「イスラエル人/ユダヤ人」「パレスチナ」の定義

先週金曜日に、無事にイスラエル旅行準備会第二回を終えることができました。第一回目は「イスラエルの地形と地域区分」をお話しましたが、今回は「イスラエル全史」をアブラハムの族長時代から現代に至るまで鳥瞰しました。これは偶然の歴史でもなく、マルクスの唱えた唯物史観でもなく、まぎれもなく前もって神がモーセを通して予め伝えられた神の預言の歴史であることを確かめることができました。

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そこで、いくつかの質問を受けましたので、それを分かち合いたいと思います。

1.「ヘブル人」「イスラエル人」「ユダヤ人」は何が違うのか?

聖書の中ではこの三つはすべて同じ人々を指します。どの側面からその人たちを話しているかで、異なっています。

ヘブル人は「エブル」という名から来ており、「越える」という意味を持ちます。アブラハムが偶像の町からユーフラテス川を越えて、カナンの地に入りました。ですから、呼称としては一番古いものです。族長時代から使われていた名です。

イスラエル人は、ヤコブに対して神の御使いが付けた名から来ています。「神の勝利」であるとか「神に支配されている」という意味合いがあります。ヤコブの十二人の息子から部族が出てきて民族となっていった人々を「イスラエル人」と言います。

ユダヤ人は、最も新しい呼称です。ユダ族が割り当て地が与えられ、後にソロモンの死後、南北に王国が分かれました。ユダ族は最も大きく強い国だったので、「ユダの人々」と言われ始めます。そして北イスラエルがアッシリヤに捕え移された後に、少数の十部族の人々もユダのほうに移り住みました。それでバビロンに捕え移され帰還しましたら、多数がユダ族出身の人々であることから「ユダヤ人」と呼ばれるようになります。

現在は、若干使い方が異なります。なぜなら、イスラエルという国際的に認知された国家が設立したからです。「ユダヤ人」と言えば世界中に離散している人々も含みますが、「イスラエル人」と言えば、イスラエル国籍を持っている人々のことです。英語ではその違いがあり、聖書のイスラエル人はIsraeliteであり、現代のイスラエル人はIsraeliです。(厳密に言えば、アラブ人でもイスラエル国籍を持っている人がいるので、「イスラエル人」=「ユダヤ人」ではないですが、アラブ人は自分と現代イスラエル国を結び付けたくない人が結構おり、「イスラエル系アラブ人」であるとか、もっと嫌な人は「国籍はイスラエルだがパレスチナ人」と言ったりします。どこに帰属しているか、その意識の差であります。)

2.「パレスチナ」「パレスチナ人」「パレスチナ自治区」の定義は?

「パレスチナ」は、古来は「カナンの地」そして神がアブラハムに約束された地、そして「イスラエルの地」と呼ばれたところであります。ローマがユダヤ人をイスラエルの地から追放した後に、その地を「シリア・パレスチナ」と変更したのがその始まりです。ちなみにパレスチナは「ペリシテ人」から来ていますが、当時のペリシテとパレスチナは関係はありません。

そして「パレスチナ人」でありますが、時代によってその使われ方が変わっていきました。ローマが付けた「パレスチナ」が、イスラエル国が1948年に建てられるまで一般に使われていました。したがって帰還したユダヤ人も「パレスチナ系ユダヤ人」と呼ばれ、「パレスチナ人」の中に入っていました。アラブ人も同じように他の地域のアラブ人と区別するために「パレスチナ系アラブ人」と呼ばれていました。

けれどもイスラエルが建国しました。イスラエルに帰還したユダヤ人たちは、自分の民族に神が約束の地としてそこを「イスラエル」と名づけました。その時から、その地域に住むアラブ人がそれを受け入れる事はできず、自分たちの土地であることを主張するために、「ここはパレスチナだ」といい始めました。したがって今は「パレスチナ人」というと、そこに住むアラブ人を指すようになりました。

国際政治の中では、イスラエルとパレスチナの二国家構想が語られていますが、それは確かにイスラエル人の多くも認識していて独立するならしてほしいと思っていますが、そこに住むアラブ人の中にはそうではありません。私も東エルサレムで通りにいる若者から、「ここはイスラエルではなくパレスチナだ!」と叫ばれたことがあります。ナブルスからエルサレムへのバスの中でも、「パレスチナに来たのは何回目ですか?」と尋ねられたことがありますが、そのときもその若者は、今のイスラエルを含めてパレスチナと呼んでいました。かつては単純にローマによるその地の改称だったのですが、今はアラブ人がその地が我々のものであるという政治的主張を多分に含んでいます。

これはちょうど、お隣の国と似ています。韓国に行けば、地図の中では中国との国境の豆満江まで「大韓民国」になっています。また「北朝鮮」と呼ばず「北韓」と呼びます。そして言葉は同じなのに「朝鮮語」と「韓国語」を分けています。そして在日の人々も、故郷は地理的に韓国にあっても、北朝鮮政権に属しているならば「在日朝鮮人」となるのであり、必ずしも地理的なことを意味していません。イデオロギー的、政治的な呼称であります。

そしてパレスチナ自治区について説明しますと、1948年の独立戦争後の休戦ラインを基にして、ヨルダン川西岸地区とガザ地区において自治政府を置くことが、オスロ合意によって定められました。検問所等でイスラエル軍が駐屯していますが、基本的に警察も含め、行政機関はパレスナ自治政府に移譲しています。私たちが旅行に行くときに訪問するであろう、エリコとベツレヘムはどちらもパレスチナ自治区内にあります。

3.入植地の人々は誰ですか?

もともと、わずかにいたユダヤ人を除きほとんどが帰還した民でイスラエル全体が入植地なのですが、今使われている「入植地」という言葉は、1967年の六日戦争以降に、ヨルダン川西岸地区とガザ地区に入植のことを指しています。(ガザ地区は、シャロン政権時に完全撤退)

そこは、独立戦争の後はガザはエジプト領、西岸はヨルダン領だったのですが、六日戦争によってイスラエル管理下に置かれました。(ただ東エルサレムとゴラン高原は、少し後で併合しています。)その地は、特に西岸は、聖書の「ユダヤ・サマリヤ」地方であります。ヘブロン、ベツレヘムなどがあるユダの山地、またシェケムなどがあるサマリヤ山地であります。六日戦争によって、神が確かに約束の地をユダヤ人の中に入れてくださったという宗教的覚醒が、ユダヤ人の中、特に宗教的な人々の中に芽生えて、それでそこに住み始めたのが入植地です。

4.ゴラン高原における自衛隊は今、どうなっているの?

今の様子を伝えるよい記事を見つけました。

イスラエルで自衛隊員を元気づける日本の民間人
ゴラン高原派遣部隊にとって欠かせない存在に

この中で、今のイスラエルの安全保障の成り立ちを、旅行者の観点から具体的に説明している部分があります。私たちが訪ねるベツレヘムやまたエリコのことも出て来ます。とても参考になる内容です。