ご注意 - 上の副題について

ちょっと副題の「最新情報」について、気になったことがあるので付記いたします。

すべての最新情報を、このブログに掲載するわけではありません。

特に聖書の学びは定期的に行なわれており、右の「ロゴス・ミニストリー内」にある「更新履歴」のほうに掲載しています。

よろしくお願いします。

世界統一通貨

これから折を見て、世界で起こっている出来事で聖書預言に関連することを取り上げてみたいと思います。

まず初めに、この前のG8で紹介された世界統一通貨についてのニュースです。

United Future World Currency(将来の世界統一通貨)
http://www.futureworldcurrency.com

Webアドレスを見てのごとく、そのまま世界統一通貨のモデルを紹介しているサイトです。なぜ世界統一通貨が聖書預言に関係しているのかを知りたい方は、旧約聖書の学びにあるダニエル書の学びと、新約聖書の黙示録13章をご覧ください。

「また、その刻印、すなわち、あの獣の名、またはその名の数字を持っている者以外は、だれも、買うことも、売ることもできないようにした。(黙示録13:17) 」

エビスBSのお知らせ – 次回は7月15日

みなさん、お元気ですか?

前回の学んだ箇所は、『イザヤの黙示録』と呼ばれるそうです。
その前半部分が終わりました。
壮大な世界が広がっていました。
次のメッセージで後半部分の26,27章を学びます。

では、今週の学びのお知らせです。
〇7月15日(水)午後7時 ~
〇住区センター三田分室 第2会議室〇聖書箇所 イザヤ書26章~

※ご持参の食事は、メッセージ前もしくは分かち合いのときにお摂り頂けます。

☆7月と8月の学び
7月15日・29日
8月5日・19日・26日
全て水曜日です。

なぜ恵みはすべてを変えるのか

先日「カルバリー・チャペルの特徴」をご紹介しましたが、次の本も牧者チャック・スミスによるものです。

「なぜ恵みはすべてを変えるのか」
(クリックすると、日本語訳がpdfファイルで出てきます)

「神の恵み」という言葉は、教会にいる者でしたら何度も聞き、古臭ささえ感じるものです。けれども、これをやはり本当の意味で知っていない、ということをこの本を読むと気づかされます。

一昨日の夜、礼拝で伝道者の人が、「罪を犯すと死にます。あなたは本当に自分が、死ななければいけない罪人であることを認めていますか。」と説教されました。そして、「このことが分からなければ恵みが分からないし、恵みが分からなければ献身することも分かりません。」と言われました。

私は、ガラテヤ6:14の「主イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものが決してあってはなりません。」と思い出しました。パウロにとって、毎日が、自分の罪のために十字架に架けられているキリストが実体となって迫っていたのでしょう。伝道者の方も、「ローマ6:23の、『罪から来る報酬は死です』というのは教理ではなく、彼の信仰の表明なのです。」と言われていました。

そして昨夜、ロゴス・ミニストリーのメールアカウントに、ローマ6章を聞いておられる方からの便りがありました。これまで律法主義的な聖書理解をしていた。神の恵みがだんだん分かってきた、というご感想を述べておられました。

そこは私自身が話し教えた箇所でありますが、では私自身がそれをいつも体得しているか?・・・これがいつも神様に語られる言葉なのですが・・・キリストの十字架の前に立っている自分であり続けなければいけないことを思わされます。

牙を剥く「民意」

「何を予期すべきか?」の番外編としてお話します。

今、東京都議員選挙期間中で政治的な話をするのは申し訳ないのですが、これまでここで書いてきたことを踏まえると、私は民主党が強くなってきていることに危惧を覚えています。それは、民主党が、「マスコミによって形成された民意」を代表する政党だからです。

