イースター(復活祭)へのご案内

私たち、ロゴス・クリスチャン・フェローシップの教会で、4月5日、主の復活を記念するイースター礼拝を行います。通常の礼拝開始は午前10時30分を早めて、午前10時から始めます。ぜひお越しください!

イースター礼拝案内トラクト

付録:【復活祭礼拝に臨むための瞑想】

前掲「受難週に入りました」に基づき、毎日デボーションの時を持っております。これまで与えられた思いをお分ちいたします。

受難週一日目、棕櫚の聖日(3月29日)示されたこと:群衆はメシヤを期待しイエスに歓喜したが、自己中心的なものであり、数日後に「十字架につけろ」となる。適用:何かに期待して「これはすばらしい働きだ!」と喜ぶが、実はその中に利己的動機があり、思い通りならないと非難する。

受難週二日目、宮清めといちじくの木の呪い(3月30日)イエスがそこを「強盗の巣」と呼ばれ、その宗教行事を譴責された。そして呪われた木は、実を結ばない宗教を示していた。適用:もし、受難週とイースターを行事としてのみ過ごすなら、また伝道集会としてみなすだけなら、彼らと同じ過ちを犯す。

受難週三日目:宗教指導者らとの論争(3月31日)彼らの挑戦に対して、主は天からの知恵をもって答えられた。そして弟子たちに神殿破壊の後に広がる終末の行く末を語られる。適用:目を覚まし、悪い時代であることを知り、聖霊による上からの知恵を受け、反対者に対して揺るがない答えを持っていること。

<神殿礼拝における過越の子羊の犠牲>

受難週四日目:ベタニヤでの香油(4月1日)イスカリオテのユダを始め弟子たちも、女のした行為を非難したが、イエスはわたしの埋葬の備えだとして擁護された。適用:信仰生活をしながら常識を入れて、主のお心を見失うことがある。逆にマリヤのように、誤解されても主の心と共鳴し、我が身を捧げているか?

受難週五日目:最後の晩餐(4月2日)イエスは、最後の過越の食事を弟子たちと共にされた。直前に、イスカリオテのユダが去る。適用:再来されるまで、ご自身はぶどう酒を飲まれることはない。それまでの間、ご自身の死を思い出す食事へと変えられた。私たちはその証人だ。主に選ばれし者のみがあずかれる交わりである。

品川家庭集会における聖餐式メッセージ
マルコ14章12‐25節「過越の食事と交わり」(音声 ・ 原稿


受難週五日目の夜:イエスはゲッセマネの園で祈られる。
孤独で血の出る祈りであった。しかし、「時が来ました。人の子は罪人たちの手に渡されるのです。立ちなさい。さあ、行くのです。」と決然とした態度を得られた。それで捕えに来た者たちが後ずさりした。適用:孤独になっても祈り抜くとき、心が定められる。

受難週五日目‐六日目:ユダヤ人議会でイエスを死刑と定める。しかし、不当な裁判であった。実は彼らこそがその不当によって裁かれなければいけないかった。適用:人を激しく裁く時に、実は自分自身がことごとく神の裁きを受けなければいけない過ちを犯している。しかしそれが見えなくなる。

受難週六日目(4月3日):ペテロがイエスを知らないと三度言った。しかしイエスは彼の信仰のために執り成しをしており、ペテロにまなざしを向けられた。それで彼は激しく泣いた。復活後も「わたしを愛しますか」と三度聞かれた。適用:イエスの恵みと執り成しによって、私も失敗から立ち直り変えられる。

受難週六日目:ピラトのイエスに対する尋問。ユダヤ人の王だというが、まったくこの世のことではなく彼らの宗教上のことであることを知る。しかし彼は、ユダヤ人を宥めるためにバラバの釈放と引き換えにする。適用:真理や正義に立たず、人を喜ばそうとする時に私は神に罪を犯している。

受難週六日目:ピラト、ユダヤ人を宥めるためイエスを鞭打ちにさせる。子の打ち傷をもって、私たちは平安が与えられ、癒される。:
https://youtu.be/zm97Ie49ULM

受難週六日目:鞭で打たれたイエスをピラトは、「見よ、この人を」を見せたが、「十字架につけろ」と叫ぶ。「カイザルの他に、王はない。」というユダヤ人の言葉にピラトは負ける。適用:人の妬みの強さを思う。そしてそうした人々を恐れることは、ピラトと同じ罪を犯すことになる。

そして十字架へ:「十字架上のイエスの七つの言葉
(4月3日午後1時頃、説教しました。)

受難週最終日:復活祭!

次の題名で説教しました。
1ペテロ1章3節「復活による生ける望み

復活についてとても良いブログがありました。
キリストの復活(「聖書から人生を考えよう」)

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