石巻・東松島救援旅行 4月6日

この日は両親も連れて、8名で行きました。

石巻に午前中行きました。石巻は意外に手ごわいです。少し内陸に入るとかなり復旧しており、救援物資を受け取ってくれません。けれども海岸部は激しい破壊状況で、今度は逆にあらゆる救援に対して心を閉ざしています。今回、被災地はこのように津波が来た所とそうでない所が、ある一線からちょうど国境のように一気にその風景が変わります。

ちょうど中間当たりの状況にいる人々を見つけられたら、物は受け取ってくれるでしょう。実際、病院の先生が食料はあるが患者さんに暖かいものが出せなかったということで、ガスコンロとボンベを渡すことができました。

海岸部で今必要なのは瓦礫を取り除くなどの作業だと思いますが、同日に石巻に行った国分寺カルバリーの兄弟によると、自動車が家の中に突っ込んであったりして、自衛隊が来るのを待つ必要があるとの事です。あと二週間ほどしたら、瓦礫除去や清掃のお手伝いができるでしょう。

そして2時に東松島に戻りました。カルバリー府中の兄弟が、トラックに洗濯機6台と、バーベキューの台、鶏肉を調達して東京から来てくださいました。私たちは前日ものすごい量のソーセージなど、他の食材を用意して持って来ました。それから再び、沖縄カルバリーの仲間がさらに衣料を中心とする物資を持ってきてくれました。

そしてすごいことが起こります。すぐ傍に津波でだめになったため捨てられていたピアノをトラビスが見つけ、これならピアノを弾ける、とのことでした。それを動かし、この地区センターの長の方が照明も設定してくださいました。これこそ、津波のよる破壊から音楽による希望を奏でる象徴的存在になりました。

バーベキューの準備が進み、長蛇の列が並びました。沖縄のリックたちは、袋に聖書を入れて、それに物品5品までということで、分け与えることができました。炊き出しをしている自衛隊の若者たちと本当に親しくなり、彼らにもバーベキューをあげることができました。

そして、トラビスがピアノ、そしてギターで歌を披露します。人々の心がますます和んできました。一人の婦人の方が泣き出され、祈らせていただきました。そして大勢の方が、本当にありがとうという言葉をかけてくださり、印象的だったのは、「これで終わりに決してしないでください。復旧には一年以上、かかるでしょう。この地区は忘れられています。どうか、長期的に考えてください。」とのことでした。これこそ、私たちが祈り続けていたことですから、「分かりました」とはっきりと答えることができました。

地区センターの長の方のために、私たち牧師が手を合わせて最後、祈る時間を持つことができました。

この地域のために、主にある希望になりつづけたいと願っています。

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