信教の自由がたとえなくとも

(フェイスブックの投稿から転載)

 「信教の自由(Religious Liberty)」について、ジョン・マッカーサー牧師が批判している発言について、多くの批判があるというニュースを読みました。私はむしろ、彼の真理に基づく発言に、その勇気と明白性に強い好感を覚えました。

Clip Of Pastor John MacArthur Had Critics Pouncing…Turns Out It Was Edited

神の民は常に少数派

 我々キリスト者は、信教の自由について、神に感謝すべきことだけれども、それに頼るべきではない、ということを知らないといけないと思っていました。聖書には、常に神の民は少数派です。イスラエルの民が、ヤコブの家族から始まり、エジプトでも奴隷となっていました。そこから救い出されましたが、多数派になったのは、ソロモンの治世の時だったでしょうか。しかし、そのまま世的になり、分裂します。 続きを読む 信教の自由がたとえなくとも

自分の生活から近代宗教を切り離す努力

(フェイスブックから転載、加筆もしました)

 とても、的を射た内容の記事でした。

「2050年には大半が無宗教に」信仰心の篤いアメリカで神様を信じない人が増えているワケ宗教を個人の好みとして扱っている

 キリスト教と言えば、西洋の宗教と言われますが、現実は、前世紀、第二次世界大戦後に、巨大なパラダイム・シフトが起こりました。欧米で次第にキリスト教が衰退し、今世紀になってからはその減少が著しいものになっているのに対して、圧倒的に、アフリカ、アジア、中南米、中東にて、キリスト者と教会の数が増えています。(参考記事:「宗教改革五百年:福音宣教のパラダイムシフト」)

 そこで何が西欧諸国にてキリスト教を衰退させているかというと、本記事には、三つ挙げています。

一つ目は、人間主義です。神の意思によるものではなく、すべて人間の理性が優るという考えです。

二つ目に、集団より個人を重視するようになったことです。

三つ目は、人間の努力による進歩するのだという考えです。

 そのために、ついに、人間の内なる信念や願望によって生きる価値観へと変わっていき、副題にあるように、宗教は「個人の好み」の対象となり下がってしまいました。そして、西欧にて信仰の「近代化」が起こっていることを指摘しています。

 日本は、キリスト教文化があるわけでもなく、西欧の国でもないのに、なぜか、教会がその影響をもろに受けているように思われます。 続きを読む 自分の生活から近代宗教を切り離す努力

ワクチンは666の布石!? ~  終わりの日に生きるキリスト者とは?

 カルバリーチャペル国分寺の牧者、知主夫さんが、インターネット情報で悩んでいる、新しくクリスチャンになった人に答えています。

 アメリカの大統領選の不正選挙疑惑の時から反ワクチン情報まで、私も、こうした情報に距離を置きました。マスクやワクチンに関することも同じです。このことで、私のフェイスブックの友達関係も切ってきた方々が何人かいる、ということに気づいていました。

 同じように主イエスが地上に再び来られると信じ、同じように、その前に獣の国が来ると、聖書預言により信じていても、そのように信じている人々の中から、不正選挙疑惑や反ワクチンのことと、その終わりの日の生き方を説いていることに、強い違和感を抱いています。

 理由は、知主夫さんが明確に二つ答えています。 続きを読む ワクチンは666の布石!? ~  終わりの日に生きるキリスト者とは?

AIロボットが、僧侶・神父・ラビに代わりになる?

「黙示 13:15 それから、その獣の像に息を吹き込んで、獣の像がものを言うことさえできるようにし、また、その像を拝まない者たちをみな殺すようにした。

https://youtu.be/3wM2szZT7tk

日本語の記事:神とロボット AIは宗教を変えるのか?

AIロボットが、僧侶、神父、ラビの代わりになっているというニュースです。前から懸念されていたことですが、コロナ禍において、対面が制限される中で、この技術の開発と試用が進んだようです。

人と人のつながり、肉体を持っていくことの必要、これを鬱陶しいと思うことはあると思います。けれども、それを除いたらどんな世界が広がるか?肉体のない、魂のない理性だけの存在、それがまさに反キリストです。そして終わりの日には、この、理性、頭でっかちの存在が、世界を全体主義で支配するようになります。

