ネタニヤフ首相の米議会演説

続けて、ネタニヤフ首相の米議会演説の話題です。ネタニヤフ氏の米議会演説を先ほど、すべて観ました。

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今、日本語のニュースサイトでこの演説の内容を調べてみると、「強硬姿勢崩さず」という言葉が多く出てきましたが、私は、clarityという言葉を思いました。つまり「明快さ」です。

私が印象に残っている点を書き記します。

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イスラエルは、中東の内で初めから民主主義と自由を固持してきました。米国が唯一、中東において民主主義と自由を輸出しなくても良い国です。北アフリカと中東の中にあるアラブ人の民主化運動は、彼らに同じ自由を享受する権利を示しているが、イスラエル系アラブ人はその自由を何十年も持っていました。

米議会は拍手と起立の渦に巻き込まれていましたが、一人の女性が抗議の声を挙げ、少し中断しましたが、ネタニヤフ氏は、「これこそ自由の印であり、反対表明を言えるのだ。」と歓迎する態度を示しました。これを現在の中東で行なうと、実力行使で押し潰されるのは、見ての通りです。

そして、かつても民主化の動きがかき消されてしまった歴史を思い出す必要があります。1979年のイラン革命、レバノンのヒズボラの台頭がその一つです。

イランの核兵器開発は長いこと行なわれていますが、2003年に一時期とまった時があり、同じ時期にカダフィもあきらめています。それは、あらゆる手段を辞さない姿勢を示したからであり、私たち、特に六百万人の同胞を失ったイスラエルは自衛権を有しています。

イスラエルは平和を渇望しています。エジプトとヨルダンとの平和条約が、それが結ばれる前の戦いを考えると、どれだけ貴重であるかをよく知っている。今はパレスチナ人との和平を望んでいます。その為には、痛みを通らなければいけません。ユダヤ人の郷土である「ユダヤ・サマリヤ地方」の一部を放棄しなければいけません。イスラエルは、その地域において外国の占領者ではなく、古来からイスラエル人の土地でした。アブラハム、ダビデ、イザヤ等、歴史の歪曲があってはなりません。

パレスチナ人も、その尊厳と主権と、経済的繁栄を享受する権利があります。それ故、パレスチナ国家が存在すべきです。事実、ここ二年間、私たちが検問所を取り外し、パレスチナの経済は10パーセントの成長を遂げました。

オスロ合意以降、歴代のイスラエル首相が、ネタニヤフ氏も含め、パレスチナ国家を推奨してきました。ところが頓挫します。その理由は明快で、「パレスチナが、その国家を認めないこと」にあります。その国家が、「ユダヤ人国家との共存」を意味することにおいてです。イスラエル・パレスチナ紛争の本質は、パレスチナ人の国家が存在できるかどうか、ではなく、ユダヤ人国家の承認でありました。47年の国連決議で、ユダヤ人の地とアラブ人の地の割譲案に対して、ユダヤ側は承認、アラブ側が拒否しました。オスロ合意以降の首相は、六日戦争でイスラエルが確保した領土のほとんどを譲歩したにも関わらず、拒みました。残念なことですが、パレスチナは子供たちにイスラエルを憎むように教育しています。

私にとって、「パレスチナ国家を承認します」というのが痛いことであるのと同じように、私はアッバス議長にも同じ痛みをしてほしいです、「ユダヤ人国家を認めます」と。

国境線引きは、実際の人口の推移を踏まえなければいけません。すでに67年以降の領土において65万のイスラエル人が住んでいます。そしてエルサレムとその近郊にも既に数多く住んでおり、その現実を踏まえなければいけません。入植地は交渉の場で決着すべきでしょう。ある入植地はイスラエル国家の領域外になってしまうかもしれません。けれども、67年以前の境界線に戻れば、イスラエルの防衛が不能状態に陥ってしまいます。

そしてパレスチナ国家が認められれば、当然ながらパレスチナ難民はその国家内に移動すべきです。ユダヤ人国家は、離散のユダヤ人と難民になったユダヤ人を吸収しました。

そして、交渉の相手は、イスラエルとの和平を望んでいる人々でなければいけません。ハマスは、その憲章でイスラエル懺滅を唱えているばかりでなく、ユダヤ人を殺せと提唱しているのです。ハマスは、パレスチナのアルカイダ版です。

