核戦争待望とキリスト待望

昨日、私たちの教会の礼拝は、聖書講解でダニエル書9章を読みました。午前と午後の二つの礼拝でそれぞれ前半と後半に分けて、じっくりと学びました。ダニエル書は個人的に、ずっと親しみをもって読んでいき、また何度となく教えて来た書物の一つです。けれども、時代が時代だけにますます真実味をもって読むことができました。

ダニエル書9章1‐19節(原稿 ・ 音声
ダニエル書9章20‐27節(原稿 ・ 音声

そうした学びの準備の中で、以前からとても気になっていた批判がありました。9章にある七十週についての解釈について、それをどのように解釈するのか?という釈義によって議論するのではなく、政治的に利用されていることを殊更に取り上げて、結果的に、自身も政治的になっておられることです。

つまり、どういうことかと言いますと、私たちは、今すぐにでも主が戻って来られることを信じています。イエス様がオリーブ山で語られていたような世の終わりの兆しが見える今、ますます目を上げてその贖いの時を待っています。そして、かつてのノアの時代の水の裁き、ソドムとゴモラに対する火の裁きがあったように、この世もその罪と不義のゆえに神が裁かれる時を定めておられます。それをイエス様は、「ひどい苦難」あるいは大患難と呼ばれました。しかし、主はそうした神の怒りから救うためにお定めになったし、それから免れるために、目を覚まして祈りなさいと言われました。そして、「主人が来るまで商売しなさい」と言われて、今、この地上で主の御心を忠実に行なっていきなさい、主のことで熱心になりなさいと命じられている、ということです。

そしてそのように信じている信仰から出て来る実は、テサロニケの人たちがその模範ですが、聖霊による喜びと平安、またキリストの愛に駆り立てられた働きです。福音宣教もあるし、良い行ないもあるでしょう。そして、暗闇の業から離れること、罪から離れること、聖い生き方をするということの動機付けにもなります。自分自身を救えない、神のみが救ってくださると信じており、この天地も自分たちだけでは救えない、キリストが再臨される時に刷新してくださると信じています。

こうしたことを、聖書を読んで導かれる結論で、終末論と呼ばれる神学体系の中では、「千年期前再臨」また「患難前携挙」と呼びます。

ところが、このように信じているとなぜか、「米国の保守的な福音派が、イラク戦争を引き起こしたネオコンと結託したブッシュ大統領を支持して、またレーガン大統領の時代には核戦争を熱望する人々であり、パレスチナの窮状を顧みないイスラエルを一方的に支持する力となっている。」と話が飛躍することです。そして、「それはディスペンセーション神学という、200年にも満たない神学によって支えられている。」ときます。

そしてある注解書では、そのような解釈が、ダニエル書9章をイエス様の時代のユダヤ人は、ローマに戦うための解釈となっていた、となっていました。驚きました、私は正反対に考えていたからです。キリストの再臨によって正義と平和が地上に実現するという信仰を持たなければ、かえってローマへの反乱を企てたユダヤ人と同じになってしまうのではないか?と危惧していたからです。もちろん、私たちは聖霊によって平和が与えられるし、正義を体現します。しかし、主にこそ正義と平和があり、私たちには全てが知らされていない、完全な方が現れるまでは、自分たちが正しいと考える義にも相当に限界がある、というへりくだりが生まれて来ると思っているからです。

今日の日本の教会にある、「反原発」「ヤスクニ闘争」「米軍基地反対」「安保法制反対」「共謀罪は戦前回帰」など、反政府的な活動を強力に推進しているほうに、当時のユダヤ人反乱と同じ過ちを犯しているのではないか?と感じています。主は、ローマに対抗して神の国を建てず、十字架刑という、ローマの主権に敢えて服従されました。私たちがこのイエス様に倣う時に、復活の力が現れ、証しを立てることができます。そして山上の垂訓を本当に信じて、敵をも愛し、祝福する生き方をしないといけないと感じています。

“政治”や”神学”で、素朴な信仰を潰さないで!

