第四回目 奥松島・東松島救援旅行 5月16-18日

昨日、東北地方から帰ってきました。これでLCFにとっては四回目です。(トラビス・リッチ・山東さん・CCBC沖縄の人たちが行っているのを含めると、合計五回行っています。)

今回の旅行で、神様が導かれているのは明らかに「伝道旅行だ」ということです。物質的な必要を満たすこと以上に、精神的さらに霊的必要を満たすように主が働いておられます。

メンバーはご自身が被災者である木村さんとそのお母さん、そして同じく被災者の福島県出身の植田さんがおられます。それから、今回は静岡から、長年交わりを持たせていただいている、元イエス福音教団の静岡にある教会の方々が来てくださいました。牧師の見城和人さんと望月雅治さん、そして教会員の望月誠司さんと、富山さんです。さらに、私たちLCFからは、瀬谷さんと長島さん、そして明石夫婦が参加させていただきました。

さらに、第一回目の旅行で訪問させていただいた、かつてカルバリーチャペル所沢でいっしょだった仙台在住の武田さんが、直接、現地集合で牛網の食事の準備を手伝ってくださいました。

初め私は五月下旬か六月初頭を次回の旅行にと考えていましたが、前回5月3-5日の旅行にて、奥松島の木村さんのお宅から所持品を取り出す仕事が完了していなかったこと、そしてその地域の撤去作業が間もなく始まることなどから、なるべく早く行く必要に迫られました。

そして、もちろん奥松島だけでなく、東松島牛網の避難所にも訪問を計画しました。和人さんと雅治さんは、それぞれゴスペルのカントリー・ミュージック、フォーク・ソングのバンドを組んでおられる方なので、牛網の避難所でぜひイブニング・ショーをしてほしいとお願いしました。

出発は静岡のグループは静岡から直接現地へ、そしてその他は足立区に集合し、そこから出発することにしました。車は木村さんがお兄さんから借りているものと、綾瀬東部教会が貸してくださった車に乗り込みました。初めに、朝8時に業務スーパーに行き、チキンとハムを受け取り(私たちが被災地救援活動をしていることを告げると、そのような取り計らいをしてくださいました。)、それから高速に乗りました。

現地集合とのことでしたが、電話で連絡した所、私たちより先に静岡のグループが先に進んでいます。それで仙台近くのインターで待ち合わせをすることになり、そこでいっしょに昼食を取りました。

恵比寿バイブル・スタディのお知らせ(5月18日)

今週の学びのお知らせです

日時:5月18日(水)19:00~
場所:目黒区立 田道住区センター三田分室 / 2階 第二会議室
聖書箇所:詩篇84篇以降
※ 食事は学びの前と後で持参ですることもできます。

あと、16-18日まで再び救援旅行に行ってきます。18日は午後には戻ってこられるので、学びをすることに決めました。安全と健康のために祈っていただければ幸いです。

神によって立てられた権威

昨晩、久しぶりに恵比寿バイブルスタディを再開することができました。合計7名いて、同じく仙台出身のI兄弟も東京にいらして、出席することができました。終わりに、バーガーキングで交わりの時間も持つことが出来ました。

学びの後に、とても良い質問が出てきました。「権威」についてです。ローマ13章1節には、すべての権威は神から来ている、というところから、「人間の歴史の中には革命のようなものもあった。それはどう受け止めればよいのだろうか。」また、「ブッシュ大統領は神の名によってイラク戦争を正当化したが、そのような権威をどのように受け止めればよいのだろうか。」という質問です。

1)神の主権から漏れる権威はない

私の答えは、「ブッシュ大統領の権威も神から来たものであるし、イラクのフセイン大統領の権威も神から来たものである。」というものです。そしてダニエル2章にある、「神は王を立て、また倒す」という言葉を引用して、すべての指導者や王の営みは全て神の主権の中にあることを述べました。

そして、今回、オサマ・ビン・ラディンが殺害されたことにも触れ、「このような大きな人物が死ぬと、ヒトラーもそうであったが、必ず陰謀論のようなものも出てくるが、所詮、軍事機密などによって私たちには知り尽くすことのできない領域である。ある程度、状況を知ることは大事だが、残りは主に任せるべきだ。」と話しました。

