英のEU離脱と「第四の獣」

わたしは、すべての国々を揺り動かす。(ハガイ2章7節)」

イギリスがEU離脱というニュースが入りました。これが、世界経済にとっての大激変であり、ただでさえ危うい日本経済が、今、大変なことになります。

これから、どんどんこれまで何十年単位、百年単位保たれていた既存の秩序が、どどっと崩れる現象を見ていくでしょう。イスラエルと中東が聖書の舞台ですが、百年続いた秩序が全く後戻りしています。いやこれまでの世界が表面的にきれいに抑えられていただけにしか過ぎません。天変地異にしたって、我が国も、東日本大震災や熊本地震で、何百年という周期の揺れ動きを経験したばかりではないでしょうか?

そして、下のFBの投稿では、ダニエル書2章と7章、黙示録に詳しく書かれている、復興ローマについての言及があります。私は、今の国々と当時のそれと合致するわけではないと思っていますが、しかし、その流れは、過去の歴史から断絶されることなく今も続いていると思っています。「ローマ帝国の亡霊」とでも呼びましょうか、その地下水と底流は衰えることなく続いています、主がお許しになれば、いつでも噴出します。

私たちの告白、「イエスが主である」というものが、どれだけ尊いことなのか、これからますます、実感していくことになるでしょう。

続きを読む 英のEU離脱と「第四の獣」

日本の伝道「押して駄目なら引いてみよう」

こちらも昨日書いたFBの投稿です:

今、私たちの教会にフロリダ州にあるカルバリーチャペルから、一人の短期宣教師が伝道のためにいらしています。日系の方なので、お独りでも伝道をしてくださっており、私たち教会の者たちも、時間の空いている者たちがいっしょに近所を回って、公園で声をかけながら、トラクトを配っています。

そこでの大きな課題は、いつも思いますが「強い拒絶感」です。我々日本人のクリスチャンは当たり前になってしまっている反応ですが、海外からの兄弟姉妹は極端な拒否に対して驚いています。私たちの教会は東京都荒川区にありますが、中国人を始め、いろいろな国の方々が住んでおり、公園にも数多くの人たちがいました。そういった人たちの声をかけると、普通の会話ができます。そして、中国人のママ二人は、「きっと日曜日の礼拝に行きます」と答え、ミャンマーの若者も「行きたいと思います。」と答えます。

この前の礼拝の後に、四つの法則を使って互いに未信者と信者の役を演じて、伝道の練習をしました。とりあえず、語らなければならないことを知るためにもやってみました。けれども、これをそのまま使って行うことは、無理があるかもしれません。今日、一緒に動いた姉妹は、ご自分で話しかける時、短く福音伝道できる内容を書いて、それで語っていました。感動しました、とても短く福音の話をまとめたもので、手際よく語っておられました。 続きを読む 日本の伝道「押して駄目なら引いてみよう」

牧者たちの交わり

以下は自分のFBで分かち合った投稿です。

今日、ある牧師さんたちと数名で、じっくり交わる時間が持てました。そこで、私たちが痛感したことは、「リアルな中での交わりの必要性」です。ネットで発信する情報というのは、裏取りをしない、匿名にするなど、無責任になる傾向があります。けれどもその発言の影響力は、とてつもなく大きくまた拡散するので、誤っていたり、偏った情報によって、リアルな中にいる人々が大きな被害を被っているという話をしていました。

そしてもう一つ、「自分の意見を率直に言うことのできる能力」とでも呼びましょうか、それが信頼関係においてとても重要になることです。もちろん、互いに理解するためには、その過程では語気が強くなったり、その表現に行き過ぎが出てくると思います。けれども、相手が何を言わんとしているのかの「真意」、そして言い方以上に「内容や事実」を見つめていくこと。これが健全な議論、実のある討論においてとても必要なことです。

そこから出てくる実は、「意見の明瞭化」です。それによって、私たちは何に同意して、そして意見に違いがあるのかを互いに知ることができ、それでもって初めて、信頼を培うことができます。

けれども、そうした率直な意見を交わせるまで到達できず、殻に閉じこもってしまう問題があります。これは特に、ディベートが苦手な日本人、また子供のように心を明かしてフラットに交わることが希薄で、孤独になりがちな我々牧師たちに顕著ではないのか?という大きな課題を見ました。傷を受けているので、自分を守るために、ヤドカリのように外部の異見を遮断してしまう傾向があるのではないか?。(関連記事:「きちんとした「牧師」の欠け」)

今、キリスト教会の中で問題や課題を見る時に、指導者の間の信頼関係の欠如が大きな原因になっているのかもしれないと感じました。困難になってきた時代、こうした信頼醸成こそが、今、前もって備えるべき霊的守りなのではないか?と思いました。