私は、「核戦争を待望する人々」という文句にあるような議論は、あまりにも飛躍しすぎて、さっぱりわからなくなります。「ブッシュ大統領」「イラク戦争」「ネオコン」「レーガン」「核戦争」「イスラエル建国」「ディスペンセーション」など、全部が個別に取り扱わなけばいけない大きなトピックであり、その内容を検討するだけで、膨大な情報や分析が必要になると思うからです。こういったことを、よくもまあ一ページに収まるような文章にまとめて書けるのか?と、私には理解ができなくなります。

こんな本がありますが、アマゾンの書評で的確なコメントがありました。

「核戦争を待望する人びと―聖書根本主義派潜入記」

~ ブッシュ大統領の「篤信」は、PR戦略のおかげ ~

良く書けている本である。これを読むと、危険なアメリカのファンダメンタリストたちが、終末の早期到来を実現するために、核軍備やイスラエルを支援している・・・というような結論に、皆が至るだろう。
しかし、著者のハルセル氏は、イスラエルや(ディスペンセーション系前千年期再臨説を信じている)キリスト教ファンダメンタリストについて、どこまで知っているのだろうか。
正真正銘のキリスト教ファンダメンタリストたちは、終末の時は神が定めておられると信じている。よって、核戦争を人間が始めることにより終末が人間の力によって早まるなどということは、彼らによれば、ありえないことになる。もともと、キリスト教ファンダメンタリストたちによれば、最終戦争なるものは、ボーン・アゲイン・クリスチャン(注:新生したクリスチャンのこと)たちが天に挙げられてから(携挙されてから)の出来事なのである。携挙の事実が未だないのにも拘らず戦争を始めてどうなる、といったところだろう。更に付け加えれば、イスラエルの神殿建設も、携挙後の出来事だと信じられている。
もちろん、中には、核戦争や神殿建設を促進すれば終末が早まるんだ、というような、亜流の終末論を信じている人もいるのだろうけれど、もしそうならば、正統と亜流の終末論者の違いを押さえた上で論を進めるべきだろう。
ちなみに、イスラエルに住んでいる人々が皆シオニストというわけではないし、熱心なユダヤ教徒というわけでもない。それからブッシュ大統領だが、彼のPR戦略が功を奏して、彼の「篤信」は世界中に知れ渡っているが、歴代の大統領に比べて、教会出席率はぐっと少ない、という点をここに付け加えておく。
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聖書預言は、「神が行なうと言われていること」であり、私たちがすることではない、この書評にあるように「神の定め」なのです。私は全然、核戦争を待望していません。けれども、天から降りてこられるイエス様にお会いできることは、熱烈に待望しています!

ブッシュ氏は原理主義者ではない

私には、同じような聖書的終末信仰を持って生きている兄弟たちをたくさん共に持っています。だれも、信仰にかこつけて「ブッシュ大統領のイラク戦争が正しかったのだ!」と声を大にして言っている人はいません。私自身は、ブッシュ大統領が対テロ戦の一貫として、諸外国を一つのまとめるために、信仰的に妥協している姿をかえって批判してきました。明治神宮参拝をし、モスクに行き「私たちは同じ神を礼拝している」と言ってみたり、全然、聖書信仰に立っていると思えませんでした。彼は創造論を信じている人々について質問された時に、「私は聖書を字義的に捉えていません。」と答えています。

第三神殿は支持ではなく「執り成し」の対象

そして、私は聖地旅行の時は毎回、第三神殿を強力に推進し、準備している「神殿再建財団」に訪問しています。彼らの純粋な思いを感じ取るとともに、それは反キリストに利用されてしまうという思いになります。彼らを見ていると執り成しの心になりこそすれ、決して支持などしません。それに、彼ら自身もユダヤ教の中では亜流です。正統的な人たちは、自分たちではなくメシアが神殿を建てると信じていますから。

聖書根本主義者たちの本音

確かに宗教右派にあるような、政治思想や主張が福音宣教の中に混入しているということは、多分にあります。けれども、聖書信仰を真っ直ぐに持っている人々は、以上のように戦争や力の行使に希望を置いているわけでは全くありません。保守的な福音派の重鎮的存在である、ジョン・マッカーサーの言葉がそれを物語っています。
https://youtu.be/se4rEHw9Ck0?t=3m24s

