自衛隊の避難所フラダンス!

下の、4月18-20日のトラビス率いる東松島救援旅行で、自衛隊の人たちがフラダンスを踊ったという記事があります。(もう三回目なので、自衛隊の人たちともだんだん溶け合っていたのですが、そこまで溶け合うとは・・・。)CC西東京の山東さんがYoutubeにアップしました!

前代未聞です、世界ニュースになるかも!そして、こんなに楽しい避難所生活、救援活動で良いんでしょうか?主に栄光をお返ししたします。

仙台から戻ってきました 4月18-20日③

水曜日 4月20日

早朝、再び御言葉の分かち合いから始まりました。リッチがテサロニケ第一2章から話してくれました。
「私たちは、あなたがたからも、ほかの人々からも、人からの名誉を受けようとはしませんでした。それどころか、あなたがたの間で、母がその子どもたちを養い育てるように、優しくふるまいました。このようにあなたがたを思う心から、ただ神の福音だけではなく、私たち自身のいのちまでも、喜んであなたがたに与えたいと思ったのです。なぜなら、あなたがたは私たちの愛する者となったからです。(6-8節)」

私は、「ただ神の福音だけではなく、私たち自身のいのちまでも、喜んであなたがたに与えたいと思ったのです。」が好きでした。イエス様の良い知らせを与えたいです。そのために私たちは存在しています。もし私たちが救われるためだけに存在しているなら、とっくに天国にいることでしょう。けれども、分かち合う機会を求めることで、「私自身のいのちまでも与える」機会を見逃さないようにしたいと思います。

朝9時に避難所に到着しました。すぐに山東さん、私、婦人たちがバーベキューの支度を始めました。リッチと他の人たちは千葉さんの家の掃除に行きました。山東さんはすごいです、女性たちもすごいです。一人ひとりが、主に与えられた能力で同時に行動している姿はすばらしいものです。

今日のメニューは、和風ハンバーグ、大根とポン酢のタレ、ソーセージ、トストグリーン、そしてご飯です。前回購入したグリルを使って焼きました。前回は日本の炭とガソリンでしたが、今回はアメリカ式のブリケットを持ってきました。

面白かったのは、山東さんと私が料理しているとき、医療隊が診療にやってきましたが、私たちが避難民だと思っていたのです。無料の健康診断を受けられるのですが、誘惑はあったのですがやめました。

清掃隊も戻ってきて、お祈りをしてから昼食を取りました。同じ人たちがやってきました。もっと顔も分かってきました。神はすばらしいです。

昼食の後にまた千葉さんの家に行って最後の仕上げをしました。ルイス、リッチ、アレックス、ザック、山東さんです。またみなが汚くなりました。まるでダーティージョッブのようです(注:ディスカバリー・チャンネルの番組)。アレックスが、充満していた変てこな臭いで吐きそうになっても何も出てこない姿を見て、笑いをこらえるのができませんでした。

でもかなりきれいになりました。次に来た時にここで寝泊りできるんじゃないかと思われるほどきれいになりました。千葉さんはできる、と言いました。どうなるかは次回を待ちます。水道も電気もないですが、寝袋を敷くには適切な部屋と木製の床があります。終わった後すぐ、千葉さんのお姉さんとご両親が来ました。千葉さんは三人に片付いてから見せたかったようです。すばらしい人々です。イエス様を必要とする人々です。

(掃除前の千葉宅:先週、清正が撮影)

(掃除後の千葉宅:今週、トラビスが撮影)

でももう4時近くになりましたで、所沢に戻らないといけません。私たちは千葉さんとそのほかの人たちのために祈って良いかを聞きました。帰路は順調でした、この前ビルさんが持ってきた無線トランシーバーで遊びながら車内の時間を過ごしました。かなり疲れましたが、共に出来た時間を感謝しています。

私たちは続けて行き、そこでお仕えすることを願っています。二週間後には、清正もリッチも自分の教会の人たちと私たちの教会の人を連れて行きます。そこで数多くの戸が開かれることを願っています。

