「政府や東電を信頼するな?」

数日前、福島原発で実はメルトダウンが起こっていたというニュースが流れて、なおいっそうのこと「政府や東電を信頼するな」「彼らは嘘をついている」という言葉が多くなりました。そして、「風評被害」に対しても実際なのではないかという疑いを言う人たちが多くなってきたと思います。このことに関する私の困惑の思いを分かち合わせていただきます。

日本は良い国

私はアメリカに二年半、韓国にも三ヶ月、そしてまた別の国に五年ぐらい住んでいました。そして日本に再び定住する生活を送っているのですが、日本のことが本当に好きになりました。日本では当たり前にされている制度や習慣、態度が、他の国々では存在しておらず、当たり前に思っていたことが実は尊い遺産であり財産なのだと知るに至ったからです。

さらに、東日本大震災において被災地に何度か赴き、同じ体験をしています。当たり前に与えられていた安全や豊かさが取られた今、そこに残されたのは真の生きる意味でした。これまで安全や豊かさがあったがゆえに、人々が置き忘れていたものがそこにはあります。それがまことの神とキリストに出会う機会になってくれればと願ってやみません。

この前置きを言った後で極私的な意見を言わせていただきますと、政府や東電はずいぶん頑張っていると思います。誠実に国民に対して説明開示をしようと努力しています。「えっ?何を言っているんですか?!」と反発される人々も多いかと思います。けれども、日本在住の外国人たちがなぜ海外に逃げてしまったのかは、彼らにとって政府や企業はそれだけの存在だからです。自国の政府が隠し、また社会の中でも互いに騙しあうことが頻繁にあるために、災害のような危機に面する時は、全体で動くのではなく我が身の安全を守ることを優先するのです。

むしろ、今回政府や東電が犯してしまっている過ちは、過剰な慎重さにあります。科学的に正確でなければならないことだけに注目し(東電)、また後に国民から批判を受けないように言葉を慎重に選び(政府)、かえってその過剰な実直さから結果的に誤報を流しているのではないか、と感じています。そしてもちろん、目前の問題への対処に明け暮れた挙句、全体像を見ていなかった結果、問題解決する速度がいつも遅れているとも感じています。

政府は信頼できない???

そして本題に入りますが、私が驚いたのは「信頼できない」という言葉に含まれる、「過去は信用していた」という前提です。そもそも政府というのは信頼したり、頼ったりする対象なのか?ということです。

かつて鳩山首相がオバマ大統領に”Trust me.”と言ってみたり、ドラマでは頻繁に「それでも私はその人たちを信じます。」という台詞が美徳となっています。しかし人や政府、その他の事柄をそのまま信じていくということ自体が、実は「すべてを支配されている神」に信頼していないことを表れなのです。

東電についても、「東電はこれまで安全だと言っていたのに」と言っていますが、安全などもともと存在しないのです。むしろ、主の憐れみによってこれまで安全を保っていることができたのだ、というのが正解なのです。今も、放射線物質は原発から漏れていますが、主が憐れみ、守ってくださっているかぎり、絶対に安心なのです。もしそうでないなら、それでも御心の中で起こっているのですから平安です。

つまり、頼るべきお方は神のみであり、私たちの安全は主に属します。

ある者はいくさ車を誇り、ある者は馬を誇る。しかし、私たちは私たちの神、主の御名を誇ろう。 (詩篇20:7)

これは国の軍事力により頼むのではなく、主ご自身に安全をより頼もうということで、日本について言えば災害に対して誰に拠り頼むのか、それは政府ではなく主の御名なのだ、ということになります。

そして詩篇91篇全体をお読みください。その一部だけを引用しますが、

主は狩人のわなから、恐ろしい疫病から、あなたを救い出されるからである。主は、ご自分の羽で、あなたをおおわれる。あなたは、その翼の下に身を避ける。主の真実は、大盾であり、とりでである。あなたは夜の恐怖も恐れず、昼に飛び来る矢も恐れない。(3-5節)

疫病や恐怖は、まさに今、そのまま「放射能汚染の恐怖」に当てはめることができるでしょう。神を信頼している者は、基本的にそれらのものを恐れないのです。恐怖というのは、私たち人間にとっての敵です。神はイスラエルに戦いの勝利を与えられるとき、敵陣に恐怖を植えつけられました。それで例えば、300人のギデオンの軍が13万5千人のミデヤン人に勝利できたのは、彼らが恐れて同士討ちを行なったからです。恐怖は人間を破局的な行動に駆り立てる力となってしまいます。

けれども、恐れないのは無防備になることではありません。マルコ16章において、福音宣教に対する約束として、「蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず、病院に手を置けば病人はいやされます。(18節)」とあります。この聖句を使って、蛇をつかむ集会を持ったりする極端なグループがいた話を聞きます。また無理やり病院に行かせず、適切な治療が受けられなかった信者が死んでしまった話も聞いたことがあります。それはすべて「主を試す」という罪であります。

