これからさらに増幅する苦しみ

「また、戦争のことや、戦争のうわさを聞くでしょうが、気をつけて、あわてないようにしなさい。これらは必ず起こることです。しかし、終わりが来たのではありません。民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々にききんと地震が起こります。しかし、そのようなことはみな、産みの苦しみの初めなのです。(マタイ24:6-8)」

この「産みの苦しみは」は既に始まっています。そのことを知るのに、非常に興味深いYouTube動画がありました。

核爆発の年表(1945-1998年)

今も続いている福島原発の放射能漏れについて、中国やアメリカ西海岸におけるパニックのニュースを見ましたが、この動画年表を見ると、よっぽどアメリカと中国のほうが放射能汚染されているのではないか?と思いました。私がここで懸念しているのは核実験のことではなく、客観的事実に基づかず不安に突き動かされ、生活が振り回されている人々が多いことです。特に、日本を離れた外国人、恥ずべきことに、最後の最後まで居残るべきはずの宣教師の一部がマスコミ報道に煽られて出国したことです。

そして次の動画をご覧ください。

1000年間の戦争

戦争の噂を聞いただけでは、まだ終わりではないと言われたけれども、世界的規模での戦争が起こったらそれは産みの苦しみであるとイエス様は言われました。それを映像で、第一次、第二次世界大戦が起こったところからその様相を呈していることを見ることができます。

この徴に伴い、飢饉と地震があります。その頻度と規模においてここ二・三年は本当に酷いですが、もっと酷いのがこれからどんどん起こります。韓国の人たちの多くが、日本在住の家族を無理やり帰国させた感じなのですが、「今、どこにも安全な場所はないのですよ!」と言えます。主こそ私たちの大岩であられ、主の御翼の陰に隠れていることこそが安全なのです。

買いだめはあったものの、日本の人たちは本当に冷静であり一致団結しています。このことを私は驚き、誇らしくさえ思います。けれども日本人の人たちにも問題はあります。この地震をもってしても、「自分たちで何とかできる」という自存心を持っていることです。

今回の地震は、神の憐れみです。終わりの日に下される神の御怒りに比べたら、今回の規模は極少なのです。そして平常時であっても、キリストを拒み死んだ大勢の人々は永遠の苦しみの中に置かれているのです。そこから救われるようにと願って、神が注意喚起を与えられたのが今回の地震です。「神様、なぜこんなにたくさんの人をあなたは殺されたのですか?」と問うのではなく、「神様、なぜこんなにたくさんの人がまだ生き残るようにしてくださったのですか?」と問うべきです。