2)深入りしない

そこで、横田めぐみさんのお母さん早紀江さんが信仰の支えとしている御言葉である、詩篇131篇を言及しました。「主よ。私の心は誇らず、私の目は高ぶりません。及びもつかない大きなことや、奇しいことに、私は深入りしません。(1節)」市井の主婦が、北朝鮮の謀略の真っ只中に引き込まれたのですが、「なぜか?」という問いかけをするのではなく、主に委ねるところにある力が早紀江さんを支えています。

私たちが、米国の対テロ戦などで、他国の主権を逸脱した行為云々で批判をしている中で、実は私たち自身が知りもしないことに深入りし、自分を裁き主の立場においていることが多々あります。けれども、むしろその出来事をも神が支配されており、ご自分の栄光のために動かしておられることを観るべきです。

そして、知らないことに深入りするのではなく、すでに知っている神の御心を行なうべきです。「自分は宗教に熱心であると思っても、自分の舌にくつわをかけず、自分の心を欺いているなら、そのような人の宗教はむなしいものです。父なる神の御前できよく汚れのない宗教は、孤児や、やもめたちが困っているときに世話をし、この世から自分をきよく守ることです。(ヤコブ1:26-27)」論評や原因探しをしていると、必ず「舌」が達者になります。けれどもキリスト者は、慈善行為や福音宣教等の「実践」によって事態に対応することで忙しくなるべきです。

3)神の栄光という目的を知る

ヨハネ9章にある、「生まれつきの盲人」がそうなったことの原因をイエス様が語られず、むしろ「神のわざが現れるため」という目的を語られました。そしてそのわざは、単に目が開いたということだけでなく、イエスを神の御子キリストであると信じ、拝すことでありました。

今回の災害についても、なぜ津波が起こったのか、地震が起こったのか、原発は誰が悪いのか・・・という原因探しではなく、これらは神の主権の中で起こったことであり、必ず神の栄光が現れるために起こっていることに心を留めるべきです。

イラク戦争ではっきりしている神の栄光の一つは、「これによって宣教師がイラクに入り、福音を伝えることができるようになった。」ということです。ブッシュ大統領が行なったことが正しいか、間違っているかではなく、この出来事をも主は用いられ、魂の救いにおいて栄光を現しておられることは、明確な神の御心です。それは、東日本大震災でも同じであり、普通なら東京で五年ぐらいかかる福音伝道が、被災地では数週間で行なわれているという事実からでも明らかです。

このようにして、「権威」が神から来ていることを認めます。

4)迫害者にも憐れみと敬意を向ける

そして、国の権威が、例えばかつて天皇崇拝を強要するようなことの場合は、「人に従うのではなく、神に従う」という姿勢が必要になるのですが、それであっても、自分が権威に逆らっていることへの結果は責任をもって受けることによって、その権威に従います。

それで一つ目の質問である革命などについては、「キリスト者の良心的抵抗と共産主義者などの抵抗には、前者は迫害する人に対しても、一定の敬意を持ち、自らの抵抗の結果を甘んじて受けているのに対して、後者はただ闘争するだけだ。」と答えました。例えば、迫害国で投獄を受けているクリスチャンは、看守にでさえ憐れみの心を持つことが出来る証しを聞きます。なぜなら、そこに入っているのが神の御心であるという主権を認めているからです。

5)「感謝」がキリスト者の特徴

最後に、権威について、それを神から来たものだと認めれば、自ずと「感謝」の心が生まれます。「そこで、まず初めに、このことを勧めます。すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。(1テモテ2:1)」私たちは政府に対して、行政に対して、そして企業に対して、いろいろな分野で権限が与えられている人々に感謝しているでしょうか?そして、祈っているでしょうか?また「すべての人のために」とありますから、普段からいろいろな人に感謝の思いを言い表しているでしょうか?