彼は、根本主義的な信仰に危険はない、むしろ妥協による世との結合のほうが危険であり、イエスは「わたしの国はこの世のものではない」、そしてペテロに、「剣をさやに収めなさい」と言われたように、キリスト教は、権力を持つこと、国の権力、政府の権力、政権奪取、戦争とは全く無関係であり、「イエス・キリストとの人格的な関係、神をこの方によって信じること」がキリスト教である、と言っています。

保守的福音派を批判する内容も一種の「宣伝」

往々にして、こういった保守的な聖書理解や信仰に対して政治的に批判していること自体が、実は米国政治の対抗勢力からの宣伝の側面も否めないのです。なぜなら、福音の政治化は、宗教右派のみならず、宗教左派においても顕著なのです。民主党のヒラリー氏、またオバマ氏も、立派な”キリスト教徒”です。ある意味、彼らのほうが共和党のブッシュJr.やトランプ氏よりも、教会や聖書には親しんでいることでしょう。けれども、聖書解釈においてはリベラルであり、自らの進歩的な政治思想の中でその信仰表現をうまく利用してきました。

このように一方を批判していることによって、他方における福音の政治化を受容してしまっているという皮肉があります。

そして少なくとも今の日本の福音派の世界では、福音に、自民党や政治保守陣営の主張を混淆させているような動きは皆無とは言いませんが、かなり少ないでしょう。しかし、日本共産党の主張を福音の中に取り入れて教えている人々は、今の福音派の諸団体や諸教団、マスコミにおいて影響力をもって動いておられるのではないでしょうか?

再臨の希望と福音宣教

どうも、批判内容を見ていると、まるで私たちがイスラム過激派の終末論と同じように信じていると思われているように感じます。ここに、同じ聖書終末論に立っている人で、ジョエル・ローゼンバーグ氏の記事があります。

What’s the difference between Apocalyptic Islam & the “last days” according to Bible prophecy?(終末的イスラムと、聖書預言の「終わりの日」の違いは何か?)

A.熱心なキリスト者は、イエス・キリストが十字架に付けられ、甦られた神の御子であると信じており、したがってこの方がメシヤ、救い主、王であり、世界を統治されると信じているのに対して、ムスリムはイエスが預言者にしかすぎず、十字架にはかからず、甦ることもなく、王として来るのではなく、マーディというメシヤの代理人としてイエスが来られると信じています。

B.聖書的終末論は、熱心なクリスチャンは敵を愛することを教えており、不信じゃには罪を悔い改め、イエスをメシヤまたキリストとして受け入れることを宣べ伝えます。そしてその信仰によって、罪の赦しを得、神の家族に養子縁組され、神との永遠の命が与えられます。もし不信者がキリストを拒むなら、キリスト者はそれでも彼らを愛しますが、死後に神によって裁かれ、永遠の地獄に行くと信じています。イスラム教の終末論では、終末的(注:過激な)ムスリムが不信者に悔い改めの機会を与えますが、もし悔い改めなければ、ムスリムはそのような「異教徒」を死刑に処するべきだと指導を受けます。

C.聖書的終末論は、終わりの日、殊に「患難時代」として知られている時期に、神が地上の全ての国々にご自分の裁きを注がれると教えます。その間に、個々人は悔い改め、キリストを救い主として受け入れ、信じることができます。しかし、聖書は、人類の歴史で最悪な形で、戦争、飢饉、天災、その他の災いを経験するでしょう。キリストにつく者は、これらの戦争や災いを引き起こすのではなく、かえって、隣人や敵を愛し、福音を全ての人に宣べ伝えないといけません。聖書は、これらの戦争は、サタンに従順な指導者や勢力によって起こっていることであり、多くのキリスト者はこの時期に殉教すると説明しています。その一方で、終末的ムスリムは、終わりの日には、全ての不信心な国々に、虐殺を伴う戦争を焚きつけ、導くことこそが、神からの義務であると信じています。そして、地上に暴力的に自分たちの王国、カリフを打ち立てるのです。特にユダヤ人とキリスト者は、この終わりのの日に殺戮しなければいけないと教えてられています。