小泉首相以後でしょうか、ここ数年のマスコミ(テレビ、インターネット、週刊誌も含めて)の論調を見ていくと、自民・公明党政権が行なう一つ一つの政策について、それを重箱の隅を突くような、内容の乏しい批判をしているような気がしてなりません。日米同盟しかり、定額給付金しかり、また官僚主導政治でさえその歴史と経緯があり、短所だけでなく長所もあるはずです。

自民党は自らの信念を堂々と主張すればよいのですが、情報媒体によって形成されたこれらの「民意」を気にしすぎ、それをそのまま自分たちの主張としていく民主党に対して、自ら守りの姿勢に入っています。けれども自民党が考えなければいけないのは、マスコミと実際の民意(サイレント・マジョリティー)は必ずしも一つになっていない、ということです。

民主党が政権を取れば、日本は弱くなると思います。目の前にある細かいことにだけ注意を引き寄せ(これが一般の人たちの関心事ですから)、他の国々との関係には無関心になり、より孤立化していくでしょう。

私は、同じものをアメリカの大統領選挙でも見ました。共和党のマケイン候補は、もはやイスラム過激派による脅威について語りませんでした。ブッシュ政権の時から、「キリスト教、ユダヤ教、イスラム教」の神は一つであるという合意が暗黙のうちに形成されてしまったからです。そして、アメリカ国民の情感を上手に吸い取ったオバマ候補が勝利を収めたのです。

でも本当にこれで「世界が変わる」とでも思ったのでしょうか?イランも北朝鮮もイスラム過激派も何も変わっていません。アメリカはこれらの国々や団体に対して確固たる対策を持っていません。無力になってしまいました。国内では、企業の活動に対して極端な介入を行ない、アメリカを社会主義化させています。また、覇権主義を認めないとしていたのに、イスラエル国内の個々人の土地の所有権にまで介入し、圧力をかけているのです。

かつて、「一神教的な唯一の正義をふりかざすのではなく、日本社会に根づいている多神教的な価値を生かし」という文言を日本国憲法改正創案の中に盛り込もうとしたのは、他でもない民主党なのです。なぜか?キリスト教のアメリカとイスラム教のテロリストが戦っていたからです。極めて「民意的な」政党は、信仰の自由においても牙をむき出す可能性があります。

もちろん、かつて日本キリスト者を迫害した国体思想を今も持っている人たちの多くは、自民党の中にいます。安倍元首相もその一人です。けれども、彼はその信念や政策ではなく、他の周辺的な事柄でマスコミに叩かれ、首相の座を退きました。

日本人は神道と仏教の宗教観を強固に持っていますから、確かに国粋主義の台頭には気をつけなければいけないとは思いますが、「世相がそのまま国全体を動かす」過去を学べば、民意だけで動く民主党の動きにも注視しなければいけないと感じています。

何を予期すべきか? 5

3)- c) 今を見て

在米の日系の方で、私たちと親交の仲にある姉妹の方がいます。かなり前に米国に移住し、そしてある時、イスラエル旅行を通して救いの確信に至り、それ以来、日本人の霊の救いのために、またイスラエルのために祈る熱心な人となりました。

彼女が久しぶりに日本に帰ってきた時、東京の街中で、イラク戦争募金をお願いしている人が立っているのを見たので(おそらく統一協会の人でしょう)、彼女は熱くイラク戦争の正当性を語り始めました。それを見た弟さんが、「お姉さん、何をやっているんだよ!」と言って、手を引っ張ってその場から引き離した、とのことです。私は、「私も彼だったら、同じことしていると思います。」と答えました。

おそらくそのままにしていたら、暴力傷害沙汰になっていたかもしれません。それほど当時、イラク戦争を支持することを公にすれば、身の危険を感じるほどの反米感情が日本にはあったからです。

これは政治的な事だから信仰とは関係がないと片付けることはできません。なぜなら、マスコミは米国におけるイラク戦争支持は、キリスト教右派の福音主義の支援によるものと宣伝(煽動?)していたからです。

