金賢姫、来日に思う

昨日は、パソコンのOutlookの調子がおかしくなり、とうとうWindowsそのものを再インストールせざるを負えなくなりました。いろいろやりたいことがあったのですが、残念でくやしい一日を過ごしました。

気を取り直して、今回のニュース「金賢姫元工作員来日」についていろいろ考えたことを書きます。

彼女が一度マスコミにたくさん出ていて、しばらく静かになっていて、いったいどうしているのかな?と思っていましたが、彼女自身が書いた手記の中にその理由が書いてあります。

金賢姫氏の書簡全訳

ここを読むと、なぜ彼女が拉致被害者家族に会いに行きたいと思ったのか、その原動力を知ることができます。

大韓航空機爆破事件を韓国政府の自作自演だとする説が韓国の中を吹き荒れていたということ自体、私たち日本人には大きな驚きだと思います。先日、今年起こった、韓国哨戒艦「天安」沈没さえも自作自演だという人々がいるそうです。それを伝えてくださった韓国の人も「昔ならあったかもしれないが、今はないでしょう。」と言って、過去の謀略を否定しませんでした。

けれども同時に、「韓国人は民主主義も分かっていない」と話してくださいました。かつてデモが盛んであった頃のこと。大学の授業の試験を、教授は「個々人が受けるか受けないか決めなさい。」と言いました。ほとんどの人がデモに行きましたが、ごく少数の人が試験を受けることを選びます。すると一人がいかに反動的な分子であるか非難したそうですが、教授が逆に「反独裁を掲げて置きながらお前こそが、独裁者だ。」と非難しました。「民主化」と言っておきながら、個々人に選択権を与えず異論を粛清する態度こそ反民主的だ、ということです。

話を戻して、私は大韓機爆破のような類の大きな事件には「神の摂理」を感じます。「あまりにも話がよくできている」ので、「それを誰かが操作していない限り起こりえようがない。」と考え、陰謀や謀略を考えます。けれども私は人間の能力をそんなに過信していません。謀略はあってもそれはたかがしれており、むしろその企みを使ってご自分の計画を行われる、神の御手を信じています。エステル記のハマンによる謀略がそれを示す最適な例です。

日本でも少し批判されていますが、日本国のことだけを考えると金賢姫氏は到着次第、取調べを受ける身です。日本国旅券を不法に持っていたからであり、もし事前に捕まえていなければ、日本人がこのテロを行ったということになり、日本と韓国は国交断絶という危機が来てもおかしくありませんでした。これを食い止めたのは中東にある日本大使館の外交官たちです。

日本の危機と3人の分析力・行動力

私はその中の砂川氏の著書を読みましたが、それに反論している矢原氏のブログ記事もあります。けれども、その反論はどのようにして、テロリスト二人をどちらが先に見つけたかという議論の中での主張であり、むしろ「自作自演ではないこと」をさらに裏付ける証言となっています。ご本人はこうまとめておられます。

私はこの事件が解決したのは「奇跡」だと思っています。私を含め、一人一人がやったことなど大したことではありません。私にしたところで、「シンイチ」「マユミ」の名前を見つけだし、報告しただけです。しかし、私以外にも多くの人や組織が歯車のように見事に絡み合い、各々の歯車が絶妙なタイミングで動いた、と思っています。そして何よりも、これに偶然と幸運が度々重なり合い、奇跡的にも事件を紐解く結果となったと考えています。

考えても見てください。これだけの大事件が、発生から僅か3日で一定の結論に達したのですから。普通考えられないですよね。世界最大の情報組織であるNSAが全力でかかっても、こんな結果にはならなかったと思いますよ。一般的に、航空機の墜落事故は、犯行声明が出された場合は別にして、その多くは墜落の原因すら特定できず、『推定』でとどまる場合が多いと承知しています。原因が特定されたにしても、かなり時間がかかるのが普通です。数ヶ月後、あるいは数年後に調査結果がでることが多いと思います。この事件は、やはり『運』が大きく係わっていると思います。