そしてエルサレムは、イスラエルの主権下にあったときにだけ、三つの宗教(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教)の自由が保持されました。エルサレムは分割してはなりません、イスラエルの首都であり続けるべきです。
(参照: イスラエル外務省の原稿の起こし
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本当に原則的な話ばかりで、難しいことは話していません。実に、「民主主義」「自由」「安全保障」を大事にした演説です。彼は非常に流暢な英語で、米議会の人々を拍手の渦に導きました。これほど友好関係を築いている二国があるものか、と感心します。

彼が話したことは、私が日頃感じていることのほとんどであり、至極当たり前だと思っていることです。けれども、聖書を信じる立場として、ジョエル・ローゼンバーグ氏は、「神の土地の割譲」と「米国への依存」においてその間違いを指摘し、イスラエルが神に立ち返ることによってのみ平和は可能であることを述べています。

けれども、私はネタニヤフ氏の「パレスチナ国家案」には驚いていません。イスラエルは、その建国当時からアラブ人との共存、二国家、二民族の立場を有しており、戦争をしても、すぐに交渉の席に着き、譲歩をしてきた歴史を読んだので、その延長線上にあると思っているからです。エルサレムをヨルダンから奪還した時も、神殿の丘の管轄をダヤン国防大臣はすぐにイスラム宗教局に譲渡してしまいました。

しかし、何かにつけてパレスチナはイスラエルの譲歩がある度にかえって態度を硬化、そして暴力手段に訴えます。そのため、イスラエルが応戦します。その結果、管理地あるいは領土が拡がります。この繰り返しでした。私は、イスラエル人当人がパレスチナ人へ土地を譲渡する姿勢があっても、神ご自身がその主権の中で、ご自分の地を守られていると感じています。

(さらに、私は戦争が起こるのを望みません。ネタニヤフ氏の原則を曲げない姿勢より、かえって、大きな譲歩を申し出た首相の時のほうが、流血が増えています。そういった意味で、二国家を提案しつつ、さまざまな条件を付ける彼の手法は非常に賢いと思います。)

さらに、パレスチナ自治政府が、周囲のアラブ諸国で起こっている民主化の痛みを通らなければいけません。デモが起こった時に、今の指導層は許すでしょうか?イスラエルは、イスラエルの国を否定する人々の意見の表明までを許していますが、パレスチナ自治政府は、イスラエル国への支持をパレスチナ人自身が発言するのを許すでしょうか?

この点で私はネタニヤフ氏の提案に無理があると思います。自治区内に、真の民主化運動が起こり、激変が起こらない限り、真実な和平相手になることは決してないと思います。一般の人々に民主的思想が根付いてこそ始めての「国家」です。

そして最後に、自治区はもちろんのこと、イスラエル国内でさえその宣教が制限されている点においては、見逃されています。イスラエル国家自体は世俗民主主義なので、信仰の自由がキリスト者にも与えられていることはネタニヤフ首相の言っている通りです。彼は特に、福音派キリスト者に対しては他の指導者以上に寛容です。

けれども、実際は建国当初からユダヤ教正統派を政府の中枢に取り入れているため、さまざまな弊害が国内で起こっています。キリスト者の宣教活動については、そうした人々による反宣教監視活動が繰り広げられているのです。もちろんそれで神の働きが起こっていないということではありません。その制限の中で、福音の戸が開かれています。

(後記)こちらに28歳の時のネタニヤフ氏の討論映像があります。もう33年を経ているのに、彼の基本姿勢は変わっていません。そして論理的・雄弁であり、討論相手に対して紳士的であることも変わっていませんね。

イスラエルが67年の境界線から撤退できない訳

こんにちは!今、仙台から新幹線で戻ってきました。月曜日の夕方に出発した短い旅行でしたが、下の記事に書きましたとおり、カルバリーチャペルが救援旅行の拠点となる住居を探すのが目的でした。けれども、主が良い所を備えてくださって夕方には時間が空いたので、東松島の避難所にも訪問しました。これまで牧師の四人衆(トラビス、リッチ、山東さん、私)が訪問していましたが、全員が集合したのは今回が初めてでした。

話は変わり、オバマ大統領がイスラエルが六日戦争以前のアラブ側との境界線に戻らなければいけないという呼びかけを行ったところ、ネタニヤフ首相が拒否したニュースはご存知だと思います。

