All who prayed for us – Thank you!

Anyone who has prayed for Japan “must” watch this video. The tsunami victims would like to express their thanks to you. Please continue to pray they come to know the enternal hope of salvation!

被災者の人々が救援してくださる方々に「ありがとう」という言葉を返しています。ぜひ見てください。そして被災者の方々がイエス様の救いを受け入れることができるよう、お祈りください。

東松島とイスラエル

私たちロゴス・ミニストリー、また母体のカルバリーチャペルは、神がイスラエルという国に対して確かな計画を持っておられることを堅く信じています。その信仰は、私たちに特異なものではなく、主の弟子たちが抱いていた希望であり、主ご自身が予め語られたことです。

そして、実は48年にイスラエルが建国される前に、神が預言として与えられたという理由だけで、イスラエルの回復を祈り求めた人たちが少なからずいました。当時は、ブリタニカ百科事典でさえあまりにも非現実めいたこととして書き記しているほどで、狂信扱いされていたのです。けれども、この日本において、しかも霊的復興が進展している中でその祈りが捧げられたのは、ホーリネス教会の創始者、中田重治師によるものでした。

この聖書の字句をそのまま信じていく姿勢と、聖霊の力による宣教は、当時、天皇主義を強力に推進した国家弾圧の対象になりました。当時の特高(注:今の「公安」と同じ)の捜査は極めて優れており、ホーリネスの教会指導者らは、逮捕され、取調べを受けてもなぜ捕えられたのかよく分からなかった程でした。しかし、彼らの信仰体系、すなわちキリストが地上の王として君臨されること、そしてユダヤ人の救いと回復というのがまさに訴状だったのです。過去に三つの記事でこのことをまとめています。

何を予期すべきか 1
何を予期すべきか 2
靖国神社について その3

それを冷ややかに見ていたのは、当時の数多くのキリスト教会でした。彼らは、そうした信仰を敵国の米国から輸入されたものであり、過激、極端であるとして距離を置いたのです。けれどもそれは、自らの聖書信仰をなし崩しにするものでした。教会指導者は、法廷において「キリストの再臨というのは、心の中でキリストが王となることであり、霊的なものだ。」「キリストが既に紀元70年のエルサレム破壊で再臨したのだ。」と言って、使徒信条にももとる言い逃れをしたのです。(参照記事 )

話を戻しますと、中田重治師の説いた大衆伝道、その原動力となった切迫的再臨信仰と、聖霊体験は、一部に行き過ぎがあったものの、それらの教訓も含めて私たちには大いに学ぶべき所があります。(参照論文:「第35回 日本の教会」「ホーリネス・リバイバルとは何だったのか」)このような素晴しい遺産を、私たちは米国の霊的復興や神学の中のみならず日本国内で実に見出すことができ、慰めを得ることができます。

そして最近まで知らなかったのですが、中田師は巡回伝道を精力的に行っていた中で、再臨運動等の時期には松島にも立ち寄っています。(参照記事:ウィキペディア「中田重治」)そして、何と1932年には、奥松島の野蒜海岸にて、イスラエルの回復を祈ることを公に奨励していたとのことです。

四月から始まった東北救援旅行において、神は主に私たちのチームを東松島に導いてくださいました。第一回目は鳴瀬地区にある牛網に、そして二回目からは、仙台人が東京人にとっての湘南海岸のように、行楽地として親しんでいる、奥松島(野蒜&宮戸島)の月浜地区に導かれました。

そして、東日本大震災の3月11日の前日までの数日、私たちは沖縄のカルバリーを初訪問したのですが、その間、チャックさんと由美さんのお宅に泊まらせていただいたのですが、お二人が神様に呼ばれて、東松島に教会開拓の幻が与えられ、十月末に仙台に引っ越されました。

東松島市には、唯一、「宮城聖書教会」という教会があります。その教団はホーリネスの群れの一つである「基督聖協団」です。

その牧師、田中時雄さんのお誘いで、チャックさんと由美さんが11月20日に行われた野蒜海岸における祈り会に参加されたようです。イスラエルにいるユダヤ人教会指導者や宣教師の方々がいらっしゃいました。

Prayer Time on Nobiru Beach with Asia Messianic Forum 2011 (アジア・メシアニック・フォーラム2011 野蒜海岸で祈りの時を持ちました)

