イスラエル旅行2013年の案内チラシ送ります!

お待たせしました、以前お伝えしました「ロゴス・ミニストリー主催イスラエル旅行」のチラシが出来上がりました。クリックしてください、PDFファイルでご覧になれます、熟読していただければ幸いです。

「聖書を体験するイスラエル旅行」

2013年2月19日(火)-3月1日(金)(11日間)
旅行費用の目安: 31-33万円(燃油税を除く)
募集人数:25名(催行最小人員:15名)

正式申込は6月中旬以降になります。けれども前もって参加希望の意思を示してくださった方には、最終支払いで多少、費用の還元をさせていただきます。(早めの予約によって航空券の確保など、旅行費用全体を引き下げることに助けになるからです。)希望の方は、下記までご連絡ください。

info@ logos-ministries.org

今回チラシを五百枚印刷しました。ご自分だけでなく他の人にも紹介したい方は、ご遠慮なく、上のメールアドレスまで、ご住所とお名前そして希望枚数を記入してお知らせください。郵送させていただきます。

また東京や近辺にお住まいで、ぜひ口頭で説明を聞きたいと願う方もご連絡ください。興味のある方が数人おられれば、時間が合えば伺わせていただきます。

そして、牧師や教会奉仕者で興味のある方に対しては、今回の旅行はロゴス・ミニストリー主催ですが、ぜひ協力して一つのグループとして動いていきたいと願っています。旅行する仲間の中で主にある良い交わりが生まれることを強く願っています。

「聖書ハンドブック」購入のお薦め

連続投稿します。聖地旅行に行きたい人のみならず、聖書をもっと知りたいという人にぜひお薦めなのが次の本です。

「新聖書ハンドブック」(ヘンリー・H・ハーレイ著)

これは「聖書の歴史」を知ることのできる本です。聖書各巻の概要と共にその歴史の説明と考古学の発見が盛りだくさん盛り込まれています。その他、聖書編纂の歴史、キリスト教史も含まれており、文字通り「お手ごろ(“Hand”book)」です。チャック・スミス牧師も、水のバプテスマを受けた新しい信者には、この本をプレゼントしていたとのこと。私も聖書の学びの準備でしばしば開いています。

聖書地図購入の薦め

ずっと聖書通読の学びを礼拝の中で行っていて、興味深かったのは参加者の方々が机を欲していたことです。私が学校のような雰囲気を作りたくなかったので椅子だけを並べていたところ、机も出してきて、ついに学校みたいになってしまいました!それもそのはず、みなさん熱心にノートを取っているので、机があると非常に便利なのです。

そしてこの頃は、必死になって中サイズ以上の聖書についている地図を眺めながら御言葉を聞いている姿も見ます。それでついに、昨日の礼拝でおすすめしたのですが、「聖書地図」を購入するといいと話しました。ネットで調べる限り、お手ごろなのは次です。

バイブルアトラス―『聖書新共同訳』準拠聖書地図

一番おすすめできる本望は「マクミラン聖書歴史地図」(アハロニ/アヴィ=ヨナ著 原書房)というものです。アーノルド・フルクテンバウム博士がいつも薦めている聖書地図で、イスラエル留学時にアハロニ博士本人から教鞭を受けたとのこと。しかし邦訳が古本しかなく、金額もとてもはります(例:友愛書房で今現在9500円です)。原書はこちらです。(また、School of Ministry時代に教科書になったのは、NIV Atlas of the Bibleでこれも使用しています。)

PEN 2012年3月1日号購入を薦めます!

今朝、無事に妻が夜行バスで東京に到着、自宅に帰宅しました。今回の旅行のご報告は改めて行なわせていただきますが、昨日、教会の人からお借りした雑誌を一読して感動しました。

PEN2012年3月1日号「ユダヤ・キリスト・イスラム3宗教の聖地へ。エルサレム」

PENは男性向けライフスタイル誌なのですが、この特集の充実さは圧巻です。いくつかの聖地の要所を鮮明な写真と共に紹介し、古代から現代イスラエルまでの歴史をきめ細かく紹介しています。そして、イスラエルがユダヤ人国家であるというありのままの姿を伝え、ユダヤ人とユダヤ教の中身を詳しく説明しています。綴じ込み付録には現代イスラエルの現状を客観的に分かりやすく伝えています。一つ一つのコラムを熟読すれば、イスラエル旅行に行きたいと思われている方には大きな助けになること間違いありません。(これで値段が630円ですから驚き!)