イスラエル首相、米議会演説で「67年境界線」拒否を強調

オバマ大統領との会見後に、ネタニヤフ氏が自分の立場をオバマ氏に説明している会見をYoutubeで見ましたが、彼の主張は至極もっともで、かつ謙遜で、大統領への敬意も表れていました。

聖書的に厳密に話しますと、もちろん、イスラエルはまことの主なる神に立ち返らない限り平和はないし、神の土地の分割を意味する(ヨエル3:2)パレスチナ国家案も彼は譲歩しています。(ジョエル・ローゼンバーグ氏がこのことを指摘しています。)

しかしながら、私は個人的には、1)パレスチナ側がネタニヤフ氏の条件を飲むことは決してない。2)むしろ態度を硬化する。3)そのためイスラエルは分割案にて譲歩するどころか、その安全保障においてパレスチナを管理することになる(つまり現状維持)・・・になると思います。敵の態度の硬化でさえも、神は用いられたご自分の土地を守られていると私は感じます。

前置きが長くなりましたが、イスラエルが六日戦争以前のアラブ側との境界線に戻れない理由を、映像によって上手に説明しているYoutube動画がありました。

このCG映像を見ますと、軍事面における地勢の大切さが分かるだけではなく、イスラエルの地形を立体的に把握できるので、聖書地図理解に役立つと思います。イスラエル地図を平面図で見るだけでは、実は理解できません。ヨルダン渓谷やユダヤ・サマリヤ山地などの起伏の理解がとても大事です。さらに映像では道路の動脈についても説明しています。これもイスラエルが二つの文明(メソポタミアとエジプト)に挟まれた国際幹線道路が聖書時代から走っており、道路の重要性も忘れられません。

このごろ思うのですが、「災害や戦争における神の働き」を感じています。なぜ今回の地震・津波災害で、こんなにも神の御手を感じることができるのか、信仰によって見えてくる世界がなぜこうも広いのか、と感動している時に、自衛隊や米軍の災害支援活動も目立っていることに気づきました。戦時における態勢はそのまま自然災害に適用できるからです。そして改めて聖書を見ますと、戦争の時に主が共におられる歴史を何度も読みます。戦争を知らない世代に私は生きてきたので(団塊世代よりはずっと若いです!)、ここのところが実感できなかったのですが、このごろ立体感をもって、聖書理解と神理解ができるようになりました。

Arabic Vs. Hebrew(アラブ語 対 ヘブル語)

面白いYoutube Videoを見つけました。

このお二人さんは姉妹のようで、左後ろにいる人は主にアラブ語の先生のようです。アラブ語とヘブル語がどれだけ似ているかを面白く説明してくれています。どちらもセム系の言語ですから、とても似ています。(セムと言ったら、ノアの息子の一人ですね。アラブ人は、イシュマエルを父祖としていますから、イサクを父祖とするユダヤ人の言葉と似ているのは当然のことです。)

この若い先生のサイトをちょっとサーフィングしてみましたが、アラブ系イスラエル人のようです。民族的にはアラブ人ですがイスラエルの国籍を持っているため、学校でもアラブ語と同じぐらいの比重でヘブライ語を習ったのでしょうし、イスラエルにいるので使う機会が非常に多いのでしょう。

そして興味深いのは、イスラム教徒女性のしている頭の覆いはしていません。アラブ系イスラエル人の多くはキリスト教の文化圏の中にいる人たちが多いです(あと女性も高学歴だとも聞いています)。だから最近のこの先生のYoutubeビデオでは、イースターの卵の作り方の説明が載っています。

パレスチナ自治区の首都であるラマラのビデオもあったりして、去年のイスラエル旅行の時に少しだけ訪ねたラマラを思い出しました。

文化と民族、国が交差する中で生きている人々の姿を見るのは興味深いです。彼らは彼らなりの問題、特にアイデンティティーの問題はあるでしょうが、同時に、いろいろな文化、習慣、言語、国を綱渡りできる利点を持っているような気がします。