私は、東北地域にリバイバルが来ると予告はしませんが、これが主ご自身の情熱であることは強く信じています。なぜ津波の苦しみを負われているのか?その報いは何なのか?実に、神の惜しみない豊かな愛の注ぎと、キリストによる救いそのものが、罹災者の方々が受けておられる苦しみに対する報いであると信じています。イエス様は、九十九匹の羊を置いて、失われた一匹を捜されました。東北の被災地はその圧倒的な愛を受けるに実にふさわしいと思います。

牛網・月浜救援旅行11月16-17日

みなさん、お祈りありがとうございます。無事に東松島から帰ってきました。

今回の旅行は、カルバリーチャペル所沢のトラビスさんが大いに手伝ってくださり、楽をさせてもらいました。炊き出しの食事は、ハワイの現地の人がよく食べているカルア・ピッグとキャベツで、その豚肉の仕込を前もってしてくださっていたので、月浜で準備することがほとんどありませんでした。そしてワゴン車で私たちの自宅まで来てくださったので、私たちの方で運転手も必要なくなりました。さらに、朝ごはんや朝のデボーションまでしてくださり・・・トラビス、本当にありがとう!

そして、既に沖縄から仙台に引っ越したチャックさんと由美さんが全行程を共にして、主に仕えました。さらに、16日の夜は同じく沖縄から仙台に数ヶ月前引っ越したロイさんご家族もいらっしゃいました。

現地に到着したら、牛網の避難所でよく知り合いになった方のお宅に訪問させていただきました。私自身、今回の旅行で心備えをしていたのですが、NHKスペシャル番組「シリーズ東日本震災助かった命がなぜ」で、東松島の人々の多くが鬱やPTSDを患っているという話を見ていました。仮設住宅や改築した家に戻っている人々は一見落ち着いた生活を送っているが、その中で喪失感に襲われている、とのことで、その苦しみを私たちがこれまで触れてきた方々も多かれ少なかれ持っているだろうと思って接しました。

案の定、家を失ったことに対する心の内を話してくださいました。そこの家庭のお母様は、近くの他の避難所におられたそうですが、二ヵ月半、切り干し大根の味噌のほとんど入っていない汁を飲んでいたことを何度も話しておられました。顔は笑っておられますが、もっともっと聞き手になっていかねばならないと感じました。

それから私たちは、いつもの月浜仮設住宅に行き、夕食の準備をしました。もう寒く、日没も早いので、前回外に出していた福音伝道文書のコーナーは室内に置きました。談話室は狭いので一度家でご飯を召し上がっていただいた後に、コーヒータイムにお誘いしました。

一人、男性の方が仕事から帰ってきたばかりで、そのまま談話室にいらっしゃいました。「私たちは全てを失ったので、こうやって来ていただけることが本当に嬉しいんです。」と、目に涙を浮かべて話しておられました。そして、トラビスさんがギターで歌を披露しました。(下は、同じおじさんが、早朝に漁をしてご自分の家の跡地で捌いておられました。)

次の日、牛網の人にさらに何人か会おうと思って、トラビスが牛網避難所のリーダーだった千葉さんに電話したところ、なんと月浜に後十分間で到着するというではありませんか!なんという奇遇でしょう、お仕事でこちらに立ち寄ろうとしていたのです。(下の写真は、トラビスさん、チャックさん、そして千葉さんです。)

そして私たちは、今泉さんの仮設住宅に立ち寄り、再び千葉さんに会いました。彼が今育てている大根、キャベツ、白菜を見た後、東松島市の北隣の美里町でラーメンをご馳走してくださいました。彼は何度も、4-5月に再び野菜を植える、そして家も新しく建てるから、ぜひ来てほしいと仰っています。

私たちはこれからも、続けて牛網と月浜に通おうと思います。さらにチャックさんと由美さんの働きを応援して、長期的に救援・伝道の働きを続けていきたいと思います。

後記:チャックさん&由美さんも、ご自分のブログに東松島の報告を書いています!
Outreach at Tsukihama Temporal Housing (月浜の仮設住宅で炊き出し)

NHKスペシャル 巨大津波「その時ひとはどう動いたか」その3

その2の続き)

