自己実現ではなく

今日、教会の姉妹から「昨日はお疲れのようだったけれども、大丈夫ですか。祈っています。」という内容の一言メールをいただき、とても慰められました。確かに午後礼拝後、めまいがして、大丈夫かな?と思っていたのですが、昨日寝たら、今はその症状は出ていません。主に感謝。

ところで今、教会オリジナルのトラクト(伝道文書)を作成しようとしています。教会の人々の救いの証しを短くまとめて書いていただき、その一部を使って、私が最後に簡単に福音を書く、という形式です。それで、一人一人が周りの人々にイエス様を伝えたいその思いを書いていただきました。

職場は、自己啓発等の自己追及の中に生きている人々ばかりだが・・・という話を一人がしていて、それで他の兄弟姉妹に尋ねると異口同音にそのとおりだ、という話になりました。私は、「そうしたプログラムが導入されていても、やらされているだけで、まさか本気にしていないでしょ?」と聞いたら、「本気にしてますよ!」のこと、びっくりしました。私は私なりに、インターネットで自己実現系の本や有名人、社長などが自己実現を推進しているが、それに付いていけない、と言って斜めに見ている人々の意見(因みにクリスチャンではない)を結構読んだことがあるので、一般の人々にもそこまでの良識があるのでは?と思っていましたが、その考えは甘いことが分かりました。

年功序列に対する360度評価制度(「多面評価制度」のことか?)が導入されていることには、びびりました。鬱的な傾向を持っているかどうかを尋ねる評価制度の話も聞きましたが、中身を聞くと、こんな制度があるほうがよっぽど鬱になりそう、と思いましたし。そして、そうした制度から外れても、例えば、女性たちの間では、如何に効率的に家事をこなすことができるかという自己実現にもはまっているそうです。

そして話を聞いているうちに、だんだん、私が変だな?と思っている日本のことについて、その理解が与えられました。そこまで「自己」に集中させ、エネルギーを費やしているから、内向き日本になってしまっているのだ、と思いました。自分を磨くという個人的なものから、反原発や特定秘密保護法反対のデモなど、いろいろな領域に広がっています。企業にしても、リスクを負うことを回避しているのもそのためですが、リスクを負わないということは、そのまま死を意味します。

あなたがたは、キリストにあって満ち満ちているのです。」(コロサイ2:9)
(別訳では「キリストにあって、完全なのです」)

これが自己実現を粉砕する、キリストの福音です。私たちは、たった今「私は完全に平安です」「私はすべてを達成しました」と断言できる、心の安寧を持っています。最後に、下の、ある牧師さんによるブログ記事が、付け足すことがないほど100%同感できる内容なので、ご紹介します。

自己実現ではなく

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