私の福音派再検討

このブログ記事には、福音派クリスチャンとして、自らの歩みを再検討させられました。

上のブログ記事を読みました。そして、その中にあるリンク先の二つの記事も読みました。ご本人のフェイスブックにコメントを入れようと思ったところ、かなり長文になってしまい、ちょっと躊躇しました。それでこちらに掲載させていただきます。実は、以前にも次のブログ記事でも取り扱ったのですが、もう一度取り扱わせていただきます。

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アメリカの教会で訓練を受け、韓国の教会の兄弟姉妹とも交わっている、その経験者としてお話しさせていただきます。問題意識としては全く同じものを共有しておるのですが、そのアプローチの中に、違和感を抱く者の一人です。

お互い不完全な者同士

第一に、韓国の教会もアメリカの教会も、「不完全である」という前提になぜ立てないのだろうか?という疑問です。教会はどこでも不完全であるという実体は、新約聖書から出てくる教会観です。そこでなおこと、主がその教会を立て、愛しておられるという視点です。ですから、これまでの教会のあり方を述べるばかりでなく、「自分自身が”無批判に”全てを受け入れてしまった。」という反省を、もっとすべきではないでしょうか?

リンク先の文章には、確かに区分けはされているかもしれませんが、どうしても十把一絡げに福音派のあり方として、象徴的にビリーグラハム伝道、韓国のラブソナタなどを取り上げている。そこに些かの粗雑さがあるように見受けられます。 続きを読む 私の福音派再検討