先ほど紹介した「津波てんでんこ」の実証例を克明に記録している、次の記事がありました。

検証・大震災:瞬時の判断、救った命 生徒全員避難で無事、釜石東中学校

ぜひ一読してください。そこにある地図と写真が非常に参考になりますが、まさに釜石の学校の生徒たちが、「てんでんこ(ちりぢり)」になって逃げている姿を見ることができます。

ここに出てくる生徒たち一人一人が、先に説明した危機行動、すなわち自分自身で判断し、自分のことは自分で責任を持ち必死になって逃げています。その他に、上の記事では常時の防災訓練もしていたことが、想定外の巨大津波に対処できたことも話しています。

「津波てんでんこ」は明治の津波によって得た教訓であり、先人の智慧です。生活が便利になり、安定している所に住んでいる私たちは、私たちのほうが“進歩”していると考えています。それはとんでもない間違いであり、現代人が生活の利便と技術への過信の中で、実際の脅威に対して鈍感になっていると考えなければいけません。

私たちは、聖書では文字通り、天災によって神が大声で語っておられる姿を見ることができます。ノアの時代の洪水から始まり、ソドムとゴモラ、エジプトにおける災い、ヨエルのいなごの災い、ウジヤ王の時の大地震などがあり、そして終わりの日における「火による裁き(2ペテロ3:7)」があります。これらの災いを通して、神は、先に説明した災害時における人間の行動を如実に言い表しておられます。

ソドムとゴモラの災いに注目してみましょう。天使二人がソドムの町に行き、ロトとその家族を救うべく、災いが下ることを警告しました。それでロトは既婚の娘の家に行きました。

「そこでロトは出て行き、娘たちをめとった婿たちに告げて言った。『立ってこの場所から出て行きなさい。主がこの町を滅ぼそうとしておられるから。』しかし、彼の婿たちには、それは冗談のように思われた。(創世記19:14)」

婿たちはまさに、「正常性バイアス」にかかっていたのです。まさか、今の平穏な生活を崩すものは起こらないだろう、起こったとしても自分たちには災いは降りかからないだろう、という偏見です。そして何よりも、ロトが「主」の名を口にしたときに、彼らの唇には薄ら笑う動きがあったかもしれません。彼らは神そもものへの軽蔑を持っていたのです。

そして、ロトは未婚の娘二人と自分の妻を連れて、逃げ始めましたが、ロトの妻は「同調バイアス」にかかっていました。ソドムの町の人々との生活から離れることへの未練と不安があったのです。それで、その逃げる速度が遅くなり、そして彼女は町を振り返りました。「ロトのうしろにいた彼の妻は、振り返ったので、塩の柱になってしまった。(創世記19:26)」

幸いにもロトは、妻に対しては「愛他行動」を取らなかったので、妻は滅びましたが、自分と娘二人は救うことができたのです。

これを、「昔の聖書物語」として片付けることができるのでしょうか?聖書で起こった出来事を現代に当てはめる営みを毛嫌いする傾向が現代にはあります。キリスト教会の中にさえ、その雰囲気があります。けれども、聖書は何度も何度も、昔起こったことは私たちに対する戒めであることを教えています。

「これらのことが彼らに起こったのは、戒めのためであり、それが書かれたのは世の終わりに望んでいる私たちへの教訓とするためです。ですから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけなさい。(1コリント10:11-12)」「正常性バイアス」に対する戒めです。

私たちの社会でも、ソドムとゴモラが滅ぼされた罪を行なっているのです。「また、ソドム、ゴモラおよび周囲の町々も彼らと同じように、好色にふけり、不自然な肉欲を追い求めたので、永遠の火の刑罰を受けて、みせしめにされています。(ユダ7)」「だが、あなたの妹ソドムの不義はこうだった。彼女とその娘たちは高慢で、食物に飽き、安逸をむさぼり、乏しい者や、貧しい者の世話をしなかった。(エゼキエル16:49)」

そして、聖書の話を昔話としてあしらうことは、まさに先人の智慧をあしらうのと同じであり、昔、預言者たちを通して与えられた神の知恵を拒むことです。

ちょうど、釜石の生徒が日常から防災訓練をしていたように、私たちは霊的な備えが必要です。イエス様は何度も、ご自分が戻ってこられることについて、「目をさましていなさい。用意していなさい。」と命じられました。それは、まず、罪と死から救われるだけでなく、この世の災いからも私たちを救ってくださる主イエス・キリストを心から受け入れ、自分の救い主とすることです(ガラテヤ1:4)。そして肉の行いを打ち捨てて、イエス・キリストにある正しい生き方をすることです(ローマ13:12-14)。