けれども、福音宣教のように、主の御心を行なおうとするときに、やむを得ず生じる危険に対して、主が必ず守ってくださるし、また医療の手段がなければ超自然的に癒しも行なってくださる、という約束です。ですから無防備になれ、ということではなく、「注意を払うが、思い煩う必要はない。主が守ってくださる。」という立場なのです。ですから、私は毎日ニュース記事を読んでいるし、しばしば大気中の放射線量サイトも開いています。けれども恐れません。東北地方に行くのも、20キロ圏外であれば福島に行くのもためらわず行ないます。

むしろ、不安になったりするのは、本当の危険が迫っているからではなく、余裕があるからなのです。安全圏に自分がある程度いるので、思い煩っているために起こっています。風評についてこのような記事がありました。

まず、風評というのは危険が切迫しているから起きるのではないということがあります。むしろ、その時点での危険は「遠い存在」であること、そして危険回避行動について「選択の自由がある」という条件があって初めて「蔓延」するのです。まず「遠い存在」であることから、実態が良くわからないという状況になります。分からないから不安であるし、政府やマスコミは何かを隠しているのではないか、そんな疑心暗鬼も生むわけです。
http://www.newsweekjapan.jp/reizei/2011/04/post-282.php

そしてあるツイッター記事では、「東京の人々は放射性物質が自分に降りかかる事ばかり考えている。津波の被害を受けて大変な人たちの事もっと考えたらどうか。被災地で原発の話している人は殆どいないと思う。東京より福島原発に近いのに。」という内容がありました。今でこそ少し安定して、テレビでニュースを見る余裕もあるので、被災地では放射能の話をしておられる人々もいますが、基本的にこれは事実です。

思い煩いというのは、「自分で支配・制御できなくなった」ところから来る不安であり、罪です。自分を支配しておられるのは神なのです。私たちはこれまで、自分たちで守るという、自存心、相互への依頼心によって生きていました。だから、政府や行政、その他の機関が機能していないと不安になるのです。けれども、神は機能しておられます!むしろ、頼るべきものが取られたとき、神が支配しておられることを知ることができて幸いなのです。

私の実家も、いろいろなものが神にあって取られました。それで、「すっきりした。これまで思い悩んでいたものが、はっきりと取られて、神の御心をはっきり知ることができた。」と両親は言っています。ある教会の牧師は、「教会堂がなくなってしまって、かえってすっきりした。」という大声ではいえない(?)感想も漏らしています。

主が避難所なのです。「わが避け所。わがとりで。私の信頼するわが神。(詩篇91:2)」・・・興味深い話を聞いたことがありますが、1980年代、老夫婦が核戦争の危機に対処するために、地球上にある住居地をくまなく、細かく調べたそうです。世界中でどこが核戦争の危険を回避できるか、平和と安全を確保できるかを決めようとしていました。研究と旅行をし尽くしました。クリスマスに、その老夫婦は母国の教会の牧師に、新しい住居からのクリスマスカードを送りました。フォークランド諸島です。ところがその「楽園」は、今や現代史で「フォークランド紛争」と呼ばれる、英国とアルゼンチンとの間の戦地になったのでした。

政府は神のしもべ

そして、私たちは政府に対して、また公の機関に対して(東電もある意味で公的な役割を果たしています)、どのような態度を取るべきか、見てみましょう。ペテロ第一2章13-17節です。

人の立てたすべての制度に、主のゆえに従いなさい。それが主権者である王であっても、また、悪を行なう者を罰し、善を行なう者をほめるように王から遣わされた総督であっても、そうしなさい。というのは、善を行なって、愚かな人々の無知の口を封じることは、神のみこころだからです。あなたがたは自由人として行動しなさい。その自由を、悪の口実に用いないで、神の奴隷として用いなさい。すべての人を敬いなさい。兄弟たちを愛し、神を恐れ、王を尊びなさい。

政府や行政は、私たちの神にその権威を与えられた、神のしもべです(ローマ13章1節)。キリストを信じる者は、これら政府などに従属していない神の子供であり、キリストにあって王であり祭司です(黙示1:5‐6)。日本政府も東電も神の御手の中で動いていることを確信することができ、ゆえに、政府を信じるとか信じないとか、まるで彼らの奴隷であるかのようにあたふたする必要はありません。

キリスト者はこのような自由と余裕を与えられているのですから、むしろ、積極的に神が置かれた権威に敬意と誠意を表していきます。善を行なっていきます。これゆえに、私は、批判しこそすれ、政府も東電も意地汚く罵ることはできません。「その自由を、悪の口実に用いないで、神の奴隷として用いなさい。」とあるとおりです。そして全ての人を敬い、神を恐れ、王を尊びます。「日本人はお上の言うことに従う国民性を持っている」という人たちがいますが、私たちはお上だから従うのではなく、神の証人として従うのです。