聖書の歴史の記述には違和感はありませんでした。旧約聖書の世界をありのままに伝えています。そして現代イスラエル政治については、民主左派の見方(ハアレツ紙のような、日本でいう朝日新聞のような見方)ではあるけれども、そのことを踏まえれば公正に書かれていると思います。

オンラインでも購入できますし(送料無料 Amazon セブンネット)、本号は大好評のようで多くの書店の店頭でまだ置かれているようです。

ちなみに私はブランド服を身にまとっても全然様にならない無精男なので、PEN誌の回し者ではないことを付記しておきます。(笑)

ロゴス・ミニストリー主催イスラエル旅行(暫定見積もり)

記事「ロゴス・ミニストリー主催イスラエル旅行」の続きです。先ほど関係者の方々に送信したメールの一部をここにも掲載いたします。興味のある方はぜひご連絡ください。(当記事への投稿も可能です。)

続けて、先日お知らせした「イスラエル旅行」の企画について、その進捗状況をお知らせします。 改めて、イスラエル旅行を企画している経緯をお分かちします。これまで三度、アメリカの団体が企画したイスラエル旅行を経験しています。

イスラエル旅行記 

そこで心に強く思わされていることがあり、祈りの中で暖めていました。旅行記を読んでいただければお分かりになりますが、内容の密度がかなり濃いものです。後世に建てられたカトリック等の教会巡りをするのではなく、イスラエルの地を舐めるようにして巡り、その地形と聖書時代の歴史、そして現代イスラエルにある聖書的意義にまで突っ込んだ旅行でした。こうした類のものは、アメリカ等の英語圏では当たり前のように提供されていますが、日本ではごく少ないことに気づきました。そして、観光以上の「研修旅行」に近いものを日本語で提供できないものかと強く願っていました。

私の知人で、キリスト教関連の旅行社に勤めていた方からの紹介で、在イスラエルの日本人ガイドさんの存在を知りました。その知人が知っている日本人ガイドの中で、イスラエルの地やユダヤ文化のことを彼女ほど詳しく知っている人はいないとのことです。その方が属している現地旅行社を通して旅行を企画しています。参加者には旅行前からしっかりと聖書を始めとする前勉強をしていただき、旅行中も夕食後に復習・予習時間を設けたいと思っています。さらに御心であれば、イスラエルで福音の働きをしている友人・知人を招いて証しをしていただくことも念頭に入れています。

日本側の窓口には、教会の聖地旅行を企画している熟練の旅行社の方と交渉しています。こうした意図と目的をもって、旅行の企画を進めています。そして具体的な暫定見積もりが出ましたので、お知らせします。

「ロゴス・ミニストリー 2013年イスラエル旅行」
日程: 2013年2月19-3月1日
    大韓航空利用(主に成田空港・関西空港から出発)
旅程: 下を参照

15名の場合: 338,000円
20名の場合: 318,000円
25名の場合: 308,000円
一人部屋追加料金:69000円
(海外在住の方は現地集合も可です。ここから10万円程度差し引いた料金になります。)

1) 料金に含まれるもの
航空運賃、バス等の乗り物料金、ホテル代、入場料、全食事、ガイドとバス運転手に対するチップ
2) 料金に含まれないもの
 ①燃油税等 約55,000円(2012年1月現在)
 ②海外旅行障害保険(加入者のみ)
3) ホテルは四つ星

以上はあくまでも暫定的な料金です。旅行社の方から「これ以上、料金が上がることはないと思う。」と言われています。ここから料金を減らすには、1)ホテルのランクを下げる、2)昼食や夕食の一部を含めない、等が考えられますので、その方向で進めていきたいと思っています。また、大きく値段を下げるもう一つの方法は、「航空会社に、具体的に旅行する人の名前を入れて前もって予約を入れる」ことです。そうすると、安く団体予約が確保できるのだそうです。

それで、お祈りとお願いがあります。まず、ぜひお祈りください。昨日も自分の教会の仲間には、「今、たとえ仕事や経済的理由で行けない状況があっても、行きたいという願いがあるならば祈ってみてください。」と勧めました。イスラエル旅行には、ある程度の決心が必要になります。表面的な状況の変化や日本の忙しい仕事状況があっても、そうした人間的な障壁を超えた所にある主からの促しと導きが必要です。

