独立宣言から見る「ユダヤ人国家」

今、イスラエルでは「イスラエルをユダヤ人の国」として認知する法律について、国会で紛糾していています。

「イスラエルはユダヤ人国家」法案で内閣紛糾 2014.11.25

私はこのニュースを追っているのですが、どうしてもなぜ紛糾するのかが分からないでいます。なぜならイスラエルの国そのものが「ユダヤ人国家」で始まっており、それをなぜ今になって同じ内容のものを法案として通そうとするのか、また、なぜそんなに左派の政党がヒステリックになって反発しているのかが、どうも分からない。(イスラム教徒との共存を家系で願っていた、宗教的ユダヤ教徒のリブリン大統領が反対していて、「独立宣言の憲章以上に、何か付け加える必要はない。」という意見は何とか理解できましたが・・。)そんなことを考えていた時に、嬉しいサイトを見つけました。あのイスラエルの建国宣言であり、「独立宣言」の日本語訳を見つけたことです。↓

イスラエル独立宣言


ここには、シオンと呼ばれる地を民族的郷土とし、そこにユダヤ人の国家を建てることの歴史的経緯が謳われています。そして、イスラエル国内に住むアラブ人が平等で完全な権利を有する市民権が与えられ、この国家造りに呼びかけている、また周辺アラブ諸国とも平和を保つ意図も書かれています。その部分を抜粋します。

われわれは、この数ヶ月間でわれわれに向けられた虐殺のただ中で、イスラエル国のアラブ住民に対して、平和を維持し、完全かつ対等の市民権および暫定かつ常任機関すべてにおいてしかるべき代表権に基づく国家の建設に参加するよう呼びかける。
われわれは平和とよき隣人であるために近隣諸国の政府と国民に対して手をさしのべ、祖国に入植した主権を持つユダヤ民族と協力および相互扶助の絆を樹立するよう呼びかける。

したがって、ユダヤ人の民族的特質を持った国だけれども、少数派にも同じ権利を与える民主主義国であるということです。したがってユダヤ民族国家ということが、他の民族の排除を意味しているのではありません。そして事実、イスラエルはそのような国造りをしてきました。国会議員にもアラブ系イスラエル人がいますし、義務ではないですがイスラエル軍に従事するアラブ人もいます。

ところが、こうしたユダヤ性の強調を「アパルトヘイト」という言葉を使って、民族隔離政策をしているという言辞をしばしば見かけます。イラクを中心とする地域研究家である酒井啓子女史はその一人ですが、ニューズウィーク誌に出てくる彼女の投稿は、まるでアラブ人のプロパガンダを呼んでいるようで辟易します。けれども、こうした言辞がそのまま日本に入ってきて、イスラエルを見る時の通例となっているのが現状です。

「ユダヤ人の国イスラエル」のアパルトヘイト性

こうした意見に火を噴いているのが、実際にアパルトヘイト政策の中にいた南アフリカ国の議員です。

全くのナンセンス(意味をなさない議論)として一蹴し、「アパルトヘイト」という言葉を使うこと自体、その政策を軽く見ている侮辱的な言葉であるとして強く非難しています。アパルトヘイトは選挙権、移動の自由など著しく基本的人権を制限された隔離政策です。なんと白人のお医者さんにかかる時、正面の玄関から入れなくて、裏の有色人種用の戸に回っていかないといけなかったとか。興味深いのは、友人で牧師の南アフリカ人(黒人)が、イスラエルで病院に担ぎ込まれた時のことを説明している部分です。左にはムスリムのパレスチナ人が、右にはユダヤ教徒がベッドに寝ていました。そのパレスチナ人は、「イスラエルがアパルトヘイトだという言葉は、政治家が言っているだけで、実際の現場ではそうではない。」と個人的に話したとのことです。

ところで、酒井女史によるアパルトヘイト論を読むと、パレスチナ・アラブの主張が表れています。「イスラエルのアラブ人、つまりパレスチナ人」としているところに、今のイスラエルを含めてすべてはパレスチナのものであるという、元々のアラブ人の主張があります。つまり、「ユダヤ人の住むこと、彼らが主権を持つ国を作ること」を絶対に許さない、あなたたちは皆死ぬか、追い出すかして、ここはアラブ人のパレスチナにするのだという主張です。アパルトヘイト性はユダヤではなく、アラブ側にこそあるのです。これだからこそ1948年、イスラエルが独立宣言した次の日に周辺のアラブ諸国が一斉にイスラエルを攻めてきました。「二国家案」など元々眼中にありません、イスラエルがどんなに平和に共存しようとしても、攻めてくるのですから。その意図は「アラブ人だけの国にする」ということなのです。このことについては、前記事「最も易しい「中東問題」」のビデオをご覧ください。

