偽の救世主 その2 - 福音の真理より感情を優先

その1からの続き)

しかし、このように世界が悪化していくなかで、なおのこと福音の真理を拒むのであれば、先ほど言及したように、「権威あるもの、既存の制度」に対して悪口、罵倒、中傷をしていくようになります。米国内で起こっていることにも、また日本にも共通しているのは、「感情が優先される」という問題です。よく考えればやってはいけないことを分かっているのに、「感情があるから」という理由だけで大事な決断をしてしまう、という動きが非常に強くなっています。

権威に対する中傷は、終わりの日の背教のしるしとして聖書では描かれています。「しかし、この人たちは、自分には理解もできないことをそしり、わきまえのない動物のように、本能によって知るような事がらの中で滅びるのです。(ユダ10)」「汚れた情欲を燃やし、肉に従って歩み、権威を侮る者たちに対しては、特にそうなのです。彼らは、大胆不敵な、尊大な者たちで、栄誉ある人たちをそしって、恐れるところがありません。(2ペテロ2:10)」

そして、神に対して救いを叫ばなければいけないのに、依然として人に対して叫んでいる姿は、まさに反キリストの出現を待望していることに他ならないのです。「わたしはわたしの父の名によって来ましたが、あなたがたはわたしを受け入れません。ほかの人がその人自身の名において来れば、あなたがたはその人を受け入れるのです。(ヨハネ5:43)」今、日本に抱えている問題、経済的衰退、膨大な債務、原発事故、教育、軍事的脅威などなど、これらを政治家にぶつけて、それで「真のリーダーを求める」と言っている人は、その問題をみな解決する人物が出てきたらその人を支持するのでしょうか?はっきり言いましょう、そんな人が出てきたら彼はそのまま反キリストです。あるいは反キリストに完全に帰依する指導者であります。

「私がその角を注意して見ていると、その間から、もう一本の小さな角が出て来たが、その角のために、初めの角のうち三本が引き抜かれた。よく見ると、この角には、人間の目のような目があり、大きなことを語る口があった。(ダニエル7:8)」

反キリストは「人間の目」とあるように、知能において極めて優れています。けれどもそれは「人間」の目であり、人間至上主義であります。そして権威ある存在に対して罵り、冒涜する存在であります。「彼は、いと高き方に逆らうことばを吐き、・・・(ダニエル7:25)」彼に追従する者たちも、世が困難になるにつれて、神の前にひれ伏し、へりくだるどころか、ますます罵りの言葉を吐き出すのです。「彼らは、これらの災害を支配する権威を持つ神の御名に対してけがしごとを言い、悔い改めて神をあがめることをしなかった。 (黙示16:9)」(参照:聖書の学びダニエル書7章

そして教会内では、福音の真理より、感情を優先させる動きが極めて強くなっています。「というのは、人々が健全な教えに耳を貸そうとせず、自分につごうの良いことを言ってもらうために、気ままな願いをもって、次々に教師たちを自分たちのために寄せ集め、真理から耳をそむけ、空想話にそれて行くような時代になるからです。(2テモテ4:3-4)」

なぜ今、イエス・キリスト以外の他宗教においても救いがあるという圧力が強くなっているのでしょうか?なぜ、日本において死後にも救われる機会があるという教えが広まっているのでしょうか?また神道とキリスト教を融合させようとするのでしょうか?アメリカでは、イスラム教とキリスト教の融合が流行っています。これらはみな、「気持ちでは受け付けられない」という抵抗があるからです。そしてその感情に付け足すようにして聖書の言葉を使用し、健全な教えから離れているのです。

ですから、敵は身近にいます。実に私たちの内にあるものが敵なのです。惑わしは、私たちの思いの中に襲ってくるのです。

ではどうすれば、感情に支配されないでいることができるのでしょうか?それは「手放す」ことです。人間的な言い方をすれば、「楽にする」ということです。難しい問題、自分では対処できないことが自分を覆いかぶさってきたら、ただキリストのうちにある自分に戻ってください。惑わしについて教えている使徒ヨハネは、反キリストの霊について教えているときに信者に対しては、「キリストから受けた注ぎの油があなたがたのうちにとどまっています。(1ヨハネ2:27)」と言って励ましました。不法の秘密が働いていて、世がその偽りにしたがっていくことを話した使徒パウロは、「主に愛されている兄弟たち。神は御霊による聖めと、真理による信仰によって、あなたがたを、初めからお選びになったからです。(2テサロニケ2:13)」と言って慰めました。

あなたが初めに信じたときの福音は、今も変わらずあなたに与えられているのです!その中に休んでください。牧者チャックが、政治家に対して「主にゆだねなさい」と勧めたように、今、私たちの周りに起こっている問題は、神のみに救いがあることを知る必要があるのではないでしょうか。それをせずに、気張って、ますます自分を苦しめているのが今日の人々の姿ではないでしょうか?主を見上げるという、とても単純なことを神は私たちに求めておられるのです。

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