私たちの主キリストは、肉体を持って人々の間に住まわれました。ここに、まことのいのちがあるのです。

参考ブログ記事:「ネット礼拝の神学的側面:受肉・聖礼典・グノーシス

教会での負の経験

 多かれ少なかれ、多くのクリスチャンは「それぞれに負の経験があって、それへの反発がある。」のかもしれません。

 例を出せば、献金を過度に強調された教会生活を強いられた人は、献金についての教えを語られた時点で、「献金は律法ではない」という強い反応をしてしまいます。振り子が大きく振れてしまうと、元に戻そうとする反発があります。

 そこで思わされるのは、「神の恵み」です。「あなたがこれをしていないから、こうなっているのだ。」「これをしさえすれば、状況は良くなる。」というメッセージを、どんな話題にしろ受け取ってしまった時に、右から左、また左から右に揺れ動いてしまうのでしょう。

 そうではなく、「神がこれほどのことをしておられる。主は、あなたを呼んでおられる。」という、一方的な、強制ではない、神の呼びかけに応える時に、献身、献金、その他、犠牲を払うということが健全にできるのだと思います。

「Ⅰコリ15:10 ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは無駄にはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。働いたのは私ではなく、私とともにあった神の恵みなのですが。

「大航海時代の日本人奴隷-増補新版」

 キリシタン史に詳しい方が、日本人奴隷についてこの本がいいと薦めているコメントを読んだので、図書館で借りて手にしました。

キリシタン史への私の興味

 これまでキリシタン史については、とても興味を持って触れてきました。戦国時代から江戸時代にかけての昔のことであっても、本当に今の宣教について、多くのことを知ることができます。そして迫害史も知ることができます。日本での最大の迫害であるし、世界の教会史においても際立っていると聞いたことがあります。

 しかし、時の為政者がキリシタンを迫害したのは、宣教師の派遣国が日本を宣教師を通して植民地化しようとしているという見方を多く耳にしました。これは、大航海時代以後、キリスト教宣教と、帝国主義的な国の思惑から決して無縁ではないという、とても難しい問題であると感じています。

宣教と奴隷制度の関わり

 中でも、秀吉が伴天連追放令を出したのは、ポルトガル人が日本人を奴隷貿易にしているということを知り、それに激怒していたからだという見方も読みました。果たして、歴史的事実はどうだったのか?というのが、私の大きな疑問であり関心事でした。

 それで出会ったのが本書です。そのまま真っ直ぐに、「大航海時代の日本人奴隷」の歴史を、第一史料から取り扱っています。そして、「増補新版」がとても大切です。「補章」として「イエズス会と奴隷貿易」が追加されており、まさしく、これが宣教師たちが奴隷貿易に関わっていたことに触れている内容だからです。 続きを読む 「大航海時代の日本人奴隷-増補新版」

米国福音派教会から見る、分裂、背教の時代

 僕は米国の教会で育てられ、今も深い関係を持ち、そこが霊的故郷だと思っています。そこには、一人ひとりの兄弟が、御言葉を大事にし、そこから霊の糧を得て生きている姿を見ます。その純粋な姿に倣っていきたいし、受け継いでいきたいと願っています。

 それと同時に、余計なこともあります。これは日本の教会も例外ではなく、米国に限ったことではないのですが、米国の福音派の教会にある悪い傾向を日本に持ち込んでいるという意味で、深刻です。イエス・キリストに対する信仰の一致において一つになっているのに、意見の違い、見方の違いをまるで異端であるかのところまで引き上げ、分裂していく問題です。

 米国の場合は、西欧の思考、思想にある、二元論的な考え方、理念的なところでの分裂と言っていいでしょう、日本の場合は、自分の立場や他者の目が気になるような自己保身から来ている分裂、自分に不安があるために他者を排除するような分裂、村社会的な分裂です。

 米国のほうでは、分裂の次に見えてくる、終わりの兆しがあります。 続きを読む 米国福音派教会から見る、分裂、背教の時代

コロナ流行中に広がる「世界の賛美」

 コロナ流行によって、互いに国々を行き来できなくなり、あたかも私たちが分断されたかのような痛く、辛い思いをしています。けれども、逆行するように、これまでなかったつながりも、できているかもしれません。

