コロナウイルスに対する霊的対処は悔い改め

愛し合うのではなく、裁いてきたことへの悔い改め

あなたがたは、自分がさばく、そのさばきでさばかれ、自分が量るその秤で量り与えられるからです。(マタイ7:2)」

 本当に、裁かなければいけないことってありますが、しばしば、裁いている時、まさにその裁いている根拠が本人にそのまま当てはまることが多いです。

 ある教会運動が教会に与えられた権威を逸脱していると警鐘を鳴らす人が、諸教会の上に自分は権威を持っているかごとく横暴にふるまって、声にも出せず傷ついている人々が大勢います。また、ある動きが、神の栄光を人間のレベルに引き下ろすと言いながら、実は、神をあがめている人々を、人間的な思いに満たし、言い争いのレベルに引き下ろしています。

 今朝、あるクリスチャンから「毒麦」(マタイ13章24節以降)について尋ねられました。それは、自分の中に罪があることを意味しません。そうであれば、すべての人が毒麦になってしまいます。

 毒麦は、神の憐れみによって立っている教会またその聖徒たちを、「あなたはそれではだめだ」として貶め、神の恵みではなく、何らかの霊的状態にいなければいけないとして、焦らせ、罪意識を持たせ、何かを行わないと義に到達しないと急き立てるものであり、他者の意見をうんも言わせず、自分の言っていることこそが神からのものだとして正しいと主張しているものです。「教会に毒麦がある」と言いながら、自分自身が毒麦になってしまっていることに気づきません。

批判ではなく、「執り成し」を!

 それから、ローマ13章に言及、上の権威は神からのものだから、政治家のために祈るべきだ。適切な批判はしかるべきですが、自分がたとえ好きでなくとも、祈るべきだ、とのことです。

イスラエルの執り成しのため、現実を直視する辛さ

(3月30日にフェイスブックに掲載)

私の信頼している、イスラエルとの架け橋になっているキリスト教団体や個人の一つが、「シオンとの架け橋」さんです。先週末、イスラエルのコロナ対策を、イスラエル現地からの報告と、神戸在住の石井田直二さんによる、聖書から「執り成す」ことについての学びを、疫病に関して語ってくださいました。

2月終わり頃から、コロナ対策を始めるイスラエルが進んでいる道に、応援する気持ちでいるものの、おかしいな?と感じる部分があり、ユダヤ民族にある、神の選びからくる気高さを感じられない部分がありました。ここ一か月ぐらいの間、FBでも、いろいろと批判的な投稿を書き続けてきたと思います。

けれども、僕は深く、聖書信仰からイスラエルを愛し、親イスラエルの人間だと思っていただけに、こんな自分でいいのか?と悩んでいました。

愛しているからこその問題直視

驚くことに、現地レポーターの方がその深く横たわっていた疑問を、まっすぐにそのまま語ってくださっていました。ご自身も否定的なことを説明するのは非常に躊躇していながらも、けれども、執り成すためには不都合なことも知らないといけないこと、愛しているからこそ直視しなければいけない現実を語っておられました。同じ思いであったのを知り、神から来ているものと分かり、安堵しました。 続きを読む イスラエルの執り成しのため、現実を直視する辛さ

アジア諸国にある「バランス感覚」

在イスラエルのアメリカ人のクリスチャンでもあるジャーナリストが、西側諸国におけるコロナ対策について、大きな疑問を投げかけています。「封鎖しているけれども、解決の糸口がない」という題名です。

Locked down, without answers

主旨としては、発生源である中国や韓国、シンガポールなどで採用された都市封鎖による感染の抑制に倣って封鎖しているけれども、それらのアジア諸国が経済的活動の最小限のことを保ちながら、完全な封鎖はしていないのに何とか踏ん張っているのに対して、西側諸国はさらに厳格な封鎖をしているのにかかわらず、感染は広がっていく一方であるという疑問を挙げています。