もう一つは、「料金を見計らって、それから申し込もう」と思っていただきたくない、ということです。普通はそうするのでしょうが、初めから前もって行くと決めている人が多ければ多いほど、航空運賃、ホテル代等で、値段が安くなっていきます。そして上の見積もりでもお分かりのように、人数が多ければそれだけ、ガイドとバス運転手への一定額のチップを、多人数で分担できるようになります。けれども25名以上になると、それほど値段は下がることはない、とのことです。私も25名程度が理想だと思っています。

それで、現時点で行くことを決めておられる方はぜひ、なるべく早く私のほうにお伝えいただければ幸いです。もちろん正式な申込は後になりますが、その分具体的に旅行を企画しやすくなります。

牧師や教会奉仕者の方には、改めて別途にメールを差し上げます。そしてご連絡も個別に差し上げたいと願っています。教会が合同で旅行する、また教会としてでなくとも、教会の方々にこの旅行を薦めていただければ幸いと存じております。

以上です、何卒よろしくお願いいたします。
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聖地イスラエル 11日間の旅 日程表

2月19日(火)
成田(関西)空港 韓国仁川国際空港 テルアビブ空港到着 【テルアビブ泊】

2月20日(水)
テルアビブ、カイザリヤ、メギド、カルメル山、ナザレ等 【ティベリヤ泊】

2月21日(木)
ガリラヤ湖遊覧、クルシ、ベツサイダ、カペナウム、コラジン、タブカ、イエスの舟博物館など 【ティベリヤ泊】

2月22日(金)
ゴラン高原、ベンダル山、ピリポ・カイザリヤ、テル・ダンなど 【ティベリヤ泊】

2月23日(土)
ハロデの泉、ベテ・シャン、エン・ゲディ、クムラン、マサダ等 【死海泊】

2月24日(日)
死海、ティムナ(荒野の幕屋)、エイラット(紅海)、ネゲブ砂漠 【ベエル・シェバ泊】

2月25日(月)
ベエル・シェバ、シェフェラ(ラキシュ、ベテ・シェメシュ、エラの谷)等 【エルサレム泊】

2月26日(火)
オリーブ山、ゲッセマネの園、城壁周囲、神殿の丘、ベテスダの池、ヴィア・ドロローサ、聖墳墓教会、園の墓など 【エルサレム泊】

2月27日(水)
旧市街ユダヤ人地区(嘆きの壁、西壁トンネル、南壁考古学博物館、カルド、神殿再建協会など) 【エルサレム泊】

2月28日(木)
ベツレヘム、ダビデの町、イスラエル博物館、ヤド・バシェム等
テルアビブ空港 【機中泊】

3月1日(金)
仁川国際空港 → 日本各地の空港着

初めから物語る歴史 - イスラエル その5

その4からの続き)

参照図書:
イスラエル近現代史:「イスラエル全史

イスラエル建国:「イスラエル建国物語」「イスラエル建国の歴史物語

独立戦争:「おお エルサレム!

六日戦争:”Six Days of War
英書しかないのが残念ですが、「エルサレムに朝日が昇る」という邦訳本があります。(注:2012年12月24日後記:なんと邦訳が今年の始めに出ていました!!!「第三次中東戦争全史」ぜひ、次の日本語の書評をお読みください。内容と概要がよく分かります。「日本経済新聞」「弁護士会の読書」)

ヨム・キプール戦争:「ヨムキプール戦争全史

アラブによる反イスラエル主義:「アラブはなぜユダヤを嫌うのか

最後に、Youtubeからのビデオを紹介しましょう。(シリーズなので、続きがあります。それを見るにはYoutubeのページを開いてみれば、続きが「関連動画」の中で見つけることができます。)

イスラエルの誕生(BBCドキュメンタリー)

イスラエル:国の誕生 パートⅠ(在米イスラエル元大使のナレーション)

50年戦争 イスラエルとアラブ(PBSドキュメンタリー)

(注:これは、NHK BSドキュメンタリーで放映されたようですのでそのビデオを入手できれば日本語で視聴できそうです。)

独立戦争(「イスラエル全史」の著者マーティン・ギルバートによる)

六日戦争(全史)

六日戦争(戦闘 History Channel)

六日戦争(戦線)

ヨム・キプール戦争

後記

今年、イスラエルがイランを先制攻撃だろうという米国防長官の発言がニュースになっています。事態は緊張していますが、これでイスラエル旅行を考えていたのを断念しないようにお願いします。私自身2010年にイランとイスラエルの間で戦争があるというニュースが流れても、旅行に行きました。実に、チャック・スミス牧師は1973年にイスラエル旅行を導いている最中にヨム・キプール戦争が勃発しました。それでも旅行は続けられたのです。