このように、私たちに与えられている天災は、神が拡声器を取り上げて、大声で、「これらのことで、わたしがいることを知りなさい!」と言い聞かせている貴重な機会であることを覚えましょう。

このとき、あなたがたは、わたしが主であることを知ろう。」(エゼキエル13:21等)

NHKスペシャル 巨大津波「その時ひとはどう動いたか」その2

その1の続き)

私たちは2005年から2010年まで、日本でもなくアメリカでもない他の国に住んでいましたが、三ヶ月後に震災に遭い、その後の日本がかつていたその国に少しにかよったことに気づきました。

一つは、1)の「正常性バイアス」に関連することですが、「予期せぬことが起こる」に慣れていました。最近、自宅の前で水道管工事がありましたが、ポストにその工事の予定を告知する用紙が投函されていました。これは私たちがいたところでは皆無です。抜き打ち工事であり、マンションの住民のことは一切考慮されず、その出入り口を塞いだりすることは当たり前で、すぐそばで突貫工事を真夜中に行なっていることもありました。

その他、卑近な例ですと、歩道だと思っている所に自動車が突然走ってきたり、二メートル先の所で建物の工事現場から燃えている火の鉄の塊が落ちてきたりと、常に「予期せぬ」ことでいっぱいでした。

けれども、そこですぐに感謝できたのは、「その分、余計に神に拠り頼みやすくなった。」ということです。今日の安全は、祈りと共に始まり、祈りつつ与えられていました。自分が生きていることを、こじつけではなく、真実に、素直に「神の守り」であることが実感できました。

その反面、日本は前もって「変化」を伝えるという計画性を持っています。東電の「計画停電」というのはその典型例です。しかし、それは生活基盤の安定した先進国だからこそできることであり、この発展も神の恵みで与えられているということを人々は無視しています。あたかも、家を煉瓦で作り、そこに瀝青(アスファルト)で塗り固めたバベルの住民のようです(創世記10章参照)。

しかし、津波は、自然の威力の前では人の築いた物が無力であることを教えました。それでも私たちは、今でも「自分にはこれらの災いが起こらない」という錯覚を持ちながら生きているのです。災害心理のみならず、霊的にも錯覚した状態で生きています。

次の2)「愛他行動」を考えてみます。この行動は一見美談に聞こえますが、実は悲劇です。真実は、「津波てんでんこ」なのです。意味は次のとおりです。

「てんでんこ」は「手に手に」に接尾辞「こ」が付いたこの地方の方言で、「てんでんばらばらに」という意味。「津波が来たら、肉親に構わず、各自てんでんばらばらに一人で高台へと逃げろ」がこの伝承の本来の意味である。津波は到達速度が速く、肉親等に構っていると逃げ遅れて共倒れになってしまうため、「一族を存続させるためにも、自分一人だけでもとにかく早く高台へと逃げよ」という意味があり、また「自分の命は自分で守れ」とも含意しているとされる。また、自分自身は助かり他人を助けられなかったとしてもそれを非難しない、不文律にもなっている。(Wikipediaの説明)

日本の人々は、「みなが一緒に生きていく」という優れた国民性を持っています。我先に行動することは醜いとして見下げます。けれども、それには自然の脅威やその他の危機においては通用しないことを今回の津波は教えています。「自分の命は自分で守る」という責任を果たさなければ、家族や共同体さえも失われてしまうという人間生存の原理があるのです。

私たちが、他国の人たちにも福音宣教をしている中で、日本人に特有だと気づくのは、「福音を知らないで死んでしまった家族の人は地獄に行ったのですか?」という質問です。日本人には「これは人間なら全ての人が抱く質問ではないか」と思うでしょうが、彼らは疑問として抱くことはすれ、信仰上の悩みとまではなっていません。家族の間でも、「あなたはあなた、私は私」という自己が確立されています。

けれども、日本においては、初めてキリスト教を布教したカトリック宣教師ザビエルでさえ、受けた質問であり、日本人がいかに「永遠の命」という個々人の問題に対しても、他者と一緒に救われなかったらいたたまれない、という負い目を持って生きているかがよく分かります。

