若林区&相馬救援旅行 4月7日

最後の日は、初めに若林区に行きました。そこにカルバリー所沢に通っておられた姉妹が住んでいるからです。そこで彼女から、地震と津波の時の体験談を伺いました。すぐ目の前まで、津波が迫っていたそうです。

それから福島県の相馬市に向かいました。母の知人の方が農家におられ、かなり津波被害を受けたそうです。行ってみたら、延々と続きそうな清掃に驚愕しました。けれども男たちが5人いるので、水と泥だらけになった畳を剥がし、指定のゴミ捨て場で捨て、納屋にあるものを外に出す、力の要る作業をすることができました。本当に感謝されて、私たちもぴったりの時期に、ぴったりの作業を与えてくださった主に感謝しました。

それから、本当は常磐道を通ればはやく帰れるのですが、原発の目の前を通らなければならなくなるので(というか常磐道が通行止めになっているので)、遠回りをして東北道まで山道を走らせて、帰りました。カルバリー・ホノルルのビルさんは、無事に羽田空港に行けて、深夜に出発する便に乗ることができました。

すべての旅について、主に栄光をおかえしします!

石巻・東松島救援旅行 4月6日

この日は両親も連れて、8名で行きました。

石巻に午前中行きました。石巻は意外に手ごわいです。少し内陸に入るとかなり復旧しており、救援物資を受け取ってくれません。けれども海岸部は激しい破壊状況で、今度は逆にあらゆる救援に対して心を閉ざしています。今回、被災地はこのように津波が来た所とそうでない所が、ある一線からちょうど国境のように一気にその風景が変わります。

ちょうど中間当たりの状況にいる人々を見つけられたら、物は受け取ってくれるでしょう。実際、病院の先生が食料はあるが患者さんに暖かいものが出せなかったということで、ガスコンロとボンベを渡すことができました。

海岸部で今必要なのは瓦礫を取り除くなどの作業だと思いますが、同日に石巻に行った国分寺カルバリーの兄弟によると、自動車が家の中に突っ込んであったりして、自衛隊が来るのを待つ必要があるとの事です。あと二週間ほどしたら、瓦礫除去や清掃のお手伝いができるでしょう。

そして2時に東松島に戻りました。カルバリー府中の兄弟が、トラックに洗濯機6台と、バーベキューの台、鶏肉を調達して東京から来てくださいました。私たちは前日ものすごい量のソーセージなど、他の食材を用意して持って来ました。それから再び、沖縄カルバリーの仲間がさらに衣料を中心とする物資を持ってきてくれました。

そしてすごいことが起こります。すぐ傍に津波でだめになったため捨てられていたピアノをトラビスが見つけ、これならピアノを弾ける、とのことでした。それを動かし、この地区センターの長の方が照明も設定してくださいました。これこそ、津波のよる破壊から音楽による希望を奏でる象徴的存在になりました。

バーベキューの準備が進み、長蛇の列が並びました。沖縄のリックたちは、袋に聖書を入れて、それに物品5品までということで、分け与えることができました。炊き出しをしている自衛隊の若者たちと本当に親しくなり、彼らにもバーベキューをあげることができました。

そして、トラビスがピアノ、そしてギターで歌を披露します。人々の心がますます和んできました。一人の婦人の方が泣き出され、祈らせていただきました。そして大勢の方が、本当にありがとうという言葉をかけてくださり、印象的だったのは、「これで終わりに決してしないでください。復旧には一年以上、かかるでしょう。この地区は忘れられています。どうか、長期的に考えてください。」とのことでした。これこそ、私たちが祈り続けていたことですから、「分かりました」とはっきりと答えることができました。

地区センターの長の方のために、私たち牧師が手を合わせて最後、祈る時間を持つことができました。

この地域のために、主にある希望になりつづけたいと願っています。

東松島・石巻救援旅行 4月5日

今日は、東松島と石巻に行ってきました。松島はまだその美しさを保っていました。東松島に入ったら、愕然とさせる全壊の家が続きました。

そして、ある程度家が残っているところにきたとき、私はここでもしかしたら家々で困っている人たちがいるのでは?と思いました。それでサンクスの人に聞いたら、そこにいた人がある地区センターに連れて行ってくださいました。そこの避難所は自衛隊の人たちが水と基本的な食事を提供してくれる以外は、役所が見放している所でした。そこのリーダーの人たちとじっくり話して、洗濯機が必要とのことで、府中の方がなんと六台を安いのを購入して、次の日トラックでここまで来てくださいました!