そして興味深いことに、続けて読むと、「それは、私たちが敬虔に、また、威厳をもって、平安で静かな一生を過ごすためです。そうすることは、私たちの救い主である神の御前において良いことであり、喜ばれることなのです。神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。(2-4節)」とあります。感謝を受けるべき人たちに、素直に感謝を表明することが、究極的には霊を救いに導いています。

私たちは、あまりにも否定的に人や物事を見て、その人や対象のために祈れない、とまでなっていたらこの御言葉に反することになります。祈り、願い、執り成しができるような感謝の心を保っていましょう。


(写真をクリックするとこの写真の背景記事が出てきます。)

恵比寿バイブル・スタディ 5月11日

ついに、恵比寿バイブルスタディが再開します!
計画停電・節電等で3月と4月の施設の使用不可が5月から解けています。

日時:5月11日(水)19:00~
場所:目黒区立 田道住区センター三田分室 / 2階 第一会議室

聖書箇所:詩篇81篇以降
※ 食事は学びの前と後で持参ですることもできます。

ぜひお集まりください!

Worship in Hard Times(苦しい時でも賛美)

ゴールデンウィークのハードなスケジュールが終わり、今日も午前中に親しくしている日暮里の韓国人教会で説教をし、午後に第二礼拝を終えて、少しほっとしている時間になりました。

震災によってその救援活動で日本のカルバリーチャペルの人たちは物凄く忙しくなったと思います。元々、地震の起こる前に準備していた宣教活動や集会があって、それをこなしながら救援活動が加わったからです。

その一つが、カルバリーチャペル国分寺が主に奉仕をしてくださった「カルバリーチャペル・カンファレンス2011」でした。精力的に石巻への救援旅行をこなしています。間もなく、そちらのウェブサイトでカンファレンスでの牧師たちのメッセージを聞くことができるようになるでしょう。

そして、カルバリーチャペル宜野湾が主体となって行なっていたのが、”Worship in Hard Times”(苦しい時でも賛美)という主題の集会です。4月初めに、韓国のカルバリーチャペル大田(テジョン)にて、そして四月の最後の週には、長野のマラナサ・グレース・フェローシップで行なわれました。

そこの牧師は「カズ」こと菊池一徳さんです。私が1994年秋に初めてカリフォルニアのバイブルカレッジを訪れた時に出会った日本人学生の一人でした。私が親しくさせてもらっている静岡の牧師さんたちともつながりがあり、そこでも出会いました。彼のブログはいつも楽しみにして読んでいます。

そして五月のゴールデンウィークに、沖縄で、宜野湾・沖縄・那覇・名護のそれぞれのカルバリーで行なったようです。ブログに詳しくその様子が載っています。

題名から、私はピリピで鞭打たれたパウロとシラスが、牢屋の中で祈りと賛美をしていたことを思い出しますが、沖縄にいる兄弟がブログで少し紹介しています。

ワーシップ・カンファレンス①

そしてカルバリー西東京の牧師、山東さんが動画をYoutubeにアップしてくださいました!

私は「ハクガイジン」のティムが大好きです。今、名護で教会を開拓していますが、なんと日本語だけの礼拝を持っています。沖縄の人たちにはこのような宣教師魂を持っている人たちが多いです。

※ カルバリーチャペル宜野湾のチャックさん・由美さんのブログに、この集会についての報告があります。
CC Worship Conference “Worship in Hard Times” (CCワーシップカンファレンス”苦難の時にも賛美”)

LCF活動予定(5月7,8日)

LCFの明日、明後日の活動は以下の通りです。通常土曜2時から行なわれるローマ人への手紙の学びは、ありません。その他はすべて同じです。(第二礼拝後の交わりの時間に、今回の救援旅行の報告をさせていただくかもしれません。)

5月7日(土)
18:00 祈り会(OCC 307号室)
19:00 第一礼拝(OCC 811号室)
(貸室811号室は50名の席があります。お子さんをお持ちの方は、礼拝説教中に307号室で「お世話 兼 教会学校」をさせていただきます。ぜひおいでください。)

御茶ノ水クリスチャンセンター(OCC)の場所

5月8日
14:00 第二礼拝(足立区綾瀬の自宅)
※ 詳しい場所はinfo@logos-ministries.orgにお問い合わせください。

第三回目 東松島牛網旅行 5月5日

私たちとリッチのチームは、湯治宿でいっしょに朝のデボーションを持ちました。それから牛網に戻りました。それぞれが分担を持って、ある人は昨日の家の清掃の続き、ある人はマッサージ、それから瀬谷さんはデザインのある習字(Tシャツ用)を教えました。キャンディスはフラのレッスンを施しました。

