ロゴス・ミニストリー主催のイスラエル旅行

ずっとお祈りして、周りには話していたことをここでも分かち合わせていただきます。

イスラエル旅行記をお読みの方は、私が個人的にイスラエル旅行を主催して行ってみたいという思いをご存知だと思いますが、具体的に次のようにできたら、と思っています。

時期:来年2013年の冬か春
期間:二週間弱
場所:エルサレム、ガリラヤ、死海、(ネゲブ)
使用言語:日本語(日本人ツアーガイドによる説明)
出発地:成田のみならず日本各地、そして海外からの人は現地集合

先ほど、現地ツアー会社の人と話をして、具体的な見積もりを立てていただくつもりです。お願いがございます。

1.ぜひ、お祈りください!
2.興味のある方は、ぜひご連絡ください。人数によって値段も変わってきますし、希望時期によっても変わってきます。ご希望日時や期間を教えていただければ、考慮に入れさせていただきます。(Eメール:info @logos-ministries.org またはこの記事のコメント欄に書き記されても構いません。)

何卒、よろしくお願いします!

追記:先ほど現地旅行社に以下のメールを出しました(一部)。旅行の趣旨を知っていただければ幸いです。

希望日時:

① 2013年2月18日(月) - 3月1日(金)(日本3月2日着)
※2月から3月辺りであればどこでも良いと思っていますが、週初めに出発し週末に戻ってくるという旅程にしたいと思っています。期間は10-12日程度です。

② 2012年12月25日(火) - 1月4日(金)(日本1月5日着)
※年末年始が良い、という人の声もあるので、こちらの場合も考えていただけると幸いです。

発着: 成田を始めとする日本全国、またアメリカなど海外
※前回の旅行は大韓航空が便利でした。日本在住の人であれば、仁川国際空港で集合することができると思います。海外からの人は現地集合ということになります。けれども、大韓にこだわりません。(トルコも成田だけでなく関空から出ているので良いと思います。)旅行社をいくつかご紹介いただければ幸いです。

ホテル:申し上げましたように、四つ星と三つ星のホテルをご紹介いただけますか?

昼食:旅行者が各自出しますが、ファラフェルや典型的なイスラエル料理を食べられるお店に数回連れて行っていただければ嬉しいです。そしてガリラヤ湖では、聖ペテロの魚を食べたいです。

訪問したい場所

①エルサレム
新市街
イスラエル博物館(エルサレム模型 ・ 死海文書)ヤド・バシェム

周辺
オリーブ山 ・ ゲッセマネの園 ・ 園の墓 ・ 城壁周囲(各門やソロモンの石切り場等)

旧市街
キリスト教地区とムスリム地区(神殿の丘・ベテスダの池・エッケホモ教会・ビア・ドロローサ・聖墳墓教会)

ユダヤ地区(西壁・西壁トンネル・南壁の考古学公園・神殿再建財団(Temple Institute)・ヘロデ地区のウォール考古学博物館・カルド・ユダヤ教書店Moriahで買い物)
※ 西壁トンネルは予約が大変かと思いますが、ぜひよろしくお願いします。

シオン山の屋上の間(主の晩餐 ・ ダビデの墓)

② 死海
クムラン ・ エン・ゲディ ・ マサダ ・ 死海遊泳

③ ユダ山地
ベツレヘム(聖誕教会・羊飼いの野)

④ シェフェラ
エラの谷 ・ ベト・シェメシュ ・ (時間があれば)アドラムとラキシュ

⑤ 地中海沿岸
カイザリヤ

⑥ ガリラヤ
カルメル山 ・ メギド ・ ハロデの泉 ・ ベテ・シェアン ・ ナザレ(新ナザレから眺めるだけでも良いです。時間を使わなくて構いません)

ガリラヤ湖周辺(湖上遊覧 ・ クルシ ・ ベツサイダの遺跡 ・ カペナウム ・ コラジン ・ イエスの舟 ・ 山上の垂訓の丘 ・ タブガ ・ (時間があれば)アルベル山からガリラヤ湖鳥瞰 ・ ティベリヤのGalilee Experienceで映画鑑賞と買い物

