「レフト・ビハインド」と救霊の関係 その3 - 二種類の人

(「その2」からの続き)
ですから、二つのグループの人にお話したいと思います。

1.すでに聖書預言に関心を持っている方へ

目を覚ましていますか?つまり罪の生活を捨てて、キリストを求めていますか?
「あなたがたは、今がどのような時か知っているのですから、このように行ないなさい。あなたがたが眠りからさめるべき時刻がもう来ています。というのは、私たちが信じたころよりも、今は救いが私たちにもっと近づいているからです。夜はふけて、昼が近づきました。ですから、私たちは、やみのわざを打ち捨てて、光の武具を着けようではありませんか。遊興、酩酊、淫乱、好色、争い、ねたみの生活ではなく、昼間らしい、正しい生き方をしようではありませんか。主イエス・キリストを着なさい。肉の欲のために心を用いてはいけません。(ローマ13:11-14)」

しっかり教会生活を送っていますか?
「また、互いに勧め合って、愛と善行を促すように注意し合おうではありませんか。ある人々のように、いっしょに集まることをやめたりしないで、かえって励まし合い、かの日が近づいているのを見て、ますますそうしようではありませんか。(ヘブル10:24-25)」

しっかり御言葉を伝えていますか?
「神の御前で、また、生きている人と死んだ人とをさばかれるキリスト・イエスの御前で、その現われとその御国を思って、私はおごそかに命じます。みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。(2テモテ4:1-2)」

2.聖書預言の類に疑問を持っておられる方へ

聖書預言に興味を持っている人々の間に、確かに誤った傾向があるかもしれません。けれども、その態度を見て預言そのものに目を留めるのを止めたのなら、次の結果を招きます。

「まず第一に、次のことを知っておきなさい。終わりの日に、あざける者どもがやって来てあざけり、自分たちの欲望に従って生活し、次のように言うでしょう。『キリストの来臨の約束はどこにあるのか。先祖たちが眠った時からこのかた、何事も創造の初めからのままではないか。』こう言い張る彼らは、次のことを見落としています。すなわち、天は古い昔からあり、地は神のことばによって水から出て、水によって成ったのであって、当時の世界は、その水により、洪水におおわれて滅びました。しかし、今の天と地は、同じみことばによって、火に焼かれるためにとっておかれ、不敬虔な者どものさばきと滅びとの日まで、保たれているのです。しかし、愛する人たち。あなたがたは、この一事を見落としてはいけません。すなわち、主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。(2ペテロ3:3-9)」

再臨信仰を失うことは、神の御救いの心を失うことなのです。

「レフト・ビハインド」と救霊の関係 その2 - 預言と伝道

(「その1」からの続き)

けれども、私自身、聖書預言に関心を持ち始めた時は気づかなかったのですが、聖書預言は、とどのつまり福音への招きが目標なのだ。ということです。キリストが戻って来られるというのは、神の裁きがこの地上に下るということです。神の裁きが下るということは、つまりそこからの救いを神が願っているということです。

黙示録を見てください、最後は「生ける水をただで受けなさい。」という呼びかけを行なっています(22:17)。神の究極の怒りが下る前に、天使が永遠の福音を携えています(14:6)。イエスは預言の霊なのだと天使はヨハネに言っています(19:10)。そして黙示録は、それを聞いて、その言葉を堅く守る者が幸いだ、と教えているのです(22:7)。預言の言葉を読んでわくわくするだけでなく、実際の福音宣教において労することを強く促しているのです。

聖書預言を教えている人々の情熱は、実はここにあります。レフト・ビハインドを書いたティム・ラヘイ氏は、その著作動機をはっきり「伝道」と言っています。実際に、数多くの人がこの本をきっかけにしてイエス様を自分の救い主として受け入れています。ある婦人は救われて間もなくして、あのジェット機に乗り、世界貿易センタービルに突入して昇天した、と彼は証ししていました。

ジョエル・ローゼンバーグ氏も宣教に非常に熱心です。宣教だけでなく貧しい人への援助にも情熱を燃やしています。

メシアニック・ジューの聖書学者アーノルド・フルクテンバウムは、著作The Footstep of the Messiah(メシヤの足跡)の中で、黙示録10章8-10節を解説しています。

「そこで、私は御使いの手からその小さな巻き物を取って食べた。すると、それは口には蜜のように甘かった。それを食べてしまうと、私の腹は苦くなった。(黙示10:10)」

To almost all people, prophecy is sweet. Prophetic conferences draw larger audiences than virtually any other kind of conference. The voluminous sale of the more sensational prophecy books is another evidence of how “sweet” Bible prophecy has become to so many people. But if ”sweetness” is all there is, then it is worth little. Every student of prophecy should have the second experience that John had: bitterness in the stomach. A knowledge of things to come should give every believer a burden for people. For the way of escape from these things is the Rapture, and the requirement to qualify for the Rapture is acceptance of Messiah now. A true student of prophecy will not simply stop with the knowledge of things to come. Rather, this knowledge will create the strong burden to preach the gospel to others and thereby give them a way of escape. (Fruchtenbaum, A. G. (2003). The footsteps of the Messiah : A study of the sequence of prophetic events (Rev. ed.) (239). Tustin, CA: Ariel Ministries.)