例えば、千葉さんがぜひ会ってほしいと言っていた若い女の子に会うことができました。火曜日の夕食前、山東さん、リッチ、そして私が会いました。伊藤ひとみさんと言いますが、シングル・マザーです。胸の痛い話でした。私は聞きたくありませんでした、なぜなら、彼女がその出来事を言葉に出すことによって記憶をよみがえらせてしまうのではないかと思ったからです。とどのつまり、彼女は話し始めました。両親は溺死しました。一歳の息子さんも溺死しました。彼女のたった独りの子供です。一・二週間後に、その子を見つけました。なぜそんなに時間がかかったのか?それより早く行ったら、身の危険があったからです。彼女にかけてあげられる言葉を失いました。ただ聞いていました。

東京や所沢に来て、東松島から少し離れて時間を過ごしてもいいよ、と招きました。いっしょに祈りました。彼女は祈られることに拒否はしませんでしたが、どうやって祈ればいいのか分からなかったので、たかこさんがただ目をつむって、聞いていればいいよ、と言いました。これらのことがたった一ヶ月の間で起こったのです。絶句です。主が彼女をどれだけ愛されているか知れません。彼女のために続けて祈りたいと思います。彼女に敵が混乱や怒り、苦味をもたらさないように祈ります。皆さんもお祈りください。

このような話はどこに行ってもあります。涙を流さずにいられないことがあります。感情がこみ上げて、なんとかこの世を救いたいという気持ちにさせられます。けれども、私たちは、造り主の中における道具でしかないことを知っています。神の導きと時を求めていきたいと思います。

何らかの形で、多くの方がここで奉仕したいと思っておられると思います。悪いことでは決してありません。これからも最新情報を伝えていきます。これは短期的なことではありません。もっと多くの機会が出てくるでしょう。事実、千葉さんは、どんなに早くても、老齢の方々が仮設住宅に8月か9月に入れるようになるかなあ、と言っていました。ですから、夏に何かすることがあると期待します。主は、人が閉じることが決して出来ない多くの戸を開いておられます。祈り続けます。聞き続けます。主は確かに真実な方です。

主の祝福があるように、アロハ
牧師 トラビス

仙台から戻ってきました 4月18-20日②

月曜日 (4月18日)

救援部隊は一度所沢に集まり、午後4時ごろ出発しました。避難所の責任者の千葉さんは、救援物資はもう必要ないし、また清正のグループがすでに、仙台のサマリタン・パースから手押し車やシャベルをそこに置いていっていたので、私たちは食事を出す材料と子供用具を車二台に入れて出発しました。

所沢から現地まで、混雑にはまることもなくスムーズに来ることができました。松島の大松荘に午後9時半頃到着しました。規模は小さい旅館ですが、満室状態でした。駐車場も満車です。救援車両のような気がします。医療チーム、建築会社など、援助団体がここやこの一帯のホテルに泊まっていることを知りました。お風呂に入って、就寝。明日は早朝出発です。

5時に、朝食の調達で外に出ました。夜に到着していたので、ここの景色が分かりませんでしたが、海岸に非常に近くて、日本三景の松島湾がすぐそこでした。その岩の小さな島と松の生えている姿は、すごく美しかったです。

コンビニでおにぎり等を買って、6時半のデボーションに戻ってきました。列王記第二4章から分かち合いました。エリシャがシュネムの女と時間を過ごしました、関係づくりのために。そして大変なことが起こりました。ゲハジが彼女に大丈夫かと聞いたら、すぐに大丈夫だと答えました。実際はそうでなかったのに。なぜでしょう?彼女はエリシャとの信頼関係があったからです。彼女はエリシャのほうに行きました。息子が死んでしまった、というあの話です。