⑦ ゴラン高原
ピリポ・カイザリヤ ・ テル・ダン ・ ベンダル山 ・ (時間があれば)カツリンのシアター ・ ガムラ

⑧ ネゲブ
ティムナ公園にある幕屋模型 ・ ベエル・シェバ

(⑨ペトラ - ネゲブに南下した際、もしヨルダン側にも入り、ペトラに行ったらどうなるかも教えてください。)

旅程順序
特にこだわりませんが、ガリラヤの後にエルサレムが良いかもしれません。

強調点:
- 聖書時代の地形と歴史を強調するツアーにしたいです。後世に建てられた建造物(教会堂等)には興味がありません。
- 訪問地において、要所で聖書からの短い話をしたいと思います(各回10分程)。けれども、なるべく多くの箇所を廻りたいので、一日に2‐4回程度に抑えたいと思います。
- 買い物のために時間をなるべく使いたくないと思っています。いくつかの地点(ユダヤ地区とガリラヤ湖など)等で買い物をしてもらうようにお願いします。

ちなみに、過去に行った旅行記がこちらにあります。そして、そこのサイト「ロゴス・ミニストリー」を通して聖書の学びをしている人々が主に集まってくると思います。

(続き:「暫定見積もり」)

ハイテクのイスラエル

続けてイスラエル・ネタですが、私がイスラエル旅行のことについて質問を受ける項目のNo.1は、「旅行に行って、危険ではないですか?」です。10人に9人はこの質問をします。私は、これが残念でしかたがありません。以前、「イスラエル人とは何か」という本を紹介しましたが、「普通ではない国で普通に生きようとしている人々」という副題が付いており、中東で唯一、私たち先進民主主義国の日本と親和性のある国はイスラエルであり、旅行すれば治安や利便性において最もほっとできる所です。

今日もニュースで、グーグルの検索技術を作ったイスラエル人オリ・アロンが、今度はツィッターの検索エンジンを売っているというニュースを見たばかりで、世界屈指の技術先進国であります。以下の会社の回し者ではないのですが、中に入っていただければイスラエルがいかに先端技術で優れているかがわかります。

その中にありますが、マイクロプロセッサ、ファイアウォール、Windows XP、フラッシュメモリ、インスタント・メッセンジャー ICQの技術、ボイスメール、ケーブルテレビ用端末などのIT、電子技術を始め、レーザー誘導ミサイル等の軍事技術、CTスキャナ、DNA分析器、腫瘍破壊技術、カプセル内視鏡などの医療技術も優れています。そして砂漠の中の国だけあって、農業先端技術や環境技術は断トツです。今、日本では切実な課題である代替エネルギーについても、四国より少し大きい国でのエネルギー源獲得のためにものすごい発達しており、太陽光パネルの有名な会社もあります。

上のサイトでも紹介がありますが、「知られざる技術大国イスラエルの頭脳」という本があるようです。私も、図書館でいつか借りてみようと思います。

グーグルが死海文書をデジタル化

これはすごいニュースです。2008年にエルサレムのイスラエル博物館を訪問しましたが、本物のイザヤ書を拝見できたのは感動でした。そして今日発見したのですが、Googleが死海文書をデジタル化したとのこと。

下のサイトに入って、まずは有名なイザヤ書(Great Isaiah Scroll)をお入りください。

The Digital Dead Sea Scrolls

(後記)
こちらに日本のグーグルのブログからのお知らせがあります。

砂漠からウェブへ、死海文書オンラインコレクション

Israel now and then (イスラエルの今と昔)