この時期に忘れてはいけない中東

一つ、ブログ記事をご紹介します。

「今、中東で何が起こっているのか」

中川健一師のエジプトの民主革命についての評論です。ぜひご一読を。私が同感だったのは、この言葉です。

さて、東日本大震災(3/11)以降、私たちの関心は被災地と原発事故のその後の状況に向けられてきた。いわば、今日に至るまでのおよそひと月間、「海外情報の空白期間」が生じているのである(本稿を4/15に執筆している)。久しぶりに中東情勢に目を転じてみると、余りの変化に仰天せざるを得ない。かつて10年かかったことが、たったひと月、あるいは数日で起こってしまう。これが今の中東情勢である。

東日本大震災は、空襲、原爆投下、敗戦という歴史的転換を余儀なくされた出来事に匹敵するぐらいの、現在進行中の大きな出来事です。したがって、多くの関心と祈りが注ぎ込まれてしかるべきですが、かつて日本が通ったところを繰り返してはならないと思います。

日本が終戦した1945年の3年後にイスラエル国が成立しました。それは、中東において十数世紀以来の大きな出来事、聖書預言的に極めて重要な出来事であり、まさに激変です。ところが、日本自身はその戦争の加担者であり、その戦後処理の真っ最中だったため「空白期間」になってしましました。

そのため、イスラエルを取り囲む中東情勢において、最も基本的な共通認識において日本は欠けて出発し、ハンディを負っています。

同じように、今、中東で激変が起こっています。日本の復興も大事ですが、世界情勢の枠組みの中での日本をわきまえ、その視野での復興を願うばかりです。

後記:ちょうどタイムリーに、NHK BS1番組で中東の民衆革命の特集番組のお知らせを見ました。

Project Wisdom(プロジェクト ウィズダム)

中東革命2回シリーズ
第一回 5月1日 20:00-21:50 チュニジア
第二回 5月8日 20:00-21:50 エジプト

サマリヤの入植地にて残虐殺人事件

私たちが大地震を経験した先週の金曜日に、イスラエルを激しく怒らせた一つの事件が起こりました。

Fogel family identified as victims of Itamar terror attack
(フォゲル家が、イタマルのテロ攻撃被害者であることが判明)

パレスチナ人が、夜に、子供を含めて五人をずたずたに切り裂き逃走しました。

イタマルとはサマリヤ山地にあるユダヤ人入植地で、ナブルス近郊にあります。私が2010年のイスラエル・ヨルダン旅行でご紹介したように、5月末に私はヘブロンとナブルスの旅行を決行しました。インターネットの情報とは裏腹に、検問所は非常に緩く、むろん不便は強いられていますが、パレスチナの人々も平穏で、笑顔が出ていました。そして議長府のあるラマラは、繁栄しているように見えました。

その後、イスラエルのネタニヤフ首相は訪米し、ぎくしゃくしていたイスラエル・米国関係の親善アピールをしていました。彼が、「私はいつでもパレスチナとの交渉の席に着く用意をしている。ラマラは道が混雑していなければ、エルサレムから10分以内で着くところだ。なのに一度もアッバス議長に会えていないのは実に残念だ。私が首相になってから、検問所は緩くし、パレスチナの経済支援を行なってきた。」という内容を話していました。それは、私が実際経験したことだったので、まったくその通りだと思っていたのです。

私も怒りが込みあがってきます。常にパレスチナ人がイスラエルから虐げられているされているという非難を世間はしていますが、イスラエル人も自治区を通ることができず、非常に不便していることを伝えていないこと。そして、イスラエルはいつでも、テロさえなければ検問所を次の日でも無くし、またパレスチナが経済的に繁栄することを全面的に支援していることなどは報道されていないからです。私は、アッバス議長が、アラブ連盟に対して依然と対イスラエル闘争路線を言及しているのを聞いて、その破壊的、憎悪的姿勢に唖然となりました。

そして、今回の事件です。ネタニヤフ氏は、「入植地に家を一つ建設すると、何カ国かは即座に非難するのに、幼子が残虐な死を遂げたのに、それらの国は何ら反応していない。」全くその通りです、この明らかな悪意に満ちた二重基準は、以前、このブログでご紹介した「ケース・フォー・イスラエル」でも説明されています。

今は日本の大地震で、この事件は完全に葬られていますが(おそらく平時でも葬られていたことでしょう)、イスラエルが再び強硬な姿勢でパレスチナに臨むだろう部分だけが取りざたにされ、再びイスラエルは非難を受けることでしょう。