(意訳:ほとんどの人にとって預言は甘いものである。セミナーの中でも預言セミナーには一番多くの聴衆を集める。センセーショナルな預言の本はとてつもない冊数が売れるが、聖書預言が多くの人にとって「甘い」ことの証左だ。しかし、「甘さ」があるだけではほとんど価値がない。預言を学ぶ者は、ヨハネのように第二の経験をすべきである。つまり「腹の苦さ」だ。後に来る事を知ることによって、信じる者全てに、人々に対する重荷が与えられる。なぜなら、これらの事を免れることのできるのは携挙であり、携挙に与ることのできる資格は、今、メシヤを受け入れることだからだ。真に預言を学ぶ者には、単に、後に来る事を知るだけに留まらず、かえって、他の人たちに福音を宣べ伝える強い重荷が与えられ、福音宣教によって逃れの道を与えることなのである。)

アーノルド氏は日本ではユダヤ的聖書解釈で有名な方ですが、アリエル・ミニストリーズのニュースレターを読めば、私たち日本人キリスト者と全く同じく、たった一人の魂の救いために非常な労苦をされています。彼も「伝道」が第一使命なのです。

その3に続く)

「レフト・ビハインド」と救霊の関係 その1 - 疑問の投稿

「レフト・ビハインド」シリーズの公式サイト(いのちのことば社)

この、終末とキリストの再臨についての小説シリーズが出て久しくなります。日本語訳もあるので読まれた方もずいぶんいらっしゃると思います。ですから詳しく説明するまでもないかと思いますが、本書や終末に関する書籍について考えることをお話したいと思います。

昔ロゴス・ミニストリーに掲示板があった頃、レフト・ビハインドについての疑問を書き込んだ人がいました。「聖書ではなく小説に書いてある終末の流ればかりを人々は追っている。」という懸念です。私は返答に少し困りました。「確かに流行として読んでいくのは間違いだ。けれども、この小説をきっかけにして聖書にある再臨の希望を抱いてくれたら、それほど嬉しいことはない。今の教会にはこの部分が欠けている。」と思っていたからです。

私がここで紹介しているEpicenterの著者ジョエル・ローゼンバーグ氏も、終末についてのフィクション・シリーズを書いて注目を集めました。レフト・ビハインドは主に黙示録の流れに沿って書き、後者はエゼキエル書38,39章を元にして書いています。ローゼンバーグ氏の著書の方は特に、出版後すぐにその通りの事が次々に起こったので、なおさらのこと上の懸念を抱く人がいるかもしれません。

その2に続く)

モリエル・ミニストリーズからのお知らせ

ロゴス・ミニストリーのリンク先の中に「モリエル・ジャパン」というのがあります。ジェイコブ・プラッシュ(Jacob Prasch)師による創立の働きで、ユダヤ的視点による聖書の読み方を提供する方で有名です。今回、セミナー開催のために来日されるというお話を伺いました。

6月18(金) 神戸市立 六甲道勤労市民センター 会議室E 午後5:30~
6月19(土) 神戸市立 六甲道勤労市民センター 会議室E 午後5:30~
6月20(日) (東京)文京区 勤労福祉会館 区民会議室 午後5:30~

以下のリンク先をご覧ください。

セミナー開催のお知らせ(モリエル・ジャパンのブログ)

来日セミナーのパンフレット(pdfファイル)

一年ほど前でしょうか、日本支部の担当の方から連絡をいただきロゴス・ミニストリーの中にある資料を読んで、神学的、信仰的にとても似ていると感銘を受けたというお手紙をいただきました。

ジェイコブ氏には私は実際にお会いしたことはないのですが、お名前は以前から聞いておりました。デービッド・ホーキングが参加する聖書預言セミナーに他のスピーカーとして名を連ねておられます。実際に個人的に知り合いの仲のようです。カルバリーチャペル・コスタメサを本拠地としていたロジャー・オークランド氏とも親交がおありのようで、また、いろいろなカルバリーの教会にも招かれているみたいです。アーノルド・フルクテンバウム師のこともしばしば言及されています。

まずは、パンフレットを開いてご覧ください。「ミドラシュとは何ぞや?」という疑問をもたれた方はぜひおいでください!(こちらの日本語訳に紹介があります。)

ちなみに私は東京の集会に参加するつもりです。