東松島救援旅行(月浜)10月6日

次の日、私たちが朝ごはんを用意しているときに、さっそく昨日の物件の大家さんが現地に着いたとの連絡を受けました。仙台若林区在住のロイさんも来て、中身を見せていただくことができました。一階から三階までの、見事なオーシャンビュー(海辺の見晴らし)です。けれども、その周りは全壊した家屋の部落です。

これから由美さんとチャックさんが神様に祈って、ここをどのように受け止めるのか、また修繕等もどのようにしていくのかで、話は決まってくると思います。どうか続けて、主が備えておられる場所にお二人を導いてくださるよう、お祈りください。

そしてお二人は急いで帰りました。午後5時出発の沖縄行きの飛行機に乗らなければいけないからです。(4時過ぎに電話があり、無事に搭乗口にまで来ることのができたとの連絡を受けました。)残った私たちはデボーションをして、仮設住宅を発ちました。

私たちは松島を立ち寄りました。両親が息子の私に会いたいとのことで、松島海岸駅の隣にある喫茶店で三人は話をして、その間、妻とマイケル、セルマさんは松島の景色を見て散歩しました。そして無事に帰宅できました。

どうか続けて、月浜の人々、牛網の人々のためにお祈りください。このつながりが、今度はチャックさんと由美さんの宣教活動につながるようにお祈りください。たった一人でもいい、サマリヤの女のように本当に回心した人を神が起こしてくださり、その人を通して地域に福音が広がっていくようにお祈りください。しっかりしたイエス・キリストの土台の上に、教会が建て上げられるようお祈りください!

東松島救援旅行(牛網)10月5日

次の日、早朝起きて仮設住宅をちょろっと廻ったら、区長の奥様がちょうど歩いて来られました。貸家物件の可能性についてです。月浜海岸は津波で家屋がほとんど土台ごと流されているのですが、岩の家に建てられた数軒が残っており、その一つが丘の斜面に建てられている使用されていない別荘があります。私たちが海岸の掃除などをしていたときに、よく残っていたなと関心していたものです。大家さんは他の所に住んでいるので、元所有者の現地の方が仮設におられるので、この日は外見だけを案内してくださいました。大家さん本人に連絡したところ、明日の早朝、来て内部を見せてくださるそうです。

そして次に私たちは、8月24日の旅行で一度訪れた、牛網の新しい仮設住宅に行きました。ところで、すでにカルバリー所沢のトラビスとカルバリー西東京の山東さんが十月中旬に、千葉さんなど他の人たちと共に彼らのところに訪問しています。

私たちは、仮設住宅に移った彼らに対して、従来の炊き出しではなく、個々人のお宅に訪問して時間を過ごそうという思いで一致していました。これによって今後何年間も切れることのない絆を結び、またキリストを伝えることができると考えたからです。

訪れた今泉さんのところには、十人ぐらいの避難所の仲間が訪問してくださり、久しぶりの再会を互いに喜びました。仮設住宅に住まずに、牛網の修理・改築を済ませた自宅に住んでいる方々もおられました。避難所生活から離れて、かえって一人ぼっちになって寂しいという人もおられました。

そして次に、第一回の救援旅行の時に涙を流してトラビスのピアノ演奏を聞いていた斎藤さん宅を訪問しました。その時以来、避難所のリーダーの千葉さんと共に仲良くさせてもらっています。ご夫妻の家は冠水のみで改築と清掃で住めるようになっています。8月10日頃、宜野湾のチームも宿泊でお世話になっています。

彼女は、旦那様もそうですが、ミッション系の学校出身など、かなり教会の人々に囲まれている生活を送っておられていたので、直接的に、私たちはクリスチャンになった証しをしたり、伝道も試みました。今泉さんもそうでしたが、チャックさんと由美さんが引っ越してくる話を聞いたら、非常に喜んでくださいました。

そして、そこに避難所のリーダーだった千葉さんがやってきてくださいました!本業は家屋の壁紙貼りだったのですが、震災後はものすごく忙しくなっています。珍しくその週はいつもの石巻ではなく牛網での作業だったので、途中で抜け出して斎藤さん宅まで来てくださったのです。

彼にもチャックさんと由美さんのアパート捜しを相談していましたが、知人の不動産屋に電話してみるから再び五時半に会おう、ということになりました。チャックさんと由美さんは、仙台港にある沖縄からの引越しの荷物の一時保管するコンテナを、仙台港のところで見つけたので、契約を結びに行き、私たち四人は他の用事を矢本で済ませていました。

そういえば、月浜避難所でお世話になった小野さんにも、4日の炊き出しにお誘いしていたのでいらっしゃらなかったので、一か八か電話してみたところ、その時、東松島で最も大きい「グリーンタウンやもと」の仮設住宅のご自宅におられるではありませんか。それで急遽、私たちはそこに訪問して、たまたまもう一人、月浜仮設住宅在住の若いお母さんもおられて、時間をじっくり過ごすことができました。

そして牛網に戻りました。結局、千葉さんとは再び斎藤さん宅で会うことになり、再び団欒の時を持つことができました。そして千葉さんの連絡先から、可能性のある格安の売家の話が浮上しました。

そして私たち全員は、月浜の仮設住宅の木村宅に戻りました。

東松島救援旅行(月浜)10月4日

皆さんお祈りありがとうございます。無事に東松島市にある月浜と牛網の救援旅行から戻ってきました。マイケルさんの運転はとてもスムーズで、またトラビスの親戚(お父さんの従姉妹)のセルマさんも時間に遅れずにマイケルと早朝に来てくださったおかげで、12時には現地に到着することができました。

今回は、綾瀬東部教会の方々が牛網の人々のためのキムチを用意してくださり、また教会のワゴン車を貸してくださいました。また妻が知り合いになった他の韓国教会の方もキムチを送ってきてくださったので、月浜の人々にもキムチを提供することができました。

この日は、月浜の仮設住宅の方々への炊き出しです。仮設住宅には談話室が大抵付いています。そこで豚汁、ご飯、キムチ、キムチ入りチヂミ、フルーツミックス、そして食後のコーヒーとお菓子を用意しました。そして談話室の外には、絵本やトラクトのテーブルも用意しました。

思ったより、夕食の準備には時間がかかりました。以前の月浜避難所での炊き出しでもそうでしたが、ここの地区は民宿と海苔養殖で成り立っていますが、ご婦人の方々がプロの手捌きで配膳を手伝ってくださり、見事に人数分、ぴったりと分けてくださいました。ご飯は隣にある、津波で流されなかった民宿の方がその大きな炊飯器で私たちの持参したお米を炊いてくださいました。

絵本とトラクトのテーブルにも人が殺到しました。絵本は瞬く間になくなり、トラクトもかなり取っていってくださいました。

それから、食後のコーヒーの時間には、区長ご夫妻と親戚や数人の方が来てくださり、いろいろ語らいの時を持ちました。今回は、チャックさんと由美さんの引越し先の物件を聞き出すという大きな相談もあります。被災地での不動産捜しは案の定、困難を極めたようで1日から捜しているけれども全然見つからなかったとのこと。それで、区長さんの情報から可能性のある物件が浮上し、5日と6日のその物件を見ることができました。

その後、私たちは仮説住宅の木村さんのお宅に宿泊しました。チャックさんと由美さんが、私たち二人に、主がどのように東松島に導いてくださっているのかを分かち合ってくださり、私たちも、全面的に支援したい旨を伝えることができました。