まず、準備していなかったこと。封じ込めればいいと思っていること。家に閉じこもれとばかりいって、でも、田舎に行くとか、公園に出ても距離を保つとかすればいいのに、締め付けていくばかりだとのこと。どんどん感染が拡大するから締め付けるけれども、拡大の速度は落ちないこと。また落ちても、解除したら増えていくとの予想もあること。解決なき、出口なき、封鎖ということを話しています。

そして自由民主主義体制であるにもかかわらず、市民に対してウィルスの現実を知らせていなかったこと、封鎖がうまくいかないのは、待ちすぎて、封鎖を破っている市民に処罰を与えているだけだ、ということです。ハイテク技術の監視にも触れています。また、封鎖を解除して、感染が再び広がることも予測されており、封鎖が延々と続いてしまうことを懸念しています。 続きを読む アジア諸国にある「バランス感覚」

危機対応随一のイスラエルと自然の力を知る日本

(3月26日にフェイスブックに掲載)

イスラエルで起こっていることを、長いことフォローしてきたつもりですが、近現代に建国されたこの国は、ホロコーストのトラウマによってできているとまで言われているほど、民族絶滅の危機からの救出使命を負っている運命共同体と言えます。まだ、死亡者が数名であっても、イタリアよりも厳しい鎖国・隔離対策を取り、ちょうど総選挙後の連立の動きも相まって、国会が機能していないという事態にまで至りました。

私個人にとってショックだったのは、シンベトが持っていた対テロの技術を感染者や隔離者の情報を追跡するために使っていることです。それは私にとっては、「敵からユダヤ人を守るための武器を、同じユダヤ人に向けた」というぐらいの衝撃でした。その判断は、主ご自身にお任せしていますが、ただならぬことが起こっていることだけは確かです。

疫病を敵と区別したダビデ

敵からの救いを、神の選びの民として種のように植えられているイスラエルは、けれども、疫病に敵としてみなして戦うことはできるのだろうか?と悩みます。疫病は天災の一つで、神の御手の中にありますが、敵は人間によるものです。

ダビデが、人口調査をする罪を犯した時に、預言者ガドに、三つのことの選択を迫られます。飢饉か、敵に追われるか、それとも疫病があるのがよいか?ダビデはこう言いました。「それは私には非常に辛いことです。主の手に陥らせてください。主のあわれみは深いからです。私は人の手には陥らないようにしてください。」(Ⅱサム24:14)ダビデは、疫病を人の手ではなく、主の手から来たもの、そしてそこには主の深い憐れみがあるのだとしたのです。

そこに、私がイスラエルの現在のコロナ対策で違和感を抱いている理由です。しかしながら、同時に、私の感想は当然、小さなもの、不完全なものです。明日になったらもしかしたら、この考えは、ころっと変わっているかもしれません。ずっと、政府関係者の方々、イスラエルの方々のために祈っています。 続きを読む 危機対応随一のイスラエルと自然の力を知る日本

疫病の流行とグローバリズム

(3月25日にフェイスブックに掲載)

この記事は、一部、違うかな?と思ったものはありましたが、良質。疫病の大流行は、歴史的に当時のグローバリズムと深く関係しているという視点です。今回は、中国中心のグローバリズムによって、しかも交通の要衝である武漢発のウィルスです。

繰り返される中国とイタリアの悲劇的な濃厚接触

中世のペストは、欧州で三割から六割が死んだと言われていますが、この大流行は中国大陸で発生しています。その時のユーフラテス大陸を勢力を広げていたのが、モンゴル帝国です。このつながりがあったので、大陸をまたいで流行が急速に欧州に広がりました。

ローマ時代は、世界の道はローマに通じると言われたほど、ローマ街道が整っており、しかもギリシア時代からその言語と文化を引き継いでいたので、どこにいってもギリシア語が通じて、グローバル化されていました。その時に疫病が大流行しました。

また、そのグローバル化した世界帝国の中で権力闘争など政治的に不安定な部分も共通しており、中国は巨大な国でありながら、絶えず政治的な不安定要因を持っています。

イタリアは、中世のペスト流行でもその出発点であり、今や、中国の一帯一路構想の欧州での出発点でもあるという、歴史的なつながりさえあります。中国政府がいち早く、イタリアに医療チームを送ったのは、人道的な理由ではなく、一帯一路構想の巻き返しにしかすぎません。