そして福音主義が何かについて議論がありました。「聖書を文字通り信じ・・・」という文句も覚えています。イラク戦争を契機に、「イエス・キリストの福音こそ人を救う力がある。」と信じる者たちへの圧迫が始まったのです。

そして、イスラエルやユダヤ人に対する陰謀的な話も流布しました。聖書預言を信じ、キリストの再臨を固く信じる人々は、インターネットや新聞上で、イスラエルを支援するアメリカの福音派と一括りにして批判の的になったのです。

この議論がキリスト教会の中でも展開されました。クリスチャンと呼ばれる人々が、到底クリスチャンとは呼べない汚い言葉を使って責め立てます。そして指導的な立場にいる人までがそれを後押しします。

私の知り合いの牧師さんは、礼拝中に暴言を吐く人が現れたとのこと。彼の親イスラエル的な立場の為でした。

私も個人伝道をしている時、また兄弟姉妹の相談を受けていた時に苦労しました。「ブッシュはクリスチャンなのに、なんで戦争するの?」という質問が必ず出てくるからです。ブッシュ大統領ではなく、イエス・キリストについて話したかったのに、そこで話が途切れてしまうのです。

このように、アメリカが戦争を行なっていた時のかつての日本と、今が重なり合うのです。

米国のキリスト教会の反応も同じでした。私が、当時のブッシュ大統領が明治神宮参拝をした時、私は必死になって、米国のクリスチャンにそれを止めさせるよう嘆願のメールを出してほしいとお願いしました。ところが、彼らの多くは無関心で、逆に批判する人もいました。そしてあるキリスト教系ニュース・サイトは「神道は宗教ではなく日本の伝統であるという意見もある」などという、戦前と変わらない論評まで出していました!

在日の米国宣教師もほぼ同じ態度でした。日本のキリスト教会の精神構造が変わっていないだけでなく、米国キリスト教会も変わっていないのです。

以上が、私はこの薄い「何を予期すべきか?」の冊子を読むと、魂が動かされる所以です。あまりにも身近で、個人的な問題を、一つの教会のグループに起こった事件の中に見てしまうからです。

まあ、だからとって今しなければならないことは何も変わりません。主にあって忠実に働き、福音を言い広めるのに専念することですから。:)

何を予期すべきか? 4

3)- b) キリスト教が世相に乗ずる時

当時の日本キリスト教は、完全に時流の中にいました。日本基督教団の由来やその初代の長、富田満の話を読めば、教会が当時、神社参拝を拒まないどころか、積極的に行なっていたことを知ることができます。

その中で、ワイドナー女史が、聖書信仰、キリストの再臨信仰のゆえに、神社参拝は偶像礼拝としてそれを拒否する立場を取ったことで、教会は迷惑に感じ、指導者らは新聞の投稿などで美濃ミッションを批判をしていきました。

その批判の内容の一つを引用しましょう。

一部の宣教師や欧米心酔の一部の信者を持ってきて、キリスト教全体のごとく言われるのは、我々日本主義キリスト信者にとって迷惑千万。キリスト教と国体思想は何ら違反するものではない。・・・聖書を一字一句信ずべしという者は、ユダヤ教か美濃ミッション一派のみであろう。
(www.cty-net.ne.jp/~mmi/pdf_minojiken.pdfから抜粋)

さらに、米国からの宣教師もこの件についてはワイドナー女史に懐疑的だったのです。小冊子はもともと英文で書かれたものですから、編者フィエル女史による痛烈な、アメリカ人宣教師批判が行なわれています。宣教師たちやアメリカにある宣教団支部は、「内心ではワイドナー女史に賛成だが、これは日本人の問題であり、沈黙すべきである。」というものでした。

けれども、フィエル女史は、これら妥協する宣教師たちは結局、国外追放され、日本は以前にもまして異教崇拝に陥り、真珠湾攻撃しかり、米兵捕虜の酷い取り扱いしかり、幾千人もの米兵の命を失うなど、妥協によって高い代価を支払わされていると非難しています。