2010年の旅行の団長であるアーノルド・フルクテンバウム師は、東日本大震災による原発事故後、周囲からの反対があったにも関わらずセミナーの講師として来日しています。彼は世界中を旅行していながら、しばしばマスコミの情報と現地で起こっていることは異なっていて、前者は誇張しすぎることが多いということを話したそうです。主催者からの要請がない限り行く、と答えたそうです。私もその姿勢で準備を進めていきたいと思っています。現地旅行社から来るのは危険であるという連絡を受けないうちは、表面的な情勢の変化で計画を変えるつもりはありません。

初めから物語る歴史 - イスラエル その4

その3からの続き)

シオニズム運動の背後にある、福音的クリスチャン

話は少しずれますが、興味深いことに、宗教と化したキリスト教会の中で霊的復興が起こり、聖書を神の御言葉として信じる人々が熱心に世界宣教へ行きました。大英帝国の時代、その中にいるクリスチャンは世界に宣教師を送り出しただけでなく、ユダヤ人のパレスチナ帰還を聖書預言の通り起こるのだと信じる人々が出てきました。その英国が国際連盟からパレスチナを委任統治するようにされ、そして外務大臣で熱心なキリスト者であったバルフォア伯爵が、ユダヤ人のパレスチナ郷土を宣言した「バルフォア宣言」というものがあるのです。

興味深いことに、時代が少しずれて同じことを米国が行なったのですが、イスラエル建国の国連承認で活躍したのがトルーマンですが、彼の母が熱心なキリスト者であり、ユダヤ人に対する約束の地への帰還が自分の良心にあったため、国務省の反対を押し切っていち早く承認した、という経緯があります。けれども、今のオバマ大統領のように親イスラエル路線の根幹を揺るがすような発言を繰り返しているように、かつての英国も親ユダヤから反ユダヤへと変換し、1939年の「白書」ではユダヤ人移民の制限を設けました。その後の英国の没落はすばやかったですが、今の米国の没落も、聖書信仰に基づく霊的な力がなくなってきたことと無関係ではありません。

イシュマエルの子孫、アラブとの確執

近現代のイスラエルの歴史は、イスラムという宗教との確執だけではありません。ユダヤ人の親戚であるアラブ人との確執があります。先日、「今、モアブ人やアモン人は存在しているのですか?」という質問を受けました。どちらもヨルダン領にあった国ですが、「いません」と答えました。聖書時代の諸民族で残っているのは、イスラエル周辺地域ですとアラブ人です。そして、アラブ人の父祖はイシュマエルだと言われています。

主がイサクを約束の子とされましたが、アブラハムのもう一人の息子イシュマエルにも祝福の約束をされたことを思い出してください。「イシュマエルについては、あなたの言うことを聞き入れた。確かに、わたしは彼を祝福し、彼の子孫をふやし、非常に多く増し加えよう。彼は十二人の族長たちを生む。わたしは彼を大いなる国民としよう。 (創世記17:20)」けれども、イシュマエルは兄弟に敵対するようになるとも主は予告されました。「彼は野生のろばのような人となり、その手は、すべての人に逆らい、すべての人の手も、彼に逆らう。彼はすべての兄弟に敵対して住もう。(創世記16:12)」

事実、それが今、起こっているのです。アラブ人はユダヤ人との間だけでなく、自分たちの間でも争いが絶えません。映画「アラビアのロレンス」に出てくる部族間の争いは、ヨルダンのフセイン国王も「これは事実である」と言わしめる現実であり、反イスラエルで一致しているように見えるアラブ諸国は、一枚岩どころか、自らの利益の主張によって滅茶苦茶になっています。それが独立戦争の敗戦の大きな一因であったとも言えるでしょう。けれども、アラブ民族は広大な土地、そしてその中にある石油資源によって恵まれているのです。聖書時代から生き残っている民であり、確かに神は彼らを祝福されています。

したがって、ユダヤ人が約束の地に大量帰還している中で、アラブ人の中で民族意識が芽生え、それがアラブ民族運動と発展していきました。それが一連の中東戦争の背後にあります。

(注:しばしば、イスラエル・パレスチナ紛争の根っこに、「イギリスの二枚舌(あるいは三枚舌)外交」があると言われます。「バルフォア宣言」をユダヤ人に行なったのに対して、アラブ側には「フサイン=マクマホン協定」「サイクス・ピコ協定」を結んだのがいけないのだ、と言います。けれども、その地図を見ますと、バルフォア宣言で約束されたところとおおむね重なっているわけではなく、矛盾していません。)