 昨日、イエス様が十字架に磔になっている時、その罪状書きが三つの言語で書かれていたことを指摘しました。

ヘブル語、ラテン語、ギリシア語に書かれていることがあります。これは、ローマのこの地域がいかに重層的になっているか、物語っています。まず、ユダヤ人の間ではヘブル語が使われていました。あるいは会話では、アラム語が使われていたと言われます。ユダヤ人の王として死なれたのですから、これは理解できますね。ラテン語は何でしょうか?ローマの公用言語です。公式には、ラテン語がローマの言語でした。しかし、一般の人々はローマ帝国においてギリシア語を使用していたのです。なぜ、ローマなのにギリシア語なのか?ローマ帝国の前は、長いことギリシア帝国が支配していました。その時に、ギリシアの文化や言語が深く浸透して、ローマに支配が移ってからも、人々はそのままギリシア語を使い続けたのです。

ここの意味しているところは、隅々まで、どの民族でも、どの言語でも、「ユダヤ人の王、ナザレ人イエス」が伝えられたということです。ヘブル語では、ユダヤ人の間で。ラテン語は、ローマ帝国の中で。そしてギリシア語は、その時代の全ての人々に対して、ということです。天において、教会がイエス様に向かって賛美しました。「黙5:9あなたは屠られて、すべての部族、言語、民族、国民の中から、あなたの血によって人々を神のために贖い」
ヨハネ19章後半「完了した御業」から)

 ほぼ単一民族、単一言語(注:厳密には少数民族がいます、北海道のアイヌと沖縄の琉球です)で長い歴史を持つ日本にいると、主がどうして、「すべての部族、言語、民族、国民」と強調されているか分からないかもしれません。けれども、天に教会が引き上げられたら、このような姿になっており、神の国でもこのような姿になっています。 続きを読む コロナ流行中に広がる「世界の賛美」

政治運動ではなく、切実な黒人の訴えに耳を傾けよう

(6月15日にフェイスブックに投稿)

 ずっとアメリカでの黒人差別抗議運動を見て、タイムラインでもそれに関する投稿をしていましたが、実は英文で多く行っていました。特に、カルバリーチャペルの黒人の牧師で、トニー・クラーク(Tony Clark)さんへのインタビューで、何が問題なのかが分かってきました。

 それを一言でいうなら、「命の危険も感じる経験、トラウマ」と言ってもいいと思います。あるいは犯罪人のように見られる目と言ってもいいです。警察に止められたら、「なんか、免許見せないといけないのかな?」というものでは、ありません。警官が、近くで小競り合いなどの事件が起こっているという報告を受けて、疑わしき人(皮膚の色でプロファイリングしているようです)を見つけ、銃を所持していることも想定して、ほとんど「従わなかったら、撃つぞ」的な拘束をしてきます。

 確かに「差別なんかない」とまで言い切る黒人の人たちも少しいるけれども、それは、社会制度的に、黒人を例えば雇用で差別するとか、そういったことは全くないという意味で使っています。事実、ないです。 続きを読む 政治運動ではなく、切実な黒人の訴えに耳を傾けよう

キリスト以外のアイデンティティー

ヘブル文化を知らないと、聖書を理解できない?

 「ヘブル的解釈」を軸に教会の中で運動をしている人々がいます。その運動体の中にいる人々全員がそうだということではなく、一定の距離を置いて、聖書理解の助けとして活用している方々が多くいます。その一方で、深く関わっていて人々の間には、数多くの問題を教会に起こしています。一言でいうと、「分派」です。

 私の友人の牧師が、以下のように理解しています。

日本の多くの教会が聖書のいうイスラエルを単にクリスチャンと置き換えた『置換神学』となってしまい、時間軸を忘れて、いつしか聖書の教えが道徳や理念のように受け取られる間違いを打破しようとして、既存の教会に通う信徒たちに聖書が言うイスラエルを教えた。

当然彼らが毎週彼らの所属する教会で聞く聖書のメッセージとは異なる。日本のクリスチャンを、日本の教会を内側から変えないと本当の福音宣教はないという理念で、既存の『置換神学』打破のために「ヘブル的聖書解釈」という視点を強調し、今度その「ヘブル的聖書解釈」がアイデンティティになった。

① 既存の教会内に『こっちがホントウだ』という分派を作った。
② 知識を得たクリスチャンが勘違いした。1コリント8:1
③ 既存の教会内に分派ができることを正当化するために、地域教会ではなく「普遍教会」こそが本来の教会だと言って地域教会軽視が生まれた。
https://twitter.com/Santou/status/1263304675551399947

 「分派」は、肉の行いであり(ガラテヤ5:20)、除名しなければいけない罪として数えられています(テトス3:10)。パウロは、分裂をもたらす者に警戒しなさい、遠ざかりなさいと教えました(ローマ16:17)。 続きを読む キリスト以外のアイデンティティー