それゆえ、私は自分の区にある災害対策室の人と話せたことを幸いに思いました。被災地で自衛隊の人たちと笑顔を交わし、挨拶をし、会話ができて幸せでした。そしてニュースで毎日見る菅首相や官邸にも、感謝しています。「菅首相、ご尽力ありがとうございます」と一言、メールにでも声をかけようかなとも思います。

そして私たちは、信仰は「議論」するものではなく、「行動に移す」ものであることを、ここで「善を行ないなさい」というところで見ることができます。政府や東電が間違った方向に進んでいると感じたのであれば、ぜひ祈ってください。神が私たちのために置いてくださった人々なのです!この日本の復興のために知恵が与えられるように、そして何よりも神の栄光が現れるように祈ってください。そして神のゆえに、彼らを敬ってください。

そして、この記事を読んでいる人で関東圏の人は、東電の恩恵を受けているから読めるのです。関東ではない人も、それぞれの電力会社が、24時間、間断なく電気を供給してくれていることを、主にあって感謝してください。私がいた所では、しょっちゅう抜き打ちの停電でした。デスクトップの人は、それまでのデータが消失することもよくあるのです。主の憐れみによって、このブログを読む電力が与えられているし、またそうした余裕も与えられているのです。主が少し思いを変えられれば、パソコンも津波で流され、火事で消失したり、何でも起こりえるのです。感謝してください。

そして私は今の日本の悲劇は、「指導力の欠如」だけでなく、「指導者が愛されていない、尊敬されていない」ことだと思っています。私たちは民主主義の国に生きている前に、神の国に生きている者たちです。表現の自由を悪口ではなく、尊敬と祈りのために費やそうではありませんか。

(さいごに)政府と東電の発表を信頼できない人へ
あのホリエモンがツイッターで面白いことを言っています。「政府や東電が信頼できないなら、民間のデータを参照すりゃあいい。これまでの膨大な研究結果もネットで閲覧できる。放射線被曝の基準も公開されているし統計的データを参照して作られた。それでも信用できないか?」ごもっとも!

6月以降のLCFの礼拝場所

こんにちは。関東地方も梅雨に入りましたが、みなさんはお元気ですか?

LCFでは、今日と明日はいつものスケジュールで活動を進めます。

今日
14:00 ロマ書の学び(7章) 足立区こども支援センターにて
18:00 祈り会 OCC307号室
17:00 第一礼拝 OCC811号室

明日
14:00 第二礼拝 足立区綾瀬

そして6月以降ですが、

1)祈り会の時間が17:45から
2)第一礼拝が811号室から307号室

に変更します。来週改めてご連絡いたします。

追記:昨日、第一礼拝用の説教原稿を印刷した直後に、私のパソコンDELLのInspironが起動不能になりました。サポートに問い合わせたところ、メモリーのせいではないかとのこと。これまでDELLは三台使っていますが、すべてメモリーの交換をそれぞれ二度以上しています。みなさんでDELLをお持ちの方で同じ問題は起こっていますか?

そのため、ホームページへのメッセージのアップが多少遅れるかもしれません、ご了承ください。

あとバックアップを取っていなかったので、ハードが壊れていないことを祈っています。

いつまでも THANK YOU LORD

下は、「第六回 東松島牛網旅行」の音楽タイムで、トラビスが歌った歌の映像です。彼は、ここの牛網避難所の人たちのことを想いながらオリジナルを作りました。僕も泣けてきました。もうこれは救援活動ではなく「絆」でしょう。そして私たちの内におられるキリストを見ていただく共同体です。

この曲は東松島市牛網の被災者のために歌いました。イエス様がどれほどこの人たちを愛してくださっているから。

~~ いつまでもTHANK YOU LORD ~~

1) ただ独りで、ここに座ってる
圧倒される気持ちを感じながら
こころは 超heavy どうすればいい? 
でもまた、気づいた

Chorus:
私のそばにいつもいるから
どれほど愛されてるか(が)わかった
だからこそあなたに言いたいのは
ただ、いつまでも Thank You Lord

2) ただ独りで, 人目を避ける
背負ってる重荷を思いながら
My heart は苦しい もうあきらめたい、
でもまた、気づいた

Bridge
いかなる嵐でも だきしめて
その大切なことを 思い出させて、

CHORUS

3) 独りでも、独と感じない
Agape愛と平安を持ってるから
なにが起こってもIn my heart 思い出す
いつもの一言

Last Chorus:
私のそばにいつもいるから
神様に愛されてると分かった
だからこそ主に言うべきことは
ただ、いつまでも Thank You Lord

私のために十字架に死んだ

ただ、いつまでも いつまでも
ただ、いつまでも Thank You Lord

第六回目 東松島牛網旅行

今回、5月23-25日まで、トラビス(CC所沢)、リッチ(CC府中)、山東さん(CC西東京)、そしてLCFに礼拝賛美の奉仕に来てくれているマイケル(CC所沢)が、東松島の牛網避難所で時間を過ごしました。そして仙台在住の武田さんも手伝いに来てくださいました。LCFが訪問したのは、合計四回ですが、避難所は六回の訪問を受けたことになります。

