「悪を善、善を悪とする」時代

ああ。悪を善、善を悪と言っている者たち。」(イザヤ5:20)

これから、今の時代の特徴について、難しい問題を取り組みたいと思います。

自衛行為が聖書の禁じる「復讐」か?

あるクリスチャンの方が、フェイスブックのページを立ちあげて、最近の教会における政治的な偏りに取り組んでおられます。例えば、国防について、憲法九条を守る立場から自衛隊は無くす方向に持っていくことが”御心”であるとすることに対する違和感を表明しています。最近は、神学者や教役者の中にも、例えば家に変質者が襲ってきたとしても、”抵抗しない”という発言まで散見されます。

このことについて、しばしば引用されるのが「殺してはならない」「敵を愛しなさい」「剣を鞘に収めなさい」「国は国に向かって剣を上げず」・・というようなものです。しかし、これらの神の言葉が自衛隊不要論、国や家族を守ることの否定にまでつながるのか?という問題提起をしておられます。

私も、同じ葛藤を抱いています。このような平和絶対主義を聖書が言っているのか?と聞かれれば、私は、はっきりと「否」と答えます。以下、山上の垂訓にある主の命令に対する問いかけを、同じページで、ある牧師さんがされていたので、それぞれの問いかけに私なりに応答したものを、下に紹介します。 続きを読む 「悪を善、善を悪とする」時代

オリンピックに見るアラブの病気

卓球をしていた私は、いつも卓球の試合の動画を見るのが好きですが、リオ・オリンピックにおける卓球選手の活躍はずっと見ています。特に、水谷隼選手のオールラウンドのフォームは本当に美しいです。

そんな中、話題になったニュースで、そうだよなと分かりつつも、げんなりさせられたニュースがありました。柔道の試合で、イスラエル選手の握手をエジプトの選手が拒んで、大きな非難が起こり、ついに帰国処分にさせられたというものです。(ブログ記事

柔道男子100キロ超級1回戦でオル・サッソン選手(イスラエル)からの握手を拒むイスラム・エルシェハビ選手(エジプト)Photo: Associated Press
柔道男子100キロ超級1回戦でオル・サッソン選手(イスラエル)からの握手を拒むイスラム・エルシェハビ選手(エジプト)Photo: Associated Press

そこで、この問題に真正面から取り組んだ、非常に良質な記事を読みました。 続きを読む オリンピックに見るアラブの病気

患難前携挙説への攻撃

先日、教会にいる方が、今、人気のある本として貸してくださったのが次の本です。

「小羊の王国」(岡山英雄著 いのちのことば社)

今、最初のほうを読んでいますが、いや~、びっくりします。神の大患難からキリスト者が救われる、という患難前携挙説を、テモテ第一1章にある「空想話」にまで断定してしまっています。最近、日本の福音派の学者さん、先生方の一部が、この信仰の持ち方を攻撃しています。おまけ反ヤスクニ闘争にあるような世俗にある反政府的行動を聖書的に肯定、後押ししていく文面もあります。逆の振り子、極端、危うさを見ます。

患難前携挙説を、「教会が、・・地上で苦しみを受けることはない」として紹介しているところから、間違っています。聖書には、世が聖徒たちに加える苦しみがあり、そして神がそのような悪や不正に対して下す、裁きとしての苦しみがあります。前者の「患難」の源はサタンであり、後者の患難の源は神ご自身です。キリスト者は、後者の御怒りから救われたという大前提があります。

患難前携挙説は、そのような世からの激しい迫害と苦しみを受けているキリスト者が、この世に対する激しい怒りを終わりの日に神が示されることを、畏れかしこみつつ知って、神の救いを宣べ伝えることに他なりません。復讐を神の御手にお任せする姿勢です。そして、自分たち自身にも神の怒りを受ける要素が多分にあるにも関わらず、それでもキリストの血潮によって洗い清められ、義と認められたのですから、それゆえ、神の怒りである患難から救われる、という神の恵みによる救いを持つ姿勢です。 続きを読む 患難前携挙説への攻撃