あまりにも短時間に、あまりにもスムースに解決してしまった。あたかも誰かが、予めシナリオを描いていたかのように。さすがにこれだけの偶然と幸運の重なり合いは常識では考えられません。だから「韓国の自作自演説」が浮上するのだと思います。
(http://blog.goo.ne.jp/bongore789/e/665f43ee6a41203f686f6dd431b5bc43より引用)

金賢姫が今回来日したときに、このあまり報道されていない彼女の原動力を思いました。日本側から見れば、今回の来日は「拉致事件解明にどれだけ貢献できるのか」という関心でしょうが、韓国内では金賢姫の表舞台への登場そのものが大韓航空爆破謀略説への挑戦であり、親北の世論、団体、そして過去の政権(金大中と盧武鉉)への対抗です。

あと、ハーベストタイムの中川師がメールニュースで彼女にインタビューしたときのことを記しています。彼女のクリスチャンとしての信仰の分かち合いに焦点を当てています。こちらのバックナンバーで読むことができます。

後記:大韓航空機謀略説に対する反論として、金賢姫が北の人間であったことを示す決定的な証拠の記事を、拉致問題に取り組むジャーナリストのブログに連載してあります。

花束少女の謎
http://d.hatena.ne.jp/takase22/20100726
http://d.hatena.ne.jp/takase22/20100727
http://d.hatena.ne.jp/takase22/20100728
http://d.hatena.ne.jp/takase22/20100729
http://d.hatena.ne.jp/takase22/20100730

日本の福音派教会の政治的立場

ここで、日本のキリスト教の政治的立場について付記しておきましょう。まず、日本基督教団などに代表される「主流派」と、福音宣教を強調する「福音派」では温度差がかなりあります。主流派は教会として政治的見解を持っています。

一方、福音派は政治的見解は完全に個々人に任されています。選挙に行くことは、キリスト者として国民の義務を果たすという意味で奨励しますが、どの政党に入れるかについてまでは示唆することはありません。

けれども、これまでキリスト教系の新聞や、諸教団の指導者層の意見を聞くにつけ、ある定式があります。一番大きいのは「天皇制」です。戦前・戦時において、天皇崇拝を強要された教会は、このことを二度と繰り返さないという強い決意があります。そのため、天皇制への回帰、復古主義に敏感であり、また靖国神社などの争点でも強く反対します。

その他、主に中国と韓国に対して行なった過去の日本軍の行為を謝罪する、国内の社会的弱者を保護する、沖縄の人々への考慮なども多く話題にあがり、正式な会議の中でも語られています。

すると既存の政党としては「社民党」です。この前、ある福音派の牧師さんがこのことを説教の中で明言しておられました。

私も日本宣教の難しさから、かつて「天皇制」についてはたくさん勉強し、議論しました。そしてその意見はその時から変わっておらず、いつか迫害が来ることを考えて、祈り、心備えしていかなければいけないと思っています。

では社民党なのか?というとそうではないと私は考えています。「天皇制」というと、それは制度、体制としての天皇であり、政治的、体制的解決を目指す用語だからです。政治的に天皇制を排除したところで、キリストをまことの主、神として受け入れない、かたくなな心、その霊的土壌は変わることはない、と考えます。現に、反キリスト教思想を有する共産党が一党独裁支配をする中国において、既に一億の中国人が信仰を持っています。政治体制と御霊の動きは時に相矛盾するものです。

むしろ政治的解決をしようとすることによって、他の矛盾が生じると私は考えます。社民党は現在の北朝鮮労働党と最も絆を深く持っていた政党です。そして今日の拉致事件を解決する唯一の外交窓口を持っていたはずの政党が、むしろ事件を押しつぶしてしまった歴史的汚点を持っています。

ある有名な福音派教会の指導者が、過去の日本が行なった行為を謝罪するということで北朝鮮の公認教会に訪問、そして献金をしました。それがどのような用途で使われるかも精査することなく、それを行なった記事を読みました。その教会員が労働党から派遣された人々であり、資金を得るために訓練を受けた人々であることを、前もって調べなかったのでしょうか?