そして前日から私たち数人に、千葉さんが「畑に種を植えよう」という話を持ちかけていました。私たちは何かお手伝いをしたいと思っていましたが、いったいどういう意図を持って、という疑問を少し持ちながらいっしょに自転車に乗って行きました。

わかってきたのは、千葉さん宅の隣にある千葉さん所有の小さな畑地を野菜の庭園にしようというアイデアです。私たちがここで蒔いた種が実を結んだらぜひ食べてください、とのことでした。そして津波によって運ばれてきた砂まみれになっているこの畑から実が出ることを願って、「被災地からの豊かな実」という象徴的意味も含まれていたようです!千葉さんはまだ信仰者ではないのに、何と言う発想をするのでしょうか!本当に救われてほしいと願います。

彼の小さなトラクターで耕し、それから肥料を加え、種を蒔きました。とうもろこしと枝豆です。そしてすいかの苗も植えました。そして千葉さんは私に、「砂をこの袋に入れて」といわれて大きな袋に津波で運ばれてきた砂を入れました。そして肥料もそれに加えて混ぜて、避難所に運んでいきます。

そして用意していたのは、石巻の瓦礫から拾ってきた酒樽です。そこに先ほどの砂を入れて、そしてトマトを栽培しようとのことです!

お昼は再びリッチがバーベキューを用意しました。自衛隊の部隊の人は新しく来たばっかりで、私たちが炊き出しをする時には人がたくさん来ることを計算に入れていなかったようで、少しご飯が足りなくなってしまいました。

私は途中で木村さんに、石巻の知り合いの人に会いたいからいっしょに来てくれないかと頼まれました。二人の人がこの牛網の避難所まで来てくださいましたが、なんとその一人が千葉さんと釣り仲間だそうです。世間は狭いです。

そうして私たちは1時半に現地を出発しました。三陸道、仙台東部道、仙台南部道は空いていましたが、東北道に入ると、これまで見たことのない渋滞でした。ニュースにも載っていましたが40キロだったということ。私たちの教会の三人はかろうじて終電に間に合いましたが、私たちが家に到着したのは次の日の12時半です。いつもなら5時間そこそこの移動時間が11時間になってしまいました。今後の平日での旅が、とても楽に感じることになるでしょう。

お三人はいつも笑いを絶やさず、喜んで主に仕えておられました。そして新しい友達トレバーはとってもいい人です。そして何よりも、木村さんと植田さんはご自身が被災者なのに、不平も漏らさずに、一緒に救援活動に携わってくださったことに、とても感動しています。どうかお二人のためにお祈りください。これからもずっと生活がどうなるかわからない状態が続きます。そして何よりも、キリストにある希望と救いを知ることができるようお祈りください。

今、御心なら再び似たような旅程で五月中旬に行くことを考えています。お祈りください。

主に感謝。

第三回目 奥松島・東松島旅行 5月4日

宿泊した湯治宿は、自炊の出来る台所もあるので、女性たちは朝食の準備をしました。電気炊飯器も持っていったので、暖かいご飯が食べられて幸せでした。

そして私たちが始めに向かったのは、奥松島の宮戸島です。松島から27号線の海岸沿いの通りを走ると、しばらくして野蒜が出てきます。その駅の目の前に運河が走っていますが、200名ほど津波で亡くなったそうです。

そこから宮戸島に入ります。この一帯は、「奥松島」として知られているところです。松島は日本三景で有名ですが、仙台などの地元民は松島よりも奥松島を好みます。私が幼い時に訪れた月浜海岸は、舟からではないとアクセスのできない小さな浜辺が、プライベートビーチのように点在しているのを見て、感動した覚えがあります。

そこに入り、中央部にある縄文村歴史資料館で避難されている住民の所に行きました。千葉さんの知り合いがたくさんいます。そこに私たちはキムチなどの食糧、またその箱の中にトラクトも入れたものを置かせていただきました。

宮戸島の人たちは、確か一人を除いて全員助かったそうです。聞く所によると、学校の建物の高台に避難したとのこと。また噂では、沖に船を進ませたとも聞いています。「宮戸島の私たちは、津波はすぐに来ると思っていたが、野蒜の人たちは自分たちのところまでまさか、という思いがあったかもしれない。また逃げるために車に乗って渋滞してしまったが、車から降りて逃げるべきだった。」と述懐しておられました。

