「パレスチナ人クリスチャン」の異論と希望の証し

前投稿「「平和活動」対「キリストの平和」」の続きです。

「不条理」の中で「平和と希望」を保つ兄弟

実際に西岸に住んでいる、生のパレスチナ人の兄弟がいます。その人は、6年前にガザから西岸に移り住みました。ガザでは、クリスチャンということで圧迫を受けていました。そして、イスラエルを憎む教育を受けていましたが、今は思いを改めています。けれども、西岸は大きな刑務所のようであり、移動の自由が分離壁や、検問所によって制限されています。エルサレムに行く一日許可を得て、学校に行くための許可証を得ようとしていますが、面談について音沙汰がなし。さらに、最新の投稿ではイスラエル軍から、「あなたはガザから来たので西岸においては違法だから、自治政府からの許可を得なさい。」と言われたそうです。もう複雑で滅茶苦茶ですね。ちなみに、この兄弟のためにイスラエルにいる、ユダヤ人信者やクリスチャンが祈ってあげています。 続きを読む 「パレスチナ人クリスチャン」の異論と希望の証し

「平和活動」対「キリストの平和」

この頃、「平和」についての話題の記事が多くなっていますが、このことは、キリスト者に関わるいろいろな平和や和解の働きに関わっているので、強く考えさせられています。次の言葉の紹介から始めましょう。

多くの人が平和活動に対して強く躊躇する理由の一つは、平和活動家自身が求めている平和を、その人たちの中に見出せないことにあるのです。しばしば目に映るものは、恐れと怒りを抱く人が、自分たちの抵抗の緊急性を他人に説得しようとする姿だけです。悲劇なのは平和活動家がもたらそうとしている平和よりも、戦いを挑んでいる悪魔の姿しか見えないことです」(「平和への道」(ヘンリ・ナウエン著)92ページ

次のビデオは、パレスチナの町ベイト・ジャラという所で、分離フェンスに反対している、クリスチャンのグループが撮ったものです。

Non-Violent Resistance met with Lethal Force in Beit Jala from Stephen Sizer on Vimeo.

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