先ほど、すごい良いチャンネルをYoutubeで見つけました。

Israel now and then

説明は次の通りです。

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このチャンネルは、イスラエル全史と近接のメソポタミアと地中海地方の文化と諸民族に捧げています。レヴァントことにイスラエル全域の、聖書また古典における考古学の発見の話題、そして、ユダヤ文化、宗教、また、過去のユダヤ・イスラエル王国と現代イスラエルにおける日常生活が、現代イスラエル社会の技術的、社会的、生活基盤の発展への洞察として取り扱われています。
(This channel is dedicated to Israelite history through the ages, and also to our neighbouring Mesopotamian and Mediteranean cultures and peoples. Topics as Biblical and Classical archaeological discoveries across Levant and Israel in perticular, aspects of Judean culture, religion and everyday life in the past Judean and Israelite Kingdoms and modern Israel are presented, with the insight to technological, social and infrastructural advances of modern Israeli society.)
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まずは、ヨセフスの「ユダヤ戦記」の紹介です。私は途中で読むのが止まっていますが、イエス様が「エルサレム、エルサレム」と呼ばれながら嘆き悲しまれた歴史を、第一次ユダヤ反乱の当事者であるヨセフスが劇画的な描写で書き記しています。それをBBCが映画として製作したようです。

IMAX 3Dで見るエルサレム

2008年にイスラエル旅行に行った仲間から以下のビデオリンクが送られてきました。このプロジェクトは2013年に、IMAX 3Dで劇場で見せる目標を持っているようです。

Jerusalem | Filmed in Imax 3D from JerusalemGiantScreen on Vimeo.

ぜひ、上の映像をそのまま見るのではなく、最大化させてみてください。(映像の右下の拡大マークをクリックします。)

ヨルダン・イスラエル旅行日記 - 6月10-11日

ただ今、韓国の仁川国際空港にいます。18:40発の飛行機に乗って、午後11時ごろには到着する予定です。

この前日にはまだヨルダンのアカバにいたと思うとなんとも不思議です。お昼ごはんの時までアカバにいたため、イスラエルのエイラットからエルサレムへはネゲブ砂漠を猛スピードでバスが走りました。

アーノルドは当初6,7時にはエルサレムに到着すると言っていましたが、結局着いたのは8時近く。9時までの間に、アーノルドの部屋からヨルダンに行く前に残しておいた自分の荷物を取り、夕食を取り、シャワーを浴びて、そしていつもの「講義」を15分で終わらせて9時過ぎに出発するという、あまりにも強行な計画を立てました。

私は、他のアメリカ人のグループよりも30分早く、午前12時30分発の便に乗らなければいけません。ベングリオンは3時間前に行かなければいけないので、9時半に到着するというのは不可能です。私はアーノルドに「早く出発しましょう」とせっつきました。

9時10分に出発することができて、着いたのは10時20分。不安でしたが、案の定、カバンに入れていたアハバの死海クリームがどうも怪しい(??)と見たようで、私の荷物と体をしらみつぶしに調べました(99年のイスラエル旅行と同じです)。でも、飛行機乗務員の所のセキュリティーを通過して、ぎりぎり搭乗時間に間に合いました。

おまけに、飛行機の中でものすごい腹痛が起こりました。頭痛もあります。スチュワーデスさんに頼んで下痢止めの薬をもらって飲み、それでも痛みは断続的に続き、12時間半の搭乗時間は、その痛みを我慢するのと睡眠であっという間に過ぎました。

おそらく、これまでイスラエル・ヨルダン料理をばくばく食べたことと、緊張とストレスが解けて具合悪くなったのでしょう。今、薬局で薬を買って、飲んで、少しほっとしているところです。

旅行の仲間たちとはすごく仲良くできました。ルームメートのライアンさんともとても気が合って、お互いに助け合って過ごしました。この夏は、これまでの旅行日記を基にして、「イスラエ・ヨルダン旅行記」を執筆する予定です。とにかく膨大な情報を受け取ったので、アーノルドの音声ファイルを、地図や写真と照らし合わせてまとめなければいけません。お祈りいただけると幸いです。