自分自身が救われる、ということついて、「自分が家族の中でどう思われるのか」「先祖の墓はどうすればよいのか」などの心配によって、信仰の決断を後回しにするときに、自分の命を失うばかりか、その家族の命をも死に至らせるということを知らなければいけないのです。「こういうわけですから、私たちは、おのおの自分のことを神の御前に申し開きすることになります。 (ローマ14:12)」

そして、家族を救うことはできるのは、初めに自分が救われてから、次に、ようやく神の憐れみによって与えられるものなのです。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。(使徒16:31)」あくまでも「自分の救い」を考えなければ、自然界だけでなく、罪から来る罰においても、災いを免れることはできません。

そして3)の「同調バイアス」についても、「赤信号、みんなで渡れば怖くない」という考えが日本人の中に横たわっています。真実は、「赤信号、みんなで渡ればみんな死ぬ」なのです!他の人々と異なる行動を取るのを私たちはひどく嫌います。けれども、真理というのは、多くの場合、他の多くの人々と異なる道を選び取ることなのです。

狭い門からはいりなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこからはいって行く者が多いのです。いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。(マタイ7:13-14)」

さらに4)の「エキスパート・エラー」について言うならば、これは自分の判断を放棄しているところから来ています。これはまじめな人ほど陥りやすい過ちです。自分で判断することこそが、災害時においての行動基準であることは、防災の専門家の多くが指摘していますが、同じことが霊的識別にも言えます。私たちは、人の与えた規則や意向ではなく、神が与えられた御霊に導かれるという責任があるのです。

日本は極めて、規則正しい国です。法治国家であることはもちろんのこと、マニュアルや行動基準が極めて発達している社会であり、人々もそれにしたがって生きていこうとします。けれども、私たちがいたところでは、その正反対でした。規則というのは単なる“標語”です。実際、守ろうとすればこれほど理不尽なものはないと思われるものばかりなので、守る気にもなれないというのが現状です。

被災地がある程度、そのような状況になりました。マスコミの情報や、役所の規則だけを聞いていれば、「被災地では何の救援活動もしなくてよい」という結論に至ります。私たちの救援活動の第一回目は、石巻を目指していましたが、その途中、被災して掃除と修理をしていた「サンクス」に、「もしかして、この地域は救援物資が必要なのでは?」と何となく感じて、入って聞いてみた、というのが始まりです。二回目には、その直前に、近くの韓国人教会で私が説教奉仕をしていたときに、たまたま東松島の被災者の人と出会って、その方の被災した家の写真を撮ってきましょうか、というのが始まりでした。

そのずっと後、数ヵ月後に、東松島市の方にボランティア活動をしていることを告げました。本当は役所を通さなければいけなかったのですが、私が既に行っている活動と、現地の人たちと直で行なっている旨を話したところ、すんなり、その後の活動も許可等を与えてくださいました。

被災地は、その場その場で決めていかなければいけないこと、そして決まり事ではなく、人と人とのつながりで広げられるものが沢山あります。これは主との関係においても同じであり、律法ではなく御霊の導きにしたがうこと、そして、プロジェクトではなく、人々との神の愛のつながりが霊的奉仕であります。

以前の記事「21世紀にキリスト者日本人として社会に生きる」の筆者は、次の言葉で文章を締めくくっています。「日本では、自分も含めてキリスト者の生活に「世の光」の輝きが感じられないのは、自分の計画や生活を一分の隙もなく固めてしまい、周りの人に神の指の働きが感じられないからかもしれない。日本と世界の隣人のために「将来が未確定である部分」を自分の生き方に導入してみる。そのとき、「人間万能」の日本社会で「聖書の神を万能とする生き方」が輝きだすのかもしれない。」

今の日本の危機は、神が働かれる契機なのかもしれないのです!