仮に今、北朝鮮の政治体制が崩壊したとします。そして歴史的考察が行なわれます。そして日本のキリスト教会が何を行なったのかについての総括も行なわれます。その時にこの援助事件が掘り起こされます。真の地下教会の信者たちがとてつもない迫害を受けていたにも関わらず、実は政府のダミー教会に支援していたことが暴露されます。つまり、過去の罪を謝罪するという行為を行なっているつもりが、むしろ新たな罪を造り出しているのです。こんなに空しく、愚かなことはありません!

私たちは、政治的な問題についてはキリスト者として注意しなければいけないと思います。大事なのは「心の態度」です。

一見、良さそうにに見えることでも思いっきり間違っていることがあります。ラブ・ソナタで、オンヌリ教会のハ牧師が、「日本の過去の侵略について祈っていましたが、まず私たちが今もって日本を憎んでいることを悔い改めなければいけないことを聖霊に示されました。」というようなことをおっしゃいました。「憎しみ」という、あまりにも単純な明らかな罪を犯しているのに、「謝罪せよ」という言葉をかけられると、我々日本人信者は萎縮してしまうのです。

この謝罪問題は、メシアニック・ジュー(ユダヤ人クリスチャン)の議論にも存在すると思っています。今のユダヤ人が過去のキリスト教が行なったことにより、イエス・キリストを受け入れない、という論理です。もちろんそれは事実です。けれども、不信仰という罪は免れないのです!私もこれまでメシアニック・ジューの集会で説教を聴いたり、アーノルドの著作、またアーノルド自身からもいろいろ話を聞きましたが、一番ユダヤ人の不信仰について手厳しく批判しているのは、メシアニック・ジュー本人たちです。異邦人が不信仰であるのと、ユダヤ人が不信仰であるのと差別はなく、同じ罪なのです(ローマ3章参照)。

このような霊的、神学的問題を、歴史的問題によって曇らせてはいけないと私は思っています。

初めに「付記」と書いておきながら長くなりましたが、初めの話題である天皇制の問題に戻ると、第一に、キリスト者一人ひとりが、不断な霊的成長により、キリストにあって堅く立てられていること、そして第二に、普段から偶像崇拝の問題を意識して、具体的に、知恵をもって対処するようにしていること。そして第三に、どんな強い圧力であっても、神に与えられた良心に従う習慣を身に着けておくこと。これで天皇制も、また「日の丸・君が代」問題も解決できると思います。

米国共和党と民主党の見直し

話が再び政治に戻りますが、日本において米国の「民主党」と「共和党」のイメージが実際のと違うな、と感じる時があります。

「民主党」というと社会的弱者を助けるイメージで、共和党は白人・強者中心。そして民主党はハト派が多く、タカ派は共和党に多いと言うことです。それでオバマが大統領に選ばれた時、なぜかアメリカだけでなく、日本までが熱狂していました。

けれども、もともと対日本に対しては共和党の方が民主党よりも優しいのです。かつては「ロン・ヤス」関係、ちょっと最近ではブッシュと小泉との関係に象徴されるように、日米関係の重要性をより分かっているのは共和党の方なのです。そして、日本が経済的脅威と米国の目にうつった時、「日本叩き」の急先鋒に立ったのは民主党でした。太平洋戦争の指揮を取ったのも、民主党のルーズベルト大統領であったことを思い出してください。そして今は、「日本」を飛び越えて中国への外交を展開しています。

そして、共和党は保守主義であるがゆえに、日本にある既存の制度に対しても比較的寛容です。民主党はむしろ異質感を強調し、国際化を強要する傾向にあります。

これは政党ではないですが、在日米国人で興味深い意見を聞くことができました。在日外国人に対する不動産屋の対応を多くの外国人は「差別だ!」と強く主張します。けれども私のその知人は、「別にどうということはない。日本ではこのような制度なのだから、不便は強いられるがそのまま受け入れれば良いだけのことだ。」彼は真の右派です。均質化や悪い意味の平等化を嫌い、人々や国々が持っている文化や伝統を尊重する傾向を持っています。

