人類起源の「定説」という危うさ

NHKの甚だしい進化論宣伝

NHKは、ずっと前から仮説にしか過ぎない進化論の物語を、普及するのに多くの時間を割いていますが、酷いのが「NHK 人類誕生」というシリーズを三回流し、いかにサルから人間に、そして日本の上陸したのかを、高度なアニメーションを使って説明しています。

けれども、この記事にあるように、「定説」と言われているものは、ころころ変えられています。人類が約20万年前にアフリカ東部で生まれたというのが定説と言っていますが、次の記事ではアフリカ北部のモロッコで30万年前のが見つかったとか、あまりにも変化するものであり、「定まった説」など何一つありません。

根底から覆す遺跡がトルコに

今年4月のトルコ・ギリシア旅行の旅行記を書き始めて、トルコが本当に人類の悠久の歴史を豊富に持っている国であることを知りましたが、一気に上の話のような「猿→原始人→人類」という流れを覆す遺跡が、発掘されています。それが「ギョベクリ・テベ遺跡」です。

トルコのギョベクリ・テペ遺跡の謎。世界最古の建造物!

サイト元は「怪奇動画ファイル」というもので、眉唾物のように見えるかもしれませんが、列記とした世界遺産登録の遺跡です。グーグルで検索すれば、もっと学術的な記事や観光用の記事は見つかりますが、とても分かり易い内容なのでこれを選びました。

これは世界最古の宗教施設と言われています。この遺跡発見によって、

定説「農耕 → 食糧備蓄 → 格差 → 都市 → 信仰」

で、あったものが、

「信仰 → 神殿 → 人が集まる」であることが分かったとのこと。

主の御名によって集まった人々

ギョベクリ・テペの位置は、トルコ南東部分、ユーフラテス川とティグリス川の間、メソポタミアにあり、エデンの園には、この二つの川が流れています。聖書の人類起源に、より近づいた発見なのです。

その他、ウィキペディアには次のような説明があります。「ギョベクリ・テペは人間社会の発達の歴史の決定的な段階に対する理解を大きく変える可能性を秘めており、考古学上特に重要な発見と考えられている。スタンフォード大学のイアン・ホッダーは「ギョベクリ・テペはすべてを変えてしまう」と述べている。ギョベクリ・テペはモニュメンタルなアーキテクツの建設が必ずしも、これまで考えられてきたように、農耕定住社会に限られたことではなく狩猟採集民にも可能だったということを示している。発掘に携わったクラウス・シュミットが述べるように「神殿から始まり、街が興った」可能性を示している。」

つまり、神殿が始まりそれから街が起こった、という記述から、セツの子孫が、主の御名で祈り始めた(創世記4章の最後)、というところから始まっていく話を思い出しました。また狩猟採集民が街を立てることについては、ニムロデ(創世5章)がいて、その一つがバベルであり、バベルの塔が宗教的施設であったわけであり、聖書の記述と比べると、今回の発見はとても自然な流れだと思います。

関連記事:「考古学が明らかにする聖書の真実

ビック・バン理論も宗教だと言われていた時期が

思い出せば、斉一説が定説であった頃、ビッグ・バン理論が出てきた時に「それは宗教の世界だ」とあしらわれていた時代があります。もちろん後者のほうが聖書の描く世界の起源の描写に近いのですが、要は言いたいのは、「科学」と称するものでも、人類や世界の起源と呼ばれているものは「定説」なんてない、ころころ変わる。そして、「恣意的な物語」を作ってそれを起源としている、ということです。

聖書を普通にそのまま信じていれば、間違いありません。

後記:ちょっと誤解のないように、付記いたします。

聖書は神を信じるための信仰の領域の書物であり、科学によって証明されるものではないし、科学と信仰はその性質から競合しません。(元々、自然科学はキリスト者や有神論者から始まっています。)しかし、しばしば科学の発見と言われるものを理由にして、神は存在しないとか、思想的な内容にすぐに飛躍するため、それに対する反論として、書かせていただきました。

信仰と科学、また歴史事実との関係において、二つの記事を書かせていただいていますので、ここでご紹介します。

科学はキリスト教を否定する?
イエスは信長、聖徳太子以上の歴史的人物

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