その3に続く)

NHKスペシャル 巨大津波「その時ひとはどう動いたか」その1

週末の礼拝の奉仕を終える月曜日は、なるべく休みの日のようにしようと心がけ始めましたが、今朝はお風呂かプールに行こうと思っていましたが、結局、録画していた番組を見ました。

NHKスペシャル 巨大津波「その時ひとはどう動いたか」

以前の原発事故の番組と同様、心を強く揺さぶられました。何度もテレビやインターネットで見た、津波が押し寄せる映像について、私はいつも「現場にいた人々はどう行動していたのだろう?でももう死んでしまったから聞けないよな。」と思っていましたが、この番組はそれを可能にしました。九死に一生を得た人々に直接取材して、そして作り上げた「被災マップ」「行動マップ」を、地震発生から克明に描いています。

私たちは何度も東松島市への救援旅行に行っていますが、奥松島では、宮戸島の住民は引きこもりの人一名のみが死亡、けれども島の付け根にある野蒜地域は二百名以上と言われています。この前の救援旅行では、牛網の人に、宮戸島にある引越し物件の可能性の話をしたら、「あんな危ねえどご、やべぇんじゃねぇ」という反応でしたが、そこで死亡者がほぼ皆無だったことを話したら驚いていました。また私は東京で地震を経験して、すぐにNHKの番組を見て、普通は至極冷静なアナウンサーが、気が狂ったかのように巨大津波の警報を読んでいたという話をしたら、それも驚いていました。「知らねがった」とのことです。

より安全であるはずの人々がかえって死んでしまった、そして外部にいる人々はその危機を察知しているのに、現場にいる人が分かっていない、ということをこの番組では取り上げています。それは一言、「心の罠」で要約できます。

災害心理学において、その行動をまとめることができるそうで、1)「正常性バイアス」、2)「愛他行動」、3)「同調バイアス」があるそうです。

1)は、逃げることをせず普段どおり近所と世間話をする等、非常時に「まさか本当だとは思わなかった」「こんなことが起こるはずがない」と現実として捉えられない心理作用のことです。

2)は、避難することを固辞した人までも説得するのに貴重な時間を喰い、自分の命を落としてしまうような行動です。他の人を救おうとする意識が過剰になってしまい、自分だけ逃げることで自分の心に残る後悔を払いきれず、人助けをすることに集中して危険を感じることを後回しにしまうという心理だそうです。

3)は、緊急時、複数の人数でいると「皆でいる安心感」を感じたり、また、判断に迷ったとき、周りの人と同じ行動をするのが安全だと考えてしまう心理作用です。「隣が動かないから大丈夫だろう」と考え、逃げ遅れたりします。

(番組では取り上げられませんでしたが、4)「エキスパート・エラー」というのもあるそうです。(こちら)一般人が専門家の意見や指示を「プロの意見だから」と疑わずに信じてしまい、そのとき相応しい判断を間違える心理行動、とのことです。事実、この名取市閖上地区の記事を探したら、次の文がありました。「「なぜ公民館に避難しないんだ、戻れ」。阿部さんは顔見知りの女性に強く注意した。女性は「公民館の人から、ここは津波の避難所じゃないので中学校へ移動するよう言われた」と答え、その場を後にした。」)

そして、番組の最後は復興計画を説明し、二重の防潮堤のことを話している名取市職員に対して、住民が「そんなこと言ったって、津波が来たらまた家に戻ってしまいますよ。そして同じように死にますよ。」と叫んでいる住民の声がどしんと響きました。

ぜひ、この番組を視聴してみてください。今のところこちらで見ることができます。

私は単に、これを防災面のみの問題として見ることができませんでした。日本国のような安定した先進国での生活に横たわる問題、そして、聖書で警告されている「突如の滅び」という大きな主題について示唆が与えられたからです。

その2に続く)

東松島救援旅行(月浜)10月6日

次の日、私たちが朝ごはんを用意しているときに、さっそく昨日の物件の大家さんが現地に着いたとの連絡を受けました。仙台若林区在住のロイさんも来て、中身を見せていただくことができました。一階から三階までの、見事なオーシャンビュー(海辺の見晴らし)です。けれども、その周りは全壊した家屋の部落です。

これから由美さんとチャックさんが神様に祈って、ここをどのように受け止めるのか、また修繕等もどのようにしていくのかで、話は決まってくると思います。どうか続けて、主が備えておられる場所にお二人を導いてくださるよう、お祈りください。

そしてお二人は急いで帰りました。午後5時出発の沖縄行きの飛行機に乗らなければいけないからです。(4時過ぎに電話があり、無事に搭乗口にまで来ることのができたとの連絡を受けました。)残った私たちはデボーションをして、仮設住宅を発ちました。