見よ。わたしはエルサレムを、その回りのすべての国々の民をよろめかす杯とする。(ゼカリヤ14:2)

私たちは、今も地震の揺れでよろめいていますが(イザヤ24:19-20参照)、反イスラエルの姿勢によっても神からの酔いの杯を受け取るのです。

参照サイト:
Wikipedia “Itamar killings”
フォゲル家の惨殺写真(かなり残虐です、心の用意のない方は絶対に観ないでください。)

聖書の「リビア」

北アフリカと中東における反体制運動で、エジプトの次に大変なことになっているのがリビアです。私たちキリスト者が忘れてはならないのは、「北アフリカと中東」は古代から聖書の舞台だったこということです。したがって、今起こっていることは決して私たちの信仰とは無縁ではなく、むしろ、神がご自分の預言の中で前もって語られていることへ向かう、一つの場面であることを知る必要があります。

エジプトについては、すでにイザヤ書19章を始めとする神の預言によってその行く末を見ましたが、リビアについても神は黙っておられませんでした。

一つに、リビアを神が福音をもって愛されたという事実です。使徒2章10節に「エジプトとクレネに近いリビヤ地方などに住む者たち」とあります。クレネは一般に「キュレネ」と呼ばれている世界遺産のある町であり、ギリシヤ・ローマ時代に栄えたところでした。ここに当時、離散ユダヤ人の住民がおり、五旬節にエルサレムに上ってきたさい、聖霊降臨の場面を目撃して、ペテロの説教によって悔い改めました。

実は聖霊が降られる前に、目の前で主ご自身を見た人がいます。そう、イエス様の十字架を担いだのはクレネ人シモンです(マルコ15:21)。

そして使徒行伝には、驚くべき記述があります。ユダヤ人ではなく異邦人にも福音を宣べ伝えた無名の兄弟たちの中に、クレネ人がいるのです(11:20)。彼らの働きによって、信者たちの間に神は異邦人にも目を向けてくださっているのだと悟り始めました。

そしてアンテオケの教会で、指導者としてバルナバとサウロ(パウロ)に手を置いて宣教に送り出した一人は「クレネ人ルキオ(13:1)」でした。

もう一つは、リビアはノアから分かれ出た諸国民のうち、ハムの子孫の一つとして数えられていることです。ハムの息子に「プテ(創世10:6)」がいます。「ユダヤ戦記」「ユダヤ古代誌」を執筆したヨセフスはプテをリビアだとしています。ここで創世記10章にある民族分布図を見てみましょう。


(http://www.freemaninstitute.com/より)

そして今回、反政府デモが起こっている地域を見てください。

とても似ていますね?神がこの地域に今、何かをされていることは間違いありません。

そして次に、リビアはエゼキエル38章における「ゴグとマゴグの戦い」に参与する国として登場します。

ペルシヤとクシュとプテも彼らとともにおり、みな盾とかぶとを着けている。(5節)

ペルシヤはもちろんイランのこと、そしてクシュはエチオピアとスーダンを合わせた部分です。最近、スーダンで選挙が行なわれ南部の独立が決まりましたが、そこも非常に不安定な地域です。

それで、ゴグとマゴグの戦いの地図も見てみましょう。


(http://eindtijdinbeeld.nl/より)

いかがでしょうか?これも、今、反政府デモが起こっている地域と似ています。

そして最後に、リビアは反キリストが攻め入ってくる国々の一つです。

彼(反キリスト)は金銀の秘蔵物と、エジプトのすべての宝物を手に入れ、ルブ人とクシュ人が彼につき従う。(ダニエル11章43節)

ここの「ルブ」はリビアのことです。

したがって、これからの情勢は、ゴグとマゴグの戦いにあるように、一気にこの地域が反イスラエルに傾き、おそらくはイスラムによって固められるでしょう。(そうでないことを願います。モサブ氏はブログで、イスラムから人々が去っていくだろうと話しています。)

(以上、参考記事があります。BIBLE PROPHECY AND THE FUTURE OF LIBYA

今、イスラムの終末論についての本を読んでいます。彼らが待望しているイスラム版メシヤである「マーディ」と「反キリスト」が酷似していることを論じている本です。

http://www.joelstrumpet.com/

後日紹介しますが、ユダヤ教とキリスト教を借りた新興宗教のようにして出現したイスラム教は、実は、終わりの日の絵図にしっかりと組み込まれていることを思います。

万物の終わりが近づきました。ですから、祈りのために、心を整え身を慎みなさい。何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。(1ペテロ4:7-8)」