私は、カルバリー沖縄のリックの仙台拠点探しに別行動で仙台に行きました。CC LaHabraによる「コミティッド・リリーフ」を通して、今年の夏、米国から救援活動に来る人たちが泊まれる拠点を探す担当を担っていましたが、彼は今回の旅行でサマリタン・パースの人たちとの連携や、沖縄の米国系バプテスト教会の救援チームと行動を共にしていたため、CC那覇の大城さんと私が、拠点探しを24日に行ないました。午後4時までには望ましい所が見つかったので、それでその足で東松島まで行き、夕食とその後の音楽タイムに飛び入り参加することができました。

山東さんが早速、今回の旅行の報告をしてくれています。ぜひお読みください。

震災支援レポート-052511

大きな変化は、多くの人が仮設住宅に移っていき7月中には完了するそうだということ、です。最後の日に、千葉さんが彼らを既に仮設住宅に移り住んだ人の所と、関連のある避難所にも連れて行ってくださいました。今後は、そちらでの奉仕に移っていくものと思われます。

トラビスと山東さんが、音楽タイムの締めで軽く福音を語りましたが、山東さんが良いことを言われました。「ここには、たくさんのボランティアの人たちが行き来していますが、私たちはずっと皆さんの友達でいたいです」と。他の地域にもたくさんのボランティアの必要がある中で、私たちは同じ所に通いつめました。単に救援の手を差し伸べている以上の、彼らとの交流が私たちの目的だったからです。そして主の憐れみによって、その心の戸が開かれており、絆も結ばれています。

Facebookにある山東さんが掲載した写真の一部を、いくつか載せたいと思います。

ネタニヤフ首相の米議会演説

続けて、ネタニヤフ首相の米議会演説の話題です。ネタニヤフ氏の米議会演説を先ほど、すべて観ました。

Visit msnbc.com for breaking news, world news, and news about the economy

今、日本語のニュースサイトでこの演説の内容を調べてみると、「強硬姿勢崩さず」という言葉が多く出てきましたが、私は、clarityという言葉を思いました。つまり「明快さ」です。

私が印象に残っている点を書き記します。

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イスラエルは、中東の内で初めから民主主義と自由を固持してきました。米国が唯一、中東において民主主義と自由を輸出しなくても良い国です。北アフリカと中東の中にあるアラブ人の民主化運動は、彼らに同じ自由を享受する権利を示しているが、イスラエル系アラブ人はその自由を何十年も持っていました。

米議会は拍手と起立の渦に巻き込まれていましたが、一人の女性が抗議の声を挙げ、少し中断しましたが、ネタニヤフ氏は、「これこそ自由の印であり、反対表明を言えるのだ。」と歓迎する態度を示しました。これを現在の中東で行なうと、実力行使で押し潰されるのは、見ての通りです。

そして、かつても民主化の動きがかき消されてしまった歴史を思い出す必要があります。1979年のイラン革命、レバノンのヒズボラの台頭がその一つです。

イランの核兵器開発は長いこと行なわれていますが、2003年に一時期とまった時があり、同じ時期にカダフィもあきらめています。それは、あらゆる手段を辞さない姿勢を示したからであり、私たち、特に六百万人の同胞を失ったイスラエルは自衛権を有しています。

イスラエルは平和を渇望しています。エジプトとヨルダンとの平和条約が、それが結ばれる前の戦いを考えると、どれだけ貴重であるかをよく知っている。今はパレスチナ人との和平を望んでいます。その為には、痛みを通らなければいけません。ユダヤ人の郷土である「ユダヤ・サマリヤ地方」の一部を放棄しなければいけません。イスラエルは、その地域において外国の占領者ではなく、古来からイスラエル人の土地でした。アブラハム、ダビデ、イザヤ等、歴史の歪曲があってはなりません。

パレスチナ人も、その尊厳と主権と、経済的繁栄を享受する権利があります。それ故、パレスチナ国家が存在すべきです。事実、ここ二年間、私たちが検問所を取り外し、パレスチナの経済は10パーセントの成長を遂げました。

オスロ合意以降、歴代のイスラエル首相が、ネタニヤフ氏も含め、パレスチナ国家を推奨してきました。ところが頓挫します。その理由は明快で、「パレスチナが、その国家を認めないこと」にあります。その国家が、「ユダヤ人国家との共存」を意味することにおいてです。イスラエル・パレスチナ紛争の本質は、パレスチナ人の国家が存在できるかどうか、ではなく、ユダヤ人国家の承認でありました。47年の国連決議で、ユダヤ人の地とアラブ人の地の割譲案に対して、ユダヤ側は承認、アラブ側が拒否しました。オスロ合意以降の首相は、六日戦争でイスラエルが確保した領土のほとんどを譲歩したにも関わらず、拒みました。残念なことですが、パレスチナは子供たちにイスラエルを憎むように教育しています。