とても良い番組です:「BS1スペシャル「ウイルスVS人類~未知なる敵と闘うために~」

コロナから見える、西側リベラル世界秩序の行き詰まり

(3月22日にフェイスブックに掲載)

コロナの流行から見える、非常に重たいテーマが見えてきました。何か、西側諸国の指導者の語る言葉は、壮大な「偽り」の中に市民を置いているのではないか?と、非常にもやもやとしたものを感じています。不確実なのに、確実性を持たせて語るレトリックの中に、それを感じるのです。

在イスラエルのアメリカ人のクリスチャン・ジャーナリストが、コロナ対策で、国全体が鎖国状態、隔離状態に置かれている中で、以下のことを述べています。また、西側諸国が取っている対策では説明のつかない、死亡者の少なさ(韓国)にも言及しています。日本も同じですね。いい意味で、今取られている対策には「謎」が未だ多くあります。

THERE IS NO PLAN B: THE STUDY THAT GOVERNMENTS ARE FOLLOWING WHICH COULD SEE 18 MONTHS OF CORONAVIRUS HELL

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民主主義が恐れている。民主主義の国々が、非民主主義的、権威主義的な手段を制度化しているが、それは、医療体制が失敗していることを明かしたら、大衆がどう反応するかを恐れているからだ。そのためか、難題に答えるよりも、封鎖を選んでいるのだろう。

西側諸国は脆くなっており、大衆主義が台頭している。大量の移民により、極左と極右の動きが、戦後に築かれたリベラルな新秩序を危険にさらした。このウィルスは、この秩序の棺桶の蓋を釘付けすることになるかもしれない。(注:西側の戦後秩序の終焉を決定づけるということ。)

これが西側諸国の政府が恐れていることであり、それが、トリアージ(治療順番)に至る意思決定に向かわせている。ここのトリアージとは、政府を救済するために、経済のようなものを削減することだ。しかし、経済を破壊することは、長期的には、パンデミックによる短期的な結果と同じになる(注:つまり、経済不況などで死者が出てくること)。

ほとんどの国では、何か月も何年も封鎖された中で、市民的抵抗を見ないということは、ありえないだろう。既に、一部の国では、法と秩序の問題が出てきている。スウェーデンでは、ギャングが関わったとされる爆破事故が起こり、フランスでは騒動が起こっている。ウィルスの衝撃と恐れが消失したら、次に人々は、疑問を抱き、反抗し始めるかもしれない。持続的な危機状態、「戦争」の状態に置くことで、一時的に、彼らを注意散漫にするかもしれない。
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Israel is Treating Tourists Like Coronavirus

“Israel has big scars from other nations and peoples. And even now, there is antisemitism all over the world. What’s happening now is being reported all over the Korean media. I’m worried that this will cause Korean people to take a more negative view of Israel. Please stop looking at the Koreans, Chinese, and other Asians as if we’re a plague.”

Israel is Treating Tourists Like Coronavirus

コロナ、イスラエル、中国

(3月21日にフェイスブックに掲載)

イスラエル首相ネタニヤフ氏の率いるコロナ対応は、私のようなものが是非を問うことはできません。批判としてではなく、「イスラエルをしてをさえ、抗うことのできない大きな一つの流れ」として、読んでいただければと思います。

自分が、今のイスラエルの状況に対して抱いていた心配が、次々と起こってくるので、祈らされます。コロナによる緊急事態にいるイスラエルが、議長が審議を止めたことで、国民の生活に死活的な議論ができず、停止してしまったままになっています。

伝染病の歴史は、「グローバル化」と密接に関係

先月末、日韓からの入国が禁止された時、また次々とアジア系の人々にヘイトが拡がる知らせを受けた時、「これだけ水際対策をしても、必ずイスラエルにも、パレスチナにもコロナは来る。」と断言しました。