一方、ある米国人は、何かにつけ日本がいかに閉鎖されている国か、差別する国かを話します。「国際化されなければいけない」というのですが、在米経験のある私に言わせると、在米外国人に対して米国人との差別化をどれだけ行なっているかを知らないのです。むしろ日本は、在住して、納税している人であれば日本人、外国人を問わず、同じ給付を与え、同じ恩恵を与えています。

どちらが良い悪いということではなく、前者が共和党の持っている保守主義で、後者が民主党が持っているリベラリズム(自由主義)です。私は、明るく大らかなイメージなのが共和党で、経済停滞や国の危機の中、必要悪として国主導の政策を推し進めているという暗いイメージが、民主党に対してあります。

アメリカ人は能天気で楽天家、そして自由をこよなく愛するからこそアメリカ人じゃないの?という気持ちが、アメリカ人に対してあります。なんで、オバマを選んじゃったの?という疑問です。でも、なんで「鳩山」を選んだの?と言い返されたら、何も言えません(汗)。

あとクリスチャンとしての倫理観を問うなら、中絶、同性愛結婚などの論点が出てくるでしょう。反対が共和党で、賛成が民主党です。

世界を見てから「日本」を見る

私が息抜きとして見ているテレビ番組で楽しみにしているのが、「そうだったのか!池上彰の学べるニュース」と、「世界を変える100人の日本人」です。

前者は、日頃のニュースの話題を小学生にでも説明するように簡単に説明します。けれども、その分、主観や意見を狭まずに現在起こっていることをありのまま説明してくれるので、自分自身で考えられて楽しいです。そして後者は、日本では有名ではないけれども外国で非常に大きな貢献を行なっている埋もれた日本人を見つけ出しています。前々から日本人は良い意味でマニアック(一芸を極める)だなと思っていましたが、やはりそうだなと関心しています。この二つの番組に私が感じている共通テーマは、「日本を中心とした国際感覚」だと思っています。

「池上彰のニュース」で最近、放映された中で衝撃を受けたのは、米国の有名大への日本人大学生の数が激減していることです。ハーバード大学の今年の入学生は確か五人、マサチューセッツ工科大学はゼロです。以前、他のニュース番組でも見たことがありましたが、確か韓国や中国の留学生の数はかなり増えているとのこと。高校生の時から米国への留学にあこがれて、大学卒業二年後に実際に渡米した私と、大学と大学院を米国で卒業した妻にとっては、全然理解できませんでした。

池上さんは、「学力低下は、単に『ゆとり教育』の結果なのでしょうか。」という問いかけをしていましたが、私も同感でした。知識量の低下以上に意欲の低下が起こっています。どうも保守政党の公約の中にある「詰め込み教育」の再生や「国や伝統を愛する道徳教育」が解決になるのかな?と疑問でしたので、納得した次第です。

そして日本の製品の国際競争力の激減も取り扱っていましたが、他のニュースで韓国サムソンは、世界中に、ただ現地にいて、何もしなくていいからその現地のことを知ることを仕事に課せられている人々が散りばめている話を聞いていました。池上さんは、「例えば中国の農村で、洗濯機をじゃがいもを洗うのに使っていたけれども、それを見て、『何も分かっていないな。』と評価するのではなくて、『なら、じゃがいも洗浄機を作ればいいではないか。』と考える発想です。」と説明しておられました。私も、ビジネスニュースなどで、サムソンの担当者とソニーの担当者のインタビューを聞いたとき、「ソニーの人はずいぶん自社製品に過剰な自信を持っていて、世界に目が向いていない。危機感を持っていないな。」と感じていたところでした。