追記:下に、旅行日記のご感想の投稿を歓迎します。

ヨルダン旅行日記 6月9日 - ヨルダン南部

今日は次の旅程でした。

ペトラ
ワディ・ラム自然保護区
アカバ

朝7時にホテルを出発、徒歩でペトラの入り口に着きました。その岩の自然と遺跡の群像は、圧倒されるばかりでした。一生忘れることはないでしょう。

今見ることのできるペトラは、紀元前後に活躍したアラブ系遊牧民であるナバテア人が建てたものが主体です。ペトラは聖書的にはエドムの「ボツラ」であり、ナバテア人が来てから彼らは追い出されました。

ペトラは、中東とエジプトや西洋をつなぐ中継の貿易都市として栄えました。砂漠と岩の絶壁の地であり、とても住めるとは思えないところですが、ナバテア人は遊牧民でかつ貿易商人です。今で言うならドバイやシンガポールと言ったところでしょう。さまざまな文明と文化、宗教が入り乱れる、莫大な富が集積されたところでした。ダムや水道もきわめて高度な技術をもっと整備されており、この乾燥した土地にいても問題はなかったようです。

岩を切り刻んだそれらの彫刻は、エジプト、ギリシヤ、ローマの宗教の影響が色濃く残っています。そしてビザンチン時代の教会のモザイクもあります。

岩に鉄分が含まれているため、バラ色を主体として、その角度や太陽の位置によって色彩が見事に変化します。あまりにも美しいです。

ちなみに、聖書預言にしたがえば、ここにイスラエルの残りの民が艱難記にここに逃れ、反キリストがユダヤ人を全滅すべくやってくる所に私たちの主がまず再臨される所です。

そして私たちはその南部にある、ワディ・ラム自然保護区に行きました。色濃い砂漠の地域ですが、ここが現代のヨルダンを造った、オスマン・トルコへのアラブ遊牧民の反乱を手助けした、「アラビアのロレンス」の活躍した場であります。この砂漠を渡ったことによって、アカバにあるトルコの要塞を打ち破ることができました。

そこで私たちはジープに乗って砂漠の中を走りました!実に爽快で、楽しかったです。

そしてアカバに着きました。すぐ隣は、イスラエルのエイラットです。エイラットには私はすでに三度、訪れています。こちらも雰囲気がとても似ており、エンターテイメントの地です。最後の夜をアーノルドと囲んで、コーヒー店で談話を楽しみました。

明日はお昼をこちらで取って、越境し、エルサレムに向かいます。真夜中でベングリオン空港を発ちます。

ペトラにあるハツネ(宝庫)

ヨルダン旅行日記 6月8日 - ヨルダン中部

ヨルダン旅行の最高峰はペトラですが、アンマンからペトラはかなり距離があります。

ですから移動日でありますが、その途中に見学する場所はいろいろありました。次が旅程です。

ネボ山
マダバ
マカエラス
アルノン川
カラク城
ゼレデ川
ダーナ国立公園

ネボ山はもちろん、モーセが約束の地を主によって見せていただき、そして死んだところです。あいにく霞がかっていて遠くまで見られませんでしたが、モーセの偉大さを思わされました。

そしてあまり考えていませんでしたが、ヨルダン渓谷は水面下の陸地なので、ネボ山自体は高い山ではありません。別にバスが高く登ることはありませんでした。むしろヨルダン全体が高地と山地の国であり、ヨルダン川周囲だけが非常に低くなっている地形なので、アンマンから20分ぐらいで簡単に到着しました。

それからマダバがすぐ近くにあります。ここはビザンチン時代からクリスチャンの町として栄えました。そこの教会内にあるイスラエル、ヨルダン、エジプト全体のモザイクが、当時の地域を知るのにとても大事な文献になっています。

そこでおいしいヨルダン料理を食べました。ヨルダン料理はイスラエルのととても似ていますが、野菜類はイスラエルのほうが多いです。カレー味の炒めライスにチキンを載せたものとか、とてもおいしいです。

