「医療の命の暴走」

(4月19日、フェイスブックに掲載、前記事の続き)

人は家畜になっても生き残る道を選ぶのか?/コロナパニックについて考える

「これまで何百年もかけて人類が一つずつ獲得してきた様々な社会的な権利。それらを一時的にとはいえ一気にむしり取るという前代未聞の体験を、いま僕たちは「コロナ」を理由に経験している。医療は、これまで誰も持ち得なかった「国民の人権さえも制限できる巨大な力」を持ってしまったのだ。「命を守る」の殺し文句がこれほど効果を持つとは。。。」

 今の医療崩壊を叫ぶ、医療現場からの声、それは切実であり、全く異存はありません。

 しかし、医療現場を守るために社会の機能そのものを停止したことによって、失業して家庭暴力が急増、自殺者多発、運送も心身の疲弊・・今日のNHKの報道でした。そして老後介護施設では、人との接触が少なくなり、そのために心身ともに弱くなり、罹患して死んでしまわれる可能性が増えると。他のニュースでは、十代の女子の妊娠(おそらく中絶)、危ないのは、医療現場だけじゃないんですよ。

 命ってそもそもなんでしょう?命よりも大事なものがあって、初めて命なんじゃないでしょうかね?その医療の現場が、ご高齢の方々が高度医療の檻に入れられているようになっている、「命ってなんだんだ?」という問いに答えられないままで、今回のコロナウイルスが起こってしまったんじゃないでしょうか?

 医療現場に元々あった「人の尊厳」の問いに答えが付かないままで「医療の命」があり、その「医療の命」が、国全体、社会全体を支配し、人の尊厳を踏みにじる危機にあるのではないでしょうか?

 ビズテリアのこの前の勉強会でも、「人を救おうとして、人を潰している」というコメントをしました。なるべく人の命を守らないといけないのは、言うまでもありません。でも、実はその根源的な問いを直視しないままでいたら、人命を救おうと思えば思うほど、人が死んでいくと思います。

 とんでもない時代になったと思います。

参照投稿:

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です