東松島救援旅行8月2日 その1

東松島市の当日の最低気温は摂氏20度ぐらいで、涼しい夜を過ごすことができました。私たちは六時に起床し、いっしょに持ち寄りの朝ごはんを食べ、それからデボーション(御言葉と祈りの時)を持ちました。

「空の器を持ってきなさい」

私がずっと主から示されているのは、エリシャという預言者です。彼はエリヤがこの地を離れる時に、彼の霊の二倍の分け前を欲しいという願いをしました。はたして、彼の働きは神の御霊の現れが、エリヤ以上に見ることのできるものでした。

エリヤはかつて、食べ物がなくて死にそうになっている母子の所に行き、そしてつぼの油がつきないという奇蹟を行ないましたが、エリシャは、家賃の滞納で取り立て屋に脅されていた、やもめに、近所にある空の器をかたっぱしから持ってきなさい、と命じました。子どもたちが持ってきましたが、もう器がなくなってしまった時に油も止まったのです。その油を売って、滞納金を支払いなさいとエリシャが勧めました。

同じように、御霊の働きでは、自分たちが片っ端から自分の手を伸ばして、人々に働きかける時があることを話しました。そうしたら、主がその手を、ご自分の御霊の働きで満たしてくださいます。

また私たちは、周囲に住んでいる月浜地区の住民に声をかけはじめました。歩いてみると、以前、避難所で水餃子を作った時にお会いした人たちに何人か出会うことができました。向かいの人も顔見知りの人でしたが、なんと午後二時から、その避難所の後片付けをするとのこと。すべての人が既に仮設に移動できていたのでした。私は、「ああ、月浜の方々には来ていただけないな。」とあきらめかけたところ、妻は「では、私たちも手伝います。」と申し出ました。祭りを抜け出して、お手伝いすることにしたのです!そして掃除をなるべく早めに終わらせて、祭りにお誘いしようと言う計画に変えました。

ドミノの一押し

そして私たちは、小野市民センターに向かいました。この市民センターに主が導いてくださったきっかけも不思議です。私はトラビスから、前回の旅(6月20-22日)の後に、「ハワイの祭りをしたいという思いがあるが、祈ってくれないか。」と頼まれました。それから、「今度は大きな規模で行いたいので、牛網の避難所ではなく、他の避難所の人々も来ることができるように、中立のところが良い。できたら、市にかけあってくれないか。」とのこと。

私たちはこれまで、避難所の人々に対して直に接してきて活動をしていたので、私は、役所の人がどう反応するのかちょっと不安でした。宗教団体の人たちは断られるのではなか、と思っていました。ところが、反応は「どちらの場所が良いですか?」とのこと!許可というよりも、斡旋しているような口調でもあります。それで、私はグーグルの地図で避難所の一つとして上がっていた、牛網地区の東隣、そして浜市地区の北隣にある「小野市民センター」をダメ元で言ってみました。そうしたら、「そこは大きい駐車場がありますし、残された避難民の人たちがそこに集められることになっています。」とのこと!

そして、私は11日から22日まで海外にいたのですが、カルバリー所沢とカルバリー府中のトラビスとリッチが、11日に下見に行ったところ、小野市民センターの担当の方が全面的に協力してくださり、また私自身も彼らの二度目の25日の下見に一緒に行きましたが、その立地や空き地の大きさなど、祭りをするのに最適な所でした。

思えば、牛網学習等の避難所に導かれたのも、石巻に行こうとしていたところ、「ここら辺で何か救援の必要はないのか。」と思いながら、壊れて営業停止になっていたサンクスに頭を突っ込んで聞いたところ、その店長が牛網学習等の避難者の一人でした。私がしたのは、「首を店内に突っ込む」だけだったのですが、それからドミノ倒しのように、たちまち主の素晴らしい働きを見ることができたのです。「グーグルの地図を見る」のも同じでした。