そしてさらに南下して「マカエラス」という所に行きました。死海のそばにあり、ちょどミニ・マサダという感じでした。そこでヘロデ・アンティパスがバプテスマのヨハネを斬首の形に処したと言われています。

それから大事なのは、アモンとモアブの国境になっていたアルノン川と、モアブとエドムの境になっていたゼレデ川を渡ったことです。川と言ってもワジ(涸れ川)になっており、ちょうどグランド・キャニオンのように川の部分だけが抉られているような壮大で雄大な光景でした。

そしてダーナ国立公園という所を通って、ついにペトラに到着しました!ペトラ遺跡のすぐそばにあるホテルに泊まりました。

マデバにあるモザイク(中央部分から少し右上にあるのがエルサレムです)

ヨルダン旅行日記 - 北部 6月7日

ついにヨルダンの旅行が始まりました。旅程は次の通りでした。

タバカット・ファアル(ペラ)
ウンム・カイス(ガダラ)
ジェラシュ(ゲラサ)

括弧が聖書時代の地名です。すべてデカポリスの町です。

ベイト・シェアンからヨルダンに陸路で国境を越えてから、まずペラに行きました。ペラはベテ・シェアンの少し南にあるデカポリスの町ですが、数日前に言ったベイト・シェアンがはっきり見えます。ずっとイスラエル側からヨルダンを見ていたのですが、今回はその反対を行なうことができています。

ガダラも同じく、ガリラヤ湖とゴラン高原にきわめて近いところにある遺跡群です。自分たちが昨日まで宿泊していたマアガンを見つけることができました。

そして圧巻はジェラシュ(ゲラサ)です。ヨルダンといえばペトラですが、それに次ぐ遺跡群です。ベイト・シェアンに少し似ていますが、規模がまるで違います。ローマ式の柱廊が千本あるとガイドは言っていましたが、はたして行けども行けども通りの両脇に柱廊が立っています。巨大なショッピングモールと、異教の神々への宮と、そして教会の遺跡もあります。円形劇場、競馬場もあります。ここら辺は、カイザリヤなどヘロデ時代のローマ都市と同じですね。

そしてヨルダンの首都アンマンに到着しました。ヨルダンは山地の国です。ものすごい急な山を上がったり下がったりします。けれども高地になってずっと平坦にもなります。けれども、イスラエルに比べると水の確保がなおさら難しそうです。

ジェラシュの町(北門に向かう通り)

イスラエル旅行記 6月6日 - シャロン平原

今日はガリラヤ湖を経ってエルサレムに戻る移動日です。次の旅程になりました。

マアガン・キブツの見学
カイザリヤ
サムエルの墓
スコパス山など

マアガン・ホテルに泊まっていましたが、それはキブツが経営するホテルです。キブツについてはたくさん聞いてきたし、また勉強も少ししましたが、実際に中を見せてもらったのは初めてです。極めて整えられた、平和的な共同生活が営まれていました。

そしてカイザリヤです。以前見なかったカイザリヤの町の北の部分をじっくり見ることができ、うれしかったのです。

そしてエルサレムに向かいましたが、テルアビブとエルサレムを結ぶ一号線ではなくその北を走る443号線を走りました。サムエルの墓に行くためです。西岸の中を通るようにしてユダの山地の北のところにこの墓があります。けれども本当の墓は、今のパレスチナ自治区にあるラマの町にあるはずであり、いけなくなったのでギブオン人の町ケフェラ(ヨシュア9:17)の遺跡のところに建てたところを新たに墓としたそうです。そこの屋上から360度のパノラマの景色を眺めることができます。

そしてエルサレムについたら、全体を眺めることができる三つの地点に行きました。一つ目はスコパス山、二つ目はスコパス山の裏手にあるユダの荒野が見えるところです。そして三つ目は、旧市街の南に位置する悪い企み(Evel Counsel)の山から見るエルサレムの町です。

そして私たちははじめに滞在したMount Zion Hotelに到着しました。明日からヨルダン旅行です!

ユダの山地(北部)