それから、トラビスがバーベキューをやりましょう、ということにありました。それで同じ方が、肉とバーベキュー台をいっしょに購入して持ってきてくださいました。

そしてリックの沖縄のチームが後続で来ました。もっと援助物資がやってきたので、ここのいったいの人たちは大喜びでした。もちろんトラクトも配り、リーダーの人のために私たちは祈りました。

今後、家々の片付けのため4月下旬にハワイからチームを呼ぶことができるかもしれないという話し合いも、このリーダーの方と話すことができました。

それから石巻に行きました。沖縄・国分寺の人たちについていきましたが、石巻はまるで水の爆弾の空襲で廃墟となった町という感じでした。別世界です。ヨークベニマルの屋上に20人ぐらいの人が被災されています。水道、電気、ガスすべてがありません。わずかに電気が通っているところがありますが、・・・どうか、どうか、今、救援に行くべきか悩んでいる方はぜひ、来てください。石巻はまだまだ基本的物資も足りません。

死ぬまでのことはないのですが、その他のものが全然足りません。

次の日は、同じところにいくつもりです。石巻に始め行きそれから東松島にいきます。

仙台被災地救援旅行4月4日

一昨日の夜、無事に東京に戻ってきました。Facebookで書き残したノートを元にこちらに報告を残したいと思います。

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この日からガソリンの供給が仙台に本格的に入りました。ガソリンスタンドに車が並んでいません!!そしてガスまでが入り、両親はお風呂が久しぶりに入れるので、喜んでいます。

今日は七ヶ浜にある避難所に行きました。知り合いの知り合いの方がいたのですが、なんとその中に入り、救援物資のみならず、トラクト入りのお菓子袋も渡すことができ、トラビスは子供たちと遊びました。

そして、そこに女性の方が熱心にトラクトを読んでいます。尋ねてみたらクリスチャンだとのこと。なんと津波にさらわれ流されたのですが、間一髪で救われたそうです。みなで、その場で祈りました。

その後、七ヶ浜と多賀城の海岸地域を回りましたが、絶句しました。写真や映像よりも凄まじいです。

それから利府にいる姉のところを尋ね、彼女から直接津波の証言を聞きました。多賀城にある姉の会社の人はいったん、地震の指定避難所の運動場に動いたのですが、それはもっと海辺に近かったとのこと。津波警報を聞き、二つの建物に分かれて避難。一階はすべて津波が入ってきました。夜には屋根の上から助けを求める女性の悲鳴が・・・。次の日、ひざより上に深さの冷たい海水の中を歩き脱出。途中まで徒歩で歩き帰宅したとの事。

それから両親の家に戻りましたが、なんと四軒隣の方が娘さんといっしょに訪れてくれました。この方が昨日、イエス様を受け入れたのです!娘さんも救いにかなり近づいています。

カルバリー東北地方救援

ブログでご紹介するのは初めてだと思いますが、私の実家は仙台です。両親は内陸部に住んでいて無事であり、姉が多賀城で仕事をしている時に津波が襲ってきました。二日程閉じ込められましたが、自力で脱出したのこと。車は、ニュースの写真や映像でご覧のとおり流されました。

そして、私はとてつもない量のメールを受け取りました。文字通り世界中からです。何とかして助けたい、どうすればよいのか、という問い合わせです。私たちは昨年末に日本に戻ってきて、まさか三ヵ月後にこういうことになるなんて。まさに、エステル記にある「この時のために」です。

カルバリーチャペル関連の牧師たちがどんどん、宮城県に出動しています。クラッシュ・ジャパンにもスタッフが何名かいて、そしてジェレミヤさんが牧会をしている東京ホライズン・チャペル、それから先日会った、沖縄の人たちもどんどん行っています。コミッティドの人たちは、ずっと北の岩手県の町に行っています。

そして、国分寺カルバリーの人たちがもう三回、出動しました。初めは、どういう計画なのかなとはらはらしていましたが、行く度にものすごく祝福されている感じです。

この「カルバリー東北地方救援」のために、ぜひお祈りください。

そして、実は私たちも来週、月曜日に行きます。二週間ぐらい前から明日にでも行きたいと思っていましたが、様子を見てじっくり待っていました。カルバリーチャペル所沢の牧師トラビス、同じくカルバリー府中のリッチ、そして彼らの牧師であるカルバリー・ホノルルの牧師ビルが明日、やってきます。それから私たちと、もう一人府中におられる男性二名も参加予定です。

これから、私たちみんな、どんどん行くと思います。私は仙台出身ですが、東北の人はだいたい内気です。こんなにオープンな姿は見たことがありません。どうかお祈りください。今、「心のケア」が必要な段階に入っていますが、被災者の方が、キリストにあるケアを受けることができますように!