そして月浜海岸地区に向かいました。そこにも避難している小さな集落があります。少しお話した後に、月浜海岸にある木村家に行きました。木村さんの目的は、趣味で収集しておられる日本刀をはじめとする貴重品を取り出すことです。一階は完全になくなっていますが、二階が残っています。そこから、出るわ出るわ、幕末からの真剣だというものも拝見しました。

そして、私たちは松島で昼食を取ろうとしました。ところが、ゴールデンウィークの松島は観光客でごった返していました。4月初めに来た松島はまだ漂着した車がそのままにされていたり、被災の傷跡が深かったですが、もうこれだけ復旧しています。作業服の私たちはちょっとミスマッチでした。

そして東松島の牛網に行きました。そこでは、リッチたちがたまたま清掃を必要としていた家の人と出会い、そこでずっと作業をしていたそうです。リッチは夕食を取らなければいけないので、二・三人を除いてみながそちらの準備のために戻り、私たちが引き継ぎました。その庭には腐ったお米の臭いが立ち込めています。津波の時にどこかしらか、やってきたそうです。でも、たくさんの人数で行なったのでほぼすべてヘドロを取り除くことができました。

そして夕食は、リッチが再びハワイ風の醤油味のチキンをメインに、サラダを作り、私たちはキムチを用意しました。とてもおいしかったです。

そしてその後、イブニング・ショーを避難所の中で行ないました。リッチの奥さんキャンディスがフラダンスを披露し、被災者の方々二名も参加されました。その後、カルバリー府中から三輪さんというご家族が全員でバンドを組んで、ジャム・セッションをしてくださいました。20歳の息子さん、そして三人の十代の娘さん、そしてお父さんお母さんの構成です。最後に二番目の娘さんが、手品も披露してくれました。

そして私たちは全員、避難所に宿泊する人も含めて、お風呂に入るために湯の原温泉に行きました。他の松島のホテルに泊まっていた女性五人も今晩は同じ宿に泊まります。

第三回目 相馬・東松島旅行 5月3日

今回の旅で最も苦しかったのは、高速道路の渋滞です。予測はしていましたが、こんなに酷いとは思いませんでした。首都高と東北道での混雑は、救援のボランティアの車両よりもほとんどは行楽の自動車でいっぱいでした。

那須辺りでようやく渋滞が解けてきて、急いで福島市で高速から降り、国道で山地を横切り相馬市へ向かいましたが、時は既に5時半です。農家の家の方々は、すでに私たちのために残してくださっていた仕事を片付けておられていました。

けれども、ほぼ完成した掃除の姿を見ることができました。もうこれで三回目ですから、初めからどのようにきれいになったのかをはっきりと見ることができました。そして仰ってくださったのは、「あの時期(4月初め)に、もっとも助けが必要な時にボランティアとして来てくださったのは、「この地域であなたたちだけだった。ほぼ終わったというこの時期に、要約、申請していたボランティアが役所から送られてきた。おかげで、次の家の解体の作業をどの家よりも早くやってもらうことができるようになった。」とのことです。

4月7日に、リッチといっしょに津波の塩水で重くなっていた畳を運んだのを懐かしく思い出しますが、それだけ貴重な助けになっていたのかと思うと、本当に私たちも嬉しいです。後で母に電話をしたら(その農家は母の友人の実家です)、いっしょに東京に行って助けてくれた人たちを訪問してみよう、と誘ったとのことです。実現してほしいなと願います。

そして、私たちは常磐道に乗って北上し、そのまま東松島市牛網にある避難所に行きました。そこで千葉さんが待っていてくださいました。すでに消灯時間が過ぎている中、和室で団欒の時を持ちました。木村さんが同じ地元の人なので、かなり地元の話が弾みました。

そしてリッチたちのグループを待ちました。彼らも早く出たのですが、府中の人たちだけでなく所沢の人たちもいて、それで出るのが少し遅れ、なんと到着したのが夜の10時過ぎです。リッチは「こんなに長時間の乗車時間は初めてだった。」と言いました。

私たちは松島にある「湯の原温泉」に向かいました。昔からある典型的な湯治宿です。

そしてリッチは、一部は避難所の和室で、残りは松島の近くのホテルで一泊です。