私にとって、「パレスチナ国家を承認します」というのが痛いことであるのと同じように、私はアッバス議長にも同じ痛みをしてほしいです、「ユダヤ人国家を認めます」と。

国境線引きは、実際の人口の推移を踏まえなければいけません。すでに67年以降の領土において65万のイスラエル人が住んでいます。そしてエルサレムとその近郊にも既に数多く住んでおり、その現実を踏まえなければいけません。入植地は交渉の場で決着すべきでしょう。ある入植地はイスラエル国家の領域外になってしまうかもしれません。けれども、67年以前の境界線に戻れば、イスラエルの防衛が不能状態に陥ってしまいます。

そしてパレスチナ国家が認められれば、当然ながらパレスチナ難民はその国家内に移動すべきです。ユダヤ人国家は、離散のユダヤ人と難民になったユダヤ人を吸収しました。

そして、交渉の相手は、イスラエルとの和平を望んでいる人々でなければいけません。ハマスは、その憲章でイスラエル懺滅を唱えているばかりでなく、ユダヤ人を殺せと提唱しているのです。ハマスは、パレスチナのアルカイダ版です。

そしてエルサレムは、イスラエルの主権下にあったときにだけ、三つの宗教(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教)の自由が保持されました。エルサレムは分割してはなりません、イスラエルの首都であり続けるべきです。
(参照: イスラエル外務省の原稿の起こし
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本当に原則的な話ばかりで、難しいことは話していません。実に、「民主主義」「自由」「安全保障」を大事にした演説です。彼は非常に流暢な英語で、米議会の人々を拍手の渦に導きました。これほど友好関係を築いている二国があるものか、と感心します。

彼が話したことは、私が日頃感じていることのほとんどであり、至極当たり前だと思っていることです。けれども、聖書を信じる立場として、ジョエル・ローゼンバーグ氏は、「神の土地の割譲」と「米国への依存」においてその間違いを指摘し、イスラエルが神に立ち返ることによってのみ平和は可能であることを述べています。

けれども、私はネタニヤフ氏の「パレスチナ国家案」には驚いていません。イスラエルは、その建国当時からアラブ人との共存、二国家、二民族の立場を有しており、戦争をしても、すぐに交渉の席に着き、譲歩をしてきた歴史を読んだので、その延長線上にあると思っているからです。エルサレムをヨルダンから奪還した時も、神殿の丘の管轄をダヤン国防大臣はすぐにイスラム宗教局に譲渡してしまいました。

しかし、何かにつけてパレスチナはイスラエルの譲歩がある度にかえって態度を硬化、そして暴力手段に訴えます。そのため、イスラエルが応戦します。その結果、管理地あるいは領土が拡がります。この繰り返しでした。私は、イスラエル人当人がパレスチナ人へ土地を譲渡する姿勢があっても、神ご自身がその主権の中で、ご自分の地を守られていると感じています。

(さらに、私は戦争が起こるのを望みません。ネタニヤフ氏の原則を曲げない姿勢より、かえって、大きな譲歩を申し出た首相の時のほうが、流血が増えています。そういった意味で、二国家を提案しつつ、さまざまな条件を付ける彼の手法は非常に賢いと思います。)

さらに、パレスチナ自治政府が、周囲のアラブ諸国で起こっている民主化の痛みを通らなければいけません。デモが起こった時に、今の指導層は許すでしょうか?イスラエルは、イスラエルの国を否定する人々の意見の表明までを許していますが、パレスチナ自治政府は、イスラエル国への支持をパレスチナ人自身が発言するのを許すでしょうか?

この点で私はネタニヤフ氏の提案に無理があると思います。自治区内に、真の民主化運動が起こり、激変が起こらない限り、真実な和平相手になることは決してないと思います。一般の人々に民主的思想が根付いてこそ始めての「国家」です。

そして最後に、自治区はもちろんのこと、イスラエル国内でさえその宣教が制限されている点においては、見逃されています。イスラエル国家自体は世俗民主主義なので、信仰の自由がキリスト者にも与えられていることはネタニヤフ首相の言っている通りです。彼は特に、福音派キリスト者に対しては他の指導者以上に寛容です。

けれども、実際は建国当初からユダヤ教正統派を政府の中枢に取り入れているため、さまざまな弊害が国内で起こっています。キリスト者の宣教活動については、そうした人々による反宣教監視活動が繰り広げられているのです。もちろんそれで神の働きが起こっていないということではありません。その制限の中で、福音の戸が開かれています。

(後記)こちらに28歳の時のネタニヤフ氏の討論映像があります。もう33年を経ているのに、彼の基本姿勢は変わっていません。そして論理的・雄弁であり、討論相手に対して紳士的であることも変わっていませんね。