エリシャは祈りました。そしてその子の上に載りました。口と口、目と目、手と手を合わせて。彼は等身大で接したのです。ここにも「関係」の法則が見えます。神が奇跡を行なわれました。新しい命です。これこそ私たちが願っていることです。ここにある緊急時であっても、所沢であっても、どこでも、人々のそばにいてあげる、ということです。私たちが彼らの生活の一部になる時に、主が事を行なわれます。もちろん、私の言葉や行動によって、人々が救われればと願います。けれども神のみがお救いになります。私たちはその御業の中に入り、栄光が神に帰すことを願っています。デボーションは賛美もとても良かったです。交わりも良かったです。良い一日の始まりを切ることができました。

7時半ごろに出発しました。沖縄チームは今回が初めてなので、石巻を見せに行きました。正直なところ、災害地を少し見ていると無感覚になってくる変な気持ちがします。すべてが同じように見えてくるのです。初めのショックや感情はまだ残っているのですが、少し離れてしまったような気がするのです。ニュースで何度も何度も見ていると経験するようなものです。もちろん祈ってあげる必要があります。

15分しか石巻にはとどまらず、東松島牛網の避難所に引き返してきました。9時頃に到着し、千葉さんが迎えてくれました。子供たちは私たちの名前まで覚えています。そして他の人々にも挨拶しました。

千葉さんは、昼食より夕食がいいだろうとのことで、私たちはおしゃべりで時間を過ごしました。10時ごろに20人の子供たちが集まってきて、先生がそこで教えるためにやってきました。雨が降ってきたので、そこで私たちも時間を過ごしていました。

10-15分後に雨がやみ、千葉さんは私たちのうち5人を招集して、軍手、シェベル、手押し車をもって、千葉さんの家の清掃をするため歩いていきました。彼は他の人の手助けで精一杯で、自分自身のお世話をする暇がなかったのです。家の中はめちゃくちゃでした。ごみ、家具、真っ黒な塩分の含む泥を取り出していきました。津波が押し寄せた痕が残っていましたが、2メートル弱まで浸かったようです。

時間はすぐに過ぎて昼食になりました。私たちはお店にいって何かを買うつもりだったのですが、千葉さんが、ここにあるものを食べなさいとのことでした。ご飯、味噌汁、こんぶ、そしてにんにくの漬物です。避難所の方々の食べ物を食べてしまうのにためらいましたが、でもとても感謝でした。私たちが清掃をしている時は、ジョアナとたかこさんと、たりやさん、そしてアレックスが、子供たちが勉強が終わった後にいっしょに遊んであげました。

お昼は子供たちと遊んでいました。沖縄の人たちが自分たちの用意していた工作を作りました。でももう夕食の準備の時間です。雨がまた降ってきたので、バーベキューではなく、自衛隊の人たちと千葉さんが、巨大な、ガス付き鍋を貸してくれました。すごいいいです!26キロの鶏肉をつっこみ料理を始めました。今夜のメニューは、「醤油チキン、ソーセージ、トストグリーン、そしてご飯です。デザートに、アイスクリームも後でお店に行って買って来ました。

山東さんは、台所のチームを指揮しました。彼はプロです。牧師になる前に10年料理人をしていました。その手さばきは強烈です。キャベツを機械にかけたように切っていきます。台所に私が立ち寄ってみると、鉄腕シェフがここにいるとみなが言いました。料理番組みたいになりました。

夕食を出せるようになりました。雨が降っていたので室内での食事です。自衛隊の人たちも来ました。みんなが食べている時に、私はギターとカホンを手に取って演奏しはじめました。何人かが、ハワイの音楽やフラを願ってきました。私は、自分がフラを踊ったら、また地震が起こるぞ!と冗談を言いました。それで、たりやさんにお願いしたのです。彼女は沖縄出身ですが、お母さんがハワイから来た人でフラの先生です。でも、たりやさんがフラが嫌いだったのは知りませんでした。ヒップホップのほうがお好きなようです。けれども、彼女はなんとかOKしてくれました。