また、外地の朝鮮では、宣教師たちは朝鮮人信仰者らと神社参拝拒否を行なっていることを後に聞くことになり、宣教師らは大恥をかくことになります。

この美濃ミッションは、激しい圧迫を受けながら耐え忍んだ結果、迫害は下火になり、妨害を受けることなく宣教が可能になりました。宣教師たちも続けていることができました。ワイドナー女史の死後、美濃ミッションの牧師たちは投獄されましたが、そのまま敗戦を迎えました。

まさに、主が言われた、「いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしと福音とのためにいのちを失う者はそれを救うのです。(マルコ8:35)」との御言葉通りになったのです。

(「何を予期すべきか? 5」に続く)

何を予期すべきか? 3

3)世に組み込まれたキリスト教会

「美濃ミッション事件」というのは、簡単に言えば「マスコミによる市民騒動」ということができます。これが他の迫害と異なる大きな特徴について、美濃ミッションのホームページがこう説明しています。

1929年~1933年 児童の「神社参拝拒否」に端を発して、その保護者、教会、美濃ミッションを排撃する運動が、大垣市から日本全国に広がった事件。
信仰の「迫害・弾圧事件」は、国家によるものが多いが、「美濃ミッション事件」は学校・住民といった地域が行ったものに、国家・警察、教育関係者、軍隊までを巻き込んで拡大していったのである。

a)「民」による迫害

新聞報道などの媒体が、これらの騒動に大きな役を演じたことが、「何を予期すべきか?」に克明に記されています。私がこの歴史的事件を思い起こすにあたって身震いするのは、この故です。

他の国もそうですが、殊に日本ではその世相がそのまま国全体を動かす力を持っています。非常にまとまりのある民なのです。悪く言えば、国全体が変な方向に行くのを国民こぞって行なう素質を持っています。

それが日本を戦争へ駆り立てた大きな理由の一つであり、新聞とラジオによる煽動と、それに乗ずる大衆の圧力があって、決断がなかなかできなかった東条内閣を動かした、とも言えるのです。この部分で、ドイツのヒットラーの独裁とは異なっていました。

その証拠に、戦争に敗れるやいなや、国民総動員で懺悔を行ない、自分たちが行なっていたことをすっかり忘れたかのように、今度は戦後民主主義の中で、世界で類をみない平和国家としての自負を持っているのです。他の国々で戦争があるときに「なんと後進的なことをしているのだ。」と見下げる態度を取るのは、その為です。

マスコミというのは、非常に恐ろしい凶器となります。最近も「松本サリン事件」についてのドラマを見ましたが、誰かに非難の矛先が向けば、ものすごい攻撃をマスコミを通して一般人らは行います。

「国家主義は恐ろしい」ということを人々は言いますが、私はそれ以上に「大衆主義」の恐ろしさを感じます。今は媒体に、テレビとインターネットが加えられ、その勢いはさらに増しています。

これが「世の流れ」としてあり、キリスト者を迫害する潜在的な要因となっていますが、美濃ミッション事件において、迫害の一端を担っていたのが他ならぬキリスト教会であったという、恐ろしい事実があるのです。

(「何を予期すべきか? 4」に続く)

何を予期すべきか? 2

2)ユダヤ人とイスラエルの位置づけ

そして「何を予期すべきか?」の小冊子、またホーリネスが受けた迫害の記録を読み、もう一つ驚くことがあります。それは、彼らが迫害されている理由の一つに、神のご計画の中におけるユダヤ人の位置、近現代イスラエルの位置を認めているということでした。

大井:「学校は教育の場所で宗教儀式がありません。神社は儀式を信仰上の対象物としているから出来ません。」
刑事:「屁理屈をこくなっ、そんな馬鹿らしい事を言う奴は手前一人位だ。日本人じゃない。ユダヤ人かアメリカ人だ。(荒々しく)帰れ、さっさとユダヤかアメリカへ帰れ。わかってかっ。」