イスラエルが67年の境界線から撤退できない訳

こんにちは!今、仙台から新幹線で戻ってきました。月曜日の夕方に出発した短い旅行でしたが、下の記事に書きましたとおり、カルバリーチャペルが救援旅行の拠点となる住居を探すのが目的でした。けれども、主が良い所を備えてくださって夕方には時間が空いたので、東松島の避難所にも訪問しました。これまで牧師の四人衆(トラビス、リッチ、山東さん、私)が訪問していましたが、全員が集合したのは今回が初めてでした。

話は変わり、オバマ大統領がイスラエルが六日戦争以前のアラブ側との境界線に戻らなければいけないという呼びかけを行ったところ、ネタニヤフ首相が拒否したニュースはご存知だと思います。

イスラエル首相、米議会演説で「67年境界線」拒否を強調

オバマ大統領との会見後に、ネタニヤフ氏が自分の立場をオバマ氏に説明している会見をYoutubeで見ましたが、彼の主張は至極もっともで、かつ謙遜で、大統領への敬意も表れていました。

聖書的に厳密に話しますと、もちろん、イスラエルはまことの主なる神に立ち返らない限り平和はないし、神の土地の分割を意味する(ヨエル3:2)パレスチナ国家案も彼は譲歩しています。(ジョエル・ローゼンバーグ氏がこのことを指摘しています。)

しかしながら、私は個人的には、1)パレスチナ側がネタニヤフ氏の条件を飲むことは決してない。2)むしろ態度を硬化する。3)そのためイスラエルは分割案にて譲歩するどころか、その安全保障においてパレスチナを管理することになる(つまり現状維持)・・・になると思います。敵の態度の硬化でさえも、神は用いられたご自分の土地を守られていると私は感じます。

前置きが長くなりましたが、イスラエルが六日戦争以前のアラブ側との境界線に戻れない理由を、映像によって上手に説明しているYoutube動画がありました。

このCG映像を見ますと、軍事面における地勢の大切さが分かるだけではなく、イスラエルの地形を立体的に把握できるので、聖書地図理解に役立つと思います。イスラエル地図を平面図で見るだけでは、実は理解できません。ヨルダン渓谷やユダヤ・サマリヤ山地などの起伏の理解がとても大事です。さらに映像では道路の動脈についても説明しています。これもイスラエルが二つの文明(メソポタミアとエジプト)に挟まれた国際幹線道路が聖書時代から走っており、道路の重要性も忘れられません。

このごろ思うのですが、「災害や戦争における神の働き」を感じています。なぜ今回の地震・津波災害で、こんなにも神の御手を感じることができるのか、信仰によって見えてくる世界がなぜこうも広いのか、と感動している時に、自衛隊や米軍の災害支援活動も目立っていることに気づきました。戦時における態勢はそのまま自然災害に適用できるからです。そして改めて聖書を見ますと、戦争の時に主が共におられる歴史を何度も読みます。戦争を知らない世代に私は生きてきたので(団塊世代よりはずっと若いです!)、ここのところが実感できなかったのですが、このごろ立体感をもって、聖書理解と神理解ができるようになりました。

恵比寿バイブル・スタディ 5月25日

いかがお過ごしでしょうか?

今日は、昨日からの雨で少し涼しくなりましたね。しばらく暑い日が続いていたので、とても気持ち良いです。

私どもは、妻が例の国に今日から金曜日まで行って来ます。元々は入院している友人と時間を過ごし、また妻にもちょっとした休養を与えたいという私の気持ちがありましたが、そちらの教会のほうで、これまでの救援活動報告と、御言葉の取次ぎを頼まれました。私が最近、行なった説教を題材にして一生懸命、現地語の原稿を書き上げていました。

そして私は間もなく仙台に発ちます。今回は東松島ではなく、沖縄カルバリーのリックさんのお手伝いのために行きます。アメリカが6月下旬から夏休みに入り、全米のカルバリーチャペルが来仙した際に必要な宿泊の家を確保しようとしているのですが、仙台人の私がちょっと一役買おうかな、という感じです。

けれども水曜日は新幹線に乗って、必ず次の学びに間に合わせます。

日時:5月25日(水)19:00~
場所:目黒区立 田道住区センター三田分室 / 2階 第二会議室
聖書箇所:詩篇89篇以降
※ 食事は学びの前と後で持参ですることもできます。

それでは。

第四回目 奥松島・東松島救援旅行 5月18日

この日は現場における仕事はありません。それぞれが、自分たちの所に出発するだけです。けれども、お仕事はいろいろあります。瀬谷さんは、第二回目の旅行で私の両親の家でお会いになった近所の方にぜひ会いたいとのことで、東北本線の松島駅から仙山線の最寄駅まで行き、実家に一泊しました。そして、木村さんとお母さんは20日まで滞在予定です。私たちは、晩にある恵比寿バイブルスタディに間に合わないといけません。さらに静岡のチームは、東京の木村さん宅に荷物を下ろしに行く前に、同じ教団の仲間だったシーサイド・バイブルチャペルに訪問しました。