私たちは松島を立ち寄りました。両親が息子の私に会いたいとのことで、松島海岸駅の隣にある喫茶店で三人は話をして、その間、妻とマイケル、セルマさんは松島の景色を見て散歩しました。そして無事に帰宅できました。

どうか続けて、月浜の人々、牛網の人々のためにお祈りください。このつながりが、今度はチャックさんと由美さんの宣教活動につながるようにお祈りください。たった一人でもいい、サマリヤの女のように本当に回心した人を神が起こしてくださり、その人を通して地域に福音が広がっていくようにお祈りください。しっかりしたイエス・キリストの土台の上に、教会が建て上げられるようお祈りください!

東松島救援旅行(牛網)10月5日

次の日、早朝起きて仮設住宅をちょろっと廻ったら、区長の奥様がちょうど歩いて来られました。貸家物件の可能性についてです。月浜海岸は津波で家屋がほとんど土台ごと流されているのですが、岩の家に建てられた数軒が残っており、その一つが丘の斜面に建てられている使用されていない別荘があります。私たちが海岸の掃除などをしていたときに、よく残っていたなと関心していたものです。大家さんは他の所に住んでいるので、元所有者の現地の方が仮設におられるので、この日は外見だけを案内してくださいました。大家さん本人に連絡したところ、明日の早朝、来て内部を見せてくださるそうです。

そして次に私たちは、8月24日の旅行で一度訪れた、牛網の新しい仮設住宅に行きました。ところで、すでにカルバリー所沢のトラビスとカルバリー西東京の山東さんが十月中旬に、千葉さんなど他の人たちと共に彼らのところに訪問しています。

私たちは、仮設住宅に移った彼らに対して、従来の炊き出しではなく、個々人のお宅に訪問して時間を過ごそうという思いで一致していました。これによって今後何年間も切れることのない絆を結び、またキリストを伝えることができると考えたからです。

訪れた今泉さんのところには、十人ぐらいの避難所の仲間が訪問してくださり、久しぶりの再会を互いに喜びました。仮設住宅に住まずに、牛網の修理・改築を済ませた自宅に住んでいる方々もおられました。避難所生活から離れて、かえって一人ぼっちになって寂しいという人もおられました。

そして次に、第一回の救援旅行の時に涙を流してトラビスのピアノ演奏を聞いていた斎藤さん宅を訪問しました。その時以来、避難所のリーダーの千葉さんと共に仲良くさせてもらっています。ご夫妻の家は冠水のみで改築と清掃で住めるようになっています。8月10日頃、宜野湾のチームも宿泊でお世話になっています。

彼女は、旦那様もそうですが、ミッション系の学校出身など、かなり教会の人々に囲まれている生活を送っておられていたので、直接的に、私たちはクリスチャンになった証しをしたり、伝道も試みました。今泉さんもそうでしたが、チャックさんと由美さんが引っ越してくる話を聞いたら、非常に喜んでくださいました。

そして、そこに避難所のリーダーだった千葉さんがやってきてくださいました!本業は家屋の壁紙貼りだったのですが、震災後はものすごく忙しくなっています。珍しくその週はいつもの石巻ではなく牛網での作業だったので、途中で抜け出して斎藤さん宅まで来てくださったのです。

彼にもチャックさんと由美さんのアパート捜しを相談していましたが、知人の不動産屋に電話してみるから再び五時半に会おう、ということになりました。チャックさんと由美さんは、仙台港にある沖縄からの引越しの荷物の一時保管するコンテナを、仙台港のところで見つけたので、契約を結びに行き、私たち四人は他の用事を矢本で済ませていました。

そういえば、月浜避難所でお世話になった小野さんにも、4日の炊き出しにお誘いしていたのでいらっしゃらなかったので、一か八か電話してみたところ、その時、東松島で最も大きい「グリーンタウンやもと」の仮設住宅のご自宅におられるではありませんか。それで急遽、私たちはそこに訪問して、たまたまもう一人、月浜仮設住宅在住の若いお母さんもおられて、時間をじっくり過ごすことができました。

そして牛網に戻りました。結局、千葉さんとは再び斎藤さん宅で会うことになり、再び団欒の時を持つことができました。そして千葉さんの連絡先から、可能性のある格安の売家の話が浮上しました。