たりやさんは、知っているのは「真珠のような貝」という歌だけだと言いました。よく踊ってくださいました。そして私は、ずっと昔はフラは男だけで踊られていたのだと説明して、リッチに助けを求めました。部屋全体が、「リッチ!リッチ!リッチ!」と掛け声をかけるので、彼は出てきました。そして女の人たちの一人も出てきました。そして自衛隊の6人が出てきて、いっしょに踊りました。まさに真珠のような貝です。なんという光景でしょうか。部屋は大爆笑に包まれました。

千葉さんは後で、これがこの旅のハイライトだったと教えてくれました。ものすごく大笑いされていました。私たちにとっては当たり前に行なっていることなのですが、このような喜びをもたらすように主がしてくださり、大変光栄です。動画はたくさん撮られたと思いますので、掲載したいと思います。自衛隊の人たちには、君たちユーチューブで有名になるよと冗談を言いました。

午後8時にホテルに戻り、次の日に備えました。

仙台から戻ってきました 4月18-20日①

題名を見て、びっくりされたかもしれません。私は先週、仙台から戻ってきて、今は休んでいるはずなのに、なぜ「仙台から戻ってきました」なの?と。今週、カルバリーチャペル所沢の牧師トラビスやカルバリー宜野湾のチーム等が、行ってきて、今朝、トラビスがその報告を教会のブログに記しました。

Just got back from Sendai again… 4/18-4/20

私は、頭の中で旅行するのが大好きなので(?)、以前、イスラエル旅行でやった見たいに、彼のブログのあらましを日本語に直したいと思います。5月4日辺りにまた東松島に行く予定ですので、継続した神様の働きを残したいと思います。

(意訳開始)
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昨夜、東北から戻ってきたばかりです。これで二回目のたびになりますが、今回はリッチとルイス(府中)、山東さん(西東京)、ジョアナ、ザック、たかこ、たりや、アレックスです(沖縄宜野湾)。

先週は、清正が他のグループと赴いていたので、さらにお手伝いをするために東松島牛網に向かいました。避難所の責任者である千葉さんから、行政から物資支援を受けるようになってきたとのことですが、清掃のほうが依然として必要です。

前回は仙台の清正の両親のところに宿泊しまし、その交わりをとても楽しみましたが、そこからだとひ一時間半かかるので、松島の小さなホテルを清正が安い料金で探してくれました。そこから牛網まで15分です。

山東さんとリッチと話して、旅の計画を立てました。どこにいっても必要はあり、ボランティアも大勢は援助をしているので、私たちは、前回、主が導いてくださったこのコミュニティーにしぼることに決めました。そしてそこで二日程、共に時間を過ごすことにしました。私は戦略を立てるタイプではないし、偶然というのも全然信じていません。

主は、理由があって私たちをここに導いてくださり、その一部になれたことを強く信じています。主に三つのことに集中しました。

1)バーベキュー
ここの人々はご飯と味噌汁だけの生活なので、食べ物の補給をもう一度考えました。二日間、一食ずつなので合計400人分の分量です。自衛隊の人たちもいたので、その人たちにも食べてもらおうと思いました。ギターとカホン(箱型の打楽器)も持って行きました。食べて、交わるのです。イエス様もこのことを行なわれたのですから、私たちにとっても良いアイデアだと思いました。

2)子供と遊ぶ
木曜日に学校が始まるとのことなので、火曜日と水曜日に子供たちと時間を過ごすことにしました。ジョアナと沖縄の人たちが相手をしました。風船や画用紙、色鉛筆、サッカーのボール等を持っていきました。イエス様も子供たちと一緒におられましたよね?

3)清掃
そこの人々は自分の家の後片付けや物の取り出し、清掃をしている人たちが避難所を行ったり来たりしているので、私たちがただそこにいただけではお邪魔になってしまうのではないかと思いました。そこにいる人々をもっと良く知るために、またその人たちの話をもっと聞くために、彼らが良いとおっしゃってくださるなら、また主が持続的な関係を結ばれるよう導かれるなら、いっしょに汗をかいて汚くなるのも良いだろうと思いました。