靖国神社参拝について その3

(「その2」からの続き)

「無知」が「凶暴性」へと

けれども、日本ではこのような宗教の「中身」にまでつっこんだ議論はほとんど皆無です。かつてオウム真理教による地下鉄サリン事件が、宗教へのアレルギーを増幅させましたが、では彼らが何を信じ、何を宗教的に実践していたのかについての議論はほとんどありませんでした。日本人は「教理」とか「教義」、そしてその「実践」について無関心、無頓着なのです。

これが単なる無知では済まされず、これが共産主義者と同じ「純粋になればなるほど残虐になる」凶暴性を持っています。それがキリスト教会に対して、戦時中に起こったのです。

ホーリネス弾圧事件

このことについては、クリスチャンの人もあまり知らないと思いますので、上のウィキペディアの記事の一読をお勧めします。そして彼らが罰せられた判決文を引用します。

1934年1月大審院検事局が3教派の共通定義を行った。「神は近き将来に於いて「キリスト」を空中に臨ませ義の審判を開始し戦争その他災厄の充満せるいわゆる患難時代を現出せしめたる後「キリスト」を地上に再臨せしめて我国を含む世界各国の統治権を摂取せしめ「キリスト」を統治者、携挙せられたる聖徒を統治に参与する王、神の選民と称するイスラエル人を支配階級となす千年王国なる地上神の国を建設し次で新天新地と称する神の理想社会を顕現すべきものなりとし、天皇統治が右千年王国の建設に際して廃止せらるべきものなりと做す国体を否定すべき内容のものなり」

もし私がその時に生きていた教会指導者であったなら、まったく同じ訴状で刑に処せられたでしょう。「ロゴス・ミニストリー」が信じている神学・教理体系と全く同じだからです。

「保守」を唱える日本人の人へ

日本国が愚かにもこんな判決を出したから、日本のキリスト教会が保守主義に対してアレルギー現象を起こしていることを、よく考えてください。自民党など保守政党の関係の方がこの記事をご覧になっていれば、(まだ少数派ですが)日本キリスト教会の人たちがなぜ拒否反応を示すかをご考慮ください。私は、他の争点においては保守政党のものと一致している「珍しいクリスチャン」ですが、神学においても保守主義を貫いている私としては、ここは絶対に譲れない「聖域」なのです!

靖国が日本人の「聖域」だと言うのであれば、私はキリスト者としての「聖域」を守ります。この国を愛し、この国のために殉ずる覚悟を日々の祈りでしていきたいと思います。それをキリスト者も追悼することのできる施設を造るのか、あるいは「迫害」という形で応答するかは、あなた(右派と称する人たち)のご決断です。

(「番外編 - キリスト者向け」はこちら