牙を剥く「民意」

「何を予期すべきか?」の番外編としてお話します。

今、東京都議員選挙期間中で政治的な話をするのは申し訳ないのですが、これまでここで書いてきたことを踏まえると、私は民主党が強くなってきていることに危惧を覚えています。それは、民主党が、「マスコミによって形成された民意」を代表する政党だからです。

小泉首相以後でしょうか、ここ数年のマスコミ(テレビ、インターネット、週刊誌も含めて)の論調を見ていくと、自民・公明党政権が行なう一つ一つの政策について、それを重箱の隅を突くような、内容の乏しい批判をしているような気がしてなりません。日米同盟しかり、定額給付金しかり、また官僚主導政治でさえその歴史と経緯があり、短所だけでなく長所もあるはずです。

自民党は自らの信念を堂々と主張すればよいのですが、情報媒体によって形成されたこれらの「民意」を気にしすぎ、それをそのまま自分たちの主張としていく民主党に対して、自ら守りの姿勢に入っています。けれども自民党が考えなければいけないのは、マスコミと実際の民意(サイレント・マジョリティー)は必ずしも一つになっていない、ということです。

民主党が政権を取れば、日本は弱くなると思います。目の前にある細かいことにだけ注意を引き寄せ(これが一般の人たちの関心事ですから)、他の国々との関係には無関心になり、より孤立化していくでしょう。

私は、同じものをアメリカの大統領選挙でも見ました。共和党のマケイン候補は、もはやイスラム過激派による脅威について語りませんでした。ブッシュ政権の時から、「キリスト教、ユダヤ教、イスラム教」の神は一つであるという合意が暗黙のうちに形成されてしまったからです。そして、アメリカ国民の情感を上手に吸い取ったオバマ候補が勝利を収めたのです。

でも本当にこれで「世界が変わる」とでも思ったのでしょうか?イランも北朝鮮もイスラム過激派も何も変わっていません。アメリカはこれらの国々や団体に対して確固たる対策を持っていません。無力になってしまいました。国内では、企業の活動に対して極端な介入を行ない、アメリカを社会主義化させています。また、覇権主義を認めないとしていたのに、イスラエル国内の個々人の土地の所有権にまで介入し、圧力をかけているのです。

かつて、「一神教的な唯一の正義をふりかざすのではなく、日本社会に根づいている多神教的な価値を生かし」という文言を日本国憲法改正創案の中に盛り込もうとしたのは、他でもない民主党なのです。なぜか?キリスト教のアメリカとイスラム教のテロリストが戦っていたからです。極めて「民意的な」政党は、信仰の自由においても牙をむき出す可能性があります。

もちろん、かつて日本キリスト者を迫害した国体思想を今も持っている人たちの多くは、自民党の中にいます。安倍元首相もその一人です。けれども、彼はその信念や政策ではなく、他の周辺的な事柄でマスコミに叩かれ、首相の座を退きました。

日本人は神道と仏教の宗教観を強固に持っていますから、確かに国粋主義の台頭には気をつけなければいけないとは思いますが、「世相がそのまま国全体を動かす」過去を学べば、民意だけで動く民主党の動きにも注視しなければいけないと感じています。

何を予期すべきか? 5

3)- c) 今を見て

在米の日系の方で、私たちと親交の仲にある姉妹の方がいます。かなり前に米国に移住し、そしてある時、イスラエル旅行を通して救いの確信に至り、それ以来、日本人の霊の救いのために、またイスラエルのために祈る熱心な人となりました。

彼女が久しぶりに日本に帰ってきた時、東京の街中で、イラク戦争募金をお願いしている人が立っているのを見たので(おそらく統一協会の人でしょう)、彼女は熱くイラク戦争の正当性を語り始めました。それを見た弟さんが、「お姉さん、何をやっているんだよ!」と言って、手を引っ張ってその場から引き離した、とのことです。私は、「私も彼だったら、同じことしていると思います。」と答えました。

おそらくそのままにしていたら、暴力傷害沙汰になっていたかもしれません。それほど当時、イラク戦争を支持することを公にすれば、身の危険を感じるほどの反米感情が日本にはあったからです。

これは政治的な事だから信仰とは関係がないと片付けることはできません。なぜなら、マスコミは米国におけるイラク戦争支持は、キリスト教右派の福音主義の支援によるものと宣伝(煽動?)していたからです。

そして福音主義が何かについて議論がありました。「聖書を文字通り信じ・・・」という文句も覚えています。イラク戦争を契機に、「イエス・キリストの福音こそ人を救う力がある。」と信じる者たちへの圧迫が始まったのです。

そして、イスラエルやユダヤ人に対する陰謀的な話も流布しました。聖書預言を信じ、キリストの再臨を固く信じる人々は、インターネットや新聞上で、イスラエルを支援するアメリカの福音派と一括りにして批判の的になったのです。

この議論がキリスト教会の中でも展開されました。クリスチャンと呼ばれる人々が、到底クリスチャンとは呼べない汚い言葉を使って責め立てます。そして指導的な立場にいる人までがそれを後押しします。

私の知り合いの牧師さんは、礼拝中に暴言を吐く人が現れたとのこと。彼の親イスラエル的な立場の為でした。

私も個人伝道をしている時、また兄弟姉妹の相談を受けていた時に苦労しました。「ブッシュはクリスチャンなのに、なんで戦争するの?」という質問が必ず出てくるからです。ブッシュ大統領ではなく、イエス・キリストについて話したかったのに、そこで話が途切れてしまうのです。

このように、アメリカが戦争を行なっていた時のかつての日本と、今が重なり合うのです。

米国のキリスト教会の反応も同じでした。私が、当時のブッシュ大統領が明治神宮参拝をした時、私は必死になって、米国のクリスチャンにそれを止めさせるよう嘆願のメールを出してほしいとお願いしました。ところが、彼らの多くは無関心で、逆に批判する人もいました。そしてあるキリスト教系ニュース・サイトは「神道は宗教ではなく日本の伝統であるという意見もある」などという、戦前と変わらない論評まで出していました!

