教会が変わります(新しい名前、場所、サイト)

ロゴス・ミニストリーの働きを初めて20年、教会開拓を初めてほぼ7年経ちました。私たちの教会も、霊的な交わりがしっかりと固まりつつ中、主から、独り立ちするように示されました。これまでは、長いこと、クリスチャンの方の善意の下、場所をお借りして礼拝を守ってきましたが、自分たちの拠点をしっかり持っていくことによって、次の信仰の冒険をするように促されました。

日本の帰国した当初から、西日暮里辺りで教会を始めることは思いの中にありましたが、この都度、西日暮里駅から徒歩3分のところに、新しい場所が間もなく与えられます。12月1日に入居予定です。

それに伴い、二つのことを行ないました。一つは教会名の変更です。「カルバリーチャペル・ロゴス東京」と名づけました。それから、ウェブサイトも新たに作りました。

「カルバリーチャペル・ロゴス東京」のウェブサイト

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若者・IT感覚でキリスト教を紹介

前記事の続き)

前の記事では、キリスト教会の様子を伝えたものですが、次の二つの記事は、キリスト教で何を信じているのかを、分かり易く紹介したものです。若者、IT感覚で伝えているのがとっても良いですね。

キリスト教とは?教え・宗派・世界のはじまりを解説【前編】

イエス・キリストとは何者か?33年6ヶ月の生涯【後編】

キリスト教って何?ノンクリスチャンの私が初めて教会に行ってみた

昨日、すばらしい記事に巡り合いました。

キリスト教って何?ノンクリスチャンの私が初めて教会に行ってみた

ノンクリスチャン(クリスチャンではない人)が、教会に足を運んで、素直に感じたこと、勉強して知ったことを書いているものです。クリスチャンから見て、ものすごく爽やかというか、ほとんど「はい、そのとおりです!」と言えるものばかりなので、記事にしてご紹介しようと思いました。

(細かい話をしますと、「生まれながらのクリスチャン」という言葉が出て来ますが、「クリスチャン家庭に生まれた人」ということだと思います。クリスチャンというのは、「キリスト教を信じている人」ということなので、自覚的に、意識して信じることをしていないのであれば、たとえクリスチャン家庭に生まれても、クリスチャンではありません。でも、文意は伝わっています。)

このブログ記事を読まれた方で、まだ教会に足を運んだことがない方も、ぜひ私たちの教会に足を運んでみてください。また、ご自宅から遠い方はぜひメール(info@logos-ministries.org)でご相談ください、探すのをお手伝いします。

教会へようこそ!

次の記事は、キリスト教の紹介)

2017年秋の修養会「教会家族」

今年も恒例の、カルバリーチャペル西東京と合同の、秋の修養会を行ないました。


教会家族 2017年 秋の修養会
(「キリスト教殉教者 記念研修会館」にて)

リンク先に、賛美、証し、メッセージの音声が掲載されています。(私の話した原稿は、こちらです。「②聖さを保つ交わり 」「 礼拝「肉の家族と教会家族」」「④神の家族の再会」)

聖書には、私たち信仰を持つ者たちは、「神の家族」(エペソ2章19節)と呼ばれています。信仰は単なる個人の救いや修養だけでなく、信じた者が共に結び合わされ、教会家族として共に生きていく姿を伝えています。

私たちの教会も、とても良い意味で落ち着きました。今年における大きな恵みは、80歳を超えた姉妹を含め、四人の方が7月にバプテスマを受けられたことです。その内、三人が修養会に参加しました。

そして、カルバリー西東京の兄弟姉妹との交わりも、ずっと前から知り合いであったかのように、初めて会う人々もとても打ち解けて交わっています。私もこの時はとてもゆったりできていて、近くにある温泉も手伝ってか、心がだらりと(?)開いた状態でお話しでき、またお話しを聞くことが出来ています。 続きを読む 2017年秋の修養会「教会家族」

音声や原稿だけでは味合わえない醍醐味

また、互いに勧め合って、愛と善行を促すように注意し合おうではありませんか。ある人々のように、いっしょに集まることをやめたりしないで、かえって励まし合い、かの日が近づいているのを見て、ますますそうしようではありませんか。(ヘブル10:24-25)」

ウェブサイトに、毎回、教会での聖書メッセージを掲載させていただいています。当然と言えば当然ですが、各メッセージの後に、教会では交わりの中で分かち合いをしています。そこで語られるオフレコの会話こそが、語られている内容をどう実際に当てはめるのか、核心的なところに入っています。それは、互いに主にあって仕えている仲だからこそ、その苦楽を共に生きたからこそ、その時に与えられる励ましの言葉であり、かけがえのないものです。

今晩、黙示録13章の後で交わされた内容は、「ここまで権威が否定されて、超個人主義になっている社会で、一気に反キリスト的な全体主義社会に変質することは、いとも簡単になり得る。日本では家の制度が壊れつつある今、キリスト教会にある共同体はとても貴重、光っている。教会は賜物の用いられる場である以上に、互いがキリストに結ばれている神の家族だ。私たちの教会、私たちの群れだけではなく、各地域教会が、反キリスト的な空気が蔓延している今現代、異彩を放っている。」