やはり、今、「日本の中身ばかり見ていないで、とりあえず世界を見てみては?それから日本の持ち味を生かした分野を発掘してみては?」という気持ちがあります。まだまだ開拓できる分野がありそうなのですが、どうしても国内にいると内向きになってしまいます。一度、外を見たほうがいいと思います。

参院選で考えたこと

私たちは、海外と日本の間を行き来していて、その度に住民票を抜き入れしています。住民票を入れてから三ヶ月以上経たないと投票できないそうで、今回も参院選に投票はできませんでした。でも関心はありました。ちょうど一年前に以下のエッセイを書きました。

「牙を剥く『民意』」

今の政治(そして福音宣教に)必要なのは?

民主党が人気を取るために政策を決めていく党だということを書いたわけですが、私の知り合いの人が怒っていたとある人から聞きました。今はどう思ってらっしゃるのでしょうか?同じく、オバマ大統領も同類項であることを書きましたが、今、彼の支持率も激減しています。僕は日米ともども、二つの民主党がそれぞれの国のあり方を自壊させているようでなりませんでしたが、ようやく「口の巧さ」による政治の限界を我々、衆愚(?)の民も気づいたようです。

・・・で、「では、あなたはどの政党を支持しているのよ?」と聞かれると、実は困ってしまいます。

まず自民党ですが、今回、謙虚になれたと思います。前に民主党と同じく「民意」を気にしすぎ、自らの政策信念を捨ててしまったことが敗因ではないかということを書きましたが、今回のマニフェストはその信念を以前より明確に出しています。(米国の共和党にも同じ敗因だと思いますので、今度の選挙の時には頑張ってもらいたいです。)ただ、イデオロギー的に合わない部分があるので(個々の政策は同意できるものはあるのですが)、たぶん投票しなかったと思います。

たぶん、「第三極」と呼ばれる小政党のどれかに投票したと思います。政策で戦っており、かつ具体的な政策で戦っている党に入れたことでしょう。あと私は、元々「大きな政府」を嫌う傾向があり、「努力するものが報われる」自由社会や自由経済を好みます。かつ世界も自由社会であるからこそ人類が平和になると信じていているので、その価値観を有している米国との緊密な関係を強く望みます。だから経済的にも政治的にもイデオロギーはやや右です。となるとだいたい絞られるのですが、ここではあえて具体政党名は書きません。

次の記事で、今、自分が思っている「日本」を書きたいと思います。

ネタニヤフ首相の和平努力

イスラエルの首相ネタニヤフ氏が訪米し、オバマ大統領との会見を済ませて、本日9日にイスラエルに帰国する予定だそうです。今回は、数多くのメディアに出ました。私は、CNNのラリー・キングのインタビューを見ました。

ネタニヤフ首相は、いつになく穏やかで、筋を曲げず、かつ紳士的に応答している姿が印象的でした。下はYoutubeの動画です。

パート1
パート2
パート3
パート4
パート5

たぶんパート3の最後の方でしょうか、彼がマスコミに出てこない和平への努力を力説している部分で、西岸地区における経済復興のことを言及していました。そして検問所をかなり除去し、経済が発展し、現代的なお店も出てきて華やかになってきた、というようなことを話しています。

私が今回のイスラエル・ヨルダン旅行で驚いたことの一つは、この西岸地区の検問の、信じられないぐらいの緩さと、パレスチナの人々の顔の明るさと穏やかさでした。事前に調べるナブルスへの旅行情報はすべてがイスラエルの占拠、貧しさ、検問の理不尽さなどでしたが、5月下旬時点では完全に間違ったものです。ラマラとナブルスの風景は、エルサレムなどの大都市に比べればあまりにも小規模ですが、それでも静かに発展している小都市の様相を呈していました。人々も普通に平穏に暮らしているという感じで、99年の第一回イスラエル旅行における、第二次インティファーダ前のベツレヘムの姿と似ていました。

パレスチナ情勢について語る人々は、本当に親パレスチナなのであれば、このパレスチナ人の姿をなぜ紹介しないのでしょうか?パレスチナを愛しているというよりも、イスラエルを憎んでいるその敵意が前面に出ています。