D.聖書的終末論を注意深く調べれば、危険な運動を創り出すことはないことが明らかですし、かえって愛と慈しみ、赦し、憐れみ、平和を造ることに動かされることが分かります。もっと聖い生活をするように動機づけられますし、イエス・キリストの福音を伝えたい、世界の国々の人々に伝えたいと願います。そして貧しい人、事欠いている人の世話をしたい、そしてイエス様の戻られるのが近いから、そのの教えと模範にもっと忠実に倣いたいと願います。イランやイスラム国の指導者によって実践されているイスラム教の終末論を注意深く調べれば、危険で、暴力的な、虐殺をともなう戦争を作り出すことが分かります。

ジョエルさんは、聖書預言を意識した中東情勢の小説を連載して書いていると同時に、「ヨシュア基金」といって積極的にイスラエル、パレスチナ人、周辺アラブ諸国への具体的な支援をしています。自身、ユダヤ人でありますが、パレスチナ人やアラブ人のキリスト者と親交が深く、ヨルダン国王からの招待、エジプトのシシ大統領との会見など、穏健なムスリム・アラブ人とつながりも持っています。

再臨信仰と社会責任

私たちにとって、切迫した再臨を信じることは、キリストの愛に駆り立てられた福音宣教、良い行ないを、「社会」の中でも果たしていくこともあります。数日前、フィリピンのミンダナオ島のマラウィが、イスラム国を支持する過激派によって一部占拠されましたが、中南部に位置するカルバリーチャペル・ドゥマゲテから、励ましを与える文章が送られてきました(コメント欄に掲載します)。インドネシアでもイスラム国による爆破テロが起こり、このような状況においてどうすればよいかを勧めています。

・世界はバラバラになっているのではない、一つにつながっていっているのだ。
・イエス様が戦争が起こるなど、終わりの日に起こると言われた通りになっている。
・私の心は、「主よ、はやく来てください!」と叫んでいる。
・今、何をすべきか。第一に「祈る」ことだ。正義が勝利するように、悪が滅ぼされるように。キリスト者がますます光となるように。反逆者やテロリストが救われるように。大統領やミンダナオ地方政府の役人たちに知恵と判断力が与えられるように。その戒厳令について過剰に反応するのではなく、イエス・キリストによる救いの希望を、キリスト者として伝えることができるように。
・この不安定、不安な世において、主が間もなく王として来られることに、魂を休めることができる。主が全てを支配されている。
・悔い改めて、この方を自分の救い主として信じることができますように。

そして、おそらくはミンダナオ島のマラウィ市に対して、援助物資を送るなど、何らかの行動に移していることでしょう。

私たち日本のカルバリーチャペルの教会の群れことを思い出します。東日本大震災の時に、他の多くの日本の教会と同じように、ほぼ全ての教会の仲間が、自然発生的に援助活動を始めました。何度も救援活動、復興支援活動のために足を運びましたし、今はその地域に二つの伝道所が作られています。