参考メッセージ:黙示録13章1‐10節」(原稿

それぞれの教会が、豊かにされ、守られ、神の平安の中で前進していきますよう、お祈りします。そして、何らかの理由で教会に行けていない人は、主がふさわしい交わりの場を与えてくださるよう、お祈りいたします。

参考記事:「教会に通っていない方へ

宮城キリシタン探訪

毎年、この時期に仙台の実家に戻るのですが、ずっと気になっていたことを行ないました。それは自分の故郷での切支丹の歴史を辿ることです。だれか案内してくださる方がいないかと思っていたところ、今年二月、N牧師と話している時に、ご自分の奥様がとても詳しいということで、お頼みしました。14年前に信仰をもった両親にも見せたいと思い、両親と、それから車の運転を手伝ってくださったN姉妹と共に、行きました。

仙台キリシタン殉教碑

広瀬川の殉教者(女子パウロ会)


仙台の西公園の端、広瀬川の大橋の横に、この記念碑が立っています。冬の極寒の中、水牢によって殉教した切支丹と伴天連を記念しています。しかし、彼らだけが処刑されたのではなく、ここら辺には裁判所もあったそうで、他にも多くの切支丹が殉教したと言われています。

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キリスト教葬儀セミナー2017

二年前に、カルバリーチャペル西東京と、ロゴス・クリスチャン・フェローシップが合同で、葬儀セミナーを開きましたが、先週末、再び(株)ナザレの西田社長をお招きして、セミナーを開きました。

前回は、「キリスト者が葬儀の場において、どうふるまうべきか」ということに焦点が置かれたが、今回は、「キリスト者でない方が、キリスト教の葬儀とは何かを知っていただく」という目的で行ないました。未信者の方々を強く意識して、それぞれの話者が語らせていただきましたので、ぜひご自分の家族、親族の方にお見せになるとよいと思います。

動画:2017年葬儀セミナー(CC西東京&LCF)

音声:キリスト教葬儀セミナー2017 音声 続きを読む キリスト教葬儀セミナー2017

「共謀罪反対声明」に対する懸念

ここ二・三日のクリスチャン新聞の記事を見ますと、次々とキリスト教の教団や関連団体が、いわゆる「共謀罪」の廃案を求める声明を出していることを取り上げています。その根拠は、「内心の自由」が侵される惧れがあるから、というものです。

ここから少し、難しい話になりますが、逆説的なことを申し上げます。このような反対声明を出すことのほうが、かえって、将来的にキリスト者としての内心の自由を侵していく全体の動きが日本で起こってしまうのではないか?と危惧しております。

動画は、かつての大統領選挙で、民主党内の候補の一人であった、バーニー・サンダース議員による審問です。審問を受けているのは、トランプ政権において行政管理予算局の副所長への候補として、福音派神学校「ホイートン大学」出身のラッセル・ボート氏であります。この大学では、かつて政治学の教授がムスリムとの連帯を公表したため、大学が辞職したとがあり、その時にボート氏は、記事を投稿しました。その中にある一文を、サンダース議員が取り上げます。 続きを読む 「共謀罪反対声明」に対する懸念

核戦争待望とキリスト待望

昨日、私たちの教会の礼拝は、聖書講解でダニエル書9章を読みました。午前と午後の二つの礼拝でそれぞれ前半と後半に分けて、じっくりと学びました。ダニエル書は個人的に、ずっと親しみをもって読んでいき、また何度となく教えて来た書物の一つです。けれども、時代が時代だけにますます真実味をもって読むことができました。

ダニエル書9章1‐19節(原稿 ・ 音声
ダニエル書9章20‐27節(原稿 ・ 音声

そうした学びの準備の中で、以前からとても気になっていた批判がありました。9章にある七十週についての解釈について、それをどのように解釈するのか?という釈義によって議論するのではなく、政治的に利用されていることを殊更に取り上げて、結果的に、自身も政治的になっておられることです。 続きを読む 核戦争待望とキリスト待望

「言葉狩り」という恐怖

オーストラリア人のNeel Kolhatkarというコメディアンが、”Modern Educayshun”という短編映画を動画で流しています。

その題名は「現代の教育」という意味ですが、正しい綴りEducationから、、shun(避ける、遠ざける)という言葉に言い換えることによって、「当たり前のことを言えないように疎外する」という皮肉を込めています。全てのことを平等にすることによって、どれだけ息苦しく、人々の自由や人間性を奪い取るかを風刺しています。

ある方が訳してくださった、大まかな日本語訳を記事下のコメント欄に掲載します。

教会にも見えてくる「言葉狩り」

こんな感じですが、私は、「あれっ?日本のキリスト教界にもありそうな?」と思いました。例えば、らい病を「ツァラアト」を翻訳した根拠が「差別語」だというところに、かなり違和感を抱いていました。新共同訳の、適宜、文脈に即して訳し分けているほうが、はるかに誠実だと思っております。私は今でも、その文言が出ると第二版に基づいて「らい病」と、そのまま読んでいます。 続きを読む 「言葉狩り」という恐怖