四回の中東戦争

それで、イスラエルが独立宣言をした翌日に一斉に周辺アラブ国が攻め入ってきた独立戦争を第一回とし、シナイ作戦、六日戦争、ヨム・キプール(贖罪日)戦争と四度の中東戦争がありました。

これで重要なのは、独立戦争と六日戦争です。独立戦争はもちろん、イスラエルという国の確保という重要な意味合いがあり、そして六日戦争は「エルサレムの奪取」という大きな意味合いがあります。イエス様が、異邦人の時代が終わるまではエルサレムは荒らされたままになる、と言われましたが、そのエルサレムをイスラエル軍は、トランス・ヨルダン(当時のヨルダン)との戦いで攻め取ることができました。しかし、当時の指揮者である国防大臣モシェ・ダヤンが、ムスリム宗教局にすぐに神殿の丘の管轄を任せたことによって、厳密には異邦人の支配はまだ続いていると言えるでしょう。

そしてイスラエルはいつも戦争ばかりしていると思われがちですが、ヨム・キプール戦争後は、国家間の戦争はなくなりました。敵国エジプトがこの戦後処理を梃子にして、平和条約をイスラエルと結んだためであり、ヨルダンとも平和条約を結びました。したがって、今、イスラエル旅行をする時に、同時にエジプト領にあるシナイ山観光や、ヨルダン領にあるネボ山やペトラ観光を計画することもできるのです。聖書遺跡がたくさん残っているレバノンやシリアには、イスラエル出入国のスタンプ(そして、陸路のエジプトやヨルダンのスタンプも)がある時には、入国できないのです。彼らは「イスラエル」という国自体の存在を認めていないのが正式立場だからです。

そしてその後の紛争は、テロリスト組織との戦いになります。PLOはヨルダンにおいても「黒い九月」という内乱を起こしましたが、イスラエル軍によるレバノン侵攻を彼らのせいで招きました。けれどもラビン首相とアラファト議長が結んだオスロ合意により、PLOがパレスチナを代表する機関として認められ、大幅な自治権が与えられているのです。

テロリストにはPLOのような世俗組織と、イスラム原理主義の二種類があります。ガザ地区を実質支配しているハマスはムスリム同胞団の枝分かれであり、レバノンのシーア派ヒズボラもイスラム原理主義です。その背後には、1979年に起こったイランのイスラム革命の波及があることを忘れてはなりません。

これらイスラエル近現代史を少し理解すれば、単なる聖地旅行以上の、「今現在も神がこの地に心を留めてくださっている」という情熱をイスラエル旅行で感じ取ることができるでしょう。

その5に続く)

初めから物語る歴史 - イスラエル その3

その2からの続き)

シオニズム運動の誕生

その2では、離散の歴史まで話しましたが、次に帰還の歴史が始まります。これは、聖書全体に貫かれている神の回復の物語であり、イスラエルの民が約束の地から引き抜かれても、神は地の果てから彼らを集め、彼らをご自身に立ち返らせるという約束をくださっています。

私があなたの前に置いた祝福とのろい、これらすべてのことが、あなたに臨み、あなたの神、主があなたをそこへ追い散らしたすべての国々の中で、あなたがこれらのことを心に留め、あなたの神、主に立ち返り、きょう、私があなたに命じるとおりに、あなたも、あなたの子どもたちも、心を尽くし、精神を尽くして御声に聞き従うなら、あなたの神、主は、あなたを捕われの身から帰らせ、あなたをあわれみ、あなたの神、主がそこへ散らしたすべての国々の民の中から、あなたを再び、集める。(申命記30:1-3)」

イスラエルに対する神の契約は、イエス様の再臨によって実現するのです。

人の子は大きなラッパの響きとともに、御使いたちを遣わします。すると御使いたちは、天の果てから果てまで、四方からその選びの民を集めます。(マタイ24:31)」

したがって、離散の時代から帰還へ、そしてイスラエル建国という、私たちに最も近い時代は、聖書物語そのものに入っているのです。「歴史」といえば過去のことですが、永遠の神が語られた歴史は、現在も未来も含んでいるのです!