シーサイド・バイブルチャペルと言えば、今や一般の新聞にも出た「荒れ野での十字架」で有名になった、仙台沿岸部に位置する教会です。私も見城さんから、被災している教会の話を聞いていました。そして今回もどんな感じなのか彼からいろいろ聞くことができました。見城さんは冗談で、「ちょうど観光地の案内人のように、牧師の内藤さんは訪問する大勢の人々の案内をしている。」とおっしゃっていました。

私は、「なぜ他の教会と共に働かないのか?」と聞かれたことがあります。私は震災直後から、すぐに仙台の教会の人たちに連絡したり、その情報を得ようと努めました。単純に、「道が開かれなかった。」ということです。そして情報を追っていくと、数多くの教会が既存の教会を支援しており、むしろその支援教会の対応で忙しくなっている様子を見聞きしていました。教会が教会を助ける働きは、使徒の働きでエルサレムの教会を手助けした話が出てくるように非常に聖書的であり、すばらしいことですが、やはり「御霊によって導かれなかった」と言って良いでしょう。直接、キリストを知らない被災者の方々へ福音を伝えるように導かれています。

けれども、Facebookで何人かの牧師さんと連絡を取ることができているのは幸いです。

朝は、見城さんがデボーションで御言葉から分かち合ってくださいました。木村さんが、またご自分の気持ちを話してくださいましたが、「私は、クリスチャンたちを見てきて、確実に神・キリストが働かれているのを見ている。そして私はその世界とは別であると思ったが、私自身がその働きの中に取り囲まれているのを感じる。」とのことです。つい一ヶ月前までは、キリスト教会とは無縁の生活を送られていた方が発する言葉です。

そして最後に、木村さんが松島の絶景を楽しめる見晴台へと連れて行ってくださいました。確かに、「日本三景」に数えられるだけある風景です。そして何とここは元々彼らの土地だったのこと。ずっと前に行政に売り渡しました、とのことです。

そして私たちは植田さんを運転手にして東京に戻りました。途中、妻が高速道路の一部を代わりに運転しました。年に一度だけアメリカだけで運転していた彼女は、今回初めて日本で運転です。それから瀬谷さんは無事に私の実家に到着し、福島県相馬市の農家で出会った私の母の友人にも会うことができ、そこで母が自分の救いの証しをすることができたとのことです。そして夜に近所の方にも会うことが出来たとのことです。・・・ずっと「証し」と「福音宣教」の旅になっていました。

今度は、来週の月曜から水曜まで、トラビス、リッチ、山東さん、そしてカルバリー所沢のマイケルが東松島牛網に行きます。そして六月第四週目に、ハワイからのチームが5-7名来る予定です。けれども、これまでもそうでしたが、主がまた新たなことを行なわれるかもしれません。

第四回目 奥松島・東松島救援旅行 5月17日

朝7時に自炊の朝食を皆でいっしょに取り、デボーションをして、それから活動開始です。昨日の「炊き出し部隊」は、昨日、牛網避難所を訪れたところ「炊き出しはお昼より夕のようが良いのに。」という要望を聞いて、それで人数が増えるため、再びマックス・バリューで買出しに行きました。そして、仙台お住まいの武田さんも合流し、牛網避難所に戻ってさっそく夕食のための準備を始めました。

メニューは「イタリアン風マカロニサラダ」です。これまでの炊き出しのメニューはずっと醤油チキンだったので、ちょっと趣向を変えようという妻のアイデアでした。サラダと言っても、チキンを中心にいろいろな素材の入っているボリュームのあるものです。当初、二時間で完成できると思っていたものが五時間ぐらいかかったのことです!

「木村宅所持品取り出し部隊」は、最終的な取り出しを行ないました。ダンボールに詰めて、それをコンビニまで運んでいき、そこから宅急便で木村さんの兄弟宅へ送付し、そして残りを静岡のグループが東京にある木村さんの仮住まい宅に18日に降ろす予定です。

それから牛網避難所に合流しました。まず、私たちは自分たち用の昼食(レトルトカレー)を食べ、それから作業にとりかかりました。女性三人と植田さんは、続けて夕食の準備をしました。木村さんのお母さんが、もう80歳なのに、ずっとお立ちになって皿等の洗い物をしてくださったそうです。

瀬谷さんは前回に引き続き、デザイン風の習字を教えました。それを後日、Tシャツにプリントして渡します。

他の男性陣は清掃のお手伝いがないか付近を歩き回りました。前回と前々回に来たところは、かなり片付いています。それでも避難所の目の前に住んでおられる方の庭の木々に津波による泥がついているのを払い落とす作業、そして千葉さん宅で残されているトイレの清掃がありました。トイレまで清掃するというのは、もちろん、後に使えるようにするためであり、私たちのようなボランティアがそこにテントで寝泊りできるようにするためでもあります。

