考古学が明らかにする聖書の真実

次の記事をフェイスブックで紹介したところ、日本語訳がほしいとのリクエストがありましたので、要約だけ書きますね。

「史実に存在していないと聖書を批評する歴史家が黙る、三つの発見」
(Three Things Historians Said Didn’t Exist – Until They Did)

歴史家や考古学者は、聖書外の文献資料がないという理由で、聖書に書かれてある人物や国、民族の存在を否定するのですが、実際に考古学の発掘でその存在が証明されている、という例を列挙しています。

ダニエル書5章のベルシャツァル

歴史家は、バビロニア帝国のナボニドスが最後の王であり、殺されたのではなく、囚人として連れて行かれたのであり、聖書のみがベルシャツァルを書き記している、としていた。

しかし、1854年「ナボニドゥスの円筒形碑文」を発見した。下の文章が書かれている。

「私ナボニドゥス、バビロンの王について、その神性に対する罪から我を救い給いますように。私に永きにわたる人生を贈り物として授け給いますように。そしてベルシャザル、私の一番上の息子については、あなたの偉大な神性への畏敬の念を彼の心に注ぎ給いますように。そして彼が宗教的な過ちを犯しませんように。彼が豊かな人生で満たされますように。」

ナボニドスは、北アラビアに遠征に入っていた時、息子ベルシャツァルがバビロンに留まる摂政をしていた。事実上の王はベルシャツァルであった。だからダニエル書5章において、ダニエルに「第三の権利を与える」と約束したのだ。

創世記23章などのヘテ人(ヒッタイト人)

アブラハムは、亡きサラのために私有の墓地をヘテ人から購入したが、ヒッタイト帝国の存在は、二十世紀以前には聖書二しか記述されていなかった。

しかし、トルコに巨大な要塞の町が1906年に発掘された。「ハットゥシャ」という都である。

ダビデの家について

20年前まで、ダビデ王は聖書以外の証拠が見つからず、多くの歴史家や学者がダビデ王はイスラエルの伝説に過ぎず、いたとしても、小さな族長で誇張された自伝にしか過ぎなかっただろうと言われてきた。

しかし1993年に、「テル・ダン石碑」が発掘された。

そこには、こう書いてある。
「8. イスラエルの王、そしてまた私は殺した[…]ヤフーの子供[… 王]/様
9. 王はダビデの家柄である。そして私は[彼らの街を崩壊し変わり果てた]姿にしてしまった。」

ここには、はっきりと北イスラエルが南ユダと分かれていて、後者はダビデの家の支配下にあったことが書かれている。この石碑はダビデの百年後に作られているが、南ユダはその時でもダビデという偉大な族長の名で知られていたのだ。

この他、「イスラエル」の名が示されている古文書として「メシャ碑文」「メルエンプタハ石碑」「クルク・モノリス」があります。

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