私の人間理解

(これは前投稿の続きです)

なぜ、このようにムスリム同胞団を穏健と見るのか、あるいは過激で危険であるのか見方が変わるのは、その情報の差異ではなく、各人の人間理解に基づくものです。穏健と見る人々は、「人間は、社会進歩のために努力する善を持っている。」という前提があります。けれども私は、エレミヤ書17章9節にあるように「人の心は何よりも陰険で、それは直らない。だれが、それを知ることができよう。」という理解です。

しばしば、性善説と性悪説という対立図で日本人の人は語り、キリスト教は性悪説として括りますが、そういう次元の問題ではありません。性悪説の人たちは極悪人に対する死刑賛成であるとか、常に「自分」以外の他人に向けて語っている。けれども、そのような性質の議論ではなく、「社会的に良さそうに見える人であっても、とてつもない邪悪な性質を持っており、実はこの私がこの性質を持っているのだ。」という、自分が神の前で罪人であるという理解から来ています。

だから、神の憐れみと恵みなしには私の存在は滅ぼし尽くされるのであり、ゆえに神のみ自分を委ね、この世界も神によって支配されているのだ、という理解に至ります。かつて、中期に社会運動に傾いたキリスト者内村鑑三も、後年、この真理に気づき、キリストの再臨の希望に身を投じました。

下の本には、アメリカのリベラリズムと保守主義の対比を上手に行なっています。

アメリカ保守革命 中岡望 著 (中公新書)

リベラリズムと保守主義の対比の表
              (リベラル   保守主義)
重要な存在          人間    神
道徳的な重要性       社会    個人
人間にとっての重要性   権利    責任
悪の起源    不正な社会システム 原罪

私はもちろん後者の考えで、そのような見方で人々や日本、そして世界を見ています。

かなり前に一般の掲示板で、天皇について少し否定的な意見を述べました。それは「天皇は神ではない。私は人としての王を認める」というごく当たり前のことですが、その板が炎上してしまいました。猛烈な批判と非難を受けたのです。その管理人が私がキリスト者であることを知っておられたので、こう説明されました。

「天皇制は、単に王の機能を果たしているだけでなく、日本人の仏教と神道の宗教心の根ざしている問題である。イスラム教徒の前でコーランを破るのと同じことです。」

なるほど!と思いました。一般の日本の人は、普段はご自分のことを「無宗教」と言います。けれども自分の根底に流れている信仰心やイデオロギーがあることには、他の文化や価値観に触れていないので気づいていません。私は、人間はもともと思想的あるいは宗教的な存在であると思います。

ローマ人への手紙1章後半には、人は創造にある神を認めず、感謝しないので、知者であると言いながら思いを空しくして、創造主を偶像の神々に取り替えているという言葉があります。これが私の人間理解で、全ての人が何らかの神を宿している、というものです。

しばしば「キリスト教などの唯一神信仰は厳しく排他的であり、多神教の優しさが欲しい」と言われます。そしてキリスト教の名の付く戦争を取り上げますが、実は数十年前に“神道の大祭司”である天皇の名を叫びながら、何十万人、何百万人の人々を死に追いやった、紛れもない宗教戦争であったことには気づいておられません。

自爆テロをしているアラブ人たちが、自宅に貼っているポスターが、あの「神風特攻隊」であることをご存知でしょうか?

そして、私は海外にいる若者たちに、しばしば「年末と年始の一週間で三つの宗教を信じる」ことを話します。そうすると皆が笑います。他の人々にはそのような不可能に思えるようなことが、日本人は無意識に、キリスト教も仏教も、神道的な多神教信仰の中に包括して取り入れてしまっているからであり、決して寛容だからではありません。

私はこれを「神道原理主義」「あるいはアニミズム原理主義」と呼んでもいいかもしれません。深層意識の中に神道の原理を宿しているからです。

ですから、日本の人たちがキリスト者になることは大きな決断が必要です。自分の根幹に関わる大きな変化を受け入れることに他ならないからです。けれども、可能なのです!神の恵みと御霊の働かれるところには、神の慈しみ深さが満ちます。その中で私たちは、悔い改めを行なうことができます。