ナブルスを紹介する、パレスチナ人によるサイトがあります。ここにも、「マスコミには出てこない、パレスチナの文化や歴史を知ってほしい。」という普通の人々の生活、歴史遺産、文化を紹介しています。彼ら自身も、マスコミの扇動報道には辟易しているのです。

Nablusguide.com

私が「エルサレムの平和のために祈れ」という聖書的命令の中で願うのは、この両者の経済的、社会的発展です。現地の親パレスチナ活動家は本音では知っているでしょうが、パレスチナが自力で経済を復興させることは到底無理です。生活基盤もさることながら、人々に働こうという気力がないそうです。あまりもの援助を受けてしまったためでしょうか、援助から脱却できない体質があるのかもしれません。いずれにしても、ネタニヤフ首相がいま行なっているようにイスラエル側の積極的な働きかけを彼らは必要としています。

パレスチナ自治区を国家にすべきかどうかは私には分かりません。ハマスと自治政府の関係が悪化している今、イスラエルが国家を認知したところで内部分裂するのがおちでしょう。

けれども国家にしたいならば、そのための準備は指導層の和平交渉だけではなく、むしろ一般市民の絶え間ない勤労努力が必要です。自分たちの国を造るという真の愛国心が必要です。以前は、彼らはイスラエル領に出稼ぎに行くことができたのですが、そのような自由と良い治安の回復が一番必要だと思います。そして国家ができても、イスラエル領でアラブ人市民がその基本的権利を守られているのと同様、そこにいるユダヤ人入植者の基本的権利を守り、ユダヤ教やキリスト教の遺跡の保持にも努力するべきです。

・・・現在の時点では、そのような発想の転換は到底無理でしょう。国家にしたら、自分たちがイスラエルの占領を非難していたのと同様、多くの非難と批判に耐え得なければなりません。多くの責任が伴なうのです。

ガザ支援船(?)拿捕事件 その2 - We con the World

「ガザ支援船」についてのブログ記事で日本人の人による良い記事がありました。

国連はトルコを調査するべき」

そうなんです、調査を受けるべきは国際法を遵守したイスラエルではなく、テロリストを乗船させたトルコなんですね。いつも論理が逆なんですよね、「世(the world)」というものは(イザヤ5:20参照)。

そして、モリエルの「だいすけ」さんも記事を残しておられます。

『ガザ支援船』の実情

ジェイコブさんもおっしゃっていましたが、必ず「迫害を受けるのは、イスラエルと新生したクリスチャン」たちです。

そして最後に、上のブログのコメント欄で紹介していた、イスラエルからのユダヤ・ジョークを紹介します。これだけ猛烈な、激しい国際批判を見事にジョークにして笑い飛ばす彼らは、本当に肝っ玉があります。

We Con the World
(「我々は世界をペテンにかける」 ”We are the World”の替え歌)

You Tubeはこの歌を削除しようとしているようで、もしかしたら皆さんがこのブログをご覧になっている時には上の映像では鑑賞できなかもしれません。その場合は、youtube.comに言って、検索欄に”we con the world”と入れれば出てきます。

ガザ支援船(?)拿捕事件 - トルコの怒り

ちょうどイスラエル旅行に行っている時に、この事件が起こりました。私たち旅行者は日々の旅程をこなすことで忙しくて、新聞の記事をちらっと見る程度でしたが、帰国して初めてこんなに騒がれているのかと驚きました。いつものことながら、イスラエル当地はいたって静かで平穏でした。

マスコミと国際世論の反イスラエル論調は相変わらずですが、これまでより勢いを増していたと思います。「支援船」とは隠れ蓑であり、実際はイスラム過激組織につながりのある乗員たちによる暴力行為でありました。下の動画をご覧ください。