在日の米国宣教師もほぼ同じ態度でした。日本のキリスト教会の精神構造が変わっていないだけでなく、米国キリスト教会も変わっていないのです。

以上が、私はこの薄い「何を予期すべきか?」の冊子を読むと、魂が動かされる所以です。あまりにも身近で、個人的な問題を、一つの教会のグループに起こった事件の中に見てしまうからです。

まあ、だからとって今しなければならないことは何も変わりません。主にあって忠実に働き、福音を言い広めるのに専念することですから。:)

何を予期すべきか? 4

3)- b) キリスト教が世相に乗ずる時

当時の日本キリスト教は、完全に時流の中にいました。日本基督教団の由来やその初代の長、富田満の話を読めば、教会が当時、神社参拝を拒まないどころか、積極的に行なっていたことを知ることができます。

その中で、ワイドナー女史が、聖書信仰、キリストの再臨信仰のゆえに、神社参拝は偶像礼拝としてそれを拒否する立場を取ったことで、教会は迷惑に感じ、指導者らは新聞の投稿などで美濃ミッションを批判をしていきました。

その批判の内容の一つを引用しましょう。

一部の宣教師や欧米心酔の一部の信者を持ってきて、キリスト教全体のごとく言われるのは、我々日本主義キリスト信者にとって迷惑千万。キリスト教と国体思想は何ら違反するものではない。・・・聖書を一字一句信ずべしという者は、ユダヤ教か美濃ミッション一派のみであろう。
(www.cty-net.ne.jp/~mmi/pdf_minojiken.pdfから抜粋)

さらに、米国からの宣教師もこの件についてはワイドナー女史に懐疑的だったのです。小冊子はもともと英文で書かれたものですから、編者フィエル女史による痛烈な、アメリカ人宣教師批判が行なわれています。宣教師たちやアメリカにある宣教団支部は、「内心ではワイドナー女史に賛成だが、これは日本人の問題であり、沈黙すべきである。」というものでした。

けれども、フィエル女史は、これら妥協する宣教師たちは結局、国外追放され、日本は以前にもまして異教崇拝に陥り、真珠湾攻撃しかり、米兵捕虜の酷い取り扱いしかり、幾千人もの米兵の命を失うなど、妥協によって高い代価を支払わされていると非難しています。

また、外地の朝鮮では、宣教師たちは朝鮮人信仰者らと神社参拝拒否を行なっていることを後に聞くことになり、宣教師らは大恥をかくことになります。

この美濃ミッションは、激しい圧迫を受けながら耐え忍んだ結果、迫害は下火になり、妨害を受けることなく宣教が可能になりました。宣教師たちも続けていることができました。ワイドナー女史の死後、美濃ミッションの牧師たちは投獄されましたが、そのまま敗戦を迎えました。

まさに、主が言われた、「いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしと福音とのためにいのちを失う者はそれを救うのです。(マルコ8:35)」との御言葉通りになったのです。

(「何を予期すべきか? 5」に続く)

何を予期すべきか? 3

3)世に組み込まれたキリスト教会

「美濃ミッション事件」というのは、簡単に言えば「マスコミによる市民騒動」ということができます。これが他の迫害と異なる大きな特徴について、美濃ミッションのホームページがこう説明しています。

1929年~1933年 児童の「神社参拝拒否」に端を発して、その保護者、教会、美濃ミッションを排撃する運動が、大垣市から日本全国に広がった事件。
信仰の「迫害・弾圧事件」は、国家によるものが多いが、「美濃ミッション事件」は学校・住民といった地域が行ったものに、国家・警察、教育関係者、軍隊までを巻き込んで拡大していったのである。

a)「民」による迫害

新聞報道などの媒体が、これらの騒動に大きな役を演じたことが、「何を予期すべきか?」に克明に記されています。私がこの歴史的事件を思い起こすにあたって身震いするのは、この故です。

他の国もそうですが、殊に日本ではその世相がそのまま国全体を動かす力を持っています。非常にまとまりのある民なのです。悪く言えば、国全体が変な方向に行くのを国民こぞって行なう素質を持っています。

それが日本を戦争へ駆り立てた大きな理由の一つであり、新聞とラジオによる煽動と、それに乗ずる大衆の圧力があって、決断がなかなかできなかった東条内閣を動かした、とも言えるのです。この部分で、ドイツのヒットラーの独裁とは異なっていました。

その証拠に、戦争に敗れるやいなや、国民総動員で懺悔を行ない、自分たちが行なっていたことをすっかり忘れたかのように、今度は戦後民主主義の中で、世界で類をみない平和国家としての自負を持っているのです。他の国々で戦争があるときに「なんと後進的なことをしているのだ。」と見下げる態度を取るのは、その為です。

マスコミというのは、非常に恐ろしい凶器となります。最近も「松本サリン事件」についてのドラマを見ましたが、誰かに非難の矛先が向けば、ものすごい攻撃をマスコミを通して一般人らは行います。

「国家主義は恐ろしい」ということを人々は言いますが、私はそれ以上に「大衆主義」の恐ろしさを感じます。今は媒体に、テレビとインターネットが加えられ、その勢いはさらに増しています。

これが「世の流れ」としてあり、キリスト者を迫害する潜在的な要因となっていますが、美濃ミッション事件において、迫害の一端を担っていたのが他ならぬキリスト教会であったという、恐ろしい事実があるのです。

(「何を予期すべきか? 4」に続く)