「その2」で紹介した二つのサイトを、読み直してください。「シオンの架け橋」サイトでは、「ディアスポラ後のユダヤ人」の「シオニズム運動の誕生」から、そして「ミルトス」のサイトでは、「外国の占領下」の「オスマン・トルコ時代」あたりからの話です。

ユダヤ人の離散は全世界にまたがりますが、ヨーロッパ北部のアシュケナジ、イスラム支配下時のスペインから始まったセファラディ、そして中東地域のミズラヒなどいますが、現代イスラエル国の中核を作り上げたのは、ヨーロッパ系のアシュケナジ・ユダヤ人です。

離散の地にある迫害から、「離散ということ自体がユダヤ人迫害の問題点である。ユダヤ人国家を作らなければいけない。」というヨーロッパ型の啓蒙思想が、神がもともとユダヤ人に与えられていた郷土帰還への想い(詩篇137篇参照)と相まって始まったのが、「シオン主義」つまり「シオニズム」です。そして、その時ヨーロッパは社会主義が勃興しており、社会主義的共同体を農耕によって形成するという「キブツ」の夢を掲げた人たちが、オスマン・トルコ時代に荒廃化した土地を緑化したという経緯があります。それがエゼキエル36章にある土地の回復です。

非ユダヤ人だけでなく、ユダヤ人の間でさえも、シオニズムに懐疑的な人たちが少なくありませんでした。先に挙げた申命記30章の約束には、神に立ち返るというしるしが帰還に伴っているのですが、そうして霊的復興もなくただ帰還するのは人間の恣意的な行動であると、特に宗教的なユダヤ人は考えたのです。けれども、実は神はこのこともご自分の御思いに入れておられ、イスラエルの帰還には二段階があり、メシヤが到来する前にすでに国が復興していなければいけないことをエゼキエル書37章は告げています。

そして、ホロコーストが帰還に拍車をかけ、その残虐さに国際社会も驚愕し、国連がイスラエル国家認知を1947年に行ないました。

興味深いことに、中東系の離散ユダヤ人が怒涛のごとく押し寄せたのは、その後です。しばしば「パレスチナ難民」のことは取り上げられますが、「ユダヤ難民」については全く取り上げられません。1948年に勃発した第一次中東戦争(独立戦争)によって、自分の家を離れて避難したアラブ人がパレスチナ難民の起源ですが、同じ時にアラブ諸国にいたユダヤ人も強制退去を命じられました。その大量の難民を誕生したばかりのイスラエル国は「吸収」したのです。パレスチナ難民をある程度吸収したのに成功したのは「ヨルダン国」ですが、大部分のアラブ諸国は政治的意図をもって彼らを吸収せず、難民の位置のままに留めているのです。

そして、あの巨大国ソ連が崩壊しました。その後、そこで迫害下に置かれていたロシア系ユダヤ人が怒涛のごとくイスラエル国に押し寄せました。そのため、今のイスラエルではヘブル語、アラブ語、英語の他にロシア語も使用言語の一つとなっています。

宗教(イスラム)との確執

ヨーロッパに歴史を通じてあった根強い反ユダヤ主義は、「キリスト教」がその背景にありました。イスラエル旅行に行かれるクリスチャンは、そこで言われている「キリスト教」が自分の信じているものと異質であることに、すぐに気づかれることでしょう。極めつけは主が十字架につけられた「聖墳墓教会」ですが、そこにはプロテスタントを除く様々な教派が縄張り争いをしていて、聖職者が文字通りの喧嘩をする事件も散見されます。イエス・キリストに対する信仰が「宗教」に成り下がるのです。

その宗教としてのキリスト教の中では、ユダヤ人が「キリスト殺し」とされました。「ちょっと待って!それは当時の腐敗したユダヤ教指導者が行なったことで、それよりも私の罪のためにキリストがご自分の命を捨ててくださったのでは?」となるのは、福音的な、御霊の新生を経験しているクリスチャンであり、宗教としてのキリスト教は違うのです。イスラエルは呪われた民であり、侮蔑の対象として扱ってきました。

それに対して、イスラム教の中ではどうだったかと言いますと、生存権まで脅かされることはありませんでした。二流市民であるかぎり、その生活を否定することはなかったのです。イスラムには、「征服神学」があります。ユダヤ教はキリスト教に発展し、イエス・キリストはその中の偉大な預言者であるが、最後の使徒ムハンマドにアッラーが啓示を与え、それがコーランであると信じています。ユダヤ教もキリスト教もイスラムによって完成するのだ、と考えているため、イスラムが支配していること自体が大切なのです。ですから、イスラエルに行くと、ユダヤ教とキリスト教のゆかりの地にモスクが立てられています。極めつけは「神殿の丘」に「岩のドーム」が建てられていることです。イスラム教徒は、そのドームに背を向けてメッカに向かって拝礼しています。そこを敬っているのではなく、ユダヤ・キリスト教に対する征服自体が大切なのです。