私たちに取って、主の再臨と教会の携挙は、核戦争やイラク戦争の事ではありません。こういった福音宣教や愛の行ないのことを意味しています。

「核戦争待望とキリスト待望」への3件のフィードバック

  1. A post from my home church Pastor of Calvary Chapel Dumaguete

    PEACE AND HOPE IN THE MIDST OF CHAOS – At the heels of the Manchester terrorist bombing in an Ariana Grande concert where 22 people were killed and many were hurt, is the on-going situation in Mindanao where Maute terrorists rebels came to disrupt the peace in Marawi and brought chaos there. There was also a bomb attack in Bangkok. That, besides the long time civil war in Syria where thousands are killed and many more are being slaughtered, including children.
    And this just came in: “Two explosions rocked a busy bus terminal in east Jakarta on Wednesday evening (May 24), killing five people including two suspected suicide bombers and three police officers. Ten other people were injured, including police officers and civilians, during the attack in a street next to the bus station in a working-class district of the capital.” (Reuters)
    Now, in this day of terror and indescribable horror, one could say that the world is coming apart. But let me suggest to you another perspective, a divine perspective: the world is not coming apart, it is coming together! The pieces of the puzzle are being put in their proper places as the sovereign Lord planned it. Biblical prophecy is being fulfilled right before our very eyes.
    Jesus said, “You will be hearing of wars and rumors of wars. See that you are not frightened, for those things must take place, but that is not yet the end. For nation will rise against nation, and kingdom against kingdom, and in various places there will be famines and earthquakes. But all these things are merely the beginning of birth pangs. (Matthew 24:6?8)
    Truly we are closer to His return than ever before. And, honestly, things like this make me cry out in my spirit, “Come quickly Lord Jesus!” So what do we do?
    Pray! Pray for justice to triumph. Pray for evil to be destroyed. Pray for the testimony of Christians to be bright and clear. Pray for the salvation of the rebels and the terrorists. Pray for our President and the local government officials of Mindanao for wisdom and discernment (I think the outcry against Martial Law in Mindanao is over-reacting! The grumbling, murmuring and complaining about it never solves the problem at hand! ). And if you are a follower of Christ, go and tell about the hope of salvation through Jesus Christ.
    With all the things happening in the world today many people are becoming anxious. Who would not especially when you are in the middle of it, right? But know that God is still and will always be in control. We can rest in that, we can rest in the Lord Jesus, the soon coming King, the God of all comfort!
    Have you trusted in Jesus as your Lord and Savior? When all is said and done what matters is your soul because the real problem is not terrorism, but sin in the heart of every human being. And it is sin that separated us from a holy God. Fear Him and not man. “I tell you, my friends, do not be afraid of those who kill the body and after that can do no more. 5 But I will show you whom you should fear: Fear him who, after your body has been killed, has authority to throw you into hell. Yes, I tell you, fear him.” (Luke 12:4-5)
    But this same holy God who is rich in mercy and full of compassion provided salvation for us ? His Son Jesus – that anyone who believes in Him will not perish but will have everlasting life.” (John 3:16)
    Repent. Time is short. Turn to Him today. Trust Him. Surrender your life to Him. For there is no other way.

  2. 米国の宗教右派と宗教左派については、次の連載記事はとても詳しく報じていて、役に立ちました。難しいですが実際に複雑なのであり、それを簡単に論じることはできない、ということだけでも知っていただければ幸いです。

    キリスト教から2016米大統領選を見る

  3. 米国福音派のイスラエル支持についてですが、私は高く評価していると共に、確かに政治的に傾き過ぎている面があるので、聖書的なバランスへ戻す必要があると感じています。以前、フェイスブックに次のように投稿しました。

    イスラエルにとって本当に必要なもの

    <イスラエルへのキリスト者による働きかけ>

    非常に良質な記事です。イスラエルが1948年に建国後、イエス様をユダヤ人が信じる状況、そして世界のキリスト者が一方に偏り、その本質を見失いがちになっている点を、見事に教えてくれています。著者は、私も深く尊敬しているOne For Israelという働きの主宰者です。イスラエル人信者による、インターネット、SNSを駆使する福音伝道を展開しておられます。イスラエル人のSNSの依存度は日本の比ではないのですが、その中でこの働きは光っています。

    しばしば、現代イスラエルについて誤解がキリスト者の中にあります。しかしそれは、無理からぬ部分がありまして、その国の複雑な事情を把握するのは難しいからです。

    イスラエルの政治体制は民主主義国です。欧州に離散していたユダヤ人が帰還して、主にそうした啓蒙思想に影響された人々が建国時、政治の中枢を担いました。高度な民主主義体制を維持しています。信仰や言論、思想の自由は最大限、守られています。そこの面において、日本国と変わることは何らありません。

