「レフト・ビハインド」と救霊の関係 その2 - 預言と伝道

(「その1」からの続き)

けれども、私自身、聖書預言に関心を持ち始めた時は気づかなかったのですが、聖書預言は、とどのつまり福音への招きが目標なのだ。ということです。キリストが戻って来られるというのは、神の裁きがこの地上に下るということです。神の裁きが下るということは、つまりそこからの救いを神が願っているということです。

黙示録を見てください、最後は「生ける水をただで受けなさい。」という呼びかけを行なっています(22:17)。神の究極の怒りが下る前に、天使が永遠の福音を携えています(14:6)。イエスは預言の霊なのだと天使はヨハネに言っています(19:10)。そして黙示録は、それを聞いて、その言葉を堅く守る者が幸いだ、と教えているのです(22:7)。預言の言葉を読んでわくわくするだけでなく、実際の福音宣教において労することを強く促しているのです。

聖書預言を教えている人々の情熱は、実はここにあります。レフト・ビハインドを書いたティム・ラヘイ氏は、その著作動機をはっきり「伝道」と言っています。実際に、数多くの人がこの本をきっかけにしてイエス様を自分の救い主として受け入れています。ある婦人は救われて間もなくして、あのジェット機に乗り、世界貿易センタービルに突入して昇天した、と彼は証ししていました。

ジョエル・ローゼンバーグ氏も宣教に非常に熱心です。宣教だけでなく貧しい人への援助にも情熱を燃やしています。

メシアニック・ジューの聖書学者アーノルド・フルクテンバウムは、著作The Footstep of the Messiah(メシヤの足跡)の中で、黙示録10章8-10節を解説しています。

「そこで、私は御使いの手からその小さな巻き物を取って食べた。すると、それは口には蜜のように甘かった。それを食べてしまうと、私の腹は苦くなった。(黙示10:10)」

To almost all people, prophecy is sweet. Prophetic conferences draw larger audiences than virtually any other kind of conference. The voluminous sale of the more sensational prophecy books is another evidence of how “sweet” Bible prophecy has become to so many people. But if ”sweetness” is all there is, then it is worth little. Every student of prophecy should have the second experience that John had: bitterness in the stomach. A knowledge of things to come should give every believer a burden for people. For the way of escape from these things is the Rapture, and the requirement to qualify for the Rapture is acceptance of Messiah now. A true student of prophecy will not simply stop with the knowledge of things to come. Rather, this knowledge will create the strong burden to preach the gospel to others and thereby give them a way of escape. (Fruchtenbaum, A. G. (2003). The footsteps of the Messiah : A study of the sequence of prophetic events (Rev. ed.) (239). Tustin, CA: Ariel Ministries.)

(意訳:ほとんどの人にとって預言は甘いものである。セミナーの中でも預言セミナーには一番多くの聴衆を集める。センセーショナルな預言の本はとてつもない冊数が売れるが、聖書預言が多くの人にとって「甘い」ことの証左だ。しかし、「甘さ」があるだけではほとんど価値がない。預言を学ぶ者は、ヨハネのように第二の経験をすべきである。つまり「腹の苦さ」だ。後に来る事を知ることによって、信じる者全てに、人々に対する重荷が与えられる。なぜなら、これらの事を免れることのできるのは携挙であり、携挙に与ることのできる資格は、今、メシヤを受け入れることだからだ。真に預言を学ぶ者には、単に、後に来る事を知るだけに留まらず、かえって、他の人たちに福音を宣べ伝える強い重荷が与えられ、福音宣教によって逃れの道を与えることなのである。)

アーノルド氏は日本ではユダヤ的聖書解釈で有名な方ですが、アリエル・ミニストリーズのニュースレターを読めば、私たち日本人キリスト者と全く同じく、たった一人の魂の救いために非常な労苦をされています。彼も「伝道」が第一使命なのです。

その3に続く)

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