ところが、近代に入り、彼らの神学体系を根底から覆す歴史が始まりました。ユダヤ人が大挙してパレスチナの地に押し寄せてきたのです。しかも、彼らは土地を買い取り、そこを開墾し、町々を建て、そしてなんと国造りまでしていました。イスラム主権ならず、ユダヤ人主権が広がっていくということは、彼らにとって屈辱以上の、絶対にあってはならない出来事なのです。

そこで近現代の歴史が「ヨーロッパ中心の反ユダヤ主義」から、「イスラム圏の反イスラエル主義」へと変わっていったのです。

その4に続く)

初めから物語る歴史 - イスラエル その2

その1からの続き)

外国の支配からイスラエル建国

イスラエル旅行を考えている方、またイスラエル全般を知りたい方は、次の二つの記事の一つを読むことを必須にしたいと思います。

イスラエルの歴史」(「シオンとの架け橋」から)

イスラエル・ユダヤ情報バンク」(「ミルトス」から)の「イスラエルの歴史」

出エジプトを紀元前13世紀とするなど、多少、私の見解と異なる記述はあるものの(私は1445年だと思っています)、全体を眺めるには良い記事です。シオンとの架け橋サイトであれば、「ディアスポラ(離散)後のユダヤ人」、ミルトスのサイトであれば「外国の占領下」から、聖書時代からそれ以降の歴史を眺めることができます。

    ペルシア・ギリシア(Persia – Greece)時代
    ハスモン王朝(Hasmonean)
    ローマ支配(Rome) → ここがイエス様が地上におられた時代
    ビザンチン時代(Byzantine)
    アラブ征服時代(Arab)
    十字軍時代(Crusader)
    マムルーク時代(Mameluke)
    オスマントルコ帝国時代(Ottoman Turk)
    英国委任統治時代時代(British Mandate)
    独立への道(Independence)

参照図書は次の二冊です。
「ユダヤ人の歴史」(シーセル・ロス著)(紹介文 ・ 古本
「ユダヤ人の歴史」(ポール・ジョンソン著)(上巻 ・ 下巻

「独立への道」つまり、近現代のイスラエルの歴史は、また追ってお話したいと思いますが、最後にYoutubeでイスラエルの歴史を見てみましょう。英語で”history of Israel”と入れると、数多くの紹介動画が登場します。面白かったのは次です。

四分間で見るイスラエル史

五分間で見るエルサレムの四千年史

その3に続く)

初めから物語る歴史 - イスラエル その1

「今」を知るための物語

この前の日曜日、午後礼拝の後の交わりはとても楽しいものとなりました。来年のイスラエル旅行に思いを馳せる人が何人かいて、私はさっそく、今のイスラエルを知るための基礎知識を紹介しようとしました。けれども、今のことを話そうとしたとたん、私の口は聖書時代から話し始めていたのです。「今」を語るためには、連綿とつながっている歴史そのものを語り継げなければいけないことに気づきました。不思議に、一つのことを話そうとするとそれが数珠繋ぎになって「初め」へと戻されるからです。

聖書の中には、何度も何度も「物語」を語り継ぐ場面を発見します。誰もが、今の自分たちに至るまでの歴史を語り継げて、それで今の自分を見つめ、主に従うことを指導者は勧めます。申命記というモーセの説教しかり、ヨシュアの晩年の言葉(24章前半)もそうですし、ソロモンは逆に神殿を建てた後に、これからの歴史、つまり預言を祈りの中で行いました(1列王記8:27以降)。

モーセも、同じように過去のみならず、一つの「歴史」としてはるか終わりの日まで語り(申命記28-30章)、その父祖ヤコブも死に際に、息子たちに未来の歴史を語りました(創世49章)。神は、私たちに一貫した物語を人生として与えておられ、それをご自分の作品にしておられるような気がします(エペソ2:10)。

後世は、詩篇の著者が105,106,136篇など、いろいろなところでイスラエルの歴史を語り継ぎつつ歌をうたっています。バビロン捕囚からエルサレム帰還後にも、ネヘミヤ記9章においてレビ人らがイスラエルの歴史を初めから語り、神に祈り、悲しみの思いを告げています。