イスラエルを一個の主権国として見れば、軍が取った行動は至極当たり前なのですが、最近辞任したワシントンの取材記者の発言のように、この行動を非難するということは、つまりは「イスラエルのユダヤ人はポーランド、ドイツ、アメリカに帰ってしまえばよい。」ということを言っているに等しいです。

そしてこれまでの伝統的なイスラエルとの強固な関係を壊しているオバマ政権が、今回も国際世論に同調しているのを見るにつけ、唯一、欧米に残るユダヤ・キリスト教価値観の崩壊を感じます。アメリカが聖書の中でどこにも出てこないのは、このためかと思わされます。(注:このリンク先の動画もご覧ください。この共和党議員による勇気ある発言に脱帽です。)

そしてガザ封鎖の現実を知っているのは、イスラエルの他にパレスチナもエジプトもそうなのです。ハアレツ誌にこういうのがありました。

水曜日(6月16日)のホワイトハウスでのオバマ大統領との会談で、パレスチナのアッバス議長は現状の段階でガザの海上封鎖を解除することには反対であると述べた。理由は、これによりハマスが強化されるからだという。
エジプトもまたこれに賛成している。
この海上封鎖の件は水曜日のオバマとの会談では主要な議題であった。

イスラエルは全ての国に攻撃されるというのは、終わりの日に起こる中心的な出来事であり、今回の事件もそれを如実に表しているのですが、けれども今回注目したのはトルコの激しい反応です。ここで私は、「ああ、やはりトルコか。」とエゼキエル38章を思いました。

エゼキエル38章には、マゴグ(ロシア南部)が筆頭となって、次にペルシヤ(イラン)が、そしてプテ(リビア)やクシュ(エチオピヤとスーダン)など、北アフリカがいっしょにイスラエルの地を攻めますが、それ以外に「北の果てのベテ・トガルマ」がいます。これはトルコです。また「ゴメル」をドイツ、「メシェクとトバル」をロシアの町という解釈もありますが、どちらもトルコの中にあるという解釈もあります。

ですが、これまでトルコはイスラム諸国の中で唯一、イスラエルの友邦国であり、軍事協定も結び、イスラエルにとって非常に重要な国であり続けました。

ところがそれが一変したのが、08-09年に起こったガザ戦争です。そして今回のガザ船拿捕事件で、トルコ首相と一般国民は炎上しました。ハード面において彼らがイスラエルと縁を切ることはまだできないと思いますが、感情的には完全に切れています。

そしてトルコは、イラン、そしてロシアとも外交的に急接近しています(もともと良い関係ではありましたが、反イスラエルにおいても同調しています。)。

関連記事を下に紹介します。

友好国トルコとの関係悪化 イスラエル、支援船拿捕(朝日新聞)

トルコ=イスラエル関係(岡崎久彦氏のブログ)

英語が分かる方はぜひ次の記事をお読みください。Koinoniaのチャック・ミスラー氏によるものですが、歴史的に今のトルコを紹介しています。

The Treacherous Trio of Ezekiel 38

かつてのオスマン・トルコ領が、エゼキエル38章にあるイスラエルを攻める国々の地域と非常に似ているということです。

エゼキエル38章の地図

オスマントルコの地図

そしてその他の英文関連記事も紹介します。

RUSSIAN, IRANIAN, TURKISH LEADERS MEET(ロシア、イラン、トルコの会合)

Ahmadinejad Stresses Need for New World Order (アフマデネジャドが世界新秩序の必要性を強調)

多神教の排他性

前回の、小沢氏によるキリスト教批判に応えて書いた記事「自浄努力の重要性」への補筆です。良い記事を今日、見つけました。

一神教は排他的で多神教は寛容という虚構

欧米のキリスト教やイスラム教の宗教戦争(?)に反発してキリスト教を批判する民主党寄りの方(この記事を参照)も、日本人への愛国心涵養と称して、神社参拝(靖国、伊勢に限らず)を日本人全員すべきだと考え、参拝しないことを売国奴、似非クリスチャンと言って罵る保守系(?)の方々も、ぜひ全文、読んでいただきたいです。ここには最後の部分だけ引用します。