聖書をしっかり読む基本に戻ろう

ある方のツイッターにて、このブログで書かせていただいた内容に重なるものがあったのでご紹介します。聖書解釈や神学について、言い得て妙です。

ヘブル的解釈について

そう、特段にヘブル的を強調せずとも「聖書をしっかり読み、そしてそれをそのまま捉えて意味を汲み取る」作業していれば、そのままヘブル的です。だから「ヘブル的、ヘブル的!」って強調しちゃうと、かえってヘブル的でなくなっちゃうんです。

関連記事:「実が結ばれない教え続きを読む 聖書をしっかり読む基本に戻ろう

神学を神学できる人(ディスペンセーション主義の例から)

これまで、本ブログではこの神学について二つの記事を書きました。

ディスペンセーション主義について

ディスペンセーション主義の落とし穴

けれども、次にお勧めする、精度の高いブログがあります。(一番下の記事から上に順番に読まれるとよいでしょう。)

「balienのブログ」(ディスペンセーション主義のカテゴリー)

この記事を書いた兄弟と一度だけお会いしたことがありますが、神学者でもなければ、牧師でもありません。しかし、彼には賜物があります。いや、牧師や神学者でさえ見失っている大切なものを彼は持っています。それは何かといいますと、「神学を学ぶ態度と姿勢が正しい」ということです。他の記事に書かれてあることをご紹介します。

会場の雰囲気──学ぶ側の姿勢続きを読む 神学を神学できる人(ディスペンセーション主義の例から)

聖書学びサイト「いのちのみことば」

このブログのリンク先には、伝道や聖書の学びにとって良質と思われるサイトをリンクしていますが、今日、新たにリンクを加えました。

「いのちのみことば」

thru-the-bible-with-j-vernon-mcgeeとてもシンプルに作られていますが、内容はとてつもないものです。THRU THE BIBLE(聖書通読)という、聖書全巻の講解の内容を日本語に訳して提供しており、その説教者はJ.バーノン・マギー牧師であり、彼の単純な聖書講解説教のスタイルは、カルバリーチャペルのチャック・スミスに大きな影響を与えています。今でも、いろいろなキリスト教放送局が流し続け、カルバリーチャペルのラジオ局KWVEでも流しています。

全てを調べていませんが、このサイトから創世記から黙示録までの聖書講解を日本語で、全て聴き、また読むことができるようになっています。サイトを開けば「今日の番組」が前面に出てきますが、「聖句によって検索」のところで、聖書の書物と章を選ぶことができます。そこから、自分の読みたい箇所を探せばいいです。

ロゴス・ミニストリーを使って聖書の学びをしておられる方は、さらに大きな恵みにあずかることができるでしょう。

The Bible Project(聖書の説明アニメ集)

ものすごく、すばらしいサイトを見つけました。

The Bible Project(聖書の説明アニメ集)

Youtube動画集

とにかく、聖書を分かり易く、その全体を体系的に見ていこうと試みているものです。5分くらいのアニメーションで説明していますが、どれもこれも、非常にしっかりとした説明です。聖書の各巻の説明ビデオと、聖書全体に貫かれているテーマ(贖罪、メシヤ、契約、聖、御国の福音など)のビデオもあります。そして凄いのが、今、数多くの言語に翻訳中で、日本語訳のビデオもかなりあることです!(サイトには、この翻訳プロジェクトに費用がかかっているとのことで、支援を求めています。)

例:創世記の説明

ぜひご自身の学びのみならず、今、聖書を読んでいる方におすすめください。求道中の人、信仰を持ったばかりの人にも適切でしょう。

女王バビロン

 