この捨て台詞に「ユダヤ人、アメリカ人の仕業」があります。アメリカは当時敵国ですからまだしも、なぜユダヤ人なのでしょうか?実は、戦時中の思想統制の中で反ユダヤ主義が利用されていたからです。

ホーリネスの人々は、国体を信じていましたから、自分たちが捕まえられたことがまさに晴天の霹靂でした。しばらく捕まえられた理由が分かりませんでしたが、1)キリストを地上における神の国の王としているのが、天皇を王とするのと対立する。

そして、2)ユダヤ人が回復し千年王国が立てられることは、「東洋を搾取するアメリカを裏で操っているのはユダヤ人である。」という考えがあったからです。(詳しい資料が集まっている「ユダヤ人陰謀説―日本の中の反ユダヤと親ユダヤ」(ディビッド・グッドマン著 講談社出版)をご覧になるといいです。)

これも、今、一番話題の話になっています。日本語の資料で世界情勢を知ろうとするにあたって、多少なりとも人気があるものは必ず、「反米主義と折り重なる反イスラエル・反ユダヤ主義」が登場します。そして英語のウィキペディアを見ますと、これが「新・反ユダヤ主義」という枠に入るらしいです。

なぜ、そうなるのか?理由は簡単です、「聖書全体をそのまま信じる信仰のゆえ」であります。聖書をそのまま信じれば、イスラエルとユダヤの位置を認めざるを得ません。たとえそう表明しなくても、彼らに対する態度は柔らかになっても、硬くなることはありません。彼らの存在そのものが、神の言葉がその通りであるという証人であり、証人として立てているのは神ご自身です(イザヤ44:8)。だから神を否定したい「世」は、反ユダヤになりざるを得ないのです。

したがって、キリスト者で反ユダヤになることはありえない”はず”なのですが、純粋な信仰的立場を保たず、何か自分の信念や、他の人間的な哲学、自分の感情などを入れると、反ユダヤ・反イスラエルになっていきます。近年はそれに「反アメリカ」が加えられます。私自身もアメリカのことで嫌になることは時々ありますが、あくまでも実際の特定の出来事についてです。(しかも私はクリスチャンですから、そういう嫌悪感を抱いてはいけないという思いが聖霊から与えられます。)けれども、そのような人々が書いているアメリカは観念的で、潜在的な嫌悪・憎悪があります。アメリカという国のあり方そのものを否定しているようです。

その典型的な例は、イラン大統領のアフマデネジャドの立場なのですが、それはまた別の機会に話すことにしましょう。

話を戻しますと、日本ではそのような反ユダヤ主義が言論上で流布しています。そして実害も伴っています。最近では、オウム真理教による地下鉄サリン事件は、ある反ユダヤの本を引用しつつ、彼らは実行に移しました。

ところが日本という国は不思議なもので、同時に政府や官僚レベルではユダヤ人やイスラエルに対して中庸、または擁護する人たちもおり、戦前の日本はドイツの反ユダヤ主義政策とは違い、比較的中立な立場を保っていました。今も、言説は反イ
スラエルがほとんどなのに、国としてはイスラエルと友好関係にあります。

したがって、反ユダヤ主義は、元々ユダヤ人への迫害につながる考えなのですが、日本では、ユダヤ人が少ないということもあって、キリスト者への迫害の時に登場するということができます。ことに聖書主義の信仰を持っている人たちが攻撃の的になります。

(「何を予期すべきか? 3」に続く)

何を予期すべきか? 1

次のご紹介したい本はこれです。

「何を予期すべきか?」(ミス・フィウェル編集 美濃ミッション出版)

これは、美濃ミッションという、戦前に米国からのワイドナー女史が開拓し、起こされた教会のグループが受けた迫害の記録です。リンク先を見ていただければ簡略とpdfファイルがあるので、クリックしてみてください。「美濃ミッション事件」という日本全体を巻き込む、神社参拝拒否の記録です。

