「聖書預言の力と目的を再発見する」 その4

(「その3」の続き)

ジョエル・ローゼンバーグ氏は、ホノルルでの説教を二回行ないましたが、次から二回目に入ります。次のブログ記事が原文です。一回目の説教に基づき、さらに四つの要点を話します。

SERMON: REDISCOVERING THE POWER AND PURPOSE OF BIBLE PROPHECY — Part 2

【意訳】
第一に、聖書には、その言葉が、全能で、全てを見る、全てを知る宇宙の神の言葉そのものであることを臆することなく表現されています。数例を挙げましょう。

主は、ヘブル人の預言者イザヤを通してこう言われました。「先の事は、見よ、すでに起こった。新しい事を、わたしは告げよう。それが起こる前に、あなたがたに聞かせよう。(42:9)

主は、預言者イザヤを通してこうも言われました。「イスラエルの王である主、これを贖う方、万軍の主はこう仰せられる。「わたしは初めであり、わたしは終わりである。わたしのほかに神はない。わたしが永遠の民を起こしたときから、だれが、わたしのように宣言して、これを告げることができたか。これをわたしの前で並べたててみよ。彼らに未来の事、来たるべき事を告げさせてみよ。(44:6-7)

主は、預言者イザヤによってこうも言われました。「遠い大昔の事を思い出せ。わたしが神である。ほかにはいない。わたしのような神はいない。わたしは、終わりの事を初めから告げ、まだなされていない事を昔から告げ、『わたしのはかりごとは成就し、わたしの望む事をすべて成し遂げる。』と言う。(46:9-10)

使徒ペテロが書きました。「それには何よりも次のことを知っていなければいけません。すなわち、聖書の預言はみな、人の私的解釈を施してはならない、ということです。なぜなら、預言は決して人間の意志によってもたらされたのではなく、聖霊に動かされた人たちが、神からのことばを語ったのだからです。(2ペテロ1:20-21)

主イエス・キリストが言われました。「わたしはアルファであり、オメガである。最初であり、最後である。初めであり、終わりである。(黙示22:13)

聖書の神は、他の何ものによっても比べられません。この方はすべてを見ておられます。すべてをご存知です。すべてを覚えておられます。初めであり、終わりであるかたです。アルファであり、オメガです。この方は推測したり、将来に何が起こるかを”予測”したりなさいません。何が起こるか知っておられるのです。驚くべきことに、神は前もって重要な出来事を選んで私たちに知らせることで、私たちが、自分の神がいかにすぐれているかを悟らせようとしています。

第二に、成就した預言は、私たちが神の御言葉が真実であることを知る、最も重要で強力な方法です。例えば、旧約聖書の中に数多くの預言が成就したことを見ます。例えば、神はへブル人預言者エレミヤに、バビロンで七十年間の捕囚の後、イスラエルに帰還することを教えられましたが、それが正確に起こりました。また主は、預言者イザヤに、バビロン捕囚からユダヤ民族を解放する器になるペルシヤ人王の名を、正確に告げられました。その名は「クロス」であり、事実、その名のペルシヤ王がユダヤ人を故郷に戻らせることを助けたのです。さらに、旧約聖書では、メシヤがどのような存在なのか、何を行うのかについての数多くの手がかりを与えられました。そのいくつかを紹介します。

預言者ミカが、メシヤはベツレヘム・エフラテで生まれることを教えました(ミカ5:2)。

ヘブル人預言者イザヤが、メシヤが処女で生まれることを伝えました(イザヤ7:14)。

預言者イザヤが、メシヤは人の男の子、息子として生まれるが、「力ある神」と呼ばれることを教えました(イザヤ9:6)。

預言者イザヤは、メシヤがイスラエルのガリラヤ地方で生き、宣教活動を行うことを告げました(イザヤ9:1‐2)。

預言者ゼカリヤは、メシヤがろばに乗ってエルサレムに入城することを伝えました(ゼカリヤ9:9)。

預言者イザヤは、メシヤが癒しを行なうことを伝えました。「まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。(イザヤ53:4)

ダビデ王は、メシヤが悪者たちの一団に取り囲まれ、彼らがメシヤを打ち、虐げ、この方の着物を分け合い、くじ引きにし、その手と足を刺し通し、「死のちりの上に」置くこと、つまり殺すことを預言しました(詩篇22)。

預言者ダニエルは、メシヤが、「そむきをやめさせ、罪を終わらせ、咎を贖い、永遠の義をもたらし、幻と預言とを確証し、至聖所に油をそそぐ」けれどもそれを、紀元70年にエルサレムが破壊され、神殿も破壊される前に「断たれ」る(殺される)ことによって行なわれることを明白に言いました(ダニエル9:24‐26)。

預言者イザヤは、メシヤを苦難の僕として描きました。むち打たれ、虐待を受け、あざけられ、突き通され、最後には、人類の罪のための罪過のいけにえとして殺されます(イザヤ52章13節)から53章。

預言者イザヤは、メシヤが死者の中からよみがえることも明確にしました。「しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。・・・彼の墓は悪者どもとともに設けられ、彼は富む者とともに葬られた。彼は暴虐を行なわず、その口に欺きはなかったが。しかし、彼を砕いて、痛めることは主のみこころであった。もし彼が、自分のいのちを罪過のためのいけにえとするなら、彼は末長く、子孫を見ることができ、主のみこころは彼によって成し遂げられる。(イザヤ53:5,9,10)

預言者ヨナと預言者ホセアをとして、神はメシヤを墓から三日目によみがえらせることを教えられました(ヨナは、三日間魚の腹にいて、地に戻ってきました。ホセア6章2節には、「主は二日の後、私たちを生き返らせ、三日目に私たちを立ち上がらせる。私たちは、御前に生きるのだ。」とあります。

驚くべきことに、主イエス・キリストは、これらの預言をすべて成就されました。事実、ルカ24章25‐27節には、こう書いてあります。「するとイエスは言われた。「ああ、愚かな人たち。預言者たちの言ったすべてを信じない、心の鈍い人たち。キリストは、必ず、そのような苦しみを受けて、それから、彼の栄光にはいるはずではなかったのですか。」それから、イエスは、モーセおよびすべての預言者から始めて、聖書全体の中で、ご自分について書いてある事がらを彼らに説き明かされた。

【きよきよの一言】
聖書預言は、実に、神が定められた伝道ツールです。初めから終わりのことを告げることによって、ご自身を明らかにしておられます。神を信じないこの世の中において、しばしば創造論による伝道があります。それもすばらしい方法です。実際に、被造物において神の力と永遠のご性質が明らかであるとローマ1章に書いてあります。また、ヨブに対して神は、ご自分の被造物を取り上げながら、ご自身の義と主権を明らかにされました。けれども、それと同じように神は、預言の言葉によってご自身を明らかにしておられることを、御言葉の中で語っておられるのです。

先日、モリエルの学び会に行ってきましたが、モリエルさんは以前、オーストラリア人の伝道師が行なった預言セミナーをまとめて小冊子にして、それを伝道に使ったそうです。確か高校生か、若い女の子に預言の一つ一つの箇所を見せていったそうです。彼女の感想の一声は、「これは、チェルノブイリ事故以後に書かれたものでなければ、絶対におかしい。」とのことでした!そして、二・三千年前に書かれた書物であることを告げると、びっくりたまげたそうです。

そしてイエス様ご自身が、旧約預言の成就そのものであることは言うまでもありません。もっともっと、日本の教会で旧約聖書の通読が強調されなければいけないと思います。そうすることによって、いかに新約の記述が重要な出来事であったのか、その重みを知ることができます。

(「その5」に続く)

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