そして見城さんと雅治さんは、他の家で、家の底にあるヘドロ取りが必要な人を見つめました。私も少しお手伝いしましたが、驚いたのはそこの被災者の人は、徒歩3分のところにある牛網避難所ではなく、他の避難所に行っているとのこと。避難所の存在さえ知りませんでした。

千葉さんからも今回話が上がってきたのは「在宅被災者」です。避難所、特に牛網の避難所はかなり祝福されています。けれども、彼が会議などに参加すると分かってくるのは、在宅の方々がまだまだ物資に困っているとのことです。次回以降、そのような人々にも届きたいという願いを千葉さんにお話しました。

そして夕食に近づき、人々がやってきました。自衛隊の人たちの炊き出しは、千葉さんによるとちょうど今日(19日)に終わり、これからは弁当の配布になるそうです。お風呂の部隊も人数を減らすとの事。次第に、自衛隊も違うことに部隊を動かす方法になっています。

そしてサラダは多く余ったので、自衛隊の人たちにおすそ分けし、私たち自身も自炊のご飯といっしょに食べました。そこにいつもいる小学校一年生のしょう君が、「さあ、おかわりをしなさい。」と命令口調で繰り返すので、しかたがなく(?)男性数人がそれに応じ、おなかがいっぱいになりました!

そして、避難所でのイブニング・ショーが始まりました。見城さん、望月雅治さん、そして望月誠司さんがミニ・コンサートを開いてくださいました。初めは一般のカントリー・ミュージックでしたが、すぐに賛美歌に移り、そして音楽の前説明の中に証しを盛り込みました。そして見城さんが最後に、はっきりと十字架のメッセージを語ってくださり、私たちは心の中で神をあがめました!

私はバンドの目の前でカメラを回していたのですが、隣にいるおじいさん(前回はフラランスを前に出ていっしょに踊った方)が私に話しかけてくださり、実に感謝していること、そして“教材”も読んでいて、その道についてもいろいろ考えているという話をしてくださいました。「教材」とは、もちろん私たちが第一回目、第二回目に渡していたトラクトのことを指しています。そして、「コンサートの終わりにお礼の一言をお話したい。」と申し出てくださったので、終わりに話していただきました。

そして避難所の人々と別れました。千葉さんも交えて、ここで別れる武田さんのために皆でお祈りしましたが、千葉さんが「いろいろな神様がいて、忙しい。」と冗談をもらしておられました。ちょうど前日に、仏式の葬儀に出席しなければならなかったそうです。そうは言ったものの、千葉さんはいつも「高台から津波を見ていた人と、実際に津波に飲まれてしまった人では違う。」とおっしゃいます。つまり、「生と死の捉え方が変わってしまった。」ということです。

そして宿に戻り、再び少し交わりをして床に就きました。

第四回目 奥松島・東松島救援旅行 5月16日

私たちは菅生PAにて、二つのグループに分かれて出発しました。一つは、「木村宅所持品取り出し部隊」で、もう一つは「牛網避難所炊き出し準備部隊」です。牛網での食事は17日に予定していますが、東京で買いきれなかったものを矢本にあるマックス・バリューで買い、そして東京で買った肉類を冷蔵庫に牛網で保存してもらうことが目的です。

奥松島の宮戸島の付け根には、野蒜という、運河の走っている地域があります。そこがニュースにもしばしば出てくる壊滅的被害を受けた所ですが、そこにようやく自衛隊や米軍が撤去作業を本格化させたようです。自動車や家の屋根などめちゃくちゃに落ちていた運河が少しだけきれいになっていました。

そして木村宅での作業が始まります。前回は日本刀の取出しが主でしたが、今回はお母さんの着物の取り出しを行ないました。二階の渡り廊下にあった家具など、邪魔になっていたものを取り除き、道を開きました。一部津波の水が被っているものもありましたが、かなり多くのものが被っていません。

そして一部をダンボールに詰め湯の原温泉の宿に持っていき、一回ピストン輸送をしました。

そして私たちは湯の原温泉に向かいました。妻と瀬谷さんと植田さんが、夕食の準備をしています。おかずはビーフンです。まず私たちは風呂に入って、皆でいっしょに食べておいしかったです。

その後に団欒の時間になりましたが、木村さんと植田さんから信仰に関わる話が出てきて、とても有意義な話の時となりました。木村さんとお母さんは基本的に、「このように皆さんと出会うことができたのは、絶対に神またイエス様以外に考えられない。」ということを仰っていました。そして植田は、「十字架につけられて死ぬということは、到底、人間にはできない犠牲の業だ。」という感想でした。

ですから、「救援活動」という目的で行なっているものを、主は、「伝道修養会」にしてくださいました。イエス様が弟子たちと寝食を共にされながらご自分を教えられたように、未信者の人々がクリスチャンと時間を過ごすことによって、良い行ないに裏付けされたキリストの教えを学ぶことができています。これが、前回と今回の旅行で最も大きな収穫でした。