    しかし、イスラエルはユダヤ人の国です。ユダヤ人が世界に離散している歴史の中で、そこで生存権さえ危うくされている中で、自らの民族が主権を持たなければ生きることができないとして、それで帰還運動が始まり(シオニズム運動と言います)、建国されました。その国にいるアラブ人にも、市民権を付与し、同等の権利を与えていますが、ユダヤ人という民族を主体として国です。
    そこでユダヤ人がユダヤ人であることには、ユダヤ教と切り離すことはできません。それで、初代首相ベングリオンは、ユダヤ教徒に対して優遇し、超正統派ユダヤ教徒の大部分が生活保護を受け、また徴兵も免除されている状況です。そして超正統派の宗教政党があり、ちょうど自公連立のように、イスラエルの連立政権で与党が多数派になるために連立を組むというために、彼らには既得権がある、ということです。

    参考:政治と宗教のややこしい関係

    そこで、民主主義であるイスラエルであり、信教の自由は守られているのですが、ユダヤ教の中に存在する反宣教団体が影響力を持っています。彼らは、キリスト者の宣教活動を監視して、事あればその働きを潰すために、いろいろな画策をします。ユダヤ人には元々、長いキリスト教によるユダヤ人迫害の歴史があるため、「キリスト教への改宗」ということは、即座にホロコーストを想起させるものであり、キリスト者による福音伝道には敏感になっています。異邦人がキリスト者であることには、全く問題に感じていませんし、それは完全に受容していますが、自分たちをイエス様への信仰に回心させようとすると敏感に反応するのです。

    そこで、反宣教団体はそのような敏感になっているユダヤ人の心を捉えて、キリスト者のユダヤ人への働きかけを中傷し、または告訴する場合さえあります。

    したがって、法的には伝道することは守られているのですが、社会的に圧力がかけられているというのが現状です。

    また、法的にも制限があります。18歳未満の子には他宗教に改宗させてはいけません。したがって、伝道は大抵、同年代の同じ学校にいる子が教会に連れて来るというようなことが行なわれています。そしてNGOのような人道支援団体は、その活動の中で人を改宗させることは禁じられています。したがって、キリスト者のユダヤ人への人道支援団体は、その中で宣教活動をしてはいけないという制限があります。

    参考:イスラエルの宗教事情:キリスト教とユダヤ教の微妙な関係

    そこで、キリスト者がユダヤ人へ働きかける時に、いくつかの動機付けがあります。①これまでのキリスト教による迫害があるため、心が堅くなっている彼らに主にある慰めを与えて、平和の架け橋となっていく働きです。②聖書預言にしたがって、イスラエルがその成就の一つなのだという神の言葉の確かさがあります。そして③、パウロが、まずユダヤ人に福音を語り、そしてギリシヤ人にも語るという、ユダヤ人の霊的救いがあります。①の例としては、貧しいユダヤ人家庭に食糧支援をするなどです。②の例としては、今も離散しているユダヤ人に帰還の手助けをするというようなものです。また、いつも周囲の国々から、また国際世論で不公正な仕打ちを受けているイスラエルを、政治的にも支持するという情熱もあります。そして③としては、このOne For Israelのような働き、そして老舗的なユダヤ人伝道団体としてはJews For Jesusがあります。

    しかし、聖書を神の言葉を信じる福音主義に立つ団体は、根本的にはイスラエルが霊的に救われることは神のご計画の完成として見ているため、みなが望んでいます。しかし、その方法が異なりますし、その団体の性質上、社会的また法的に制限が加えられている場合があります。

    その中で、特に米国福音派に顕著なのは、②の信条に基づいた、政治的な支援を含むイスラエル支持です。それが、政治的になりすぎて、イスラエルの実際の事情にそぐわないことも出てきます。そして神学的にも行き過ぎが起こり、例えば、本記事ではジョン・ハギー牧師がいます。彼の熱烈なイスラエル支持はよく知られていますが、ユダヤ人は、イエスの名に拠らなくても救われるとする、ユダヤ人への契約と異邦人への契約の別の契約があるとする「二契約神学」に陥っています。これは、福音の真理から逸脱した教えです。

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