これは新約時代に入っても同じです。ステパノは、「律法に逆らう言葉を彼は話している」「神殿をこわせ、と彼が答えるのを聞いた。」という告発に対して、そのまま答弁するのではなく、イスラエルの歴史をアブラハムの時代から語り始めたのです(使徒行伝7章)。パウロも、ピシデヤのアンテオケの会堂で、出エジプトからイエスが現れてくださったことに至るまでの歴史を語っています(同13章)。

したがって、イスラエル旅行に行く時は、もちろんイエス・キリストが辿られた足跡を追うことが主目的ですが、その舞台であり文脈となっているイスラエルを知るには、初めからの歴史を順番に追って知っていくことが必要です。

聖書時代以外の歴史

私たちキリスト者、特に聖書が好きな信者たちは、聖書時代のイスラエルまたエルサレムの歴史は知っているでしょう。アブラハムから始まり、約束の地にヨシュアが入り、ダビデの時代にイスラエル王国が立てられ、その時にエルサレムがユダヤ人のものとなり、バビロンによる七十年の離散の歴史を経た後、帰還したということ。けれども新約の時代に入るまでに、ローマがその地を支配して、ユダヤ人には自治のみが許されていたことはご存知でしょう。

けれども、実は意外に知られていない二つの時代が聖書には書かれています。一つは「中間期」と呼ばれるものです。バビロンからの帰還の生活がエズラ記とネヘミヤ記に書かれていますが、その時代はバビロンを倒したペルシヤの時代に入っていました。そして旧約の最後のマラキ書はペルシヤ時代のものです。それ以降、イエス様がお生まれになるローマまでの時代は書き記されていないと思っていましたら、間違いです。「預言」として、いくつかの預言書に書かれているのです。

一つは「ダニエル書」です。ここに一番詳しく書かれています。ネブカデネザルが見た「人の像」には、バビロンから始まり、メディヤ・ペルシヤ、そして次にギリシヤとローマの姿が映し出されています。さらに、ダニエル自身が見た四頭の獣もバビロンとペルシヤの他にギリシヤとローマがありました(7章)。さらに8章には、ペルシヤとギリシヤの姿が詳しく描かれ、特にギリシヤ時代に出てくるアンティオコス・エピファネスと呼ばれるシリヤ(ギリシヤ帝国の四分割の国の一つ)の王がユダヤ人をギリシヤ化すべく大迫害を行なうこと、そしてそこからマカバイ家による反乱と、神殿の奪還の歴史が預言として記されています。さらに11章には、ギリシヤが四分割した後に、プトレマイオス(エジプト)とセレウコス(シリヤ)の長い戦争の歴史が記されており、詳細に中間期を描いているのです。

もう一つは「ゼカリヤ書」です。9章にはギリシヤの歴史、11章にはローマの歴史、特に紀元70年にエルサレムの神殿を破壊し、ユダヤ人を世界離散の民にした出来事が預言として記されています。

そして聖書時代を越えて語られているのは「離散と再集合の歴史」です。イエス様は、ユダヤ人が神を退け、実にその御子までをも退けたことによって、エルサレムが破壊されることを泣きながら予告されました。

ああ、エルサレム、エルサレム。預言者たちを殺し、自分に遣わされた人たちを石で打つ者。わたしは、めんどりがひなを翼の下に集めるように、あなたの子らを幾たび集めようとしたことか。それなのに、あなたがたはそれを好まなかった。見なさい。あなたがたの家は荒れ果てたままに残される。あなたがたに告げます。『祝福あれ。主の御名によって来られる方に。』とあなたがたが言うときまで、あなたがたは今後決してわたしを見ることはありません。(マタイ23:37-39)」

「荒れ果てたままに残される」ということが紀元70年から始まり、厳密に言えば今に至るまでその状態が続いています。エルサレムに神殿がなく、他の者に荒らされているということであり、「神殿の丘」に、イスラムの「岩のドーム」がある事実がそれを物語っています。

そしてそれが終わるのが、ユダヤ人指導者が「祝福あれ。主の御名によって来られる方に。」と言う時であるのですが、それはイエス様が再び戻ってこられて、彼らがイエスこそがメシヤであることを気づく時です。そしてルカ21章24節によると、「人々は、剣の刃に倒れ、捕虜となってあらゆる国に連れて行かれ、異邦人の時の終わるまで、エルサレムは異邦人に踏み荒らされます。(ルカ21:24)」とあり、この時代が「異邦人の時」とイエス様は呼ばれます。

したがって、その後の離散の歴史とエルサレムが異邦人の支配を受けていた時代を知ることは大事なのです。

その2に続く)