特措法とキリスト教会について

(3月14日にフェイスブックに掲載)

「改正新型インフルエンザ等対策特別措置法に基づく「緊急事態宣言」」について、安倍首相は、「現時点で緊急事態を宣言する状況ではないと判断している。」としています。私は、直接、教会の集まりに関わることはまずないだろうと、結論から言いますと考えています。けれども、いざという時のための、私の個人的な見解をお話しします。

第一に、安倍首相が仰っていたように、全く、その措置を実行に移すような状況にないし、これからもないでしょう。なので、あまり考える必要がないというのが、私の見立てです。95%心配する必要はないです。(後記:欧米からの新たな流入によって、3月31日の時点で、感染爆発の可能性があるため、緊急事態宣言がなされる可能性が高くなっています。)

第二に、万が一の時はどうなるのか?ということを考えますと、「多くの人が利用する学校や社会福祉施設、映画、音楽、スポーツなどの「興行場」の使用制限を要請、指示できる。」とあります。これが、もしかしたら教会の集会に適用されえるのではないか?という憶測をどなたがしていました。

私の思いは、教会はあくまでも宗教の施設であり、興行場とは性質を異にしますから、法的強制性はこの法律では伴わないと考えます。

第三に、しかしながら、世界の流行を追いますと、実は「教会」こそが、イスラム教など他の宗教も含めて、クラスター現象を起こしたところになっています。韓国、シンガポール、フランスなどで起こっています。シンガポール首相も、今日の発表で、初めに宗教、教会が、今、集会を持つと危険であるということ言っています。集会を止めてほしいという強い要請が、韓国でも強くなっていると聞いています。

第四に、そこで日本のキリスト教会としてどう考えるか?「愛」が動機です。人にウィルスを移さないことについて、医学的に危険度があるのであれば、控えることこそが愛することになります。

しかし、日本の教会の多くが、シンガポール、韓国などのように人数が多いわけではありません。しかし、密閉されたところ、また賛美をし、交わる時に発声し、しゃべるという状況が続き、そこで自粛するかどうかの判断が迫られるでしょう。

しかし、同時に、この時こそ、不安と恐れの中にいる人々に、キリストにある希望を伝える良い機会であります。初代教会から歴史を通じて、疫病の時はむしろ、積極的に動き、助け、それで世に対して力強い証しを立てて行きました。

そういうことで、私たちの教会は、日曜礼拝も続行、平日の集会も来週から通常に戻すことに決めました。平日の集会は人数が少なく、暖かくなったので窓も開けていることが容易になったからです。

第五に、もし仮に、今の状況ではほぼ皆無ですが、日本の当局が、蓋然的な理由、医学的、科学的根拠がないのに、教会への集会をやめてくるように強く要請する場合について、もちろんそれは特措法そのものに違反する行為であり、また、第二十条の信教の自由があるのですから、それを主張することができます。

けれども、そういった場合にも「奥の手」はあります。圧力に対して委縮する必要はなく、のらりくらりと上手に対処します。そこら辺は、中国の家の教会の兄弟姉妹から、いろんな話を生で聞いています、ノウハウはありますね。その時は、「蛇のように聡く」です、強かになる必要があります。生真面目になって、委縮してはいけません。

第六に、特措法について、キリスト教会関係者から、信教の自由の侵害だという声を早速している方々がおられますが、それはまるで、トイレットペーパーを買いだめするような、用意のできていない表れだと思います。本当に当局が締め付けをする時は、政府への批判は決してしません。そもそも、愛の行為ではありません。

以上ですが、ここ数日、いろいろな要素を考え、祈っていかねばならない重要な時期にあると思います。

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