これはもともと”What to Expect”という題名で英文で発表されたものです。

この小冊子を読む度に、自分の魂が揺り動かされます。非常に短い文章の中に、数多く学べる所があるからです。

1)信仰の純粋性

現在、日本の国家主義化についての問題を教会内で聞くとしたら、いわゆる主流派からのものです。天皇制であるとか、日の丸・君が代問題、靖国参拝など、日本基督教会などの教団から出たものです。

けれども、この小冊子を読みますと、迫害されていた団体や個人はほとんど、今でいう「根本主義(ファンダメンタリズム)」「聖書主義」の範疇に入る人たちばかりです。美濃ミッションの子弟は、キリストの地上再臨、そして教会の携挙を堅く信じています。神学的には、千年王国前の再臨、大患難前携挙を信じています。牧師らが逮捕・投獄されたホーリネス教団も同じ立場です。個人でプリマス・ブレザレンの医師も投獄されましたが、その団体も聖書主義です。

迫害に耐え、信仰を保ち続けることのできた人たちは、皆、聖書の言葉を文字通り信じ、主イエスの再来、地上の神の国に強い待望を抱いていたのです。

表向き「神社参拝」の問題を取り上げているのですが、現在と当時ではその意図に大きな差があるのです。

この冊子の最後のところに、取調べを受けている美濃ミッションのある母親の記録が載っています。彼女は文字を読むことのできない料理人だったようです。にも関わらず、静かに、取調官の脅しに弁明し、明確に信仰の表明をしています。

刑事:「手前は参拝したらどうなるか。」
大井:「神様に罪を犯します」(永遠の滅亡と御再臨について話す)
刑事:「(嘲笑的態度にて)へえ、とんだ事になるな、それは本当か。」
大井:「私は信じます、キリスト様御再臨の時、信者は天に携え挙げられ、そのあと大患難の時代になります。」
(注:漢字は今のものに直しました)

ここで非常に驚くのは、一般の信徒の人が、しかも文字が読めないという人が、ここまで明確に、筋道立てて、警察権力の前で信仰表明が出来ていることです。

今の日本であれば、また世界の教会の今の流れであれば、主の再臨は「終末論」という小難しい神学議論、神学論争の中で埋没し、どこかの遠い話になってしまいます。一般の信仰者たちが生活の拠り所とするなど、程遠い話です。

さらに教役者らの間でさえ、聖書を純粋に信じる信仰から離れ、今の流れに合わせて行こうと言う動きが、日本だけでなく世界中で見られます。

私がこの前米国を訪問した時、恒例の聖書預言の学び会を行ない、また、ある人から教会の中の聖書の学びに招かれました。けれどもそのことを知ったその教会にいる韓国の宣教師夫婦が、私たちの聖書預言学び会に立ち入り、私に神学的試問(?)を行い、さらにはもう一つの教会の中での学びを中止させ、仕方がなく他の場所に移して行なった家庭集会の中にまで入ってきて、私を危険なカルト的教師であることを延々と語りました。

びっくりしたのはおそらく周りの人々だったでしょう。その家の主は「これまで黙示録など分からない書物だったのに、チャック・スミスの本を読んで、こんなに分かりすく、身近に感じたことはなかった。」と言うことをおっしゃっていました。

後で、「教会による迫害」について述べたいと思いますが、このように昔も今もまったく変わりなく起こる現象なのです。

大事なのは「実」です。イエス様の今すぐにでも来られるという信仰を抱いて、はたしてどのような実が結ばれているでしょうか?「いつ来るか分からない。だから再臨については話すべきではない。」とする人々からどのような実が結ばれているでしょうか?

本当に試練が来たときに、神学論争の中にある「教理」が私たちを救うでしょうか?いや、私たちの血肉となった御言葉が、信仰による希望が救うんでしょう!

(「何を予期すべきか? 2」に続く)