以上、日本の宗教事情を書いたのは、この国民も、今世界で起こっていることの大きな濁流の中にいるのだ、ということを述べたかったからです。イスラムやキリスト教会で起こっていることは、決して私たちと無縁なことではありません。

エジプト軍最高評議会下のエジプト

先週の恵比寿バイブルスタディの中で、今のエジプトの聖書的意義についての質問を受けました。「キリスト者が考えるべき「エジプト」 - ②聖書預言」の中の内容をかいつまんでお話ししましたが、一人の姉妹が「中東で起こっていることが、これほど日本人にも関わっていると感じることはありませんでした。」と仰っていました。

Six Days of War(戦争の六日間) 」など中東戦争史の記事で言及しましたが、エジプトは四つの中東戦争においてすべて関わった国であり、その全てにおいて指揮的な役割を話してきました。その中東全域に影響力を持つエジプトが、第四次のヨム・キプール戦争によって、当時のエジプト大統領サダトがイスラエルとの和平に大きく舵取りを行ない、イスラエルはそれ以降、国と国との戦争をせずにいられるようになり、中東全域に安定をもたらしました。

そして、その路線を踏襲し、その後、イランのイスラム革命(79年)によって顕在したイスラム主義と対抗し強権的にその分子をつぶしていったのがムバラク大統領です。

かつサダト大統領は社会主義者であったカリスマ的指導者ナセルの親ソ連の外交姿勢を大幅に変え、アメリカに機軸を移しました。経済制度において自由経済制を導入し、ムバラクもそれを推進しました。ですから、経済成長の指標においてはエジプトは好調であるように見える一方、貧富の差があまりにも大きくなってしまったので、今回のデモの一因になりました。

このようにムバラク氏の中東における役割があまりにも大きかったため、彼がいなくなった今、単純に「独裁制からの民主化」という構図で簡単に語れない、新たな不穏の動きを醸し出しています。

前の「エジプトの騒乱 - 危険な振り子」の記事に「ムスリム同胞団」の存在を書きました。「キリスト者が考えるべき「エジプト」 - ①情勢分析」で、ある牧師さんのまとめられた要点の三つ目にこう書いてあります。

その反政府デモを支持しているグループの一つに、イスラム原理主義の立場を堅守し、もし政権を取るならばイスラエルとの平和条約を破棄すると言明している「ムスリム同胞団」が加わっている。 もしその通りになれば中東のパワーバランスは一気に変化し、イスラエルは窮地に立たされ、アメリカの中東政策は崩壊する。

この懸念に対して、私がある書き込みのところで言及したら、「ムスリム同胞団は過激派ではない。彼らに一度、政権を取らせて、その民主化のプロセスをやらせてみるべきだ。もし民主化の方向に向かなければエジプト国民が彼らを引きおろすであろう。」という返事が、おそらくヨーロッパの人であろう人から返ってきました。

果たしてそうなのでしょうか?日本語によるこの団体を説明している記事においても、この団体を「イスラーム的な文化・伝統を重視する民主主義を前提とした穏健保守政党」と位置づけています。

ムスリム同胞団は何を目指しているのか?その方針と政策のまとめ

そして米国政府もこの見方によってムバラク後のエジプトを歓迎しました。

ところが、さっそく不穏な動きが出ています。

Military opens Tahrir Sq. for Islamic radical to preach jihad
(軍は、タフリール広場を、イスラムの過激派のジハード説く場とした)

ここに、エジプトから追放されていた「アル・カラダウィ」という、ムスリム同胞団の人気説教者が

アル・アクサ(神殿の丘)の征服
「同胞ハマス」の為、エジプト-ガザ地区境界を啓開
イスラエルとの79年平和条約の破棄

を叫んでいました。(こちらに英語字幕付きのビデオがあります)

驚くべきは、これがエジプトを暫定統治をしているエジプト軍が行なっていることです。他の野党には演説を許さず排除した上で、彼を国営放送で高らかに説教させるようにしました。

エジプト軍最高評議会は、さらにイランの軍艦がスエズ運河を通過し、シリアへ航行する許可を与えています。(そのことも、アル・カラダウィが賞賛しています。)