今、イザヤ書を学んでいて間もなく47章に入ると思います。そこで目に留まったのが、「おとめバビロンの娘」「王国の女王」という言葉です。彼女は、「いつまでも女王でいよう」として、ユダヤの民など奴隷で酷使し、そして、「私だけは特別だ(直訳は、「私だけで、ほかにはいない」)」と、イスラエルの神のごとく振る舞っている姿を見ます。

どうして主なる神は、このように女王としてこの都を形容されたのが?今の、立体写真を見る時に、圧倒されました。こちらのサイトです。

Babylon 3D

babylon01

これなら、確かに、「私はいつまでも女王でいよう、私だけで、ほかにはいない。」という、とてつもない奢りと安住の中に生きるだろうな、と思いました。そして、このバビロンをペルシヤ人クロスを通して一夜にして倒すことを、前もって宣言された主は、どんなにか大きい方、偉大な方だろうかと思いました。また、こんなとんでもない大きな国に、エルサレムがぺちゃんこにされたことを思います。「虫けらのヤコブ(41:14)」と主が呼ばれた意味が分かりました。 続きを読む 女王バビロン

ワンデイ・セミナー@カルバリーチャペル那覇

2月5‐8日、沖縄に行ってきました。その間にあった恵みを分かち合います。

ワンデイ・セミナーoneday_seminar

カルバリーチャペル那覇にて、一日セミナーが行われました。

左のチラシにあるように、私は聖書預言の二つのメッセージを担当しました。

世の終わりのシナリオ(拡大図)マタイ24章
音声 ・ PPT

世の終わりのシナリオ(凝視図)エゼキエル38章
音声 ・ 38章の図

そして、カルバリー国分寺の桜井知主夫さんによる「聖書の効果的な学び方①」と「聖書の効果的な学び方②」も、豊かな恵みでした。
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ユダヤ人は救われるのか? - カトリックの立場

カトリック教会の置換神学放棄

ここ二週間ぐらいで、興味深い話題を追っていました。まずは、次のイスラエル発の記事です。

ローマ書9-11章宣言:カトリック教会 2015.12.12

イスラエルやユダヤの話題を追っている人によって、「キリスト教によるユダヤ人迫害、反ユダヤ主義」というのは、基本的な歴史事実です。そのために、ユダヤ人の中にイエス様を信じるということ、キリスト者になるということは、「ユダヤ人ではなくなる」という公式ができあがっています。「ユダヤ教徒ではなくなる」というならばまだ理解できるのですが、神も何も信じていない世俗的なユダヤ人であっても、イエス様を自分のメシヤとして受け入れたのであれば、その人はユダヤ人でなくなる、と言います。

そこで、民族的に、血縁的にユダヤ人であることを主張しながら、それでも私はイエスを信じていると主張している人々を、「メシアニック・ジュー(Messianic Jew メシヤ的ユダヤ人)」と自らを呼び、キリスト教の世界ではかなりその用語が定着しています。アメリカに、そしてイスラエルにユダヤ的な礼拝形式を保ちながら、なおイエスを主として受け入れている人々の集会があります。

それはともあれ、なぜキリスト教会においてユダヤ人を迫害する反ユダヤ主義がはびこったかと言いますと、「ユダヤ人がイエスがメシヤであるという福音を拒んだ。それゆえ、イスラエルに対する神の約束や契約は反故にされ、今は神のイスラエルは教会に取って変わった。」とするものです。それを、「置換神学」とも言われます。そしてカトリック教会は、その「イスラエル」と「教会」の置き換えにおいて、総本山的な存在であり、反ユダヤ主義の温床ともなっていました。宗教改革の代表的存在であるルターも、その神学を引き継いでいたので、福音を信じないユダヤ人にしびれを切らして、後年は反ユダヤ主義者となりました

参考文献:「教会が犯したユダヤ人迫害の真実―私たちの手は血塗られている」(ミカエル・ブラウン著) 続きを読む ユダヤ人は救われるのか? - カトリックの立場