イスラエル旅行日記 5月27日 - エルサレム旧市街(ユダヤ地区)

今日は、主に以下の旅程でした。

1.最後の晩餐の部屋(ダビデの墓、メシアニックの集会所)
2.エルサレム考古学公園
3.嘆きの壁
4.アルメニア地区で食事
5.カルド
6.「ヘロデ地区」
7.神殿再建財団

ワゴン車を昨日と同じく、ダビデの町の横の駐車場に止めようとしましたが満車だったので、(現在の)シオンの山の駐車場に行きました。そのため初めに見たのが最後の晩餐の部屋です。

すでにここには二回来ていましたが、初めて確認したのはユダヤ人の信者がそこを集会所に使って、第二ユダヤ人反乱が起こるまで15人の監督者がいたことです。(彼の著書「ヘブル的キリスト教(Hebrew Christianity)にも説明されていますが、ユダヤ教の一派として数えられていた信者たちと、他のユダヤ人たちとの決定的な亀裂が走ったのは、彼らが第二ユダヤ人反乱の主導者であるバル・コクバをメシヤとして認めなかったことです。)

そして2.のエルサレム考古学公園(南壁)は本当に良かったです。2008年の旅行でも行きましたが、今回は、イスラエルで25年間も発掘を続けている考古学者がガイドをしてくれたからです。非常に分かりやすく、丁寧に説明してくれました。彼は、「ここが他のどこよりも最もヘロデ時代の神殿を感じることができる場所だ。」と言っていましたが全く同意です。イエス様が歩かれた階段、通りがそのまま発掘、保存されています。

そして嘆きの壁に行き、アルメニア地区でアルメニアの食事を取りました。

歩きながら、カルドを初めユダヤ地区にあるいろいろな遺跡、建物の説明を受けましたが、ウォール考古学博物館(別名「ヘロデ地区」)が圧巻でした。ヘロデ時代のエルサレムで上町の遺跡をそのまま残しているからです。裕福な祭司長の家の遺跡があります。

そして最後に、神殿再建財団(The Temple Institute)に行きました。これでもう三回目ですが、ガイドに質問するのが楽しみでした。彼らは正統派ユダヤ教徒ですが、正統派ユダヤ教の中でも独特な存在です。正統派は大抵、メシヤが来臨してから神殿が建てられると信じていますが、彼らは神殿を自分たちで建てて、それからメシヤが来ると信じています。

晩の講義の時にこのことについて質問しました。なぜ異邦人のクリスチャンたちを招いてくれるのか、と。アーノルドの答えは、「ユダヤ人の間からでも支援金を受け取れないから。」でした。何と福音派が最も支援しているとのこと。福音派が何を信じているかも承知しており、私たちが喜ぶようなことを語ります。残念なことですがこれが事実です。

正統派ユダヤ教の子供たち
(学校の休み時間、アイスキャンディのおやつが与えられたようです)