本人が絶対的な信仰を抱くことと、他者に寛容であることは別問題であり、両立可能な要素である。クリスマスを祝い、神社に初詣に行き、葬式は仏教で行うことが寛容ではない。信仰に無節操・無頓着であることを寛容と勘違いし、それを他人に強制することは不寛容の極みである。反対に強固な信仰を有している人がいたならば、その信仰を尊重することが寛容である。一神教と多神教で区別するところから不寛容の罠が始まっている。

(参照エッセイ: 「国家国旗問題」)

2010年に核戦争の可能性

これぐらいセンセーショナルな題名でないと目が覚めないかもしれません。

下に恵比寿バイブル・スタディのお知らせを掲載しましたが、イスラエルを取り囲む今の時代を預言の中で見ていく、パワーポイントによるプレゼンテーションを行ないます。内容はアメリカで行なったエゼキエル書36-39章の学びの時のプレゼンと重なりますが、どこの聖書箇所に該当する話なのかを挿入しつつお話しようと思っています。

日本のマスコミ報道はイランとイスラエルの核戦争危機が最高潮に達しているのに、それについてほとんど報じていません。2001年の米国同時多発テロにおいて世界があれだけ震撼したわけですが、もしイランとイスラエルが戦争を開始したらそれどころではありません。世界の大混乱は当然免れることはできませんが・・・なぜか報道しません。

まず、1月27日にアウシュビッツ収容所の跡地で、イスラエルのネタニヤフ首相が、明確に、イランが核開発に成功するその初期段階で先制攻撃をかけると発言しています。

アウシュビッツ収容所解放から65年、現地で追悼式典 ポーランド(日本語の記事)
実際の演説(ヘブライ語を英語に翻訳したもの)

そして、この中でネタニヤフ首相は同時に、エゼキエル37章の「干からびた骨」の復興が現イスラエル国家において成就したことを言及しています。

そして最高指導者アリ・ハメネイ師が「イスラエルの破滅」の予告をしました。

「シオニスト政権は、イスラム世界にとって大きな脅威である」 (ハメネイ師のブログ、日本語訳)

日本人に分かりやすく話すなら、「イランはちょうど、地下鉄サリン事件を起こしたオウム真理教の麻原彰晃が日本の首相になったようなもの。」と言えます。アフマディネジャド現大統領とその取り巻きのイスラム信仰は、イラン革命の父ホメイニ師でさえカルト視していた過激かつオカルト的なものです。それを、ヒットラーのトンデモ言説が実際に実行されたのを経験したユダヤ人国家の指導者が、二度とホロコーストは繰り返させないという強烈かつ強靭な意思を、つまりは表明しているわけです。

そしてオバマ米大統領は1月27日に一般教書演説を行ないましたが、イランに対して「増大する結果(growing consequences)を招く」と言うにとどまりました。(全文、英語)イラン革命当時のカーター元大統領の対応を思い出させます。

ジョエル・ローゼンバーグ氏は2010年にイスラエル旅行に行かれる方は、祈り深く、目を覚まし、聖霊の導きに敏感になってくださいと注意を促しています。(・・・まあ信仰者は、それでもイスラエルに行くのですが。心は平安です。)

2月3日、恵比寿バイブル・スタディにおけるプレゼンの概要は次のようになると思います。

1.ユダヤ人のパレスチナ郷土帰還(エゼキエル36章)
  - アラブ反乱
2.シオニズム運動、イスラエル建国(エゼキエル37章)
  - 独立戦争(詩篇83篇)
  - 六日戦争(ルカ21:24)
3.エジプトとイスラエルの平和協定(イザヤ19章)
  - ヨム・キプール戦争
  - エジプト大統領サダト暗殺
4.イスラム革命(エゼキエル38.39章)
  - 1979年のイラン革命
  - イスラム主義の伝播
  - イスラエル安全保障の確立
5.ロシアの台頭、イランの脅威(エゼキエル38.39章)