検問所 - イスラエルの日常生活

今日は、イスラエル旅行の準備のため、参加希望者の方々から受けた質問に答えたりして、一日が過ぎました。その中で、イスラエル兵になるための基礎訓練の動画や、正統派ユダヤ教の若者の踊りなどの動画を見たりしたときに、次のドキュメンタリー映画を見ました。

Checkpoint – every day life in Israel
https://youtu.be/7nGPg6LscMk

本当に良くできた映画です。今のイスラエル・パレスチナ紛争において、悲劇的なのはイスラエル人にしても、パレスチナ人にしても政治的な視点からしか見られていないことです。彼らがそれぞれ生身の人間であるにも関わらず、マスコミによって作り出されたステレオ・タイプがその素顔を見えなくさせています。

この映画には、私も記憶に覚えているナブルスの様子がしばしば出てきます。私がそこを訪れたのは2010年であり、この映画の撮影は2002-2004年で第二次インティファーダ辺りです。したがって、最もイスラエルとパレスチナの間の紛争が激しかった時であり、その時に一般のパレスチナ人がいかに生活の不便を強いられていたかを物語っています。私が訪れた時は、このような風景があったことさえ想像できない平穏な風景が広がっており、確かにパレスチナの人々は検問所を通らなければいけませんでしたが、いたって簡単な検査でした。

それは、分離フェンスができたからです。大きな非難がそれが作られた時に起こりましたが、事実有効でした。自爆テロが激減したのです。同時に検問所の限界が証明されました。待たされているパレスチナの男性が、「テロリストは検問所なんか通らないよ。検問所に来れるのは、テロの犯罪を犯していないからさ。」と言っていたのが最も印象的でした。そうなのです、正直者が馬鹿を見るのです。

そして私は、この映画を見て、あまりにもいろいろなことを考えてしまいました。会話がアラビア語、ヘブル語、そして英語で、警備している兵士とパレスチナ人の間で交わされていますが、意思疎通がなかなかできない様子も出てきます。意外にイスラエル人よりもパレスチナ人のほうが英語ができます。

そしてイスラエルのテロ予防は極めて優れています。映画を鑑賞する人たちの中には、占領と蹂躙の象徴として叫ぶ人も出てきそうですが、これはパレスチナ人に対する差別ではなく、冷徹でさえある科学的手法を採用しているからです。なぜなら、全く差別がないのです。イスラエル政府の閣僚でさえ、何かが引っかかれば入国を許さなかったり、待たせたりするのです。ベングリオン空港から出国する日本人も時々怒るのですが、私は、下着一枚さえ調べて、イスラエル中に売っているアハバのクリームまで調べて、「どこで買ったのか?イスラエル国内か?」と問い質されました。パレスチナの人に対して行なっているのもこの手法であり、それであまりにも馬鹿馬鹿しい対話と口喧嘩がイスラエル兵とパレスチナ人の間で繰り広げられています。

けれども、やはりその手法の有効性が証明されています。例えば、パレスチナの救急車までが止められています。この背景を知らない人は、怒り心頭することでしょう。けれども、テロリストは救急車を使って爆弾を運んでいたことが後で公にされました。刻一刻と入ってくるテロリストの動向にしたがって、それを末端の検問所の兵士にまで指令を与えているからです。

イスラエル兵も、またパレスチナ人も、日常生活でこのようにして触れているので、冗談を交わしたり、時に口汚く罵ったり、彼らは彼らなりにその日一日を生き抜いています。面白かったのは、最後のほうに出てくる雪合戦の場面です。パレスチナの男たちがイスラエルの兵士たちに雪だまをぶつけて、「インティファーダだ!」と叫んで、雪だまをぶつけられた兵士たちも笑っている姿なんかは、閉塞的空間に風穴を空けるような工夫であります。

また私は、民族性としてはアラブ・パレスチナ人のほうに親しみを人間的には持ちやすい(少なくとも表面的には)です。彼らのほうが人間性に溢れています。けれどもイスラエル人はしばしばサブラ(=サボテン)に例えられます。外はとげとげしいのですが、中身を開けると甘いということです。

最後にキリスト者にとって、この問題をどう捉えるべきか考えてみたいと思います。まず、イスラエルの地は政治的な事柄ではなく聖書理解と信仰に関わることです。ヨエル書3章2節において、ユダヤ人に主が与えられた土地を分割することがいかに神の怒りを招いているのかを読むことができます。「平和と土地の原則」というのは、イスラエル人が提唱するにしても、パレスチナ人や国際世論が提唱するにしても、神に喜ばれるものではありません。

けれども、モーセの律法、またキリストの福音は、「在留異国人に優しくしなさい」という命令に満ちています。イスラエルの地はユダヤ人に与えられていますが、アラブ人にも平和に豊かに暮らす権利を神は保証しておられます。しかしイスラエル人がかつて異邦人ばかりか同胞の民をも奴隷にしたりして苦しめたように、神のおきてに従わないことがありました。イスラエルがパレスチナ一般人に公平に対応してきたかというと、必ずしもそうではないことがあるでしょう。ましてや、パレスチナ人を殺したり、嫌がらせをしたりする一部の偏狭なユダヤ人は厳しく罰せられるべきです(事実、イスラエル政府や世論は厳しく罰しています)。

一義的な問題は、アラブ諸国やパレスチナ人の為政者があまりにも腐敗しており、堕落していることに尽きます。このために今の一般パレスチナ人の苦境があると言えるでしょう。その不満をイスラエルのせいにするように仕向けるパレスチナの指導層、そしてそのプロパガンダを鵜呑みしている国際世論があるため、極めて不健全で歪んだ社会がパレスチナに横たわっています。

私たちにできることは、この国際世論の部分の是正です。マスコミの皮相的な情報に左右されず、なるべく公平に見て彼らのために祈ることでしょう。

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