「主の御霊のあるところには自由があります。(2コリント3:17)」
「一つのからだとなるように、一つの御霊によってバプテスマを受け、そしてすべての者が一つの御霊を飲む者とされたからです。(1コリント12:13)」

キリストにあってまとまったチーム

小野市民センターに9時半頃到着し、そして10時にはほぼ全員が集まりました。総勢70名ぐらいいます!まず、カルバリーチャペル所沢と府中が、教会員の多くの人々を今回、連れてきたことがあります。それから、彼らが遣わされているカルバリーチャペル・ホノルルから、また同じくオアフ島にあるカルバリーチャペル・ウィンドワードのチームが来ています。それから、山東さんのカルバリーチャペル西東京が、yoshiya君も含めて来てくれて、見城さんの静岡城北教会の仲間も四名いらっしゃいました。そして、この夏、交替で小さなチームを送り続けているカルバリーチャペル宜野湾の人々もいます。

また、今回、カルバリーチャペル沖縄から、写真撮影だけに特化して奉仕に来てくださったアメリカ人の姉妹が一人と、同じく沖縄カルバリーから、完全に引っ越して、仙台市若林区にある一軒家から主の新しい働きのために専念する、ロイさんもお手伝いにいらっしゃいました。

この姿を山東さんが、ツイッターでこのように記しておられます。

朔日の東北、東松島ハワイ祭りで見たキリストの体が主によって機能する姿は見事でした。これは主がされていると。同じ群れとは言え特に会議を重ねたわけでもなく自然に色々な所から集まって祭りをし、みんなの思いは一つ。『この愛を伝えたい』。誰一人自分を主張しないで仕える者となっていた各リーダーは友達だから。これは教団とか組織というのではなく、主にある友達。そこに利害関係も、上下も、力関係も、お金もない。そんな事を実感させらせた一日でした。私たちが互いに愛し合ってるのを見て、周りの人々は私たちがキリストの弟子である事をしるでしょう。

準備開始

2トントラックから降りて来たのはトラビスで、彼が簡単に仕事分担を割り振りました。ハワイ風かき氷、醤油チキンとホットドック、ハワイの工作、子供たちの遊び場(ボール投げゲーム、ジャンピングハウス)、フラダンスとゴスペルコンサートのためのステージ、椅子並べ、そして聖書やトラクトを置く台です。

私たちLCFはその時に、最後の聖書・トラクトの台係りになっていたのを知りました。けれども、それはただ文書を置くだけですから手が有り余っています。数人は山東さんが仕切る料理を手伝いに行きました。

牛網地区を広報車で廻る
そして私は山東さんに「広報や宣伝はどうなっていますか。」と聞いたところ、「職員の方が車を出してくださることになっている。」とのこと。そこで、西東京の若い姉妹二名が鶯嬢になり、私たち夫婦も乗り込みました。そして道を歩いている人がいれば停車してチラシを渡します。

私は運転手の方に「牛網全域をお願いします」と頼みました。牛網地区と行っても、私たちは実は仙台と気仙沼の間を走っている国道45号線の南側(海沿い)の牛網地区においてのみしか活動していませんでした。その内陸側の牛網地区も周りました。新築の一軒家が立ち並んでいます。けれどもその一部は、市営住宅だそうです。ネットでは拝見したことがありましたが、もう一つの牛網地区にある避難所も立ち寄ることができました。(この避難所のラジオ番組の取材を見つけました。)

そしてしばらく走ると、仮設住宅が見えてきました。すると、なんとそこに牛網学習等にいた、元気なショウ君がいるではありませんか!私は嬉しくて、嬉しくて、彼に抱きつき、いっしょに喜びました。

それから、45号線の海沿いに回ります。職員の運転手の方は舐めるようにして、牛網地区を廻ってくださいました。牛網学習等にいた方々にも何人か出会いました。そして午後は、市民センターのある小野地区を廻ってくださいました。ただひたすら感謝。

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