ウィルスがこれだけ拡散している理由は、中国中心のグローバル化が根底にあり、イスラエルは(パレスチナ自治区も)中国の影響をもろに、受けてきたからです。韓国人の観光客に感染が分かったとて、すでに中国からのウィルスは何らかの経路で入っているはずだから、どんなに努力しても、台湾のように中国政府自体の封鎖よりも早期に入国拒否をしなければ、ウィルスの流入は不可避でした。

参照ブログ:「聖書預言と新型肝炎」

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霊的なコロナ対策 - 短距離走でなく長距離走を

(3月21日のフェイスブック投稿)

この言葉は示唆に富みます。

「新型コロナウイルスとの闘いを「短距離走ではなく、1年は続く可能性のある長いマラソン」と表現。「疲れたり油断して止まってしまうと、感染が一気に広がり、医療崩壊や社会混乱が生じます。一人一人が、それぞれの家庭や仕事の状況に応じたペースで走り続ける必要があります」などとメッセージを記した。」

山中教授、コロナのHP開設 闘いは「長いマラソン」
山中伸弥による新型コロナウイルス情報発信

教会は、礼拝や集会で、もはやコロナ対策で多くの時間や神経を使ってはいけないと感じています。しなければいけないことは、ほぼ固まっています。手洗い、換気などです。今、心配するのは、委縮して、必要以上に気を使い過ぎて、教会が本来しなければいけないこと、また今だからこそ行いなさいと命じられてることを、おろそかにしてしまわないか?と感じています。

もっともっと、「私はこうやって主との交わりができた」という証し、ある程度の制限の中にあっても、制限の中で与えられた新たなアイディアなど、そういったことを分かち合っていくべきではないか?と感じます。

例えば、うちの教会では、聖書の体系的な学びをしっかりとできるようになったという方がおられました。中国の家の教会も、多くのクリスチャンが聖書を読む時間が増えたらしいです。アメリカでは、オンライン礼拝や集会で、これまで御言葉に触れたことが全くなかった人々がアクセスするようになった、とか。

それから交わりを教会堂の中で持たなくとも、外に出て、自然に触れながら交わることも、暖かくなってきたのでできますし。

そして、医師で牧師の方によると、聖餐式を止める必要はないという意見を読みました。これは教会にとって死活的な礼典です。私たちの教会では、自分がパンを裂く時、直前に消毒液を手指に付けて予防しています。

あまり極端な対策をすると、ちょうど長距離走なのに、初めに全力を出して、途中で断念するようなことになってしまいます。これこそが危険です。持続的な緊張感で臨むべきであり、騒いでいる時間はありません。

私は、日本政府の出すコロナ対策が、このような長距離走のための対策、つまり、全面的な封鎖のような極端なことではなく、クラスター対策など、ピンポイントで封じ込め、最低限の経済活動や社会活動ができるようにさせている方針なので、神の憐れみを感じています。

北朝鮮でのコロナ流行とキリスト者の慰め

殉教者の声(Voice of Martyrs)」という、迫害下のキリスト者を支援し、また福音宣教をしている団体がありますが、北朝鮮内にいる信者から、北朝鮮内の状況と、神の慰めを伝える手紙が掲載されていました。この方は、聖書の音声ファイルの入ったMP4プレーヤーで聖書を聴いていた人ですが、このような手紙を書いています。

「祈りながら、生ける希望を抱いています。国境地域よりも、平壌・新義州の地域に、伝染病が拡がり、非常に深刻な状態です。飢え死にするか、伝染病に罹り感染して死ぬか、どちらにしても絶望的な状態ですが、この方を知った今は、恐れが消え去りました。再び、感謝します。
       朝鮮・新義州から 2020年3月10日」

ニュースでは、完全に隠れている情報ですね。(ちなみに、北朝鮮の朝鮮語には、外来語がほとんど使われないので、コロナウィルスという用語ではなく、「伝染病」と書いています。)医療体制が著しく劣っているでしょうから、相当なものなのでしょう。しかし、それにも増して、”この方”を知っている兄弟(姉妹)は、恐れが過ぎ去りました!

英語で読みたい方はこちらでどうぞ↓
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