初めから物語る歴史 - イスラエル その3

その2からの続き)

シオニズム運動の誕生

その2では、離散の歴史まで話しましたが、次に帰還の歴史が始まります。これは、聖書全体に貫かれている神の回復の物語であり、イスラエルの民が約束の地から引き抜かれても、神は地の果てから彼らを集め、彼らをご自身に立ち返らせるという約束をくださっています。

私があなたの前に置いた祝福とのろい、これらすべてのことが、あなたに臨み、あなたの神、主があなたをそこへ追い散らしたすべての国々の中で、あなたがこれらのことを心に留め、あなたの神、主に立ち返り、きょう、私があなたに命じるとおりに、あなたも、あなたの子どもたちも、心を尽くし、精神を尽くして御声に聞き従うなら、あなたの神、主は、あなたを捕われの身から帰らせ、あなたをあわれみ、あなたの神、主がそこへ散らしたすべての国々の民の中から、あなたを再び、集める。(申命記30:1-3)」

イスラエルに対する神の契約は、イエス様の再臨によって実現するのです。

人の子は大きなラッパの響きとともに、御使いたちを遣わします。すると御使いたちは、天の果てから果てまで、四方からその選びの民を集めます。(マタイ24:31)」

したがって、離散の時代から帰還へ、そしてイスラエル建国という、私たちに最も近い時代は、聖書物語そのものに入っているのです。「歴史」といえば過去のことですが、永遠の神が語られた歴史は、現在も未来も含んでいるのです!

「その2」で紹介した二つのサイトを、読み直してください。「シオンの架け橋」サイトでは、「ディアスポラ後のユダヤ人」の「シオニズム運動の誕生」から、そして「ミルトス」のサイトでは、「外国の占領下」の「オスマン・トルコ時代」あたりからの話です。

ユダヤ人の離散は全世界にまたがりますが、ヨーロッパ北部のアシュケナジ、イスラム支配下時のスペインから始まったセファラディ、そして中東地域のミズラヒなどいますが、現代イスラエル国の中核を作り上げたのは、ヨーロッパ系のアシュケナジ・ユダヤ人です。

離散の地にある迫害から、「離散ということ自体がユダヤ人迫害の問題点である。ユダヤ人国家を作らなければいけない。」というヨーロッパ型の啓蒙思想が、神がもともとユダヤ人に与えられていた郷土帰還への想い(詩篇137篇参照)と相まって始まったのが、「シオン主義」つまり「シオニズム」です。そして、その時ヨーロッパは社会主義が勃興しており、社会主義的共同体を農耕によって形成するという「キブツ」の夢を掲げた人たちが、オスマン・トルコ時代に荒廃化した土地を緑化したという経緯があります。それがエゼキエル36章にある土地の回復です。

非ユダヤ人だけでなく、ユダヤ人の間でさえも、シオニズムに懐疑的な人たちが少なくありませんでした。先に挙げた申命記30章の約束には、神に立ち返るというしるしが帰還に伴っているのですが、そうして霊的復興もなくただ帰還するのは人間の恣意的な行動であると、特に宗教的なユダヤ人は考えたのです。けれども、実は神はこのこともご自分の御思いに入れておられ、イスラエルの帰還には二段階があり、メシヤが到来する前にすでに国が復興していなければいけないことをエゼキエル書37章は告げています。

そして、ホロコーストが帰還に拍車をかけ、その残虐さに国際社会も驚愕し、国連がイスラエル国家認知を1947年に行ないました。

興味深いことに、中東系の離散ユダヤ人が怒涛のごとく押し寄せたのは、その後です。しばしば「パレスチナ難民」のことは取り上げられますが、「ユダヤ難民」については全く取り上げられません。1948年に勃発した第一次中東戦争(独立戦争)によって、自分の家を離れて避難したアラブ人がパレスチナ難民の起源ですが、同じ時にアラブ諸国にいたユダヤ人も強制退去を命じられました。その大量の難民を誕生したばかりのイスラエル国は「吸収」したのです。パレスチナ難民をある程度吸収したのに成功したのは「ヨルダン国」ですが、大部分のアラブ諸国は政治的意図をもって彼らを吸収せず、難民の位置のままに留めているのです。

そして、あの巨大国ソ連が崩壊しました。その後、そこで迫害下に置かれていたロシア系ユダヤ人が怒涛のごとくイスラエル国に押し寄せました。そのため、今のイスラエルではヘブル語、アラブ語、英語の他にロシア語も使用言語の一つとなっています。

宗教(イスラム)との確執

ヨーロッパに歴史を通じてあった根強い反ユダヤ主義は、「キリスト教」がその背景にありました。イスラエル旅行に行かれるクリスチャンは、そこで言われている「キリスト教」が自分の信じているものと異質であることに、すぐに気づかれることでしょう。極めつけは主が十字架につけられた「聖墳墓教会」ですが、そこにはプロテスタントを除く様々な教派が縄張り争いをしていて、聖職者が文字通りの喧嘩をする事件も散見されます。イエス・キリストに対する信仰が「宗教」に成り下がるのです。

その宗教としてのキリスト教の中では、ユダヤ人が「キリスト殺し」とされました。「ちょっと待って!それは当時の腐敗したユダヤ教指導者が行なったことで、それよりも私の罪のためにキリストがご自分の命を捨ててくださったのでは?」となるのは、福音的な、御霊の新生を経験しているクリスチャンであり、宗教としてのキリスト教は違うのです。イスラエルは呪われた民であり、侮蔑の対象として扱ってきました。

それに対して、イスラム教の中ではどうだったかと言いますと、生存権まで脅かされることはありませんでした。二流市民であるかぎり、その生活を否定することはなかったのです。イスラムには、「征服神学」があります。ユダヤ教はキリスト教に発展し、イエス・キリストはその中の偉大な預言者であるが、最後の使徒ムハンマドにアッラーが啓示を与え、それがコーランであると信じています。ユダヤ教もキリスト教もイスラムによって完成するのだ、と考えているため、イスラムが支配していること自体が大切なのです。ですから、イスラエルに行くと、ユダヤ教とキリスト教のゆかりの地にモスクが立てられています。極めつけは「神殿の丘」に「岩のドーム」が建てられていることです。イスラム教徒は、そのドームに背を向けてメッカに向かって拝礼しています。そこを敬っているのではなく、ユダヤ・キリスト教に対する征服自体が大切なのです。

ところが、近代に入り、彼らの神学体系を根底から覆す歴史が始まりました。ユダヤ人が大挙してパレスチナの地に押し寄せてきたのです。しかも、彼らは土地を買い取り、そこを開墾し、町々を建て、そしてなんと国造りまでしていました。イスラム主権ならず、ユダヤ人主権が広がっていくということは、彼らにとって屈辱以上の、絶対にあってはならない出来事なのです。

そこで近現代の歴史が「ヨーロッパ中心の反ユダヤ主義」から、「イスラム圏の反イスラエル主義」へと変わっていったのです。

その4に続く)

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