいている、キリスト教会の牧師で、明石清正と申します。一つご報告させていただきます。

先週、韓国の済州で、日中韓の若いキリスト者の集まる大会が行われました。今の三国の平和を願い、共に礼拝と祈りを捧げる時間を持ちました。

その中で、各国のキリスト者が祈りの課題を出し合い、それを共に祈る時間を持ちました。日本のチームはその祈りの課題に、首相のために祈ろうと話し、韓国と中国のクリスチャンが熱心に安倍首相のために祈る時間を持ちました。

私たちキリスト者は、神社の神々は信じておりません。けれども、どんな宗教や信仰を持っていても、天地を創造された神は国を造られ、その指導者を立てられておられると強く信じています。ですから、私も安倍首相のため、ご夫人のために祈らせていただいております。それは、日本人の枠組みを越えて、韓国人も中国人のクリスチャンもまったく同じ思いです。

三か国がお二人のことを愛し、祈っていることをお伝えしたく、メッセージを書かせていただきました。

国際/互いを知り祈る 東アジアキリスト青年大会3

「指導者への執り成し - 安倍首相のために祈る」への4件のフィードバック

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です