そして私たち全員は、月浜の仮設住宅の木村宅に戻りました。

東松島救援旅行(月浜)10月4日

皆さんお祈りありがとうございます。無事に東松島市にある月浜と牛網の救援旅行から戻ってきました。マイケルさんの運転はとてもスムーズで、またトラビスの親戚(お父さんの従姉妹)のセルマさんも時間に遅れずにマイケルと早朝に来てくださったおかげで、12時には現地に到着することができました。

今回は、綾瀬東部教会の方々が牛網の人々のためのキムチを用意してくださり、また教会のワゴン車を貸してくださいました。また妻が知り合いになった他の韓国教会の方もキムチを送ってきてくださったので、月浜の人々にもキムチを提供することができました。

この日は、月浜の仮設住宅の方々への炊き出しです。仮設住宅には談話室が大抵付いています。そこで豚汁、ご飯、キムチ、キムチ入りチヂミ、フルーツミックス、そして食後のコーヒーとお菓子を用意しました。そして談話室の外には、絵本やトラクトのテーブルも用意しました。

思ったより、夕食の準備には時間がかかりました。以前の月浜避難所での炊き出しでもそうでしたが、ここの地区は民宿と海苔養殖で成り立っていますが、ご婦人の方々がプロの手捌きで配膳を手伝ってくださり、見事に人数分、ぴったりと分けてくださいました。ご飯は隣にある、津波で流されなかった民宿の方がその大きな炊飯器で私たちの持参したお米を炊いてくださいました。

絵本とトラクトのテーブルにも人が殺到しました。絵本は瞬く間になくなり、トラクトもかなり取っていってくださいました。

それから、食後のコーヒーの時間には、区長ご夫妻と親戚や数人の方が来てくださり、いろいろ語らいの時を持ちました。今回は、チャックさんと由美さんの引越し先の物件を聞き出すという大きな相談もあります。被災地での不動産捜しは案の定、困難を極めたようで1日から捜しているけれども全然見つからなかったとのこと。それで、区長さんの情報から可能性のある物件が浮上し、5日と6日のその物件を見ることができました。

その後、私たちは仮説住宅の木村さんのお宅に宿泊しました。チャックさんと由美さんが、私たち二人に、主がどのように東松島に導いてくださっているのかを分かち合ってくださり、私たちも、全面的に支援したい旨を伝えることができました。

気仙沼南町商店街 & 東松島救援旅行(10月4-6日)

一昨日、LCFの瀬谷さんが録画した次のNHK番組のDVDをくださいました。

明日へ 再起への記録「めげでられねっちゃ~気仙沼 南町・人情商店街の奮闘~」

私たちが第二回の救援旅行で気仙沼に行った時に、救援物資を渡した南町の人々が次々と出てきていました!(ブログ記事「第二回目 気仙沼救援旅行 4月14日」)7月にいただいた初揚げカツオといい、なんかまた気仙沼に行きたい気分になりました。

今のところ、こちらで番組の動画を見ることができます。そこに出てくる紫神社の集会所で、韓国の教会の人々が用意してくださったキムチを手渡しました。それを受け取った担当の方が、小野寺さんという方で理髪店を営んでおられることも番組で知りました(写真の左側の方、右側は綾瀬東部教会の魯牧師)。

・・・ところで私たちは明日4日から6日まで、再び東松島の月浜と牛網に行ってきます。お祈りください。今回は、カルバリー所沢の宣教師でLCFの土曜礼拝の賛美をリードしてくださっているマイケルさんと、牧師トラビスのおばさんが、私たち夫婦といっしょに行ってくださいます。

それから、私たちにとって大きな、良い知らせは、沖縄のカルバリー宜野湾で奉仕されていた宣教師夫妻である、チャックさんと由美さんが東松島に移り住み、教会開拓の幻を抱えて宣教活動を行うことです!(チャックさんと由美さんのブログ記事)すでに1日に東松島入りしてアパートを探しています。ぜひ住むところが見つかるようお祈りください。4-6日には、私たちと一緒に月浜の仮設住宅にて宿泊する予定です。(下の左側の男女です。右側はすでに沖縄から仙台に引っ越して奉仕をされている、ロイさん&ナンシーさん宣教師ご夫妻です。)