このようなアジテーション(扇動)的な言辞は危険です。ユダヤ性を持っていても法的に権利が保障されていることは、イスラエル領土内に住むアラブ人がいかに、パレスチナ自治区や他の周辺アラブ諸国よりも高水準の生活をしているかで明らかです。イスラエルに市民権を持つアラブ人で、パレスチナ自治区の支配下に入ろうとする人はほぼ皆無です。生活水準を著しく落とさないといけないのですから。私はナザレに行ったことがあります、キリスト教徒が多いということも手伝っているのでしょうか、その温和な雰囲気に驚きました。ガイドによると、生活の基本的水準が保障されているからだとのことです。

そして酒井教授の言説には、イスラエルの独立宣言そのものがユダヤ人の国だとしている事実、アラブ人に同じ権利を与えているという前提を無視、今回の法案を「アラブ人の市民権を認めない」ものとしているところに虚偽があります。これは今回の一連のテロが、「神殿の丘をユダヤ教化しようとしている」「アラブ人のバス運転手は自殺ではなく、殺された」という嘘に成り立つ暴力であったことを考えると、暴力を扇動している危険なものだと言わざるを得ないのです。平気で嘘をつく人たち、なんていう本がありますが、まさにその言葉を思い起こさせる主張でした。

信仰者は、イスラエルとパレスチナの関係をどのように見ればよいのでしょうか?しばしば、現イスラエルの聖書的位置を認めない人々は、「正義と公正によって見ていくべきだ」と言いますが、その通りでしょう、正義と公正によって見ていくと、世界はイスラエルに対して過剰な非難をして、生存そのものを脅かす者たちの主張に譲歩しています。今のヨーロッパの過剰な反イスラエル姿勢は、かつての反ユダヤのヨーロッパと何ら変わらないではないか、と言えますし、国連の場でイスラエル大使はそのことをはっきりと糾弾しました。

そして聖書預言的にはどうなのでしょうか?もちろん、ゼカリヤ書12章から14章にあるように、世界の諸国がエルサレムに攻めてきます。これは最終的な段階です。そして詩篇二篇などに見られるように、神は、ご自分の民に敵が相集まって一斉に攻めてくるようにさせるという流れを見せてくださっています。ヨシュア記がそうでした。五人のカナン人の王が一斉に攻め、ハツォルを頭とする王たちの連合軍が攻めてきてヨシュア軍は対峙しました。彼らが攻めてくるから、防衛のために戦い、それで神の約束された領土を自分たちのものとしていきました。その時のことを現代の紛争にそのまま当てはめるのではないのですが、残滅を意図する者たちが相集まっているところには、神はかえって勝利を与え、彼らをそのまま従属させるという原則は生きているような気がします。イスラエルの国はまさに、アラブが全滅を意図しなければ今のように大きくなっていなかったのです。

アラブ側にも、現実主義があります。イスラエルと戦っては自滅させるだけだという現実主義があります。したがって、和平によって生きようとする人々もいるのです。そのような人々は繁栄します。アッバス議長は相変わらず扇動的言辞の発言を繰り返していますが、テロ路線を自治政府は捨てているので、そこに経済基盤がイスラエル経由でできあがり、人々の生活がやや安定しているのです。入植の問題がありますが、周りのパレスチナ人に嫌がらせをする偏狭な人々もいますがが、多くは宗教的な理由で、神の与えられた土地に平和に暮らすという意図で入植しているので、好戦的ではありません。そしてパレスチナ人は入植地の建設で職を得ることができ、家計が助かっているという人々がいるのです。これもまた聖書に見ることのできる原則であり、ダビデの時代、イスラエルと和平をした周囲の国々、またイスラエル国内にいる異邦人はその祝福の恩恵にあずかっていました。

最後に、今、アメリカで黒人による暴動事件が起こりましたが、公民権運動を指揮したマーチン・ルター・キング牧師は、イスラエル擁護の強い立場を持っていました。「全世界は、イスラエルが生存しなければならず、中東の民主主義の飛び地として生存していなければならない。」と安全保障面で語っています。そして、「反イスラエルはそのまま反ユダヤである」という言葉も残しているとも言われています。

Black-Jewish Relations:
Martin Luther King & Israel

今は、黒人が差別を受けていると考える人は、正反対のことをイスラエルに向けています。実はキング牧師の時からその萌芽はあったようですが、今や「善を悪、悪を善」とする悪い時代になってしまったと思います。

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