これがいかに危機的状況を作り出しているかは、今、アフマディネジャド大統領が「第十二代目イマーム(イスラム版メシヤ)がエジプトの暴動を指揮しておられるのを目撃している。イスラエルとアメリカ、西洋の力が滅びる裁きの日は来ている。」と説きイランの核施設が復帰している中でイスラエルの近海を航行していくのです。

イラニウム(Iranium)

すばらしいドキュメンタリーをご紹介します。

この題名は、「イラン」と「ウラニウム」をかけた言葉で、イランの核開発のことを指しています。この問題を、1979年のイスラム革命から世界へのイスラム・テロの輸出、イラン一般市民に対する蹂躙、核兵器開発を突き動かすマーディ(イスラム版メシヤ)待望信仰、歴代の米政権の失敗、一般市民による政権への反対運動を取り上げています。

これまでのイラン問題を取り扱ったブログ記事をリンクします。

エジプトとイラン、そしてEU・アメリカ

Inside the Revolution(革命の内幕)

エゼキエルの見た幻(36-39章)

2010年に核戦争の可能性

安定経済と核戦争危機

キリスト者が祈るべき「エジプト」 - ③魂の救い

そして、②の聖書預言の前兆とも呼べるような良い知らせが、現在進行形で私たちに伝わってきています。

Is There Any Good News in Egypt?
Yes, there is, so let’s keep praying for our brothers and sisters

(エジプトに良いニュースはあるのか? - ある、だからそこの兄弟姉妹たちのために祈り続けよう。)

一部を意訳いたします。

(意訳開始)
・・・一ヶ月前にエジプトに行ったばかりですが、カイロの南にある村落の貧困は、インド、アフガニスタン、レバノン南部のパレスチナ難民キャンプよりも酷い、これまでに見たことのない程の最悪のものでした。けれども、イエス様に献身している人々が生活の助けを得ているのです。その礼拝は情熱あふれるものであり、彼らのイエス様への愛には圧倒されます。

聖書に登場する所での奉仕の働きにおいて、近年、非常に力強く神の動きを見ることができます。エジプト人は次々とキリストを信じ、その信仰は成長し、牧師たちは訓練と励ましを受け、教会全体が成長しています。例えば、あるミニストリーでは、3100人がキリストを受け入れる祈りをし、2010年だけでも数多くの教会が始まりました。これらの若きエジプト人の信者たちは、辺境の村落にまで福音を届け、その後、信者を弟子にしていく命溢れる教会が起こされています。神は確かに、このパロの地で力強く働かれているのです。・・・

この政治的、経済的危機において、エジプトにいる友や仲間と連絡を取り続けていますが、世界中の信者が彼らのために祈っていることを感謝しています。彼らの家族のため、また、これらの優れた若き指導者たちのためにお祈りください。去年、福音を伝えたという廉で、9人の信者が投獄されました。けれども、神の恵みと聖徒の祈りによって、すぐに釈放され、その後も主に深く献身しています。彼らはこう言って、神に感謝しています。「私たち信者は迫害を受ける時、地下に潜ります。そして、私たちの根はさらに強くなり、健全なものとなります。そして、さらにキリストの大使としてふさわしい姿で表に出てくるようになり、さらに迫害の渦中で堅く立つ心の用意ができるのです。」・・・

このような困難な時に、エジプト人の信者はみなさんに愛の言葉を返しています。そして私たちの偉大な神に栄光を帰しています。Hという方が先ほど電話でこう仰いました。「エジプトで神がいま行なわれていることで、賛美しています。エジプトがニュースで取り扱われることによって、この国の歴史の中で、これほど多くの人がエジプトのために祈っていることはなかったと思いませんか?私たちは確信を持って、神がこれらの祈りを聞かれて、エジプトの教会を建て上げてくださると言えます。そして神が、不満を抱き、宗教に嫌気をさしている人々を、まっすぐイエス様の御腕の中に導かれるのです。」注目に値する視点ですね!
(意訳終わり)

このような、ものすごい速さで神がご自分の救いの業を、とてつもない困難な状況の中で行なわれていること自体が、今、私たちが終わりの日に生きていることを示す大きな徴なのです!日本にいる私たちが、目を覚まさずしてただ毎日を生きていていてはいけないのです。主が行なわれる御業に期待しましょう。そして、自分たちだけでなく、エジプトの兄弟姉妹のように、世界の他の地域にあるキリストの体のためにも祈りましょう。